6.『十悪』と『七つの大罪』と。
立て続け投稿です。
とある『記者』視点をお送りいたします。
よろしくお願いいたします。
十悪――。
この言葉は、古くから伝わり続けている仏教でいう十種の悪事のこと。
悪口。 綺語。 貪欲。 瞋恚。 妄語。 偸盗。 邪淫。 殺生。 邪見。 両舌。
簡単に掻い摘むと『口を使った悪事』と『身体を使った悪事』の二種類を持っている…――恐ろしいことだ。
七つの大罪――。
『聖典・聖書神話』として有名であり、よく小説だけでなく映画でも取り上げられている…キリスト教用語にて七種の悪事のことだ。
傲慢。 嫉妬。 憤怒。 怠惰。 強欲。 暴食。 好欲。
また、簡単に掻い摘むと『心=欲情』による悪事の一種類を持っている――…こちらも恐ろしいことだ。
しかし、当たり前に“存在”している世の中。
はっきり言って、度が超えていないと『問題視=犯罪』として取り扱えないのだ。
――例を挙げるとするならば…分かりやすいのは、イジメだろう。
特に『十悪』の“綺語”と“妄語”の巧みに使い分けている。
この『十悪』の一つ“綺語”とは、真実を離れて巧みに飾り立てた言葉――…例えを挙げるならば、嬉しいのに「嬉しくない」と答えたり、嬉しくないのに「嬉しい」と答える真逆な言葉だ。
この『十悪』の一つ“妄語”とは、嘘をつくこと――…例えを挙げるとしたら現実問題である『詐欺』が、分かりやすいだろう。
もっと簡単に掻い摘むと『イジメ=ハラスメント』であり“中毒”なのは、分かりきっているのに…重要視・問題視として取り扱っていないのが、現実だ。
何故なら『別』として、考えているからだ。
イジメは“イジメ”として、ハラスメントは“ハラスメント”としてという、名前が存在しているからだ。
はっきり言って、別ではない――…イジメとハラスメントは『同じ』ものだ。
肉体的・精神的の苦痛が、同じだというのに『違うモノ』として、改めていない。
会社ハラスメントにて存在する――計35種類の中から学校の『イジメ』が『ハラスメント』である理由は、パワーハラスメント・セクシャルハラスメント・セカンドハラスメント・モラルハラスメント・ジェンダーハラスメント――…の計5種類の“王道”が合致している。
パワーハラスメントは、暴力。
セクシャルハラスメントは、外見に対して「ブス」とか「デブ」とかの悪口。
セカンドハラスメントは、相談をしてくれた相手に対して「妄想だろう」とか「証拠あるのか」とかの疑心暗鬼な対応。
モラルハラスメントは、相手に対して無視や陰口。
ジェンダーハラスメントは、相手に対して「出来るだろ?」と、恐喝・脅迫。
――改めて、調べてみると『イジメ=ハラスメント』としてなっていないのかが、不思議でしかたがない。
会社は“会社”として、学校は“学校”として、大人は“大人”として、子供は“子供”として――…別として、考えているからだろう。
考えを変えないと、取り返しのつかなくなるというのに…改めない。
理由は、仏教の『十悪』の中に“殺生”だ。
人間は“心”次第で、簡単に傷つけあう…言動と行動によって心身への暴力である『殺人』を犯す事ができる――…今でも取り上げられている『殺人事件』や『自殺(自害)』が、分かりやすいだろう。
理由は“想い通りにならないから”だ。
欲望を充たすだけの行動――…イジメによる事件だけではなく、ストーカーによる事件も含まれている。
前兆があっても…隔離や拘束をしてくれない。
要は『危険』と、判断されにくいからだ。
現にイジメ・ハラスメントを受けた被害者さんが、亡くなったりしない限り…会社と学校は、改善しようとしない。
改善をしようとしているところは、存在しているが…間違っているのが、多いのが現実だ。
何故なら“聞き入れていない”からだ。
例えば、アンケートを行った結果が「改善を求む」が、多かったとすると…揉み消されているのが、現実なのだ。
――イタチゴッコ。
この言葉以外、存在するのだろうか。
改善したくても…後回し。
改善したくても…揉み消される。
改善したくても…振り回される。
