風化する岩山へ
ここは王の住まう場所。
すべてが和で統一された部屋に一人の女性が筆を走らせていた。
キツネの女王:ふく。
行燈の光の中彼女が執筆しているのは十数年前に焼失した町の記録票。
野狐族、犬族、ネズミ族の集落があった場所――自身がこの世界に来た頃のお話。
懐かしみながら筆を進めていく。
時折、髪飾りの宝石に触れながら愛おしそうな表情を浮かべる彼女には非常に思い入れがある内容だと窺える。
ふくは立ち上がり、窓枠に手をかけて北の方へ視線を送る。
――そろそろ二人はぼるふの言う精霊に会えるじゃろう。油断はしてはならぬぞ。れん、りこ。
そう祈るように呟いたふくは背伸びをして机に向かい筆を走らせるのだった。
§
水の跳ねる音が響き渡る。
仄暗く湯気で温かい空間となっている中、二人は残り湯で制服についた砂埃を落とし、身体も洗う。
すべての用事を済ませ、立ち上がり、【守護】の魔法を解く。
明け方の集落は非常に不気味なものだった。
幽霊やお化けといった類は二人とっては特別怖いものではないが、どす黒く染まった大地から発せられる、恨みや怒りを持った【闇】の気配に気圧される。
「なんだか、不気味だね……」
「そうですね……。汚された大地にはあまり近づかない方がよさそうですね。先を急ぎませんか?」
「リコさんは、野狐族の集落で調べることはない?」
「ありません」
リコは短く返すと、レンに手を差し出す。
切り替えの速さに苦笑しつつレンはリコの手を握り、北へと歩いていく。
集落とは違い黒く浸食された大地は少なくなり、再び岩石地帯が現れる。
これまで見てきた赤く丸みのあった岩場と違い、黒く冷たい雰囲気を醸し出す。
それは風の薄刃が長い年月をかけ、削り取った姿であり、近づくものを拒むような威圧感を二人は感じ取る。
「凄い……。こんなの初めてだ……!」
「この岩の形……風で傷つけられたような見た目です」
「ということは、オレ達が目指している場所には風の精霊がいるかもしれないってこと……かな?」
「恐らくそうでしょう。戦いとなれば、【土】や【岩石】の元素魔法を軸に戦うことになりますね」
レンは【収納】カバンの中見を確認し、岩石地帯の方に指をさす。
「あそこで野宿にしよう。そしたら、オレは魔道具を作ってみるよ」
「わかりました。私もこの姿になって、どれほどの力を得たのかわかりません。無理しない程度で頑張りたいと思います」
リコはもう尻尾を一つにまとめなかった。
四本の尻尾を広げ、臨戦態勢となる。
それはレンに隠し事をしないという気持ちと魔獣たちへの威嚇の意味を込めていた。
【王族変異】し、一般的な獣人ではなくなり、最強格への進化を遂げているにもかかわらず、リコはいつもより慎重だった。
――ここで調子に乗ってはいけません……。私は、何度も常識のない威力でたくさんのヒトを……レン君を危険に晒したのですから……。
これまでの事故未遂を思い出し、肝に銘じていたのだ。
「レン君」
「?」
「私は本当に【王族変異】したのか定かではありません。ですが、もししていれば『もう一つの魔法』と『より強力な魔法の変質』が引き起こされるはずです。事故にならないよう、細心の注意は払いますが、暴走したら……お願いします」
リコの瞳には覚悟が移っており、その意思を読み取る。
――制御ができなければ、見捨てろ……か。
レンは首を横に振ると、驚いた表情を浮かべる。
決意が鈍っているのかとリコが口を開こうとする前にレンの指が口を塞ぐ。
「大丈夫。オレの魔法は、リコのためにある。オレが付いているから、暴走なんかさせないよ」
「ですが――」
「オレを信じてよ。調査隊に入る夢があるからこそ、どんな困難だって乗り越えてみせるから……!」
「……覚悟が足りなかったのは、私の方でしたか……。ありがとうございます……。元気が出ました」
「えへへ……。一緒に乗り切ろう……!」
リコの顔から緊張が取れ、レンは安心したように笑うと、二人は今日の寝床になりそうな窪みのある場所を目指して歩みを進める。
道中、風化による不安定な足場は物ともしなかった。
猫族由来の柔軟な脚と感覚の鋭い足裏により足を滑らせるような事はなかった。
一方リコにはそういった感覚がレンに比べると劣り、元々運動が苦手ということもあり、レンの手を借りながら岩山を登っていく。
岩と岩の間を抜ける風は魔力を帯びており、魔獣や魔物がこの山に入った形跡はなかった。
距離は横移動だけなら大体五キロ程。
それでも一度に一千メートルほどの高さを登った二人は疲労困憊の中、目的地である窪みに到着する。
時刻は昼過ぎであり、予定より少し遅くなってしまった。
リコはキャンプの準備をしているレンに向かって頭を下げる。
「足手纏いになって申し訳ございません……」
レンはリコが何故謝るのか分からず首を傾げる。
「私が運動苦手なせいでレン君にも負担をかけてしまって……」
「オレは一度も迷惑だと思ってないよ?ほら、魔獣狩りの時はリコさんに任せきりでしょ?こういう時くらい、役に立たなきゃ」
「ですが……。今日一日、魔獣も出ませんでしたし、何も仕事できてないです……」
リコの猛省っぷりにはレンは困ってしまう。
助け合う前提で旅をしているからこそ、彼女は曲がらない。
レンは困った表情で頭を掻きながら頂上を眺める。
レンの目には光の靄が山頂にかかって見えた。
目を擦って確認するが空目ではない。
レンは嬉しそうに口角を上げ、リコの方へ振り向く。
「リコさん」
「はい……」
「明日、キミは大一番の仕事があそこで待ってるよ……!」
レンは山頂へ指を指す。
リコは眉を顰めて指先――山頂を見つめる。
すると表情が驚きに変わる。
「多分、オレたちを待ってるよ」
「……私、できるでしょうか……?」
「大丈夫。オレがついてるから、安心して挑んで……?」
レンはリコの左手を両手で包み込むように握り、胸に当てる。
そして跪き、指輪にキスをした。
レンの行動にリコは眉を下げ、緊張と不安で固くなっていた口元が弛む。
「はい、お願いします……!……レン」
レンは最後の一言で、爆発した。
嬉しさのあまり、尻尾の毛が逆立って。




