第1話:棺の中で眠る「希望」
第1話:棺の中で眠る「希望」
世界は「邪」に蝕まれつつある。
大陸の二割、あるいは三割か。かつて緑豊かだった大地は黒く変色し
そこに生きる生物は理性を失った「生ける死体」へと成り下がっていた。
感染が進めば、やがて肉体は形を失い、元の生物とは似ても似つかぬ異形へと変貌を遂げる。
侵食区域は年々その版図を広げ、平穏を享受している人々を静かに、だが確実に追い詰めつつあった。
そんな絶望の足音が聞こえる中、俺――アザナは、一つの伝説を追い続けている
「……ここか」
巨大な倒木に隠された、石造りの入り口。
旅先の古本屋で手に入れた、記号だらけの古い手記。それと手持ちの文献を照合し
周辺の地質や古代の街道跡から計算してこの場所を割り出すのに、丸一ヶ月を要した。
一見すればただの森だが、計算が正しければ、この倒木の下に入り口があるはずだ。
……読み通りだ。 偽装された入り口の跡を見て、俺は自分の「正解」を確信し、小さく口角を上げた。
「アザナ様いってらっしゃいませ~!」
今朝、宿の看板娘が掛けてくれた能天気な声を思い出し、俺は小さく息を吐いた。
あの子は、ここがどんなに不気味な場所か想像もしていないだろう。
俺は魔法が込められたランタンを取り出した。 青い炎が揺らめき、暗闇を青白く照らし出す。
「初めて見る造りだな。これは古代文字か?」
壁面を指でなぞりながら、奥へと進む。突き当たりには、巨大な石の扉が鎮座していた。
魔法が使えれば華やかに吹き飛ばせるんだろうが、あいにく俺にはそこまでの魔力はない。
俺は慣れた手つきで火薬を設置し、導火線に火をつけた。
――轟音。
粉塵が収まるのを待ち、俺は扉の状態を確認する。
狙い通り、石扉の強度が低い箇所を選んで火薬を仕掛けたおかげで、人が一人
直立したまま通れるほどの穴が開いていた。
俺はランタンを掲げ、最奥の空間へと踏み込む。 部屋の中央。
そこに、一際重厚な装飾が施された石の棺が、静止した時間の中で鎮座していた。
心臓の鼓動が早くなる。[アンドラの箱]か。それとも、単なる王族の墓か。
もし外れだったとしても、金目のものさえあれば今後の生活の足しにはなる。
「……頼むぞ」
俺は棺の縁に指をかけ、一気に力を込めた。ズズズ、と石が擦れる重い音が響き
中からひやりとした冷気が溢れ出す。
徐々に露わになる、その中身。
「……っ、こ、れは……」
思わず声が漏れた。そこに横たわっていたのは、目も眩むような財宝でも、古めかしい小箱でも……ましてや、白骨化した死体ですらなかった。
――少女だった。
透き通るような肌。柔らかな曲線を描くブロンドの髪。それは亡骸などではなく、今さっきまで眠りについたばかりのような、生身の人間だった。
「ん~……ふぁ……」
少女のまぶたが、ゆっくりと震える。 彼女は小さく欠伸をして、寝ぼけ眼でこちらを見上げた。
「……なんか、めっちゃ寝てたかも……」
あまりに場違いな、呑気なつぶやき。 伝説の箱を探しに来て、中から女の子が出てくるなんて、どこのおとぎ話だ。
「おい、お前……生きてるのか?」
俺の問いかけに、少女はパチパチと瞬きをして、ようやく俺の姿を視界に入れたようだ。
「おあ! びっくりした~!」
少女は跳ねるように起き上がり、興味津々といった様子で俺を観察し始める。
「うーんと、あなた誰? というか、ここどこかな~」
首を傾げる彼女の瞳には、邪に怯える色も、遺跡に閉じ込められていた絶望もなかった。
俺は呆然としながらも、張り詰めていた警戒をゆっくりと解いた。得体の知れない「何か」が出てくる可能性を考えていたが、どうやら目の前の少女に戦う意志はないらしい。
「俺はアザナ。[アンドラの箱]を探して旅をしている。お前の名前は?」
「ほうほう、アザナ君ですか。私はインっていうよ!」
イン、と名乗った少女は、にへらと無防備な笑顔を浮かべた。
「なんか記憶喪失っぽくてさ。自分の名前くらいはわかるんだけど、以前のことはさっぱり思い出せないんだよね!」
そう言って笑う彼女は、記憶を失っているという悲壮感を微塵も感じさせなかった。
数百年の時を止めていた棺の中に、なぜ生身の彼女がいたのか。その謎を解く知識を、今の俺は持ち合わせていない。だが、彼女の瞳に宿る屈託のない光は、この不気味な遺跡の中では異様なほど鮮やかに見えた。
……[アンドラの箱]を開ければ、世界から邪が消える。 俺は世界を救いたいなんて大層なことを考えているわけじゃない。ただ、俺からすべてを奪ったあの「邪」という理不尽を
この世から消し去る術が欲しいだけだ。