改善したくても…圧力を掛けられる。
改善したくても…恐喝・脅迫をされる。
何のためのアンケートだったのか――…無意味な行動は、謹んでいただきたい。
改善をしたいのであれば、全てを投げ捨てる勢い――…いや、大掃除をする精神じゃないと駄目だろう。
私は、回りくどいのは嫌いだ。
不愉快だ。
しかし、昔から『人の不幸は蜜の味』であり『自分大事』という“絶対条件”と、言われ続けられている。
そして、利用されているとも気づかれない。
追い詰められた鼠は“何時”牙を向けない限り…厳重に蓋をされる。
――問題が起きない限り、見向きされない『水掛け論』を繰り返すだけだ。
いざ――…問題が“発生”すると、事の発端である『原因』の“あぶり出し”の幕が…開かれる。
まるで『魔女狩り』を始めるかのように…イジメという名に遠慮なく・躊躇なく・容赦なく、スポットライトが眩しく照らす。
暴かれると…相手を弄っていた相手は「遊んであげただけ」とか「構ってあげただけ」と、開き直りながら逆ギレをする。
後に…苛めた理由を聞くと「からかった時の反応が、楽しくて面白かった(キモ面白い)」とか「構ってほしかった」とか「家族以外、わたし(俺)を見てほしかった」という心境に駆られたという。
正直いって――…迷惑だ。
この言葉しか、当てはまらない。
しかし…弄っていた相手は、暗黙の末路を辿る――…それは“今”か“後”かは、神様でしか分からない。
自分の犯した愚かな行いによって、待っている『存在』がある。
後に家族を含む自分の周りが、不幸の道を強制的に歩ませられることを知らないのだ。
よく“苛めていた相手が、苛められる立場になる”という現状がある。
私の聞いた話しによると――…イジメを受けた相手か、その家族による復讐されて瀕死の重症を負った者が居た。
――それは、帰宅中の事だった。
刺した相手を見て、驚きながらも…過去、イジメた相手に救いを求めるが…差し伸ばした手を払った後、無症状な表情から満面笑みになった刺した者は「受けた痛みを思い知れ」から言い初め…次に「前、度胸ないでしょ?って、言ってたけど…あるでしょ?助かればいいね?」と、嘲笑交じりに立ち去ったそうだ。
刺した人は、後に…刺した日に証拠のナイフを持って、交番に自首した。
そして…刺された人は、刺された場所が悪かったらしく不慣れな車椅子生活を余儀なくされた。
初めは、心配された――…しかし、その事件により過去のイジメをしていた事がバレてしまい…面倒を見てくれるものの家族に軽蔑され、仲が良かった友達が離れ、永遠“ぼっち”として生活することになったのだ。
被害者家族から加害者家族となってしまった事に世間の目は“どう”映っているのか、明白だ。
主に「待ってました!」と、言わんばかりに駆け足でやってくるのが『白い目』と『後ろ指を指される』から始まる。
例えるなら――…街灯や夜間営業している店舗の明かりに群がる虫のようでもあるし、瀕死した獲物に群がる捕食者のようだ。
我ながら嫌な例えであるが…別の“言葉”が、存在しているのなら教えてほしい。
いくら「やったのは、当事者!我々は、関与していない!」と、断言しても…世間は、そうは映らない。
確かに悪いのは、実行者である“本人”だ――…しかし、その本人の“家族”への教育方針に対して「下らない正義」感からくる偏見含みのある疑問を『被害者家族』から『加害者家族』へと逆転してしまったため“終わりのない”誹謗中傷の糾弾を受け続ける日々を送る事となった。
加害者家族となってしまった父親は、長年勤めていた会社を懲戒解雇処分を受けてしまった――…事実上の“首宣告”だ。
母親は、娘(長女)の『悪行』せいで、仲良くしていたはずの仕事仲間から白い目と上司から遠回りに「辞めるように」と、通勤日のたびに言われ続けられてしまい、勤めていたパートを辞めざる負えなかった。
兄は、勤めている会社の取引先の上司の娘さんと結婚を前提に付き合っていたが…妹の『悪行』が、相手のご両親の耳に入ってしまい婚約破談となった。
