8th day.-6/戦慄組曲 - 紅白戦線 二幕/R.V.W ACT II, PINCH
「っ―――、!?」
「どうした! それで手一杯か!」
―――それは、一瞬の出来事である。クゲンの手にあるは黒塗りの棒。その封印を解いた姿は、見かけには棒ではなく、一つの鞭なような形状をしていた。
一振りすれば、面前の空間が爆ぜた。いや。事実、そう見えたのかもしれない。現に、殺気を感じその場を飛び退いたジーンが見たものは、轟音と共に消え去った木々であった。欠片残さず、だが乱雑に消え去ったその空間は、目に見えない何かに食いつぶされたのかのよう。少なくとも、ジーンにはそう見えたのだ。ほんの一瞬前まで自身のいた場所がこうも容易く消え去る脅威で、全身に悪寒が奔った。それは、―――
「どうした! 逃げてばかりでは敵わんぞ!」
それは、超速に放たれた"鞭"の軌跡。伸縮を自在とする其の能力の正体がこれである。瞬き一つで、黒塗りの鞭は十にも二十にも増えていた。一振りするだけでこの威力。彼が戦闘に没頭するのをやめ、その意思を殺戮に切り替えれば、彼女の身など三分と持たないだろう。
―――だれが知ろう。この場にいる白髪の男。かつて中国殷王朝が誇った武軍太子。そして、その世界において神として崇められた仙人の一人である。広大な土地を黒麒麟に跨り駆け抜け、戦一つ一人で勝利する男。一騎当千を実現するその能力は、仙人の実力とすれば、十指に入る兵である。
「―――はぁああああああああーーーー!!」
放たれた鞭の戻しの瞬間を狙って放たれた斬撃。
「!?」
不可視の刃も、再び放たれた鞭声によって容易く四散した。攻撃は絶対の防御とはまさにこのこと。彼に防御する意思がなくとも、攻撃をし続けることで必然的に防御につながる。クゲンはその鞭声の真意を示すことで、状況を絶対的優位に運んだ。現に彼は先ほどから一歩も動いていない。鞭の射程範囲は軽く四十メートル。ジーンの目算でしかないそれは、実際にはさらに向上するだろう。
いかに広いといえど、彼からすればそこは閉ざされた空間でしかない。真意を持って、彼は数々の戦を乗り越えてきたのだ。広大な大地での大戦争。万と万の大軍が争う戦の中で、彼は一人でその大軍に打ち勝ってきた。その彼にとって、急速に文明の発達した現代の日本なんて、まさに箱庭でしかない。
―――それは今までに見たことのない武具だった。いや、あれは"武具"と呼べるものなのかも定かではない。あれは―――
「―――ワタシの剣と、同じ・・・・・・」
「同じではない!!」
「っ―――」
さらに放たれる鞭声。先ほどより広範囲に放たれたそれを避けきれず、剣を盾に捌く。その一撃は重く、自らの攻撃をも一瞬にして四散させるだけの威力は身をもって頷けられた。
「―――くぁ、っは・・・・・・!?」
「同じではない!! 断じて同じではないぞ!!」
次第に鞭声を避けられる空間が削られていく。さらに広い空間を移るために、ジーンは更に山の中へと駆け出した。
「はぁ、はぁ、はぁ―――」
林の奥へと走る。大きな木の元に背中を預け、身を隠す。深く、唾を飲んだ。
―――あの能力は脅威だ。
目に映るなら恰好がつこう、視認できないその速度に対処する術を用いない。これほど戦闘に消極的になるなんて初めての経験であった。
「・・・・・・宝貝。大陸伝承の神具ですか。厄介な相手です」
―――宝貝。中国大陸に伝わる伝奇より名を馳せた神具。殷王朝時代に起こった仙人大戦で活躍した、その驚異的な能力を使える者を相手取るなんて、分が悪すぎた。
宝貝、"禁鞭"。『鞭』という武器の能力を逸脱した最強の宝具。それが“禁鞭”である。一振りで尾を十や二十に留まらず、その気になれば千にも万にも増えるだろう。その尾一つ一つがで人間の身を五度殺せるであろう苦痛が全身を爆ぜる。それは鞭による表皮の破壊ではなく、打った所から四肢が壊死させる能力と骨をも悉く破壊させる威力。先ほどの草木の枯死も、その能力の開放が意味する真意であろう。なら、一撃でも身に喰らえば、それは致命的な脅威となる。
「なら彼は、雷神の仙道師ですか。・・・・・・それならあの雷の魔術も頷けられます―――」
