p1-2 いつもの日常
―翌日。教室にて
「んで?その女の子と一緒に登校すると?」
少し面白そうといわんばかりに言ってくるこいつは、藤田 俊介。
数少ない俺の友達の一人で女子にモテモテ。運動できるくせにテストで悪い点とったところは見たことがない。―まあ、いわゆるハイスペック野郎というやつである。
「な~に?狙ってんの?」
おちょくるような声で
「はぁ!?そんな…わけ…」
凄い声を出してしまったのに後から気づいて、慌てて声量を下げる。
クラスの狩りをする狼のような視線が一瞬こっちに集中したのがほんっとうに怖い。
「ないだろ。」最後にはささやき声のようになってしまった。
「またまたぁ~」
「ていうか、俺がそんな目的で女子に話しかけられると思ってんのか?」
というと俊介はハハハっと大声で笑い、小ばかにした目を向ける。
「確かに、お前がそんなことできるわけないか」
ここ数年、まともに女子と会話をすることがほぼないといっていいほどだから
こいつの言うことは間違っていない。もはや的確と言っていいほどだけど―
『こいつに言われたくはなかったっ…!』
「何、話してんの?」
俺の真後ろから突然声がした。
後ろを振り返ると、北野がいわゆる仁王立ちで立っていた。
昨日のことがあるから、半端じゃなく気まずいはずなのに何故こんなナチュラルに話しかけられるんだ?
まさか忘れたとか?昨日のことは水に流していつもどうりに行きましょうという合図…?
いや、北野がそんな高度な技を使えるか…?
…無理だろうな。
俺が思考を巡らせている間に、先に俊介が口を開いた。
「いやぁ、こいつさ…」
「どうしたっていうのよ?」
俊介の目が噂を好む女子の『それ』だったもので、いやな予感がした。
…それはもう、とてつもないほどに。
「『好きな人』ができたっぽいんだ。」
「え」
「……っはあああああああ!?」
少しの沈黙の後にのどの奥から出されたような叫びをあげる北野。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。そんな話してなかったろ。」
なんとか弁解を図るが、もうこいつのいじりは止まることを知らない。
「いや、今更そんなこと言ったって遅いぞ」
ニヤッっと口角を上げ、実に不快な笑みを浮かべながらいじり倒してくる。
ずっと前から知っている、こいつの悪い癖だ。
いじれるところは味がなくなるまで徹底的にいじり倒す。
『味がなくなるまで』というのも、普通の人間には『味がないもの』となるものでも、
こいつにとってはまだまだということも珍しくないほど。
それはもう、まるでガムを一週間嚙み続けるようなことをしてくるのだ。
「だ、誰を好きになったっていうの…?」
案外、北野は興味があるらしい。…奴の架空の話に。
「だからそんな話は…」
「それがさ、こいつ知らない後輩の女子に一目惚れしたみたいでよ。」
俺の話を遮りつつ、さらに酷い方向へ話を進めていく。
「え…。」
その話を聞いてしまった北野はもちろん、周りの同級生たちも聞いていたのだろう。
冷たく、突き刺さるような軽蔑の視線が、四方八方から向けられる。
「だから、そんなはな…」
「んで、そんでだよ。どうも相手もまんざらでもないらしいぞぅ!!」
もはや『北野に向けて』ではなく、教室全体に大々的に発表するような声で言っている。
「「「「ええええええええええ!?」」」」
教室全体が謎の空気に飲まれてしまった。
俺はいったいどうすればいいのだろうか。
「えっと、ほんとにそうなの?」
北野が静かに尋ねてくる。
「いや、そんなことあるわけないでしょ。だって『俺』だよ?」
これで説明がついてしまうことがいいことなのかはわからないけど、これが一番簡単ということで採用。
「あ。」
すべてを察し、気が付いた顔をした後、ものすごい顔を真っ赤にしながら、俊介に掴みかかる。
「あ、もうばれた?」
なにも反省していない口調。舌をペロッと出すしぐさはもはや俺たちを煽るためのものにしか見えない。
「ばれたじゃないわよ。あんた、自分がどんなことしたのかわかってないようねぇ。」
