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やるべきこと

 レンは引き攣らないように笑顔を二人に向ける。

 内心穏やかではない。

 レンの精神的限界は一刻、一刻と迫っていた。

 

「どういたしましたか?」


「これに近いのをやってくれないか?」


 光る板をレンに見せつける。

 そこには愛嬌を振りまいてケチャップをかけるレンの姿が映し出されていた。

 小太りの男はレンの耳元でつぶやく。


(新人類様の印象がよかったら、このお店とキミに賄賂あげるからさ……!な?)


 レンは賄賂という言葉を知らない。

 一日しか働いていないが、自身を認めてくれた場所を守るための意地を張る。

 はちみつのボトルを手に持ち、渾身の笑顔を向ける。


「今日は当店のコース料理を選んでいただき、誠にありがとうございます!お礼といたしまして、最後のおもてなしをさせていただきます♪」


 喉を鳴らし、フルーツ盛りに少しずつはちみつをかけていく。

 くるくると緩やかな弧を描き、ピタッと止める。

 ピューリングをしながらニコリと笑う。

 店内の暖色に輝く照明の光を浴び、はちみつの表面がほんのりと輝く。

 新人類の男は垂れるハチミツを目で追いかける以外レンには全くの無関心。

 一方、小太りの男は目尻を下げ、鼻の下を伸ばしていた。

 ――この変態オヤジめ。


「美味しくなるように、頑張らせてもらいました!それではごゆっくりお過ごしくださいませ♪」


 深々とお辞儀をし、はにかみながら厨房へと戻った。

 するとスタッフ総出で迎え入れられる。

 張り詰めた緊張の糸は、限界を迎え、カオルに抱きかかえられるようにして意識を手放すのだった。


 §


 目を覚ますと波打ち際に当てられていたリコ。

 ゆっくりと身を起こし、周囲を確認する。

 ――【太陽】があるということは、開けた場所……。ああ、私はあんなところから落ちたのですね。

 リコの視線の先には黒い点が浮かび上がっている。

 野狐族の視力が非常に良い能力は妖狐になった今も健在のようだ。

 ――空に浮かぶ陸地。牢獄にふさわしい場所です。ですが、なぜ私はあの高さから落ちて傷一つないのでしょうか……?

 そんな疑問に視線を落とすと緋色の剣が握られていることに気が付く。

 レンと一緒に作った魔道具。

 風の精霊を祀るための器。

 これが壊れていないということがレンが生きているという唯一の手掛かり。

 両手で柄を持ち、剣の腹に額をコツンと当てる。

 ――早く……会いたい……!

 早く胸を締め付ける鎖を解き放ちたかった。

 するとリコを包みこむように風が渦巻き始める。

 

『儂を湖に向けて振るえ。お前の望みに近づくことができよう』


「風の……精霊……?」


 言葉に返事はなく、リコを包み込んでいた風は魔道具の剣を包み込んだ。

 リコは知っている。

 この剣の尋常ではない切れ味を。

 それを振るい、湖を斬れというのだ。

 しかし、それ以外に道はない。

 立ち上がり、剣を天高く掲げる。

 躊躇いもなく、振り下ろすと爆風が巻き起こり、湖に穴をあける。

 深く暗い闇がリコを覗き込む。

 黒い魔力にとらわれたことを思い出し、再び胸に重たく冷たい感触が包み込む。

 ――進まなければ……。私の居場所を……。レン君が帰ってこられる道を私が切り開かなければ……!

 脈を打つごとに痛む胸を押さえ、リコは湖の深淵へと歩みを進めるのだった。



 光が届かない場所まで歩き、【篝火】の魔道具で視界を確保する。

 リコの眼や魔力探知を駆使すれば見えるのだが、光があることで自信を蝕む黒い魔力から少しでも遠ざかれるのではないかという、心の支えだった。

 横穴のようなものを見つけ、身を潜めて酸素をむさぼる。

 どれほど進んだのだろう。

 長い距離を歩き、疲労からか鎧を着込んでいるかのように体が重たい。

 目に映る世界の端がだんだんと黒ずんでいく。

 リコの意識が少しずつ闇に飲まれていく。


『リコさん……。キミの力を借りたい……!』


 ――私もです……。あなたの力が……いえ、全てが欲しいです。もう、手放したくないです……。


 薄れゆく意識の中、レンのような声に応えると腹部に熱を帯びる。

 暗く染まりかけていた意識は打ち払われ、飛び起きる。


「共……鳴!?」


 リコの中に流れてくる魔力はレンの魔力。

 間違えようがない。

 ずっと待ち望んでいた確かな温かみを感じ取り、地面に大粒の雨を降らせる。


「うぅっ……。っく……。早く……会いたいよ……!」


 そう呟いた瞬間、緋色の剣が輝き、一筋の光が横穴の奥へと続いていく。

 その光からはレンの暖かい魔力を感じ取り、光の導きに沿うように走る。

 魔獣や魔物、生物の気配が一切感じられない。

 命の存在を否定されたような深き闇の中を駆け回る。

 何度躓いて転んでも、リコは止まらない。

 自身を蝕む闇も世界にかけられた覆しようがない【理】の魔法も撥ね退け、ひたすらにレンの姿を求めた。

 


 どれほど走ったか。

 リコはレンの光が途切れた空間を訪れていた。

 光であるにも関わらず、不自然に途切れている空間に手を伸ばすと、異様な力場を感じ取り手を引っ込める。

 ――私の魔力が『圧し潰された』……?魔力は重力の力を受けないはず……。この先は生身で通ることが許されていないということ……でしょうか。

 リコは女王ふくの言葉を思い出す。

 怒りという感情に塗りたくられた記憶を掘り起こしていく。

 そこに答えがあった。


「ディバイドエリア……」


 周囲を見渡し、石礫を拾い、それを光の筋の先に投げ込む。

 光が断裂した部分に触れた瞬間、音を立てることも、粉じんや破片をまき散らすこともなく潰れた。

 

「強力な重力魔法と封印魔法……。本来は何人たりとも通り抜けることが不可能な【扉】……。条件や鍵があれば、通り抜けられる……?」


 リコは異様な空間の前で頭を悩ませる。

 知識が足りないのだ。

 この場所の存在は最初期の調査隊と女王ふくと王ヴォルフのみ。

 かすかに残っているあの時の会話を掘り起こす。

 しかし答えは出ない。

 自身の腕に爪を立て、牙をむき出しにする。


「私の知識なんかじゃ……全然役に立てない……っ!」


 何度も脳裏に浮かび上がるレンの姿に心が悲鳴を上げた瞬間――一羽の鶴がリコの前に舞い降りたのだった。

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