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第2話:記憶はなくてもお腹は空く

第2話:記憶はなくてもお腹は空く


 俺は、彼女が長い間ここで眠っていたらしいこと、そしてここは「アンドラの箱」に関連する遺跡で、俺はその調査に来たことを告げた。


「なるほど、なるほど……長い間寝ていたと。全然寝る前の記憶ないな~」


 ありりゃ〜、といった具合に首をすくめてインが笑う。

「記憶喪失か……。とりあえず、村まで一緒に戻るか? ここに一人で残されても困るだろ」


「うん、行く当てもないし、とりあえず村まで行ってみようかな♪」


 二人は遺跡を出て、村へと目指す、彼女にいくつかの質問や[アンドラの箱]の伝承、そして世界を蝕む「邪」の侵食について聞いてみるが。

彼女は時折「あー、その言葉は知ってるかも」と頷く。どうやら完全に空っぽというわけではなく、言葉の定義や最低限の一般常識といった「知識」は、記憶の底に眠っているようだった。


 だが、俺が最も測りかねていたのは、彼女の「存在そのもの」のリアリティだ。

長い時を棺で過ごした遺物ではなく、本当に温かな血が流れる人間なのかどうか。それを確かめるように彼女を盗み見ていたが――。


「アンドラの箱……邪……。うーん、なんか聞いたことあるような、ないような……」

 インは人差し指を顎に当ててうなっていたが、やがて俺の視線に気づくと、にへらと人懐っこい笑みを浮かべた。

「さっきから考えすぎだよ、アザナ君! ほら、こうして喋ってるし、触ればあったかいし。お腹だってこんなに空いてるんだもん。どこからどう見ても、私はちゃーんと生きてる女の子でしょ?」

 インは自分の頬をぷにぷにと指で突き、生身の人間であることをこれでもかとアピールしてくる。  その直後、まるで彼女の言葉を証明するかのように、グゥ〜……と間の抜けた音が響いた。

「ほら、お腹の虫もそう言ってるみたい!」

屈託なく笑う彼女を見ていると、知識や理屈で警戒を続けているこちらが、ひどく非効率なことをしている気分になってくる。


 森をしばらく歩くと、ようやく見慣れた村の輪郭が見えてきた。  夕闇が迫る中、村の家々からは炊事の煙がのどかに立ち上っている。

 大陸のあちこちが「邪」に呑まれて不気味な姿に変貌している昨今だが、このあたりはまだ平和そのものだ。風に乗って漂ってくる美味そうな匂いが、ここがまだ「まともな世界」であることを教えてくれる。

「おー、あれが村かぁ! お腹空いたな~」

インが鼻歌でも歌い出しそうな調子で呟く。


「……お前、金は持ってないだろ」

「ガビーン! ……確かにそうじゃん。アザナさーん、貸してくださいっ!」

インは手を合わせて拝むようなポーズをしながら、上目遣いでこちらを見てくる。  記憶を失くして、頼れるのが俺しかいないのだから当然といえば当然なのだが……。

「……まあいいけど、ちゃんと返せよ。俺の路銀も無限じゃないんだ」


 軽口を叩きながら、数日前から拠点にしていた宿の門を叩く。


「アザナ様、お帰りなさい!」

 宿屋の看板娘が、受付で愛想よく挨拶をしてくれた。

「一人部屋を二部屋頼めるか」

「申し訳ありません、いま二人部屋しか空いてなくて……。いかがしましょう?」

 ぬ……。  手持ちの金銭を考えれば、無理をして二人部屋を二つ押さえるのは得策ではない。なるべくなら出費は抑えたいところだが。

「二人部屋でいいじゃん! そのほうが色々話せるし!」

 俺の葛藤を余所に、後ろからインがひょっこりと顔を出した。

「そちらの方は、お連れ様ですか?」

「ああ、道中で……たまたま出会ってな。二人部屋を一部屋頼む」

「そうなんですね~。それにしても、本当に美人な方ですね。その綺麗なブロンドヘアー、羨ましいです」


看板娘の言葉に、改めて隣の少女を視界に入れた。  これまでの人生、[アンドラの箱]を探すことにのみ時間を費やしてきた俺には、色恋の機微など皆無だったが、客観的に見れば彼女は目を引くほど整った顔立ちをしている。  村へ入る際、妙に周囲の視線を集めていた気がするのもそのせいだろう。


鍵を受け取って部屋に入ると、インは吸い寄せられるようにベッドへダイブした。

「やっと休める~!」

 村から遺跡までの道のりは、慣れない身体には応えたのだろう。  羽毛を詰め込んだ厚手のマットレスの上で、彼女は満足げに手足を伸ばしている。  安宿にしては弾力のある寝心地が気に入ったのか、インはそのままごろごろと転がった。


アザナは装備していた旅荷を下ろす

「酒場で夕食にしようか」


「うん!お腹ペコペコだよ~」

彼女は弾かれたように起き上がった。さっきまでの疲れはどこへ行ったのか。現金なものだ。


宿を出て少し歩くと、村の広場に面した大きな酒場から、賑やかな笑い声と楽器の音色が漏れ聞こえてきた。 扉を開けると、そこには一日の労働を終えた村人たちだけでなく、馬車を連ねてやってきた商人や、腰に剣を帯びた冒険者たちの姿が混じり合っている。


