14th(13th) day.-8 TAIL EINS/銀の星 - 死徒、襲来 -/VILLAINE, COME IN
J.T. 21:49
倖田の町で、静かに雪が降り出した。連日下がり続けた気温が、今日ついに閾値を下回る。風はなくとも、冷えた空気の中で、シンシンと白雪が舞い落ちる。
夜が深くなる直前。人が寝息を立てるには早い時間。未だ外を出歩く人がいてもおかしくない時間帯に―――町から住人の気配が消えた。ところどころ点いた街頭に人の影が伸びることはない。いかなる違和感も、感じる人がいなければ、それが通常だと世界の歯車が廻りだす。
そんな中で―――魔の気配が町を覆い尽くした。
町の中心となる道の真ん中で、黒い外套を翻すのは―――鳥の仮面を被った、何か。
「―――ふん、楽な仕事だ。町一つを喰えなどと、まあ役得ではある。今の時代、これほど好きに動いていいと言われるとは、やはり我輩は運がいい。昨日の阿呆共も、腹の足しになるには丁度いい魔石を持っていたしな」
仮面の外套が膨れる。その肉体とは不釣り合いなほどの膨らみから、幾多の黒い影が現れる。
「行け。東方院から霊地を隔離せよ」
次々に湧き出る影が、異形な亡者となり―――仮面を被った何かと同等の大きさまで成長する。その数は十や二十ではない。百にも届くほどの影の軍勢がまたたく間に集結され、各々が町全体へと駆け出した。
「くかかかっ。数分も経てば、この地は最早我輩の胃の中よ。ゆるりと待つとしよう。―――餌に釣られた阿呆もいるようだしのう」
「―――貴様が、"銀の星"の刺客で違いないな」
仮面の前に立ちはだかったのは―――栗崎菊であった。
「ああ。我輩で違いないぞ、坊や。我輩は―――バロン。バロン=エスパニョーラ」
「ワタシは栗崎菊、教会の聖堂騎士だ。ただ、―――男爵ともあろう者が悪魔に喰われたか」
「ぐはははっ。よく吾輩の身に気付いたな」
バロン=エスパニョーラは仮面を取ると―――その顔は明らかにヒトのものとは違っていた。赤黒い鉄火面。およそ人の感情とはかけ離れたのっぺらぼうな顔には、悪意だけは明確に映っていた。にやり、と―――表情のない顔で悪魔は歪に卑しく笑う。
「ただ、我輩が悪魔だと気付いて、それで終わりか? 我輩を失望させるなよ、ニーニョ」
「バロン=エスパニョーラ。本体の真名はエドモンド=エスパニョーラ。スペイン出身の男爵位。一族で黒魔術を研究。黒魔術とは並行して独学で錬金術を学び、第二魔法協会に所属。六十を超える時に協会を脱退、その後自身の病気をきっかけに死を恐れるようになり、悪魔に魂を売った。不死の命と引き換えに、肉体の主導権を全て悪魔に奪われ、その後"銀の星"に拾われ、今に至る。と云ったところか」
「ほう、よく我輩のことを調べたな。なんだ、そこまで知っていてまだ我輩の前に立つのか?」
「あくまで幾多の魔術師による情報でしかない。悪魔相手だ、本人確認でもしなければ封印が面倒だ。ただ、貴様の能力等々、ワタシ自身はまだ"確認"はしていないがな」
「ほほう、実に息が好いではないか。ついでに、一つ聞いてよいかな、ニーニョ?」
「・・・・・・なんだ?」
「なぜ我輩の姿だけを見て悪魔だと気付いた? 人違いなら失礼極まるぞ」
「その仮面だよ、バロン=エスパニョーラ。"銀の星"が手駒にした悪魔は七騎。各々が七人会に直属で仕え、動物を模した仮面を被っている。この街に赴いた七人会はノーウェンス=ダンチェッカー唯一人。『魔法潰し』に従う悪魔は鳥の仮面、ヒポグリフを被っている、と情報にはあった。なんせ『魔法潰し』関連の情報で精確性がなく明確な証拠はなかったが、名前を聞いてはっきりしたよ。―――お前の真名もな」
「くかかかっ、なら我輩を悪魔と呼ぶには語弊があるぞ」
「ふん。天使だろうと、死を司り不幸を振りまく存在など、悪魔となんら変わらん」
「よく吼えるではないか、ニーニョ。この街はすでに我輩によって包囲されているのだ。気付いたか? 貴様が先程見過ごした影共を見たか?」
「ああ。ずいぶんと、粘土遊びが好きなんだな。それがどうした」
「何故なら奴らは『我輩』だからだ。わかっているのだろう、一匹でも取りこぼせば、周囲に死と不幸を振りまく。貴様は我輩を足止めしているつもりだろうが、淡き希望であったな」
月天の元で悪魔が高らかに笑う。自己に陶酔し、すでに勝負は決したのだと、腹を抱えて笑った。
「とんだ貧乏くじだな。だが、それもまた一興か・・・・・・」
「ん〜? 命乞いかい、ニーニョ? 諦めたまえ。男爵の名に賭けて誓おう、ニーニョもこの街ごと仲良く喰らうとな」
仮面が闇夜に光る。バロン=エスパニョーラはヒポグリフの仮面を被り直し、―――手に魔石が輝く石杖を虚空から出現させる。
「時は満ちた。すでに吾輩の影は百にも達したぞ。この軍勢、ニーニョ一人で相手しようというのかね」
