9th day.-3/裏切りの聖者 - 訪問者/INVADER
「―――なるほど。菊の報告通りだな」
日はとうの暮れ、月明かりが大地を照らしていた。高く聳える山の麓で、大柄の男が紫煙を静かに揺らす。
「俺だ。三基に伝えろ。ゼロナナフタマルまで待機だ」
『隊長!? いった―――』
男はそれだけを伝え、携帯端末の電源を切った。深く息を吸い込む。それに伴い、煙草の火は勢いを増し、一気に根元まで葉を焼いた。吐く息と共に大量の紫煙が、闇夜の空へと溶けていく。吸い尽くした煙草を捨て、踏んで火を消す。
「さてと、こっからは骨が折れそうだ」
新たに取り出した煙草に火を付け、男は月の昇る山へと登りだした。
―――さらに、夜が深くなる。月の頭はとうに欠け始め、光量は少しばかり減少していた。それによって、月の周囲には星が輝きをとりもどしていた。空に開いた穴が、日に日に塞がっていく。塞がる穴に特別な感動はなく、去り行く儚さが、より一層夜を闇へと染めていた。
アルスの話が終わるころには、時刻は日が変わる直前にまで差し掛かっていた。テーブルに頭を預けて眠っていた葵は、月が昇る直前までジーンの容態を気遣い、眠らず看病をしていた。前日からの疲れによって、今は深い眠りについている。
「っ―――」
―――欠けた腕が、シンと痛んだ。ジーンの左腕は完全に機能を停止している。これは戦いによる傷の痛みではない。戦いの傷は契約の力によって完全に塞がっているからだ。
―――それは、亡いはずのモノが在るかのように感じる幻痛。
「不便なものですね、ヒトというのは。頭ではそれを受け入れていても、身体がそれを理解していない」
ジーンの身体は肩から先がない左腕を"在る筈"と認識している。私はまだ戦える、身体はジーンの頭へそう訴える。
―――違う。ワタシはもう、あの日のようには戦えない。
悔しさが胸を打つ。戦うことで生を実感していた。戦えることが、彼女にとっての現実であった。それが、吹き飛ばされた自分の一部を見たときに、嫌なものを思い出した。バチバチと音を立てて、炭へ化していくものを視て、嫌なものを思い出した。
―――違う。ワタシは、まだ戦える。
自分に言い聞かす。そうしなければ、自分自身に負けてしまう。戦うことで生を実感していた。それが、彼女にとって生きるということ。戦う運命にあった彼女は、それでも女性であることに変わりはない。幻想騎士と成り、ヒトを超越した存在であっても、ヒトで在ったことに変わりはない。
―――あの丘での恐怖が、騎士の中で蠢動する。腕の痛みが、あの日の炎を思い出す。幾星霜の時を越えていても、あの日の恐怖が悪寒を与える。誰かに揺すられているような、そんな寒気。誰かに視られているような、そんな寒気。
亡い肩を抱いて、恐怖を拭う。戦いの中で築いた、先を見据える今の諦め。後悔を前に立てていては、先には進めないから。
―――大丈夫。ワタシはきっと、戦える。
いつかの戦友との約束を破るわけにはいかない。葵との契約を破るわけにはいかない。騎士としての心に鞭を打ち、ヒトとしての心に嘘を付き、――――――
「―――相も変わらず、ここは息苦しいな・・・・・・」
気づけば、屋敷の入り口に見覚えのない人影が立っていた。夜の影に溶けるそれは、声から男ということはわかった。そして、それは明らかな不審者であること。
「・・・・・・あなたは誰です? こんな夜更けに他人の敷地を跨ぐとは失礼でしょう」
「ほう、こんな夜中に人が起きていたか」
男は初めてそこに女が立っていたことに気付いたようだ。男の姿は全身を黒で統一されていた。黒いコートを身に纏い、縁の広い帽子を目深く被っている。そのため男の顔を正確に見ることはできなかったが、それなりに彫りが深く、鋭い目付きをしている。無精髭を生やした男は、一度だけ帽子を取り会釈すると、再び帽子を目深く被った。
「今更だが、こんな夜更けに失礼する。ここには会うべきヤツがいるんでな」
男はそう言うと、屋敷の敷地へと歩みを進めた。
