絶望の扉
被告人
1
警察の取調べは教師という職業だからなのか、世間的に同情が集まったからなのか、比較的紳士的に取調べが行われた。取調べに対して菱来は否認せずあるがままに自供した。しかし検事の対応は警察の調べとは明らかに違った。当初は非常に穏やかに話をしていたにも拘らず、犯罪経緯及び動機を聞かれたとき、菱来は遺体の前で幸雄と約束したので、それを果しただけと供述した。警察でも同じことを聞かれ、まったく同じ内容を検事に述べた。しかし検事の顔はみるみる険しくなり「あんたね、仏さんに約束したからなんて、そんなの動機にならないんだよ。前々からあの生徒のことが気に入らなかったんじゃないのかね。いくら亡くなられた生徒のためとはいっても、わざわざ柔道着まで着せて殴る蹴るは教師のすることじゃないだろう。殴られた生徒の鼻は完全に砕け陥没していたし、腕は脱臼していたよ。あんた拳法の有段者だか何だか知らないが、そんなこと弱い者いじめと何ら変わらないんじゃないの」と嫌味たらしく言葉を投げ掛けた。
菱来は椅子に座り膝の上に握りしめた拳をじっと見詰めていた。自分はこのように社会的制裁を受けることで、幸雄のSOSを受けてやれなかったことの報いにしたかった。郷田に関しては、個人的な恨みは一切持っていない。幸雄は一瞬でもこんな自分を頼ってきてくれた。もう亡くなってしまった幸雄の願いを聞き届けるには、あの方法しか思いつかなかった。時間があればもっといい方法があったのかもしれない。
(バン)と突然検事がスチール机を叩いた。意識が取調べとは違うところに行っていたため、身体がピクリと反応した。
「あんた人の話を聞いているのかね」
検事の声は大きいものの目は落着いているように見えた。これがこの人の取調べスタイルなのかもしれない。よくテレビドラマで刑事が取調室で、机や椅子を蹴飛ばすシーンがあったが、自分を調べた刑事はとても紳士的だった。
「私は社会的に許されない行為をしたことは、深く反省しています。結果として郷田に怪我を負わせてしまったことは、本人には済まないと思っていますが、郷田に対して以前から恨みを抱いていたということは一切ありません」
「あんたね。彼は、いや彼の家族全員が、もうあの町に住めなくなったと言っているんだよ。あんたがあのようなことをしなければ、あの人たちもあの町を追われずにすんだものを、それに対してはどう思うんだね」
机を叩いたときよりは、だいぶ穏やかな喋り方になっていた。
「郷田の入れ知恵がなければ、幸雄は自殺までするほど追詰められなかったと思います。郷田自身がどのように思っているか、私の知るところではありませんが、これで彼は彼なりに自分のとった行動が、一人の人間をどのように追い込んでいったのか、分かったと思います。だからといって私のしたことが、正当性があるとは思いません。私は私なりに自分の犯した過ちを自覚し罪を償いたいと思います」
菱来は淡々と答えた。
「あんたね~。じゃあ刑務所に行ってもかまわんのだね」
「・・・・・・」
検事にしてみれば幾つも抱えている事件のうちの一つにしかすぎないのだろう。脅してすかしてすべて吐かせる。それが彼等の常套手段には違いないが、人を陥れるような仕事をしてお金を貰うとは気の毒にさえ思えた。そのときは自分が如何なる理由があろうと、一人の人間を傷付けてしまったことは、決して許される行為でないということを、まだ完全には理解していなかった。
検事は菱来の供述を、事務官にパソコンで文章にまとめさせ、それを菱来の前で読み聞かせた。間違いないか確認をとると、供述書に署名捺印した。ここでは学校で使っていた印鑑は必要なく、すべてポリスメイトによる指印捺印が、印鑑の役目を果たしている。この指印を押すたびに、自分は犯罪者になったのだなと改めて実感する。自ら覚悟したこととはいえ、被疑者、或いは被告人としての生活は精神的にはとても辛いものだった。
四十年以上自分は犯罪とは無縁の場所で生きていると思っていた。生徒が希に警察に補導されることがあっても、警察に委ねられたときから、自分には関係ない世界のような気がした。
小学校のときあまり勉強できなかったが、その後はそれなりに勉強もでき、国立大学こそ行けなかったものの、それなりの大学を卒業して、難関といわれる長野県の教員採用試験も一発で合格した。優しく綺麗な妻を娶り、娘も一人授かった。それなりに今の生活を満足しているつもりだった。それが二年前娘の自殺で自分の心の中にポッカリ大きな穴が開いてしまう。それはどんなものでも決して埋めることができない大きな穴だった。由紀子のショックは自分より更に大きく、彼女の魂はどこかに飛んで行ってしまったきり、帰ってこなかった。
一週間に一回由紀子のところへ見舞いに行くのだが、今ではそれすらできなくなってしまった。自分がこのような所に収監されたことを、由紀子はもう知っているだろうか。
自分は今回のことは衝動的に遣ったわけではなく、ある程度覚悟を決めて遣ったことである。この後職を失いどのように生きていけばいいか分からないが、畑や田圃も多少あり、今は他人に貸しているが、いざとなれば菱来と由紀子が二人食べていく分は何とかなるだろう。それでも由紀子のことは気掛かりでならない。由紀子の両親は既に亡くなり、伊那に農業を営む兄がいるだけだ。