付き合っていた娘さんの方は、最後まで「彼と結婚をする!」と、言い続け周囲への抵抗していたそうだが…お互い話し合いの末、破局となった。
妹は、学生時代から憧れていた会社に就職予定だった――…が、どうやら会社の“お偉いさん”の耳に姉の『悪行』の情報を取得したらしく…雇用契約白紙になった。
幼い頃に憧れた職に就くために…苦手な勉強を頑張って資格を取ったというのに…姉の過去の『悪行』のせいで希望だった“夢”が――…まるで、うっかり落としてしまったガラス細工のように木っ端微塵に砕け散ってしまったようだった。
そして、次に待っているのが――…励ましてくれていた人(家族・友人)が、あんなに口々に「かわいそうに」と、慰めてくれていた自分の親兄弟に…ばら撒きし過ぎた自分がやってしまった『過去の清算』と言わんばかりに…嫌でも見聞きし手に入る情報に手のひらを反して、罵倒と時に暴力に合う日々を送ることになるのだ。
なんとも…現金な事だろう。
――その後。
被害者家族から『加害者家族』は、どうなったか?冒頭で、書き記したが“一家離散”に近い状況になっていた。
しかし、不憫に思った親戚の助力によって、強制ではないのだろうが…加害者本人を置いて、引っ越した。
父親は、年齢の年齢だったが…苗字を妻の姓に婿入りをし、トラックの運転手に転職。
母親は、引っ越し先である親戚が、経営している会社の事務仕事に就くことが出来た。
長男は、大学時代に留学先にて習得した英会話を武器にタクシー運転手として、再就職が叶った。
次女は、学生時代に『ユー〇ャン』にて習得した資格をフル活用が出来る場所を見つけ、就職をする事が出来た。
しかし、引っ越したとはいえ『決して、消えない事実』なのだ。
今現代は、ありがたい事に…莫大な情報量が行き来するネット社会だ――…その『社会』に適した人達の多くは、必ず“調べる”のだ。
その結果――…悪いのは、加害者“本人”だというのに引っ越し先でも『家族』に糾弾が、始まる。
どんなに隠しても…隠し通したとしても“明るみになってしまう”のが、現実だ。
加害者家族となってしまっているため…どんなに“頑張っても認めてもらえない現実”に絶望を味わう。
加害者本人の手によって、被害を受けるのは“三種類”だ。
一つ目は、被害者本人。
二つ目は、被害者家族。
そして、三つ目が――…加害者家族。
三種類という表現の仕方は、誤っていると思うが…他に当て嵌まらないのは、私の国語に対する勉強不足だろう。
物書きの職に就いているというのに、お恥ずかしい限りだ。
私の醜態を置いておいて――…心苦しいが、再び“スポットライト”を当てようと思う、が…少しだけ『お付き合い』願いたい。
昔から思っていた事だが…苛めをする人間は、浮気・不倫をする陥りやすい。
――根拠は、何か?
私の同級生だった人が、まさにそうだったからだ。
繰り返すが、スリルを堪能するためのゲーム感覚だ。
よく耳にする『悪い事=カッコイイ=素敵』という“思考変換”されると言えば、分かりやすいだろうか。
この一件により私は『イジメ=ハラスメント=ドラッグ(劇薬)』であることを認識した方が、良いと記す。
何故なら――…劇薬は“微調整”次第で『薬』になれば『毒』にもなるからだ。
それに何度も繰り返し『問題視』され続けている“イジメの問題”と“ハラスメント問題”は“違法ドラッグの問題”と『同等の犯罪』としなければ、解決しないだろう。
現にイジメ・ハラスメントによる苦痛によって“自害”する人は、後を絶たないのだから…昔から存在する電話相談よりも今は『SNS相談』が、存在する。
はっきり言って――…今は、古典的な電話よりも“話しやすい”というのが、大きなメリットだろう。
この記事を執筆している私は“偽善者”だ。
しかし、偽善者なりで“当たり前”な言葉を届けたい。
――要らない『命』は、存在しない。
昔、心理学を学んでいた友人から伺った話がある。
それは「苛めとハラスメントは“ゲーム感覚”か“お菓子を食べる楽しみ”ように『快楽』という名の甘味を味わう――…一度でも知った“病みつき”は、簡単に抜け出せない『底なしの奈落』に落ちてしまったようなものだ」と、話してくれた。