 ここは「邪」の侵食区域から距離があるため、人々はまだ自分たちが安全な領域にいると信じている。だが、いつどこから「邪人」が湧き出してもおかしくないのが今の世の中だ。そんな不穏さを塗り潰すかのように、強い酒と温かい食事を求めて人々が集まるこの場所は、どこか切実な熱気に満ちていた。

 俺たちは空いている壁際の席を見つけ、腰を下ろす。


「アザナ君は何注文するの?」

「……。なあ、その『君』付けはやめないか。呼び捨てで構わない。歳もそう変わらなそうだし、旅先で余計な気を使うのは非効率だ」

「あ、そうなの? おっけー! じゃあ改めてよろしくね、アザナ!」

 一度許可が出れば、彼女の切り替えは早かった。

 屈託のない笑顔で返され、俺はわずかに毒気を抜かれた気分になる。

「……ああ。ところで、お前は自分を何歳だと思っているんだ?」

「うーん。私って何歳なんだろうね?」

「さあな。二十歳くらいに見えるが……」

 適当に返答しながら、俺は店員にエールと、インのために甘い香りのする果実水を、そして二人分の温かい煮込み料理を注文した。

 湯気の立つ皿と、なみなみと注がれた果実水が運ばれてくると、インの目がこれ以上ないほど輝いた。  俺は木匙を手に取り、改めて彼女に問いかけた。

「お前、これからどうするつもりだ?」

「うーん。アザナはなんで旅してるんだっけ?」

「俺は[アンドラの箱]を探している。開ければ世界中の邪を浄化してくれるという伝説の遺物だ」

「ふ~ん、アザナ以外の人も探してるの?」


「いや、ほとんど見かけないな。おとぎ話の類だから信じてる奴のほうが少ない。酔狂な趣味だと思われているだろうよ」

「でも、アザナは信じてるから探してるんでしょ?」

「……ああ。故郷に根強く伝わっていた話だし、それを示唆する古文書もいくつか見つけているからな」


 俺がそう答えると、インは「ふーん、そうなんだぁ」と、いかにも興味なさげに生返事を返した。  どうやら彼女の関心は、俺の人生の目的よりも、目の前の皿から立ち上る芳醇な料理の香りに完全に占領されているらしい。

 インは果実水を美味しそうに一口飲み、待ってましたと言わんばかりに木匙を握りしめた。

「いただきま~す! ……んんっ、おいし~い!」


 彼女は運ばれてきた料理を、一口ごとに本当に幸せそうな顔をして堪能していた。その食べっぷりは見ていて清々しいほどで、最後の一口まで綺麗に平らげると、インはこれ以上ないほど愛想の良い、キラキラとした笑顔でこちらを見てきた。


「アザナさん、ごちそうさまでしたぁ!」

 わざとらしく「さん」付けをして下手に出ることで、おごってもらうのを既成事実にしようという魂胆が見え見えだ。だが、俺はそれを真に受けることなく、静かに会計を済ませて席を立った。

「……奢らんと言ったはずだが。今食べた分は、しっかり借金として帳簿に計上しておくからな」

 俺が淡々と告げると、インは「あちゃー、やっぱり?」といった風にぺろりと舌を出した。それ以上の反論はなく、彼女は満足そうなお腹をさすりながら俺の後をついてくる。


部屋に戻ると、インは羽毛を詰め込んだ厚手のマットレスの上に腰掛け、満足げに足をぶらつかせている。

「ねえ、アザナについていってもいい? ほら、お金も返さないといけないし!」

「……まあ、それが妥当だろうな。一人で放り出しても、どうせ路頭に迷うだけだろうし。ただし、倍にして返せよ」

 冗談半分に突き放すと、

「えぇ~!? 倍!? アザナ、意外とがめつい!」


 案の定、すっとんきょうな悲鳴が返ってきた。

「明日からは[メイマルク]という都市に向かう。そこで開催される大規模なオークションに参加する予定だ。俺の魔道具を売って路銀にするのと……[アンドラの箱]が市場に流れていないか確認するためだ」

「おっけー! なんか面白そうだね!」

「ああ。期間中はお祭り騒ぎだから、楽しいと思うぞ」

「へぇ~、楽しみ~!」


屈託のない笑顔で頷く彼女を見ながら、俺は柄にもなくこれからの旅に思いを馳せていた。  『アンドラの箱』に繋がる唯一の手がかりが、まさかこんなによく笑い、よく食べる少女だとは。俺の静かだった旅路は、彼女が隣にいるというだけで、驚くほど明るいものに変わりそうだ。

ふと横を見ると、さっきまで元気に喋っていたインは、いつの間にかベッドの端で丸くなってスースーと寝息を立てていた。


これからの路銀や予定を考えると少し頭が痛いが、不思議と悪い気分ではなかった。一人で黙々と伝説を追っていた昨日までと比べれば、少しは賑やかな旅になりそうだ。

 俺は灯りを消し、静かに眠りについた。

 翌朝、俺たちは[メイマルク]に向け翌朝村を発った。




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