「止まりなさい無礼者。失礼を述べれば見逃すとでも思いましたか。そのように殺意を振り撒いていれば、眠りに付いていてもあなたの不審に気づく」
警戒を露として、ジーンは自らの神剣を構えた。隻腕ながらも、隙をみせることなく構えられた剣に敵意が混ざる。男はそれをみて、屋敷への侵入を停止した。
「・・・・・・ほう。片腕だというのに、隙のない良い構えだ。なかなかな武人とお見受けしよう」
男は一言そう呟き、なにかを思いついたように、―――
「なら、お前が二人目のようだな。―――どうだ。ここで少し、オレと手合わせしないか?」
そういうと、さらに禍々しいほどの殺意を周囲へと撒き散らした。しかし、その不細工な殺意には、明らかな違和感があった。
「ふざけているのですか? ワタシとあなたが戦う意味は無いのですよ」
「ふざけているのはお前の方だ。そうわかりやすく敵意を見せられては、こちらとしても気が滅入る」
「なら早急に撤退しなさい。戦う意味がなくとも、あなたが去らなければ理由はできます」
撒き散らした殺意に、魔力が混ざる。それは完璧に研磨された、戦うことを露とした印。男が魔術師の類であることは明確だった。
「確かにオレとお前には戦う意味は無い。だが、はっきりさせなければ後々面倒だ」
男は懐へと手を伸ばす。取り出されたのは二挺のベレッタ92。白と黒で彩られた銃は、形だけは全くの同型。両の手に握られたそれは、かなり使い込まれているのは見て取れた。
「意味は無くとも、理由ができた。オレはお前を全力で納得させるとしよう」
「何を訳のわからないことを。詭弁を並べるのなら、強制にでも撤退してもらいます。警告は最後です。ここから去りなさい。敵意の無い者に刃を振る趣味はありません」
「ならその剣を下げたらどうだ? 趣味ではないんだろ?」
「心配後無用。趣味でないだけです。ワタシは騎士です。殺意ある相手ならそれだけで動く理由になる」
「殺意、ね。そうか。―――だが、残念ながらそれは却下だ」
そうですか、と相づちを打ち、ジーンの目により深く敵意が篭った。沈黙の後に放たれた弾丸は、アルスのような魔力の塊ではなく、魔力によってコーティングされた銀弾頭の実弾であった。突き出された腕から伸びる白と黒の金属のそれは、刺すような寒気と、凍えるような殺意をつきつける。人が出せるであろう最高速の反応速度。目標を捕らえた瞬間に放たれる弾丸は、一つの反射運動にすら昇華されている。
「ちっ―――」
無意識に出た舌打ち。幻想騎士として、熟練された騎士として、人が出せるであろう速度ならば、難なく苦なく対処できた。速度の問題なら、視認するだけならライフルの速度すら可能であった。しかし、それはあくまでも"人"。魔術師相手では、その性能は幾分か減少する。明確な魔術特性、耐魔性質を持たないジーンには、魔力を帯びたものに対する反応が困難になる。しかし、光の速度を持つクゲンの法術にすら対抗できた彼女だが、―――
「ぐっ―――」
隻腕となったことで、魔力を帯びた弾丸を捌くには単純に"力"が足りなさ過ぎた。
―――これほど戦いにくいとは、不覚。
ジーンの心を暗が覆う。クゲンの時とは違い、予備動作の少なさと彼女自身の腕力の無さにより、戦闘が有利に進めきれない。
「はっ―――!!」
放つ斬撃。視認できない不可視の斬撃は、
「ふっ―――!!」
一息の間に放たれた銃撃によって制圧された。
「なかなかな能力だ。しかし、空間作用の魔術は身近過ぎて脅威ではないな」
迫る銃撃。それは嵐の如く、ジーンの身に降り注ぐ。
「っ―――」
捌くのが困難である以上、必要最低限の動きで弾丸を避ける。あの男は危険だ。騎士としての本能がそう告げる。庭を駆け、男との距離を保つ。相手の得物が『銃』である以上、長期戦はあちらにとって不利になる。弾丸の軌道を把握することのできる距離を保ち続ければ、勝機はみえるはず。
「解せんな。剣士とあろう者が距離をとって戦うなど、やる気はあるのか・・・・・・?」