当時の私は、信じられなかった――…が、今更ながら友人の言葉通り『意味』が、理解できる。
人間として『生』を受けて、十数年目になってしまったが…生きている間は、様々な体験と経験を積み木のように組み立てていく――…それが“人生”だ。
一度しかないというのに…危険な道を歩みたがる『性分』なのだろう。
既に人が、歩んだ“同じ道”を歩みたくないという…子供じみた『反発心』と『抵抗心』からくる“自惚れ”だ。
誰にでも持っているが…その“精神状態”をコントロールが、出来るか?と、聞かれれば…五分五分だろう。
それが――…善であっても悪であっても、だ。
冒険をするのは、良い事だ――…しかし、自身だけでは“手に負えない事態”というのは、情けも…躊躇も…遠慮も…容赦ないものだ。
その被害は、尋常ではない。
――正直者は、馬鹿を見るという言葉があるが…愚か者も馬鹿を見るものだ。
毒を持った蟻や蜂は“本来”ならば、大人しい――…肝試し感覚で『ちょっかい』をすれば、どうなるかくらい分かりきっているだろう。
ちょっかいを出した本人目掛けて、怒って襲撃する――…極めて、ごく自然の行動を起こす。
しかし、その当たり前な『ごく自然』の行動に対して「大問題!」と、言わんばかりに非難の声を荒げる。
どう考えても“ちょっかい”を出した相手が、悪いというのに…ちょっかいを出された相手が、一方的に悪者扱いを受け続ける。
――どう考えても誤っている。
ちょっかいなどしなければ、酷い目には遭わないのは『明白』だ。
当然であり、当たり前であり、一般常識。
それでも“ちょっかい”を止められなければ、中毒者という『病気』だ。
こちらも“イジメ”と“ハラスメント”と、同じだ。
構ってほしいからと言って、他人の邪魔をする権利などしてはいけない。
相手のペースに合わせるべきだろう。
逆に相手が、周りと大人の『都合』に合わせている…いや、違う――…相手に“合わせてもらっている”とも知らずに…こちらの言葉が、違う。
知ろうとしないのだ。
自分の事だけで、手一杯なのだろう。
それは“ちょっかい”という名の被害に遭っている相手は、既に手一杯な『現実』と格闘しながらも…ちょっかいのせいで、何倍の負荷が掛かってしまっている事にを知らない。
――火のない所に煙は立たぬものだが…この状況を例えるとするならば『山火事』だろう。
山火事が起こる原因は、二種類ある。
一つは、落雷や乾燥による天災。
二つは、煙草のポイ捨てを含む『時限式』人災だ。
外国では、乾期に入る度に何度か引き起こしてしまう…勿論、日本でも例外ではない。
以前にも――…とある散歩感覚で、登山が出来る山にて、山火事が発生した事があった。
大被害だった。
しかも山を囲むように住宅が、立ち並んでいたため…その『不運』による絶望的な状況の中――…何時、我が家に飛び火するか当時の住人たちは、何度も冷や汗を流した事だろうか。
この山火事の『原因』は、煙草のポイ捨てによるものだった。
例に挙げさせてもらった“山火事”のように『問題視』されている“イジメ”や“ハラスメント”によって…自害する被害者は、後を絶たないのが『現実』なのだ。
亡くなられた人を考えた事は、あるのか?と、聞かれれば…あやふやだ。
――責任を取れないのであれば『初めからするな』だ。
生年月日を“積み木”のように積み重なっていくごとに「良い事と悪い事の区別が、出来るはずなのに」だ。
何度も社会問題となっているのにニュースに取り上げられないと、重い腰を上げない。
何度目かの“イタチごっこ”という言葉以外、合わないだろう。
一体、何人の『命』を犠牲にすればいいだろう。
イジメ・ハラスメントだけでなく、ドラッグの問題も同じと考えるべきだろう…理由は、異なるものの“中毒者”と、同じだからだ。
もっと、スポットライトを当てられるように今後も執筆活動をする所存だ。
今更ながら申し訳ありませんが、ブックマークを付けていただきありがとうございました。