前世を思い出しました
(この世界での)常識人ゲーム悪役と(この世界での)常識人ヒロインを書きたかった。
前世を思い出しました。
(どうやら、悪役令嬢のようですね)
目の前にいる婚約者を見つめながらお茶を口元に運ぶ。急に思い出したことで動揺を表に出すような教育はされていない。
目の前の婚約者に恋愛感情はない。まあ、好きか嫌いかといわれれば嫌いではないだろう。まだ出会って数回しかないが。
こちらの様子を窺いながらお菓子に舌鼓を打っている少年は【薔薇は茨の中】という乙女ゲームの攻略キャラであるブラン。この国の第二王子だ。
国のことを考えての政略結婚。それはわたくしもブラン殿下もご存じなのにそれでも恋にのめり込んでわたくしに嫉妬される設定。
嫉妬? わたくしが?
恋にのめり込む? この殿下が?
(全く想像できませんわね)
前世の小説や漫画だと悪役令嬢にならないように気を付けるとあったけど、内容によっては貴族としての誇りを捨てて媚びるようなものもあった。
平民の少女がこんなのおかしいですというのは言動の自由だ。だが、それに賛同するのは違うだろう。貴族には貴族の決まりがあり、郷に入れば郷に従えというだろう。
税金で贅沢をしている?
必要以上に集めた税での散財なら言われても仕方ないだろうが、全て必要経費であるし、自分を飾り立てることは飾った人々の仕事にも繋がるし、職人も育つのだ。一概に贅沢禁止というのはおかしいだろうし。
上から目線で命令する?
対等と思う方が間違っているだろう。
いや、それ以前に乙女ゲームの嫌がらせを公爵令嬢がすると思う時点で間違っているだろう。ノートを破る? 私物を壊す? 生ぬるいだろう。
お茶会兼婚約者との親睦会が終了したタイミングで傍に控えていた従者のジャスに視線を送る。
「調べてもらいたいことがあるの」
耳元で囁くのはゲームヒロインの名前と親のこと。
男爵が侍女に手を出してそれが妻にばれて暇を出された。そして、お腹の中に自分の娘がいると知ったので慌てて手元に連れてくるという設定だった。
学校でたくさん勉強して引き離された母と再会していい暮らしをさせてあげると希望に燃えているキャラだった。その天真爛漫さで攻略キャラと仲良くなっていき、くっつくと――。
乙女ゲームだとそこら辺は言葉を濁していたけど、母親から無理やり引き離していたのだろう。そして、政治的に利用できると判断して手元で育てた父親。
乙女ゲームのような展開が実際に起こったとしたらそれは恋というものに目を眩んで道を踏み違えたと言うことで国の将来が心配になるし、 国家転覆とか他国からの戦争を吹っ掛けられる可能性もあるだろう。
ジャスの報告を待ちながらも王族に嫁ぐためにブラン殿下と交流を行い、学ぶべき公務を教わっていく。
「ねえ、クラリス」
ブラン殿下がお茶会の時に声を掛けてくる。いや、話をするが差し障りの無いことばかり言っていてほとんどお茶を飲むだけだったのでこんなふうに呼び掛けられたのが珍しいので何かあったかと最近あったことを思い出してみる。
「何でしょうか殿下?」
特に何もなかったが本当に何もなかったかと考えを巡らせていると、最近のことでゲームヒロインのことを思い出すがこれは関係ないかとすぐに片隅に追いやるが、
「最近、面白いことでもあったかな。どこか気もそぞろになっている気がするんだ」
見透かすような眼差し。
「気もそぞろ……」
確かにゲームヒロインのことを考えていてそっちに意識を持っていかれていた気がする。
「申し訳ありません」
謝罪すると、そっとブラン殿下の手が自分の手に重ねられる。
「いや、そんなクラリスが面白くてな」
どこか面白がっているさま。
「申し訳ありません」
「いや、いい。――だが、少し不満でな」
後半はよく聞き取れなかった。
そんな殿下の話をしていたが些細なこととして記憶の片隅に追いやってすぐに、ジャスからの報告が来た。
「クラリス・リインフォース公爵令嬢ぅぅぅぅ!!」
ジャスの報告を受けてどう対応しようかと迷った挙句、お忍びで見に行ったらゲームヒロインがこちらを指差して叫んでくれたのでお忍びではなくなってしまった。
「すみません。大きな声を出して!!」
すぐに自分の非に気付いて土下座をしてくる始末で逆に悪目立ちしてくる。この子わざとやっているのではないのかしらと疑いかけていたが、どうやら一目見て会ったことないはずのわたくしに気付いた時点で彼女も前世の記憶を持つ転生者だと思ってもいいだろう。
「とりあえず、落ち着いて話が出来るところに行きましょうか」
目立ちたくない。いや、手遅れなのだが、それでも話をするには人目が無い場所の方がいいだろうと声を掛けるとヒロインも同じことを思ったのだろう。首振り人形のようにかくかく頷いて自分の家に案内してくれた。
「前世を思い出してすぐに母の死を回避しようと思ったんです」
ヒロイン――アポロリアは香草で作ったお茶を用意してくれて、ジャスが毒見を済ませてくれる。
「乙女ゲームヒロインなんてごめんだし、私ざまぁ系もたくさん読んだんですよ」
一庶民が王妃とか貴族の妻になる? そんなの無理だ。今から学べなどと酷いだろう。
