8th day.-3/戦慄組曲 - 夜ニ駆ケル -/TONIGHT, TONIGHT, TONIGHT
<夜ニ駆ケル/TONIGHT, TONIGHT, TONIGHT>
―――落陽は過ぎ、冬の夜がきた。暮夜の頃になると、菊が再び訪れてくれた。ジューダスと少し話をして帰っていったが、心配して来てくれたのだろう。
―――時刻は十時を過ぎた。刻々と迫る鐘の音を唯々耳に入れるだけで、アクマの到来は未だない。ただ待つだけでは落ち着かなく、何度も何度も水を飲んだ。あれだけ待ち焦がれた惨劇を、彼らにとっての終点である今日の夜に緊張している。
惨劇は二度、私の魂を貫いた。一度目は七日前の悪魔たちの到来。最愛の弟が闇に消え、そして堕ちた。私にとっての悲劇の始まり。
二度目は友の陥落。死神の人形となった友を救うことのできなかった私の悲劇。最愛なる者を亡くす哀しみに負け、一度は闇の淵を彷徨った。
そして今宵、三度訪れる惨劇。そして終焉する惨劇。そう確信する。その確信を嘲笑うかのように、時間を告げる鐘の音だけが空に響く。沈黙だけが居間に木霊する。
ジーンは気持ちを落ち着かせると庭に出た。ジューダスは結界を敷くのに使った魔力の回復を急いでいる。この調子なら、あと数分で完全に回復するそうだ。アルスは擬態の姿をやめ、獣姿で私の傍らで蹲っている。
普段聞こえるはずのない風の音が耳に入った。何枚もの壁で隔たれているはずの外の音が、微かにだが聞こえている。それだけの沈黙がこの空間で木霊しているのだ。
「・・・・・・」
沈黙。
「・・・・・・」
沈黙。
「・・・・・・」
沈黙。この沈黙に、私だけが緊張している。ジューダスはただ目を瞑り、自己の裡に徹している。
時間を告げる針の音。刻々と刻まれる時間。一秒一分が、とても長く感じられる。沈黙の所為で、時間感覚が麻痺してしまう。一秒が一分に、一分が一時間に感じられる。それほどの緊張と沈黙が、私にプレッシャーとしてのしかかる。
「――――――緊張、しているのか?」
ジューダスは目を瞑ったまま尋ねてきた。
「・・・・・・うん」
「無理もあるまい。一世一代を賭けた戦いなだけに、並みのプレッシャーではないはずだ。お前にもオレにも、重要な日だ」
「・・・・・・ねえ、ジューダス」
「なんだ?」
「あなたは、なんで戦うの?」
「何をいまさら。そんなの、お前を護るためだ」
「そうじゃない。あなたはなんで、―――幻想騎士にまで成って戦うの?」
閉じられていた瞼が上がる。
―――幻想騎士。偽りの生命。成り下がった存在。劣る命に富んだ肉体。
ジューダスは生前、聖職者だったそうだ。何百年、何千年前の人かはわからない。今までジューダスは自分のことを詳しくは話してはくれなかった。それでも、自らが生存していた時代とはかけ離れた現代で、なぜわざわざ幻想騎士となって現界するのか。
「そうか。アオイには、まだオレのことを話していなかったな」
「・・・・・・うん」
「これを現代の人間に伝えていいことかわからないが、オレは今の世界では絶対悪にも匹敵する存在だ。魂がここにあろうと、志が何になろうと、生前の記録は明確に、現代の人にも伝わっている」
「そんなに、有名な人だったの?」
「『裏切り者の聖者』。それがオレに与えられた烙印だ。今ではいくつかの説で唱えられているが、すべては一つだ。『裏切り』という言葉が、オレの存在を縛っている」
「それでも、あなたは戦いを止めないの?」
「・・・・・・ああ。自分で選んだ道だ。消えたはずの命、こうして留まることができるのなら、オレは自分の間違いを正したい。オレの所為で死んでしまった者たちへの、せめてもの償いになると信じてな。だからオレは幻想騎士となった。世界は醜い。師の望んだ世界には程遠い。ならオレは、この世界の行く末を見届けるつもりだ。そのために戦う。そのために得た命だ」
神槍を強く握った。幾度となく、その身を戦いに投じてきたのだろう。いつか見た傷も、彼の生きた代償、罪の数だけの代償があるのだろう。それだけに、彼の意思は固い。
「今度は、私を護ってくれるの?」
「そうだ。そのためにオレはここにいる」
「それは、あなたの願いなの?」
「・・・・・・」
その問に、ジューダスは口を閉ざした。
「・・・・・・そうやって、あなたはあなた自身を殺すのね。私には、それがとても哀しい。あなたは、自分の願いがあるの?」
「・・・・・・どうだろうな。これがオレの願いなのか、そうでないのか。もはや、忘れてしまったよ」
「・・・・・・そう」
摩耗した信念は、もはや形を変えているのかもしれない。妄執へと変わっているのかも知れない。それでも、彼は自分の信じた願いのために歩みを止めないだろう。それが、自身の心を殺すことになっていたとしても、彼自身の答えは変わらないのだろう。
再度、沈黙が居間に木霊した。少しはジューダスのことを心配して聞いてみたが、思った以上に深い事実なのだろう、彼は肝心なところで口を閉ざしてしまった。
「―――!?」
ジューダスは急に、慌しく立ち上がった。
「どうしたの?」
