10th day.-1/盲目/KERBEROS
「―――ふむ。やはり、予想通りの結果になりましたな・・・・・・」
洋館の周りには腐臭と焦げた臭いが立ち込めていた。噴煙を上げ、周囲の木々は炭と化している。
「ここもそろそろ、切り上げ時・・・・・・。・・・・・・いえ、そうではありません。とりあえず、明日の明け方までは待ちましょうか。さすがにこれ以上は、zeroの方に支障がでてしまいます。あなたが来られないのなら、直接本部で待ちましょう。ええ、その予定ですぞ。なに、彼は報告どおりです。なにも問題は無い。ええ。それでは」
「・・・・・・ふぅ。これで、再び悪魔は舞い降りる、ですな―――」
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――――――フワフワと、櫻の花びらが宙を舞った。それはある春日の記憶。見上げれば、空は高かった。流れる雲は緩やかに、時間の静かさを感じさせる。右から左へ流れる様を、時折視界を霞める櫻の花びらと共に見つめ続けた。
「―――おや、ここにいたのかい」
摘んだ花を小さな籠に入れ、季節外れな麦藁帽子を被った見覚えのある女性が現れた。
「どう、気に入ってくれたかしら?」
こちらの顔色を伺うように、その人は恐る恐る尋ねた。静かに、首を縦に振る。
「そう、よかった。安心したよ。ここを気に入ってくれなきゃ、自信をなくすところだったから」
心の底から、胸を撫で下ろすように脱力する。どういうわけか、この人は子犬のようなところがあった。家にいるときは時折、しつこいと思わすほど寄り添ってきた。まだ心を開けきっていないのに、こうも人懐っこく迫ってくるあたりこの人も子供っぽいのか、こちらとしてはどうしていいかわからなくなる。それでも、この人は飽きもせず、今日もこうして県境の櫻の名所まで引っ張られてしまった。
「うん。こうして女二人だけで遠出するのもたまにはいいかもしれない。宗次郎には悪いけど、時々こうして遊びに行こうか」
子供への愛情を偏らすのはどうも賛成できないけれど、この人も本気でそう言っているわけではないのは、子供心ながらなんとなくわかった。
「葵が元気になるにはまだ時間がかかるみたいだけど、宗次郎もそれを願っているよ。ゆっくりでいい。ワタシも君たちに認められるようになるから、一緒に頑張ろうね」
そういって、私の手を取り上下に振った。
―――願うのなら、この櫻の木の下での時間は泡沫に消えないように。私の記憶の開花と共に、また一緒に来れることを願って。夢幻なら、それはそれでいい。それでも、私が縮んでいる頃の記憶が消えてしまわないように、意味の薄い日々を悔いの無いように、―――
盲目/10th day.
「ん、っ―――」
――――――意識が現実に戻りかけた時には、無性に腰と腕が痛かった。
「―――ここ、は・・・・・・」
どうやら、居間のテーブルで眠っていたみたいだ。テーブルの上に腕を乗せ、それを枕にしていたようだ。普段とは違う体勢で眠るのはずいぶんと身体に負担をかけたのだろう。腕に血が上手いように流れていなかったのか、血液の脈動に痛みが伴う。
しばらく眠気が飛ぶのと身体が馴染むのを兼ねて惚ける。静かにカチカチとなる時計の針は、外の風の音と共に私の鼓膜へと届いた。
「外は、まだ暗いなぁ・・・・・・」
時刻は午前五時半を少し過ぎた辺り。結局、普段より少し早い起床時間になった。
「・・・・・・そっか。昨日はそのまま眠っちゃったんだね」
自分が居間で寝ていた理由を惚けた頭で思案する。どうやら、ジーンの看護をして、その疲れでそのまま眠ってしまったようだ。傍らに寝かせておいたジーンの姿は無く、彼女に被せておいたシーツが私の肩へ掛けられていた。
「ジーンは、気づいたんだ。―――あっ・・・・・・」
頭が徐々に回復しだしたときに、二日前から服装が変わっていないことに気がついた。戦いが終わってから、昨日の日が暮れる辺りまでずっとジーンの様子を見ていたから、風呂に入るどころか着替えることも忘れていた。服は土や血で汚れていた。さすがに着替えないと汚れで気持ち悪くなりそうだ。
「お腹も空いたけど、その前にお風呂に入るか・・・・・・」
「っ・・・・・・」
「おっ・・・・・・」
居間から出ようとしたところで、見知らぬ誰かとバッティングした。
「・・・・・・」
「よっ、どうやら起きたみたいだな。若いのに、こんな早くから起きるとは驚いた」
ゆっくりと、後ろへ下がる。大丈夫、台所はすぐそこだ。
「・・・・・・」
「ん? どうした、そんな阿呆みたいな顔して。オレの顔に何か付いてるのか?」
「・・・・・・きっ」
「き?」
「きゃああああああああーーーーーーーーーーーーーー!!」
