第5話:忘れられない過去、忘れられない香り
第5話:忘れられない過去、忘れられない香り
町に着く頃には、空はすっかり濃い橙色に染まっていた。
俺たちは酒場で手早く夕食を済ませると、ようやく宿の自室へと戻った。だが、俺にはまだ一仕事残っている。
「……よし、イン。リュックの中身をここにぶちまけてくれ」
「はーい! 大漁だよ~♪」
インが意気揚々と机の上に中身を広げる。そこには俺が教えた薬草と、それによく似た毒草が、見事なまでに一対一の割合で混ざり合っていた。俺はため息をつきながら、一本ずつ丁寧に仕分けを始める。
「……イン、これは毒草だ。こっちは……ギリギリ薬草だな。お前、よくこれだけ正確に『ハズレ』を引いてきたな」
「えへへ、質より量かなって!」
「金にならない方を集めても意味がないんだよ……」
俺が黙々と作業を進める横で、インはベッドに横になり、ぼーっと天井を見つめていた。
「ねぇ、アザナ。邪って……結局なんなの?」
俺は手元の薬草を振り分けながら、淡々と答える。
「邪は、生き物に感染する病みたいなもんだ」
「病なら、治す方法もあるの?」
「初期段階なら、浄化の魔法で治る可能性もあるが……確実じゃない。今は、進行を遅らせるのが精一杯なのが現状だ」
「あの狼……死んでいてもおかしくない怪我だったよね? お腹もあんなになってたのに、普通に動いてた……」
「ああ。邪に感染した生き物は、痛みも死も忘れる。生半可なダメージじゃ止まらないんだ。殺すなら首を切り落とすか、さっきみたいに炎で跡形もなく焼くしかない」
インはごくりと喉を鳴らし、おそるおそる核心に触れる。
「……邪って、どうやって感染するの?」
「主に血液感染だ。邪の血を浴びたり、飲み込んだりすると感染する。邪は仲間を増やすために、相手をすぐには殺さず、傷口を作って自身の血を浴びせる習性があるんだ」
インが静かになったのでちらりと見ると、彼女は膝を抱え、真剣な表情で俺の話を聞いていた。
「……じゃあ、さっきの狼に噛まれたりしたら、私もあんな風になっちゃってたの?」
「少量の血なら人間の免疫力で対処できるが、深手は危ないな。……まあ、お前は無傷だったんだから、そう震えるな」
俺は最後に残った一本の薬草を仕分け終えると、大きく息を吐いて椅子にもたれかかった。
「他に質問はあるか?」
「アザナが探してる『アンドラの箱』も、邪に関係してるんだよね?」
「そうだ。アンドラの箱を開けると、世界中の邪が浄化されると言われている」
「おとぎ話なんだっけ……。どうしてアザナはそこまでして探してるの?」
「単に、故郷の話さ。故郷が邪によって滅ぼされたから……。あんなものはこの世に一つも残しておきたくないっていう、ただの復讐だよ」
インは、あっと失礼な事を聞いたかもという表情で、気まずそうに視線を落とした。
「……いやな記憶、思い出させてごめんね」
いつもと真逆な、消え入りそうな声でインが謝ってくる。
「気を使わなくて大丈夫だぞ。もう八年前の話になるしな」
俺は椅子から立ち上がると、伸びをして凝り固まった体をほぐした。
「それに、しんみりしてる暇もないぞ。明日から一週間は、この町を拠点に薬草採取とギルドの依頼を片っ端から受けるつもりだ。次の街へ行く前に、しっかり路銀を稼いでおかないとな」
「うん、分かった! 私、精一杯お手伝いするね!」 そんなやり取りを経て、インは素直に頷いてベッドに潜り込んだ。
――それからの数日間は、文字通り仕事漬けだった。 朝から晩まで森を歩き回り、魔物を退け、泥にまみれて薬草を摘む。 最初は毒草ばかりを掴んでいたインだったが、数日も経てば見違えるほど手際が良くなっていった。
「アザナ! これ、ザラザラしてるから本物だよね?」
「ああ、正解だ。……だいぶマシになってきたじゃないか」
「えへへ、もうプロ級かも!」
得意げに笑うインのリュックは、日に日に「正解」の薬草で満たされるようになっていく。俺の仕分け作業も劇的に楽になり、二人での連携が板についてきたのを実感していた。
一週間にわたる仕事漬けの日々がようやく終わり、俺たちは目標としていた路銀を稼ぎ出した。メイマルクへの旅路を再開する前夜。俺は景気づけに市場で一本の小瓶を買ってきた。