「どういうことです、ダンナ!! 正直、ありえねぇっすよ!?」
「そうも言ってられんぞ! 現にこうして起こっている!」
「なに? どうしたの?」
「結界が破壊された。急いで庭に向かうぞ!」
「イエッサー」
「えっ? ちょっ、ちょっと待ってよ!」
///
「!!」
庭先で眩い閃光が奔る。轟音が鳴り響く庭へと飛び出す。
「くっ―――」
「はははははははぁあーーーーーーー!! 以前の威勢はどうした!!?」
迫る雷撃。反撃を許さない光は、神剣の斬撃でも止まることを知らず、猛攻は続く。ジーンへと繰り出される強襲に、なんとか踏みとどまっている。
「以前は意表を衝かれたが、貴様如きの剣士なんぞ何度も手合いしたわ!!」
空を裂く雷。何本もの雷の触手は、その全てが深紅の騎士へと放たれる。
「甘く――――――」
「!?」
「みるな―――――――――!!」
立ち込める土煙。迫りくる雷の触手をすべて断ち、一身に向けられた斬撃は皮一枚で空を切った。
「ふん。生意気な太刀だ。大人しく封神されていればよいものを」
「よほど貴方はワタシに対して敵意を感じているようですね、クゲン」
「よくも気安く呼んでくれるな、女」
白髪の左手が唸る。バチバチと音を立てて、雷が空間を覆う。
「これを耐えてみろ。そこの男のようにな!!」
「ストーーーーーーーーーーーーーーップ!! 気ぃ早すぎ!!」
ジーンとクゲンの一触即発の事態にロキが割って入る。
「そこを退け、ロキ。貴様諸共放つぞ!」
「ボクはそれぐらいじゃ死なないけど、そんな魔力の無駄遣いしないの!! キミのそれは隙がでか過ぎるから、今使っても簡単に避けられちゃうよ」
「・・・・・・ふん」
空間を侵食していた雷轟が消えた。研ぎ澄まされた殺意が消え、閑散とした空気だけが流れた。
「ホント、キミって気が早いんだから。時間はたっぷりあるんだから、存分に戦わないとつまんないよ」
「そうだな。なら仕切り直しだ。女、貴様はワタシが相手だ」
「・・・・・・そうですね。ワタシも、貴方にそう言うつもりでした」
殺意こそ消えたが、空間を塗りつぶすかのような敵意は未だ張り巡らされている。
「ジーン、何があった?」
「ワタシにもわかりません。ずっと庭にいましたが、突然結界が崩壊して、彼らが侵入してきました」
結界が消失して、ほんの数秒間の戦闘。その殺気だけで人を殺せるぐらいの戦闘。これが、―――幻想騎士同士の戦い。
「だとすれば、あちら側の小細工かなにかか・・・・・・」
「こんばんわ、眠り姫。ジューダス、ジーン。そして使い魔。結界を敷くだけならまだしも、骨董魔具や古代魔具を使って補強するなんて、芸が細かいんだね。でも、坊やの力ならそんなのどうってことないんだよ」
「坊や?」
「―――そうだよ」
後方、その上。上空から聞こえた声に一斉に振り向いた。
「宗―――次郎」
「久しぶりだね、ねぇちゃん。死んでなくて安心したよ」
屋根の上に立つ宗次郎は唯々笑っていた。その顔を見たときに、全身を悪寒が襲った。あの笑顔は知っている。黒く光るその笑顔は、彼女と同じだ。
「宗次郎、あなたやっぱり―――」
「おっと、勘違いしないでよねぇちゃん。ボクは初めからボクだ。あちら側に堕ちた訳でも寝返った訳でもない。ボクは初めっからあちら側の住人なんだよ」
「そんな・・・・・・」
「ボクを取り戻すための戦いと思った? 残念、それは見当違いだよ」
挙げられた右手には朧に殺意が沸いていた。
「使い魔と契約できたんだ。今のねぇちゃんなら見えるだろ? ボクの力がさ」
爛々と輝く殺意。空間を歪ませて収束されるその魔力が、腕そのものを一本の剣のように研ぎ澄ます。
「"魔灯剣"だと!? まさか、それであの結界を破壊したというのか!?」
「そうさ。あなただね、この家にあんなつまらない結界を張ったのは。ずいぶんと誤魔化しが施されていたみたいだけど、ボクからすればお遊びもいいところだ」
「なんだと!?」
「あれって、オバサンから習った結界でしょ? 前に見たことあるんだよねー、それって。古代魔具もあんなに引っ張ってきて頑張ったみたいだけど、結局無駄骨だったね」
カラカラと笑う新生のアクマ。月夜に輝くその右手は殺意に溶け、研ぎ澄まされた殺意は空間を飲み込んで溶ける。
「クゲン、ロキ。存分に楽しむんだね」
「はぁああああああああああああ――――はははははっはぁぁぁぁぁぁ!!」
「くっ―――!!」
クゲンがジーンへと駆ける。その猛襲を、剣一本で捌いていく。
「・・・・・・へぇ、クゲンみたいに跳んで来ないんだね」
「フン、いつまでもお前のペースに乗せられる訳にはいかないんでね。この前はずいぶんと泥を塗らされたものだ」
口ではああ言っているが、ジューダスの顔は鬼の形相のように怒りが混ざっているのがわかった。ジーンはジューダスの戦闘の邪魔にならないように、クゲンを誘導しながら裏庭へと離れていった。それでも、地面や石垣は破壊され、すでに戦闘の傷跡は深刻なものだ。
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