「なにごとです、アオイ!?」
「きゃああああーーーーーーーー!!」
「おいっ!? まて、物を投げるのをやめろ!! ちょっ、包丁とか冗談じゃねぇ!!」
「アオイ! ストップ、ストーーーップ!!」
「なっ、なに!? この人ダレ? えっ、なに、変態!?」
「アオイ! 落ち着いてください、アオイってば!!」
「なに? なになになに!? えっ、あっ、ジー、ン・・・・・・?」
「はい、ワタシです。アオイ、冷静になってください」
「・・・・・・ごめん、なさい」
「ふぅ、あー驚いた。まさかこんな振る舞いをされるとは夢にも思わなんだ」
「あなたも! アオイが驚くから無駄に動かないでと言っておいたでしょ!?」
「いや、便所を借りただけなんだがな。こんな早くには起きないと思って油断したわ」
ガハハと声を上げて笑う男。
「あなた、誰ですか? どうしてここにいるんですか?」
「紹介が遅れました。この人は、―――」
「待て待て、自分の紹介ぐらい自分でさせろ」
男はジーンを制して一歩前に出た。
「オレの名は斉藤アギト。夏喜とは古くからの知り合いだ。とある任務のついでにな、ちょいとここに寄らせてもらった。まぁなんだ。短い付き合いになると思うが、そう邪険にならんでヨロシクしてくれ」
そういって、男は手を差し出した。
「どっ、どうも」
恐る恐る男に近づき手を握る。
「あっ・・・・・・」
「? どうかしたか?」
「懐かしい、匂いがする・・・・・・」
これは確か、―――
「夏喜が吸っていた、タバコの匂い」
時々、なにかを考える時に夏喜は決まってタバコを吸っていた。考え事をしているときに何か口に入れていないと落ち着かないらしく、ガムが嫌いな夏喜は自然とタバコを咥えるようになったらしい。
「・・・・・・アギトさん。夏喜と知り合いなんですよね?」
「ああ。なんせアイツとは二十年来の腐れ縁だ」
「なら、夏喜が、―――」
「魔法使いってことも、その前も後も全部知ってるさ。お前たち姉弟のことも、もちろん知っている」
「なら、アギトさんも魔法使いなんですね」
「ちょいと語弊があるが、さほど変わりはないな。オレは魔法協会の執行人だ。代行者、代弁者、傭兵、兵隊、コマ、なんといってもいい。まぁわかりやすく言えば、魔法協会にとっての体のいい雇われゴミ処理係ってことだ」
「彼は、魔法使いを統括する機関のエージェントの一人のようです」
「魔導に身を置く者だが、これでも軍人の出だ。今回はある任務でな、ヴァチカンの教会の人間と動いている」
「教会の人間って、・・・・・」
「二、三日前に菊もここに訪れたそうじゃないか。一応お前たちにも関係のある任務だからな、独断だが、挨拶にきたんだよ」
「―――詭弁を。あのように殺意を振り撒く者を信用することはできません」
「ジーン?」
「おいおい、そんなに怒るなよ。済んだことじゃないか。それに、あれは職業病のようなものだ。一人だとああして気を張ってないと落ち着かん体質なんだよ」
「そう言って流すつもりですか? それで許されるとでも?」
「ちょっと、どうしたのジーン?」
あのジーンがここまで怒る姿を見て驚いた。ジーンがこんなに他人を拒否するなんて想像したこともなかった。それがなんだか、らしくない。
「あなたが協会の人間で、我々と同じ敵を持っていることはわかりました。それでも、ワタシはあなたを同じ"仲間"としてみることはできません」
断として紡がれた拒絶の言葉。彼女の目には迷いはなく、それを覆すつもりはない。ジーンにわかりやすく嫌われている男は気まずそうに頭を掻いた。
「ちょっとまって。ジーン、少し抑えて。アギトさん、いくつか聞きたいことがあります」
「おう。なんだ?」
「あなたが夏喜と知り合いなのはなんとなくわかりました。嘘を付いているようにも見えないし、ここでそんな嘘を付いても仕方ないでしょうから。私たちに関係のある任務って言いましたね。それって、やっぱり『宗次郎』のことなんですか?」
「ああ、そうだ。俺たちは組織殲滅の任を受けている。弟のことは残念だったな。どうやら、あちら側の『計画』の重要な要のようだ」
「その、『計画』って何ですか? この前から気になってはいたんです」
キリスト教の聖遺物と宗次郎が関係していることは何となくわかった。だが、その二つが指す目的というのを、私はまだ知らない。
「そのことなんだが、―――」
「―――そのことに関しては、オレから説明しよう」
声のほうへと振り向く。
「―――ジュー、ダス・・・・・・?」
どうして、―――――
「アオイ・・・・・・」
「・・・・・・あっ」
パシンと、乾いた音が木霊する。振り抜いた手にしびれを感じる。その声を聞いた瞬間に、反射的に彼の頬を叩いてしまっていた。
