第二話 孤独な星空
(ああ、なんだこの暗い道は⁈何も見えない何も触れない、何も聞こえない、寒い、不快で孤独だ。だが微かに光が見えた。あれだ。あれに向かって走れ!届く!あと少しで届く!)
気づいた時には傷だらけのまま私は草木の中で眠っていた。そうか私は死んだのか。確か落盤だったか即死何よりの救いだったのか。空気が透き通っていて心地がいい。どうやら地獄行きは免れた様だ。しかし、弟達が心配だ。叔父が何とかしてくれるかに賭けるしかないか。…ううっ考え事をしているだけで頭が痛い。幻聴なのだ、なのだろう女性のような声が耳元でキンキン聞こえて来る。
(…ねえ!ちょっとアンタ大丈夫?ねえってば!)
「お〜い生きてんの?死んでんの?ちょっと勘弁してよね〜?」
幻聴じゃないな。人の声だったのか。
「…ええと生きてる。生きてます。死んではいないので少し声落としてください。」
「ううわ!生きてんのかい!ビックリした。あんたなんでこんな所で寝てんのよ?熊も狼もいるのに下手したら死ぬわよ?安全な場所まで案内してあげるからついて来て。…あ〜そうだアンタ名前は?」
怒涛の解説と質問に頭が追いつかない。目の前にいる女性がただただやかましい。
「城戸…城戸高吉です。…あれ?ここは天国じゃないんですか?…なんだじゃあ仕事に戻らないと現場監督はどこだろう?今日の分のノルマまだ全然なのに…。』
「…なるほどね城戸。私はラナテナ。ラナテア・ティファン。ラナで良いわ。…そっか頭打っておかしくなったのね。可哀想に。…まあいいわ。それも含めて助けてあげる。」
その後私は自分が別の世界にいる事に気づいた。過去にもそのような人物がいるらしい。一体どんな仕組みでこんな事が起きているのだろう?元の世界には帰れないのだろうか?もう弟達には会えないのか。俺が死んでアイツらは部屋の隅で泣いてないだろうか?叔父はちゃんと世話をしてくれるだろうか?終戦後ようやく手に入れた微かな平和を私はまたこぼしてしまうのか。
私はどうやらアキネという国で倒れていたらしい。ラナと私は街へ向かいこの国で彼女がパン屋を経営していると知った。そこでは軍用に配布される食糧備蓄も兼任しており到底若いラナがやりくりしているとは思えなかった。そこで私は彼女の仕事を2、3年手伝う事となり翌る日仕事に追われる日々だった。
その中でラナの人を惹きつける力に私は心を動かされていた。聞く所によると彼女の父は戦場で命を枯らし母は重病を患いこの世を去ったという。それをものともせず両親から受け継いだこの店とその役割を懸命にこなしていた。そこで働く従業員達もただの仕事仲間だけでなくそれ以上の強い仲間意識を強く感じた。悲しい素ぶりなど見せる事なく太陽も妬む程の眩い笑顔に私は心惹かれていた。
「…お〜い城戸高吉?聞いてるか〜?お〜い。」
のほほんとした声にはっとした。手にはフォークとスプーンを握っており目の前には飲みかけのスープと硬いパンが置いてあった。そうか食事をしていたんだ。
「…っああごめん。考え事してた。もちろん聞いていたよ。隣国との兼ね合いが上手く出来てないんだろ?なんかこう転生者?とかいう人が隣国を仕切ってこの国に攻めてるとか…。この戦争は長引きそうなのか?」
「なーんだちゃんと聞いてたんだ。戦争は長いも何も私が生まれる前からやってたし私が死ぬまでやってそうだよ。でも、アンタがサカヌイの人間じゃなくて本当に良かった。敵国の人間助けたとか知られたら私もうお終いよ。でも、この国の人間でもなさそうだし高吉も転生者だったりしてね。」
「…もし、私がサカヌイの人間だったらどうしてた?殺してたのか?」