「・・・・・・好きに捉えて結構です」
嵐の隙をみて斬撃を放つ。伸びる鉄の牙は一向に休まる気配は無い。―――形状と数からして、そろそろきてもおかしくないはずだが・・・・・・
「ガッカリさせるな。弾切れを待つ剣士なんぞ、聞いて呆れる」
「・・・・・・」
ジーンの目つきが一層厳しくなる。
「なに、図星だろうと気にするな。銃と手を交えるやつは最初に必ずそう考える」
にたりと、男が笑う。
「言っただろ、空間作用の魔術には慣れている。オレ自身がそれを使うんだ。慣れもくそもない。そうだな・・・・・・、参考にまで言っておくと、弾切れまでは後三十ほど先だ」
「・・・・・・ふざけた方です。わざわざ自分の限界を知らせるとは」
「手を交えているだけだ。討ち取るためではないからな」
「ふん。その手加減に、―――後悔なさい・・・・・・!!」
大きく振り下ろされる斬撃。
「ぬっ―――!」
振り下ろされた斬撃は、一ではない。一刀一刀が制圧されるなら、制圧されぬよう複数の刃が襲う。斬撃の軌道は避けるのも不可能なほど。
「―――『第三筒 開放』―――!!」
刹那―――
「なっ―――!?」
詠唱の後に男が手に持っていたのは二挺の銃ではなく、茶色に装飾されたアサルトライフルだった。
「―――驚いたな。反応が遅けりゃ、輪切りにされていた」
ジーンには知り得ないが、男が手にしたのはアフマット・カラシニコフ-74。魔力を込めた30発の5.45ミリ弾がジーンの放つ斬撃を最小限の火力を持って制圧した。
「あっ、あなたは・・・・・・何者です?」
―――この男の能力は、不審過ぎる。
手に持っていたはずの銃が、唱えた詠唱とともに形状を変えたのか。だが、それにしても見た目にも形質と質量に違いがありすぎる。
「あなたが魔術師であることは、今のでよくわかりました。ですが、錬金術師にしては異質過ぎる」
「ふむ、フィフティーフィフティーってとこか。まぁ、剣士にしてはなかなか勘が鋭いな」
ガコンと、空にマガジンが地面に落ちる。男は手際よく新しいマガジンを装填した。
「世辞で時間を潰す必要はありません。あなたが危険人物ということがより濃厚となっただけですので」
「それは困った。なぁ、ここいらで終わりにしないか?」
「なにをふざけたことを。これだけ暴れて、ワタシがそれを見逃すとでも?」
「いや、当初の目的はお前と戦うことじゃない。確かにお前は鍛え上げられた剣士だけあって強い。それ故に手加減が難しいうえに弾も勿体無い。なにより無駄な戦いであることに変わりは無いだろ」
「めでたい人ですね、あなたは。あなたがここで退散するのなら考えなくもありませんよ」
「それでは意味が無い。手土産無く帰るのはオレの信条に背くし面白味に欠ける」
「なら諦めなさい。ワタシがあなたをここから排出する」
「そうか。なら、しかたないな・・・・・・」
男が手に持ったアサルトライフルを落した。空手となった男は自らの懐へと手を伸ばす。
「・・・・・・どういうつもりです?」
取り出されたのは小さな金属製の筒が二つ。側面には"Ⅴ"と"Ⅵ"のローマ数字が描かれている。
「―――ここに告げよう。オレは、・・・・・・"お前を制圧する"」
吹き荒れる魔力の渦。魔力に言葉を載せた、喝の意思。男の顔に、鬼人の形が浮かぶ。
「痛い目みても恨むなよ。お前を黙らさなければ、こちらの計画にも支障が出る」
―――あの殺意は、本物だと、ジーンの本能が告げた。アレは、先ほどのまでの二挺の銃やアサルトライフルとは違う、異質な"何か"がある。アレを開放されれば、間違いなく、―――
―――すいません、アルス。これで最後です。
「―――『ラド・シゲル・ティール・アンスールオス』―――」
「ん―――!?」
高速に展開される、神剣の開放詠唱。四方に浮かぶ古ルーンが、女の魔力を吸収していく。
『あれは、もう使わないほうがいいですよ』
周囲の温度が減少する。
―――大丈夫。ワタシはまだ、戦える・・・・・・!!