「―――・・・・・・らん夜だ」
「ん? まだ命乞いか。懲りん奴だな、ニーニョ」
「つまらん夜だと言ったんだ、バロン=エスパニョーラ。貴様の写し鏡の影とは言え、所詮はグール。そのすべてをワタシがわざわざ手を煩わすまでもない。それに、―――貴様ら"銀の星"の襲撃を知っていて、我々が何の準備もしていないとでも思ったか?」
「なに―――? ほう。ずいぶんと腕の立つ魔術師が隠れていたか。昨日の阿呆とは違うようだ」
「七人会に仕えようと、結局貴様は隷属霊に過ぎん。狗如きに負けるワタシではない。貴様では役不足だ。ワタシを殺るならこの三倍は連れて来い」
その言葉と共に、―――脇腹が痛んだ。
番犬に貫かれた傷跡が疼く。三基の技術を用いて応急処置は済ませているが、未だ痛みは引いていない。予想通りに、傷を埋めても、完治するまで痛みが引くことはない。戦闘に必要な魔力も十分ではない。菊の言葉は負け惜しみだ。だが、町に残る魔術師たちの精神は今日この日がピークだった。
いつかは"銀の星"の襲撃はあっただろう。それが、明日なら、明後日なら―――上級魔術師といえど、一日が過ぎるごとに集中力は低下する。臆郷の郊外でヴァレリー班が消息を絶ったと知らせを受け、残された者の警戒心はピークに達していた。そのために、街中の人間が夜は外を出歩かないように、細かく暗示の刻印を広げていった。それを結界を施さず、半日で仕上げるほどの練度。ノーウェンス=ダンチェッカーがこの地を去ったと言えど、彼らの知るヴァレリー=ルートンが敗退したというのなら、最大級の警戒をしていてもお釣りが来る。だが、時間が経てば経つほど、彼らのモチベーションは低下し、十全なパフォーマンスは発揮でかなかっただろう。だからこそ、―――今日こそが最大の好機だった。
「くかかかかッ、強がりは止せ、ニーニョ。主の行動はある程度把握している。ドッテ腹に風穴の空いた聖堂騎士がいることぐらい知っている。ニーニョ、それは貴様のことであろう?」
ニタリと悪魔が笑う。バロン=エスパニョーラはただ闇雲に、命を搾取するためにこの地に赴いたわけではなかった。
指令は二つ。
一つ、―――霊脈の大元が存在する倖田町と神守一族の東方院とを隔離すること。
一つ、―――倖田町に存在する人を根絶やしにすること。
その両の指名を遂行するために排除すべき存在、―――聖堂騎士と百人結界の為に招集された魔法使いたちを根絶する必要がある。バロン=エスパニョーラは彼の主であるノーウェンス=ダンチェッカーより排除すべき邪魔者の情報だけは聞いていた。その数こそは把握の範疇より多かったが、菊の現在の状態、ノーウェンスによって受けた傷についてももちろん把握している。アギトによって編成された部隊が駐在していることも知っていた。
状況は、菊にとって決して良ではなかった。しかし、彼の思いとは違い、この街にはすでに百人結界のために呼び寄せた魔法協会の者が大勢残っている。アギトの判断が正しかった。新守渚との対談が決裂した以上、彼らが百人結界を敷くことはなくなったが、街に迫った脅威を振り払うだけの戦力としては申し分ない。アクシデントですでに1割の損害が出たが、それでも十分すぎる戦力である。現に、バロン=エスパニョーラが解き放ったグールの大群の数は刻々と減少している。うまくいけば、一般人への被害を出さずに済む可能性もある。
しかし、目の前の悪魔の実力は、『魔法潰し』と同等の完全にアンノーンであった。
―――何故か。答えは簡単だ。バロン=エスパニョーラはこれまでにグール以外で、自らの能力を行使した記録がない。元々、彼の主のノーウェンスが全ての障害を記録ごと消滅させている。それ故に彼自身が戦いの場に出ることが少なかった。彼についての情報は、素性以外にほとんど存在しないのが現状である。
「お話はこれぐらいでいいだろう、ニーニョ。どうだ、今ならやさしく喰ってやるぞ? その身体を万に引き裂き、腸を全て引きずり出し、脳漿を掻き混ぜ、頭蓋に貪り喰らいついてやろう。この街の愚族の最初の贄として喰らうことを許すぞ」
悪魔が笑う。その牙は高く、月明かりを反射させた魔石杖を頭上高く掲げた。
「―――『水ノヨウニ流レ 音ノヨウニ騒ギ 風ノヨウニ消エヨ』―――」
「―――『壱の月 弐の撞き 参の憑き』―――」
互いが示し合わせたかのように、両者が同時に詠唱を開始する。両者の魔力が詠唱に反応し渦巻いていく。蠢動する両者の魔。異なる渦が、―――敵を討たんと収斂される。
「―――『愚ノ御魂ヨ 彼岸ノ彼方トヘ誘エ』―――!!」
「―――『二十二のアルカナより 十八の月』―――!!」
放たれる魔力が、殺意と空間を爆ぜる暴力と共に四散する。
_go to "the balor".