「はあ?そんなの助けるに決まってるでしょ。だって私がサカヌイでそんな事されたら嬉しいもん。男だったら惚れちゃったりするかもね。」
じゃあ、私は君に惚れた方が良いのだろうか?そんな事を彼女が期待しているとも思えない。
彼女には別の何か強い意志や野望を感じる。夢…なのだろうか?明日、頭に爆弾が降るかもしれないのに希望を抱いて明日を迎える事が出来る、羨ましい程強い人なんだ。
頭の中でグルグルと考えていると目の前のパンが腐っているように見えてきた。疲れのせいか表面が変色しているように…。
「ちょっと!高吉アンタのパン腐ってるわよ!さっきまでは大丈夫だったのに…なんで?」
「…あっこれは」
最初はその現象に何の疑問も抱かなかった。しかし、この世界で生活していく中でこのような現象が度々見られるようになった。果物や野菜が腐る、身近な人が熱を出す、なのにそれが起こる度に自分の身体は力がみなぎるようだった。
ある日、夢を見た。目の前に奇妙な格好をした線の細い女が立っていた。そこにいた女は私に転生者である事とこの世界での私の力のありようについて話した。
ダメだ、私はこの世界に適していない。害悪でしかない。マナという目に見える生命の概念を私は吸い取ってしまう。この力が知れ渡れば世界の戦争をより悪化させるかもしれない。逃げようここではないどこかへ人のいない森の奥底へ…そう決意した。
「あーなるほどね。…分かった、一緒に遠くに行こっか?」
「…えっ⁈」
ラナは何の躊躇もなくそう言い切った。前から決まっていた予定を進めるように。
「えっ⁈じゃないわよ。森の奥底で一生過ごすなんてそんな寂しい事ある?ダメよそんなの!アンタが嫌と言ってもついていくからね!」
「…いやっだから君のマナを吸収してしまうからここを離れようと言ってるんだ!私について来る意味が分かってるのか?」
「何度も言わせないでよ。ここまで一緒に頑張ってきて、じゃあさよならですねって事はないでしょ⁈別にアンタのその力は悪気があった訳でもないんだし。…まあ転生者だったって事は驚いたけど。…それでどこ行くの?東の街?それとも国を抜けてローザンヌ?」
楽しみでしょうがないのか彼女は目に星を浮かべながら前のめりに聞いた。両親から受け継いだ店と業務をあっさり手放し従業員の一人に託した。軽く荷造りをして馬車に乗り長く住んでいた街を離れた。
「本当に良かったのか?店も街も国も捨てて私なんかと一緒に…いつ死ぬか分からないのに。」
馬車で揺られながら彼女は遠くの方を向いた。あてもない何かを見つめているようだった。
「…私さ、本当は店継ぎたくなかったんだよね。パンはそんなに好きじゃないし…でも頑張らなきゃダメじゃん。そこで腐ってたら誰も私を見なくなる。戦時中に両親を亡くしても健気に頑張る女の子を嫌でも演じなきゃいけなかった。けどそういうのはもう終わり。誰かにどう見られるのかじゃなくて私が何を見たいかを探して行きたい。まだ知らない世界中の文化や歴史を学びたい。アンタはその口実っていう事になっちゃうけど…一人よりずっとマシでしょ?それにアンタのせいで死んだってそれはそれで悪くないかもね。」
彼女の目に迷いはなかった。迷いがあるとすれば私自身にある。元世界での私の生き方とかけ離れた彼女の覚悟と生き様に自分が情けなく感じてしまう。
結果的に私とラナは共に旅をする事となった。まだ力が大きくなる前の事だった為か同じ場所に居座りさえしなければ問題はなかった。しかし、ラナの体調は日に日に悪くなる一方だった。それでも構わないと彼女は私から離れず旅を続けた。たわいもない会話をただひたすら続ける日々、この国の文化はこうだとか民度の違いだとか宗教に対する考え方の違いなど様々な事を学び体験していく中で自分自身にも知らない何かを知るという喜びが満ちていくのを感じていた。