神剣に収束されていく魔力が、頭を上げ、―――
「―――『トゥアザ・デ・ダナーン ――――
開示される魔力の暴風。己の意思と、騎士としての意地を乗せ、詠唱を、――――――
「―――あっ」
「づっ、あ゛あぁああぁぁぁぁあ―――」
ジーンの右腕が激しく痛んだ。身動きの取れなくなった隙に、男に抑え込まれる。
「驚かすなよ、まったく。莫迦が、そうまでして戦っていたのか」
馬乗りになった男の罵倒の声も、痛みに掻き消された。神経経路が漏電し、全身に高圧の電流が駆け巡る。
「あっ、ぐぎっ、ああああぁぁぁあ―――」
「こりゃ筋繊維が幾つか切断している」
馬乗りになった男が腕に触れる。
「ぐっ―――!?」
「触れただけでこれじゃ、神経にも異常が出ているな。少し痛むが、我慢しろ」
男は懐から"Ⅳ"と描かれた筒を取り出した
「―――『第四筒 開放』―――」
筒の代わりに出現したのは細い針だった。
「なにを、・・・・・・する、つもりです、か・・・・・・?」
「注射だ。動くなよ」
「ぐぅっ―――」
男は何の躊躇も無く、ジーンの右肩に幾本かの針を刺した。
「どうだ? 少しは楽になっただろう?」
「はぁ、はぁ、・・・・・・」
男がジーンから離れる。意識を蝕むほどの激痛は、次第に引いていることに気付いた。
「腕が動くには、まだ暫くかかりそうだな」
「・・・・・・どういう、つもりですか?」
「あ?」
「なぜワタシを助けたのです。その気になれば、今のでワタシを殺すことはできたはずでは?」
「なにを勘違いしている。なぜオレがお前を殺さなければいけんのだ?」
「ワタシをバカにしてるのですか!? あのように殺意を振りまいていれば、誰だってそう思います!!」
「"制圧する"とは言ったが、"殺す"とは一言も言ってない。そもそも、オレとお前は敵ではないだろう?」
「あのような敵意を・・・・・・」
「一方的に敵視していたのはお前だけだ。言っただろう、オレはここに会いたいヤツがいるだけだ」
「・・・・・・なら、誰に会いに来たのです?」
「それは―――」
「―――なんだ、いつからか強盗紛いに成り下がったのか?」
声の主は、いつかこの場所を去った騎士であった。
「なんだ、これだけ騒いでも出てこなかった理由は外出か・・・・・・?」
ジューダスは静かな足取りで近づいてきた。
「とんだ怪人だ。こんな夜更けに襲撃とは。いや、軍人らしいといえばおかしくはないか・・・・・・」
「・・・・・・ジューダス。この人を知っているのですか?」
「・・・・・・ああ。こいつは―――」
_go to next day. "KERBEROS"