「アザナ、それなに? 新しいお薬?」
机に置いた瓶を、インが興味津々といった様子で覗き込んできた。
「いや、酒だ。市場で評判だった果実酒さ。明日からはまた長旅になるからな、一人で軽く飲んで寝ようと思ってな」
「えっ、ずるい! 私にも一口……ううん、一杯ちょうだい!」
インが身を乗り出し、期待に満ちた目で俺を見つめる。
「お前、飲めるのか? 結構強いぞ」
「わかんないけど、すっごくいい匂いがするもん! 甘くて美味しそうだよ。私も一週間頑張ったんだから、いいでしょ?」
確かにこの一週間、インは泥だらけになりながらよく働いた。その報酬だと思えば安いものか。
「……分かった。少しだけだぞ」
俺は二つのコップを用意し、琥珀色の液体を注いだ。インは待ちきれないといった様子でコップを手に取ると、まずは鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅いだ。
「わぁ、本当に果実みたいな匂い! ……いただきます!」
にこっと笑ってカチンとコップを合わせ、インは一口舐めるように飲んだ。
「なんだ! 思ったより普通の果実ジュースみたいな感じじゃん!」
飲める物と判断した途端、インはぐいぐいと喉を鳴らして飲み始めた。
「お、おい、そんなに勢いよく飲むなよ。後からくるんだぞ」
「大丈夫、大丈夫! あ、アザナ、見て! このお酒、月の光に透かすとキラキラしてて綺麗だよ!」
インは上機嫌でコップを掲げ、窓から差し込む月明かりに琥珀色の液体を透かしてはしゃいでいる。 それからしばらく、俺たちは一週間の苦労話や、次に目指すメイマルクの噂話をして過ごした。インは「次はもっと高い薬草を見つけるんだから!」と息巻いて、二杯目、三杯目と自分からおかわりをねだってきた。
だが、三杯目を空ける頃には、インの饒舌だったお喋りが、目に見えてスローペースになっていく。
「……それでね、アザナ。あの、ザラザラした……えーっと、なんだっけ……」
「薬草だろ。……おい、イン。顔が真っ赤だぞ。完全に酔ってるじゃないか」
「えへへ……なんだか、ふわふわするぅ。アザナが、いっぱいに見えるよ……」
インはふにゃふにゃとした笑みを浮かべ、机に突っ伏しそうになりながら、自分のベッドの上でふらふらと体を揺らしている。
「ほら言わんこっちゃない。……もう十分楽しんだろ。そろそろ寝ようか」
俺が立ち上がって明かりを消すと、部屋は窓から差し込む青白い月光に支配された。 自分のベッドへ戻ろうとした、その時だった。
「……いっしょに、ねよ……」
静まり返った暗がりのなか、インが消え入りそうな声で呟いた。
「……は?」
俺がその場に立ち尽くすと、インがおぼつかない足取りで俺の元へ歩み寄ってきて、そのまま俺の服の裾をぎゅっと掴んだ。
「今日は、とりあえず一緒に寝ること……。あと、変なことしたら、だめだからねっ!」
酒で赤くなっているのか、それともセリフに照れているのか。月明かりに照らされた彼女は、耳まで真っ赤にして俺を見上げていた。
結局、俺は彼女に促されるまま、狭いベッドの中に潜り込むことになった。
天井を見上げながら、一旦冷静になろうと思考を巡らせる。だが、隣からはインの体温と甘い果実の香りがダイレクトに伝わり、思考をかき乱してくる。 いつもは冷静なつもりでいたが、今回ばかりは流石にドキッときてしまった。冷静になって考えてみれば、インはそこら辺の女性と比べても、目を引くほどに顔立ちが整っている。普段は能天気な性格のせいで忘れがちだが、実際、間近でこんな真似をされると、くるものがあるな……。
……なんてことを考えているうちに、隣から小さな寝息が聞こえてきた。見れば、インはもう夢の中のようだ。だが、彼女の片手はまだ俺の服の裾をしっかりと捕まえている。 このままここにいるわけにもいかない。俺は自戒を込めて深く息を吐き出し、これ以上は毒だと自分に言い聞かせるようにして、彼女の手をそっと解いた。起こさないよう慎重にベッドから抜け出し、ようやく自身の寝床へと戻る。 酒の酔いと昼間の戦闘による疲労が、一気に押し寄せてくる。なんだかんだで、目を閉じればすぐに眠気が俺を支配した。