そんな矢先、幸福な日々に区切りを入れるが如くラナは今までに見た事のない程の吐血をした。宿泊していた部屋の床一面に赤黒い液体が広がった。
「ラナ!おい大丈夫か⁈…そんな今までこんな吐血なんてしてこなかったのに。…どうして突然⁈」
ラナをベッドに横たわらせ薬屋に行こうとした。意味があるのか分からない。どうせ自分の能力が原因である事は分かっていたのに…それでも何かしなければ気が済まなかった。そんな時にラナは私の手を掴み離さなかった。
「…待って高吉。薬屋には行かなくて良い。これは…その…意味がないから。アンタの力が原因じゃないの。…ごめんずっと隠してて。」
「…何を言ってるんだ?」
彼女は静かに手を離し話を続けた。
「…私の髪が白いのは生まれつきじゃないの。
この髪はサカヌイの国にやって来た転生者の力で私達の国にばら撒いた呪いのような物。私の母もその呪いで死んだ。
呪いが進むにつれて髪は白くなっていって5年以内に確実な死を迎える。最悪なのは余命宣告される間はどんな医療技術でも治す事が出来ない。ジワジワとやって来る確実な死と病魔に侵されながら5年を過ごす。
本当にクズの考えそうな呪いよね。…けどそんなクズの呪いで死ぬくらいならあなたの中でマナとして生きる方が良いと思ったの。ごめん、黙っててあなたは自分の力を憎んでいたはずなのに。」
私は彼女の震える手を強く握った。彼女の儚く脆い声が部屋の中に小さく響く。そんな時に私はこんな事しか出来ないのか?いや、彼女からしてみればそうして欲しかったのかもしれない。呪いの死よりも先に私のマナとなるようこの旅は始まっていたのだ。
「…ラナ、わ…私は君の望む結果を与える事は出来ただろうか?君と共に歩んだこの旅で私は多くの事を知り、自身でも見つける事の出来なかった新たな心の芽生えに出会えたんだ。ただもっと君の事を知りたかった。奥底に秘めた真実を伝えれなくてもその僅かな君の本心に私は目を閉じたりしないのに…。」
「…だからよ。だからあなたとこの旅を始めたの。この世界にはまだ知らない事が多い。なのに何も知らずに死ぬなんてそんなの嫌だった。これから長い時間孤独を味わうあなたにはもっと…もっと私よりもずっと世界と触れて、戦争なんかよりも面白くて楽しい物があるんだぞって事をあなたに知って欲しかった。ただそれだけ…。」
この世界を唯一愛した彼女と、この世界から弾き出された私の物語はここで終わりとなる。世界を愛して欲しいと願った最後の言葉は彼女を平和で暖かな場所へと連れ去った。
私は愛していたんだ。世界に目を向ける事を忘れてしまうほど猛烈に恋焦がれていた。口調は悪いのに口に手を当てて笑う所や豪快な食べっぷり、寝起きの悪さまで愛おしくてたまらない。そんな彼女と私は短いこの旅で多くの出会いと気づきを得る事が出来た。ラナは教えてくれたのだ。(私が居なくなっても世界がいる。アンタを愛してくれるそんな世界が…孤独じゃないぜ。)
さようなら愛しき人。あなたと出会えたおかげで私はこの力の正しい結末を決める事が出来る。
そんな夜の日、私は久しぶりに夜空を見上げた。彼女ばかり見ていたせいか空は黒く塗りつぶされている物だとばかり思っていた。満点の星空に私の眼は感嘆の息をついた。この星空の一つに君はいるのだろうか。ならばきっと誰よりも輝いているに違いない。多くの星を振り向かせる程に…。
君と超えた夜が星となりどこかの誰かが指を指す。悲しみの雨で虹のかけ方を忘れたこの世界で、争いだけで人は涙を流すものではないのだと君は教えてくれるのだろう。私に消えない灯火を与えた人よ。どうかいつまでも孤独に慣れた世界を愛してくれ。