「シンデレラストーリーは誰もが望んでいるわけじゃないんですよ。それより母といつまでも暮らしたい」
母親の病気というターニングポイントで父親が現れると知っていたので病気フラグを叩き折ろうと思って様々なことに挑戦した。
最初は清潔を保つためにと思ったらこの世界では石鹸は高級品。油で作ると言っても油も勿体ないから悪くなっても使い切るという生活だった。
「他に方法が無いかと思っていたらテレビでアルコールを作る研究をやっていたのを思い出したんです」
消毒用アルコール不足でお茶葉とか野菜くずでアルコールを作る研究。バイオエンジン。
「それを活用してもはや独学でそこらで見つけた草を潰して煮詰めて、いろいろしていたらいくつかの香草や薬草を見付けて、それを食事に混ぜて内側から健康にしていきました」
「失敗したらとんでもないことになりそうね……」
頭痛くなってきたと額を押さえる。自分にも前世の知識があるからそれで成功したことに思うことがいろいろある。
前世普通のキノコと毒キノコが似ているから起きた食中毒とか。
ニラとスイセンを間違えての死亡事故。
それらが起きてもおかしくなかったのにそれもなくぴんぴんしているとはなんという幸運か。
(あっ、そういえばあのゲームって、育成に力入れてて成長具合で攻略キャラと友好度に変化ありましたね)
どうやら、採取系で育成がされているのだろう。
「では、ゲーム通りに進めるつもりはない。と?」
「当然です!! 考えてみてください。婚約者がいるのにこちらに粉掛けてくるなんて浮気だし、それで嫌がらせをされるのもゲームヒロインの自業自得だしそれが取り返しのつかないところまで暴走するなんて相手の男のせいでしょう!! そんな男のせいで将来を棒に振る婚約者が哀れですし、そんな元凶になったこっちが針の筵ですよ」
お断りしますと告げられて、内心安堵する。顔には出ないが。
(ざまぁ系は前世で読んでいたけど、あの場合転生ヒロインがお花畑で苦労するパターンもあったのよね)
そうじゃなくて本当によかった。
「それに……王子とか他の攻略者よりも……」
アポロリアが一瞬だけジャスを見つめて目を逸らす。ジャスも視線を感じて少しだけ口元を緩めている。
(んっ?)
なんか面白いことになっているような……。
(まあ、いいわ)
「ゲーム展開にしないのなら何もしないわ。まあ、しばらく監視させてもらうわ」
「そうなりますよね……」
監視という名の困った時は手を貸すと言うことだけど伝わらなかったようだ。彼女自身は進めたくないだろうけど、強制力という代物がある場合もあるのだ。
そう、手駒が欲しい彼女の父親が無理やり動くとか。
「ジャス。しばらく監視は続けなさい。――貴方だけでは心配だからもう一人つけるわね。同性の」
なんか絆されているようだからもう一人は必要そうだ。
(恋愛関係でトラブルにならなそうな人材を選ばないと……)
ジャスのようにほだされるような人材でも困るし、これで実はジャスに片思いしていて冤罪を作るような問題を起こすような人材が万が一現れても困る。
そんな人材いないと思うけど、強制力でそんなパターンもありそうだし。
頭痛いと思いつつ、とりあえずゲーム展開は一応回避できそうだと杞憂に済んだ事実に安堵する。
「――君の用件は終わったかな」
さて帰ろうと思ったら声を掛けられる。
「驚いたよ。王城と領地以外ほとんど行き来しない君が全く知らない場所にいきなり行くんだから」
楽しそうにこちらに声を掛けてくるのは、
「で……ブランさま……」
ここで殿下呼びしたら騒ぎになると慌てて名前を呼ぶとブラン殿下は嬉しそうに、
「やっと名前で呼んでくれたね」
と微笑んでいる。
言われて気付いた。そういえば名前で呼んだことなかった。
「ブ……ブランさまはどうしてここに……?」
「うん? 愛する君が何をするか興味が湧いて」
「あっ、愛っ⁉」
愛なんてなかったでしょう。殿下と自分は政略結婚相手で……。
「まあ、君が政略結婚としか思っていないのは知っていたよ。それでいいと思っていたし……」
そんなこと言われてもゲームでは……。混乱していると。
「もっとも、自分が傷付くのは嫌で何も言わないで、勝手に諦めて終わらせていたかもしれないけどね。君が動かなかったら」
そっと髪に触れる。
「人払いは完全にしておくといい。聞こえていたよ」
だから覚悟を決められたと言われて、かぁぁぁと顔を赤らめる。
そうか、言われてみれば、政略結婚相手が他に心変わりしたのなら穏便な方法で解決するように手を回しただろうゲームのクラリスは。
でもしなかった。
それは………。
そして、そんな未来があると分かってヒロインの動向を気にしたのも……。
「わたくし……」
声が震える。
「どうやら、かなり鈍かったようです……」
政略結婚だとフィルターを掛けていただけで実は殿下のこと好きだったのだとようやく気付くと、殿下は嬉しそうに、
「ならば、もう遠慮しないから」
と耳元で囁かれた。
政略結婚だからフィルターで自分の気持ちに気付いていないクラリス。
クラリスが好きだけど言えなかったヘタレで、ゲーム本編では恋を諦めて別の恋に移行していた王子。
そんな設定でした。