彼女は自らの思考を張り巡らせ、彼に対する情報を掘り起こした。これほどの脅威は、並大抵の雑兵ではない。用いる神具が自身に由来するものならば、導き出せる答えは一つだ。
「―――九天応元雷声普化天尊。真名を―――聞仲」
「いかにも、我が名は聞仲なり」
「!?」
背を預けていた木以外の周囲が消え去った。いや。それは轟音と共に放たれた鞭声によって、すべて破壊しつくされたのだ。禿山にされた土地に、彼女の身を隠す木だけが月明かりに影を奔らせる。
「察しがいいな、女。能力だけで真名に気づくとは」
宙に立つ白髪の男。右手に持つ宝貝は、重力に引っ張られ地面に向かって垂れている。
「貴方ほどの人が、なぜこのような愚行をするのですか・・・・・・?」
「―――愚行、だと?」
突如問われた言葉。彼女にとって、それは些細ながら、重要な質問であった。彼女と彼は似た境遇だった。彼女にとっての個人的な考えでしかないが、彼も国の為に戦場を駆け、隣国にその名を馳せた武人。英雄どころか神として祀られる者として、今の彼の行動には決定的に"誇り"が欠けている。
「王に使え、国を護り、戦いに馳せた貴方が、なぜ世界の裏に沈む必要があるのです? 貴方の名を、なぜ自分自身で潰すような行為をするのですか?」
「愚問を。ワタシの存在は戦の中でしか許されん。死して世界に残留することを選んだのだ。戦があるのなら、ワタシはこの力を示すのみ」
「そうやって、貴方は自身を闇に落とすつもりですか? 国を護る当時の誇りを忘れたのですか?」
「知った風な口を利くなっ・・・・・・!!」
この場に唯一残っていた木が爆ぜた。幾本の尾が無造作に乱れ、バチンと音を立てて粉々に消滅する。月明かりに照らされたクゲンの表情は鬼のように醜く歪んでいる。彼にとって、戦いこそがすべてなのだ。それを、彼女の偽善と取れた言葉に憤怒した。
「ここはすでにワタシのいた時代ではない。一端の剣士とて、それぐらいは知ってるだろう。貴様が存在していた時代など、すでに滅んでいるのだ。なら、ワタシは残された存在として、我が名を残すだけだ」
矛盾している。彼にとって、その業績は神として奉られるほど。彼はそれを壊すことによって、自分の名を世界に残そうとしている。その亡者は、自らの存在を消すことによって、自らの存在を"肯定"させようとしているのだ。その"肯定"は、過去の自分に対する"否定"でしかないはずなのに。
「・・・・・・ならあなたは、この意味のない戦いにも意味がある、と?」
「無論だ。今の私は紂王に仕える者ではない。そのような亡者になど成りえない。任を持ったことで、ワタシは新たな主へと仕えたのだ。ならワタシは、それに答える責務がある」
「―――もう・・・・・・いい」
「な―――ぬっ!?」
「もう、貴方の戯言は聞きたくない・・・・・・」
真空を裂く、―――不可視の咆哮が宙を奔る。
―――ヤツは、何をした?
男にとって、理解に時間がかかった。突如、空間の温度が急激に減少した。そう錯覚させるほどの、殺意が男の傍らを通り過ぎて行ったのだ。その殺意は、――――――空間を削る赫色の軌道。
「―――っ、!」
―――なんだ、これは?
彼の思考回路は、左肩に奔った激痛によって正常に戻った。大きく穿たれた肩からは、夥しい量の血が吹き出ている。
「―――ここに誓う。貴方は、全力でワタシが倒す」
静かに、重く言葉が紡がれた。彼女の目には、一筋の涙が月明かりに光る。自らを呪い、彼に対する怒りから、小さく涙が零れた。
「―――『ラド・シゲル・ティール・アンスールオス』―――」
ジーンを中心に、四方の空間に浮かび上がる古のルーン。偽りの契約により手に入れた、唯一の魔法。
「馬鹿な!! 剣士風情がルーン魔術だと!?」
彼女が持つ、唯一にして最強の魔法。真実に近づくため、果たされなかった約束の為に手に入れた偽りの力。その封が、真名を持って開放される―――
「―――『トゥアザ・デ・ダナーン フラガラッハ』―――!!」
闇夜に、光の一閃が爆ぜた。
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