「あっはは…ちょっと?そのグーは何かな?そんな怖い顔しないでよ。かわいい顔が台無…」
俊介の腹に見事に決まる鉄拳。俊介はその痛みのあまりに悶えているが、どっちが悪いかと言ったらもちろん俊介になるので、その光景を目にした人は何も言わずに自分の席に戻るのだった。
「好きな人ができるなんて湊にはないだろうけど、相談くらいならいつでものってあげるから。
話、聞かせてよね。」
席に戻っていく北野の顔は、まだ赤いままだった。
「ぐっ…はっ…」
未だに悶えているほどの鉄拳とは、どんなものかは気になるけど実際に食らいたいかと言われたら、まったくもってそんなことはない。―絶対に彼女を怒らせてはいけない。
心にそう誓ったのだった。
一限開始のチャイムが教室中に鳴り響き、全員が席に座るのには…少々時間がかかった。
―昼休み、校内の中庭。
俺と藤田はベンチに座って話していた。あんなことをされたとしても突き放すことができないということが悲しく、腐れ縁というやつを実感せずにはいられなかった。
「どうしてくれるんだ。あんな話、すぐには消えないだろ。」
「まあまあ。クラスのやつらもこういう話に飢えてたみたいだし、許してくれよ」
へらへらと悪びれもなく言いやがる。
「断じて許さん。」
「ごめんって。」
そこにいつもの迫力で北野が迫ってきた。
「ここは誰も来るはずのない中庭…さあ、思う存分聞かせてもらおうじゃない。」
そう、ここに俺を呼んだのは北野本人。藤田はおまけでついてきた感じだ。
何でそこまで首突っ込みたがるのかも謎と言えば謎だけど…。
「じゃあ、それなりに…」
俺は、問題の女子―若草 詩乃とどんな関係なのか、恋人ではないこと、別に深い意味はないことを半ば事情聴取のようにこと細かく探られる羽目となった。
「ふーん。そんな感じなのね…。」
「わかっていただけましたか?」
「60%って感じかしら。」
彼女の言う60は、ほんとかウソかまだ決めかねます的なレベルだ。
「…と、言いますと?」
「まず、その子の状況よ。不登校なら、普通外には出ないと思うけど。」
「確かに。」
そこに関してしっかりと考えたことはなかった。そもそも、不登校ということ自体知らなかったから、考えることは時間的にも不可能だった。
「それで、何よりもその現象!そんなんがいつも起こってたら危険でしかないわ。」
彼女の意見がごもっともすぎて、言い返す言葉もない。
「でも一旦は信じてあげる。嘘か本当かはその子とあった時に決めるわ。」
「わかった。信じてもらえて助かる。」
「あんたもそうよね?」
話の途中から飽きて、半分寝ていた藤田に声をかける。
「ん…ああ。まあ、信じてないわけないけどな。ふぁぁー」
目は半分しか開いていないし、あくびもしながら、いかにも眠そうに話す。
それだけでもよかった。
「あと、あんた、このことは口外禁止ね。不登校の子なら噂は避けておきたいわ。」
「はいはい。オッケーオッケー。」
「よろしい。」
北野は用事が済んだからか、満足そうに校舎内に入っていった。
「明日、その子とまた会うんだろ?」
「そうだけど。」
「頑張れよ。多分、その子にとって、お前が最後の希望だ。」
肩をたたいて、突然真面目に忠告される。
「…おう。任せろ。」
立ち上がりながら、少し小さい声で答える。
その静かな優しさを、聞き流すでもなく、バカにするでもない。それが友達ってもんだと思う。
―コツ、コツ…
午前6時30分。いつもの本屋の前に、靴音が響き渡る。
それほどまでの静けさ。まだ出歩く人はいない。
少しばかり霧が出ていて、肌寒いともいえる気温。
「…よっ」
「…おはようございます。」
まだ少し距離がある言い方だ。
「そんなに硬くならなくていいよ。俺にだったらタメ口でもいいし。」
「わかりま…こほん。…わかった。」
一瞬、敬語が残っていたけど、すぐに修正する。
「まだ早くない?」
「…早いほうがいいと思う。」
うつむきがちに話す。何か深い闇のようなものが見えた気がするけど、気づかなかったふりをする。
「そっか。じゃあ、行く?」
「はい。」
小さくも、はっきりとしたその返事は、彼女の覚悟の強さを感じさせた。