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 『拝啓、怖がりだった君へ』

作者: とりっぴー

 グラウンドの中央に楠がそびえたっている。10数メートルにも及んでいる太く力強く見える幹とは裏腹に寒そうにその葉を揺らす。その周りでは、学校規定の制服を着て、少し早めに思われる手袋やマフラーを付けた子供たちがケイドロをして遊んでいる。


 時を同じくして、雑多な喧噪に包まれた教室の中、机に突っ伏していた高森守は、その内実、殺意に満ち満ちていた。


 14時半頃、一日の終業を告げるチャイムが鳴り響く。多くの学生にとっては学校からの開放を意味する喜ばしいものだが、守はどうしてもそう感じられなかった。教室の廊下側、一番後ろの席で必要以上にゆったりと帰る準備をしていた時、不意に横から声をかけられる。

「守ちゃん、かーえろっ!」

「守ちゃんはやめてってば」

「ごめんごめん。んー、じゃあ、高ちゃん帰ろぉ!」

 肩まで伸びた黒く光る髪の毛先を綺麗に切りそろえた彼女は、屈託のない笑顔を守に向けている。本来ならば愛想が良いと褒められるものだが、今の守には胃もたれしそうなほど眩しいものに感じられた。


 屈託のない笑みをぶつけてくるこの少女、高倉美紀は、守と同じクラスに属する小学一年生である。当初、守は彼女と仲良くなる気はあまりなかった。ただ単に、名前の頭文字が同じということだけで声を掛け合う仲になった。そこからはなぜか彼女がよく接してくることもあり、一応クラス内では仲良し認定を授与されているのだった。


「最近ほんと寒くなったよねぇ」

「確かにそうだね」

「まだ11月だよ、これ以上寒くなったらどうなっちゃうんだろぉ」

 守はこの町があまり好きではなかった。校門を出て正面にある道はお世辞にも大通りとは言えず、車が一台通れるくらいの道幅だった。その道は丘からその麓にある駅までの一本道になっており、多くの学生は丘にある団地へと帰っていく。守と美紀も例外ではなく、共に丘へと向かう歩道を歩いていた。マフラーや手袋をつける学生もいるというのに、美紀は何もつけず、靴下が膝上まで伸びただけだった。守は母親が編んでくれた赤いマフラーと手袋をつけていた。

「にしても、まも……高ちゃんがのんびりしてたせいでもう人がいなくなっちゃったねぇ」

「ごめんごめん。でも別に待っててくれなくても良かったのに」

「何それ、ひどぉーい、せっかく特別な日だから一緒に帰ってあげようと思ったのにぃ」

 しまった、今のは刺々しかったか。と、心の中で反省する。別に誰彼構わず八つ当たりをしたいわけではないのだ。

「そういえばさぁ、なんで守ちゃんって呼んじゃダメなのぉ?高ちゃんって結構呼びづらいんだけど」

「元から名前があんまり好きじゃないんだよね」

「ふーん、幼稚園の時は良くて、小学生になってからはダメなんだ。変なのぉ」

 やっぱりごめん、半分嘘だ。元からじゃないんだ。そう言いたかったが、色々と言及されるのも癪なので黙っておくことにした。あの卑怯者が現れてから何もかも奪われた気分に陥る。


 家まであと何分くらいだろうか。そろそろ団地に入り込む。守の家は割と学校に近い棟にあるので、そこまで時間はかからないはずだ。いつもなら芋虫が地を這うくらいの遅さで帰るが、美紀がいる以上、守はその歩幅に合わせる他ないのだった。

「ねぇ、聞いてる?」

「あー。ごめん、聞いてなかった。何の話だっけ?」

「もー!桃が可愛いって話だよ!」

 桃。正式には桃花だっただろうか。美香の1歳の妹である。瞬間、家を支配する邪魔者が、守の脳内をよぎり、思わず立ち止まってしまいそうになる。しかし、今はこの会話から逃げることが最優先だと本能で理解していた。

「守ちゃん、最近あんまり話聞いてくれないからちょっと寂しいなぁ。んー。あ、そういえば守ちゃんも妹いるもんね、どう?可愛いでしょ?」

「ごめん、用事思い出した!」

 肺に詰め込めるだけの空気をパンパンに吸い、叫ぶ。脚をこれでもかと稼働し、自宅へと向かう。

「言えてなかったけど、誕生日おめでとぉー!」

 後ろで美紀も負けじと叫んでいる。そうだった。今日は誕生日だ。もしかしたら今日こそあいつの独裁国家を打ち下せるかもしれない。


「ごめんなさい!ママてっきり忘れてたわ!」

 その言葉は、守を絶望させるには十分すぎるものだった。台所に立っている母親の右腕にすっぽりとはまり、まるで自分の天下だと言わんだかりの態度を見せているあいつが、気のせいかこちらを見てニンマリとほくそ笑んだように見えた。あぁ、ついに完全敗北の時だ。いや、そもそもこんなことを考えてる時点で負けていたのか。現実逃避の意を込めて、期待していたのが悪いんだと自身に言い聞かす。