「・・・・・・」
恐怖。などという感情はない。彼の目を見て、曖昧な感情だが、哀しく見えた。
「アオイ、これはですね・・・・・・」
「―――いい。わかってる。全部、アルスから聞いてる。だから、わかってる・・・・・・」
そう言って、目の前が霞んで見えた。
「・・・・・・」
「あなたは、どうして、―――」
視界が曇り、喉が詰まる。
「アオイ・・・・・・」
「・・・・・・すまなかった、アオイ」
「どうして、・・・・・・なんでよ!!」
声を上げて、こみ上げてくるものを吐き出した。
「あなたは私に言ったじゃない!! 間違いを正したいって、そう言ったじゃない!! なのに、あなたは―――。怖かった・・・、怖かったよ・・・・・・」
こみ上げてくる衝動を抑えきれず、涙が溢れ出す。しがみついた身体からは血の匂いがした。抱きしめられた肩の震えが、ジューダスの身体越しに伝わっている。
「すまなかった、アオイ・・・・・・」
「謝らないでよ。今は黙って、私を泣かせて・・・・・・」
押し殺してきたものを、淀み溜まっていたものを吐き出す。暫く続いた啜り泣きを、場にいた者全てが黙って受け止めた。
涙が枯れた頃には、彼を疑っていた心は晴れていた。
「ジーンに謝って。私への言葉はいらない。ああすることが、最善だったなら。でも、彼女から奪った腕は、もう帰ってこないから。だから、ジーンに謝って」
「アオイ、ワタシはいいのです」
「よくない。こんなの、いいはずがない。そうでなければ、ジューダス。私はあなたを許さないわ」
「・・・・・・ああ、そうだな。そうすることが、一番正しい。ジーン、すまなかった。オレが不甲斐ないばかりに、お前の腕が犠牲になった」
「いえ、済んだことですので。あなたも頭を上げてください。それに、アレがなければ、全滅の可能性すらありましたし」
ジーンのいうアレとは、―――あの時、アルスがジューダスに放った"魔弾"のことだ。アルスの見解では、あの時のジューダスは、アレイスター=クロウリーの魔眼に縛られていた。それを、彼は魔弾によって断ち切ろうとした。
結果は、成功。ただ、宗次郎の出方が変われば、ジューダスが戻ってきていても勝負を決することはできなかった。だから彼は、そのままあちら側につくことで、宗次郎の目を誤魔化そうとしたのだ。ジーンも、戦いの途中でそれに気づき、加担した。倒したはずの敵による奇襲により、左腕という予期せぬ代償を払って、彼らの作戦は成功したのだ。
「なんだ、こいつの腕がないのはお前のせいだったのか」
「・・・・・・ああ。だが、安心しろ。罪償いになるのかは別だが、カタはつけた」
「どういうことです?」
「あちらの白髪の仙道師、きちんと引導を渡してやったよ。やつらの状況も拠点も把握できた。坊主も今は満足に動くことはできないはずだ」
「アルスが言ってた。宗次郎の右腕は暫く使いものにならないって。それって本当なの? 後遺症だとか、そんなのはないの?」
「問題ないだろう。怪我を負わしたのは魔力を司る器官だ。肉体面にその障害が出るのも、坊主の能力が逸脱しているからに過ぎん。怪我というのは時間さえあれば癒えるものだ。ただ、二、三日はまともに動かすことは無理だろう。仮にも、タスラムは魔弾の最高峰だ。坊主の"魔灯剣"が有力だから故、無傷とはいかなかったようだ」
「そう・・・・・・。なら、しばらく時間はあるってことなんだよね」
「そうだ。ヤツらの計画も、坊主が万全でなければ支障がでるだろうからな。その計画についても、オレがわかる範囲で話をしよう。少し準備をするから、居間で待っていてくれ」
ジューダスはそういうと、踵を返して夏喜の部屋の方向へ歩いていった。私たちも居間に戻るとしよう。客人に失礼なことをしてしまった手前、持成しもなしとはばつが悪い。
「ワタシは少し頭を冷やしてきます。今このヒトと一緒にいれば、またいつ爆発するかわからない」
そういうと、わかりやすく嫌な顔をしてジーンは裏庭へと去っていった。
「ふむ。こうもわかりやすいとは、逆に気持ちいいものだな」
「ごめんなさい。ホントはあんな子じゃないんだけど・・・」
「いやいいさ。幻想騎士を使い魔としてみるのは失礼になるが、主君を守ろうとする気は伝わる。それに、あいつがオレを毛嫌いするのは、おそらく悔しさからだろうからな」
「悔しさ?」
「おっと、これ以上は名誉にかかわる。あいつのためだ、悟ってやってくれ」
アギトはそういうと、申し訳なさそうに苦笑いした。
「わかりました。それじゃあ、アギトさん。私も準備しますので、居間で待っていてください」
「おう、そうさせてもらおうかな」
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