 今年の3月にあいつが産まれてからというもの、守は世界から疎外された気分を味わっていた。両親はあいつにばかり愛情を注いだ。守が母親の気をひくために服を着せてくれと懇願しても、あいつは一泣きするだけで母親を引き付ける。それまでは笑顔の絶え間ない母親であったが、いつの間にか、記憶の中はいつも疲れた顔をしている映像で埋め尽くされていた。あいつにエネルギーを吸収されているんだと、幼心に守は恐怖を抱いたのだった。

「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい。あなたは妹を守るために、名前通り優しいお兄ちゃんになるのよ」

 そのうち、口を開けばそんな言葉が飛んできた。そのような環境では、守が自分の名前を嫌いになるのも時間の問題だった。


 それまで、守にとって日々とは頑丈なもので、確固たるものであった。親からは淀みない愛情が降り注ぎ、それを享受することこそが日々を過ごすということだと、理論ではなく感覚や直感で理解していた。だが、家族と呼べる存在が一人増えたことによって、守の中に形成されていた日常というものが壊されてしまった。それが何より守の心を揺さぶったのだった。


「守、ちょっといい?」

 1LDKの台所から逃げ出し、隣接している和室に逃げ込んだ守を追って母親が訪れる。来ないで。という言葉は何者かが発しているらしい嗚咽にかき消された。近いようで遠いところから母親の声が聞こえるのもそのせいだろうか。思わず、怒られるのではないかと身構える。

「誕生日を忘れていたのは本当にごめんね。また、後日日を改めて準備するからね」

 そうじゃない。誕生日を忘れたことを怒っているんじゃない。一年に一度しかない特別な日まで、あいつのことで頭がいっぱいだったことを悲しんでいるんだ。

「ごめんね、最近は光ちゃんばっかり相手しているけど、あなたのことも愛してるから。」

 わかってるんだ。母親が光のことで手一杯だったことも理解していた。それでも守は、自分がこの家に存在していてもいいんだと認めてもらいたかった。愛情がその手段であることを果たして彼女は理解しているんだろうか。

「お兄ちゃんとして光ちゃんのことを可愛がってあげて、きっとあなたのことを愛しているはずだわ」

 母親が後ろから守を包み込む。ふと脳裏に美紀の顔がよぎる。果たして、好きでもない相手に好意を寄せられて、それを良いことだと思えるのだろうか。少なくとも守はそう思えなかった。


 わかっていた。守はわかっていた。母親があいつの世話で忙しいということを。母親があいつに愛情を注いでいるのと同じように、自分にも注いでくれているということを。そして、自分は兄として不合格なんだということを。ただの我儘なんだということを。

 それでも認めたくなかった。認めてしまえば守の日常は大きく変わってしまうだろうから。

 だから、殺したかった。頑丈なものであった日々にこんな変化をもたらしたあいつを。自分を一番に想ってくれない母親を。理解しているのに我儘が止まらない自分を。兄になりきれない自分を。怖がりな自分を。

 今母親に包み込まれていることすらも感じられない。かつてはあれだけ気に入っていた母親からほのかに香る甘い匂いも、何も感じられない。

 大きいとも力強いとも言えない小さな両手が守の視界で滲んでいる。光の手は果たしてどれくらいの大きさだったのか、守は最後まで思い出すことができないままでいた。



「光のオムツってどこだっけー?」

「ベビーベッド横に置いてない?」

「あ、あった」

 中から紙オムツを1つ取り出し、慣れない手つきで光の履いているオムツと交換する。

「お風呂上りなのにごめんねぇ」

「全然いいよ!だって僕お兄ちゃんだもん!」

 果たしてあれから僕は変われているのだろうか。わからない。

「そうよね、もう二年生だもんね!」

「うん!」

 ただ、あの日僕と、僕の日常は一度死んだ。これだけは言える。そう信じている。

 そして、今日もまた一日が終わる。


自身至らない点を自覚したいので、改善点なり何なりと評価していただきたいです。

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