検事に今回のこの事件に関して深く反省していると述べたものの、本当のところ間違った行為をしたという認識と、もっと他に方法があったのではないかという思いはあったが、郷田に対して少林寺拳法の技をかけたことは、反省も後悔もしていない。むしろまだ郷田が幸雄の墓前でごめんなさいと謝るまでは、自分の気持ちが収まらないのも事実だった。
2
社会科の先生をやっていながら、裁判所の法廷に初めて足を踏み入れた。テレビで観たものと何ら変わらない。唯一の違いといえば、被告人席に自分がいることだった。
人定尋問の後、裁判官は検察官に起訴状を読み上げて下さいと促した。検察官は机上に広げた書類に目を通すと、起訴状を読み上げた。
「公訴事実、被告人菱来誠は千曲中学校でいじめに遭い自殺に追いやった生徒の首謀者として、疑いが持たれていた被害者郷田淳(当時十四歳)に目を付け、平成X年X月X日午後四時三十分頃柔道場に呼び出し、被害者に柔道着を着用させ、自らも少林寺拳法着に着替え同人に対して『林原が死んだことどう思う』と問い詰め同人が『可哀相だと思います』と答えたものの、被告人は以前から同人が生意気な行動をとっていたため、気に入らないこともあり懲らしめようと思い、少林寺拳法の右拳上段突きで同人の顔面中心部を殴り、更に逆小手で投げ、全治二十日間による加療を負わせたものである。罪名罰上刑法204条傷害罪・・・・・・」
正面の一段高いところに座っている黒の法衣を纏った裁判官が菱来を見下し「被告人に一つ注意しておきます。あなたがこれから述べることは、有利不利を問わずすべて証拠として採用されます。あなたが答えたくなければ答えないこともできますし、また答えることもできます。あなたが答えなかったからといって、それによって公判が不利になることはありません。その上で聞きますが、今検察官が読み上げた起訴事実に間違いありませんか?」
菱来は裁判官を直視して「遣ったことは間違いありませんが、被害者は生意気な行動をとっていたため気に入らないこともあり、懲らしめようというところは違います。私はただ亡くなった林原が気の毒に思い、林原の気持ちを被害者に分かって欲しかっただけです」
「分かりました。その部分だけは違うというのですね。では弁護人の意見はどうですか?」
「裁判長弁護人も被告人の意見と同様です」
「分かりました。それでは検察官冒頭陳述をお願いします」
冒頭陳述で検察官は、被告人は被害者に前々から恨みを抱いており、今回の事件は娘の自殺もあり、いじめる者に対し必要以上の憎しみを抱くようになったと述べ、そのようなことを斟酌しても、教師にあるまじき行動と非難した。その後簡単な証拠調べをして閉廷となった。
出廷のため拘置所を出る際、刑務官から法廷に入ってもキョロキョロしたり、傍聴人に話しかけたりしてはならないと注意を受けた。そのため傍聴席をはっきり見たわけでないものの、被告人席から刑務官が座っている後ろの長椅子に移動する際ちらりと見たら、狭い傍聴席が傍聴人で一杯だった。今自分の一挙手一投足がこんなにも注目されているのだと改めて実感した。
3
菱来は今回の事件まで娘に対しても生徒に対しても、暴力を振るったことはなかった。小学校のときは別にして、学生時代一度も喧嘩をしなかった。自分で吹聴したわけではないが、中・高校と周りの者は菱来が少林寺拳法をやっていたのを知っていたため、わざわざそのような者に喧嘩を売ってくる者は存在しなかった。
菱来の家は父、精二が団体職員で、市の中心にある県の合同庁舎に入っている地方事務所に勤めていた。仕事内容は土地改良で、農道や農業用水を測量する仕事だった。県内を転々としていたため、北信勤務のときは田畑があるため単身で赴任した。林檎畑も所有していたため、パートの主婦を雇い母雅が中心となって切盛りしていた。
菱来には五つ上に姉の真理子がいる。精二は終戦後ソ連の捕虜となり、暫くシベリアに抑留されていた経験がある。軍隊上がりのため兎に角菱来に対して厳しかった。精二は単身赴任が多かったこともあり、家にあまりいなかったので、菱来は子供の頃精二と一緒に遊んで貰った記憶がない。たまに家にいるときは、怒る怖い男の人という印象しか残っていなかった。近所の同級生が父親とキャッチボールを遣っているのを見ると、羨ましくて仕方なかった。
菱来が小学校のとき、どうしても野球のグローブが欲しくて精二にお願いした。精二はアメリカとの戦争に負けたからなのか、野球が大嫌いだった。精二がいるときは野球中継どころか、マンガの「巨人の星」すら見せて貰えなかった。菱来が「巨人の星」を見たのは中学に入ってからの再放送である。
精二に頼んでやっと手に入れたグローブは、グリーンスタンプ景品の、子供用グローブだった。こんな物友達の前で見せるのは恥ずかしく思えた。同級生たちが使っているグローブよりはるかに小さかった。そんなこともあり家ではキャッボールすらしなかった。当時の子供たちの遊びといえば殆どが草野球だ。同じ歳の子供たちが友達同士、又は父親とキャッチボールを遣っているのを羨ましく思いつつ、グローブのない精二がキャッボールを遣ってくれるわけがなく、日増しに一人で遊ぶようになっていった。家に閉じこもり真理子が買ってきたマーガレットやリボンの少女マンガを読んで時間を潰した。
精二は菱来が間違いを犯すと直ぐに手が出た。頬を力一杯叩かれ、ときには鼻血が出たこともあった。菱来が頬を押さえ泣くと「俺は軍隊時代顔が二倍に腫れるくらい上官に殴られたものだ」と自慢した。子供ながらにいつかこいつを殺してやりたいと思うほど、父親が憎かった。最近実の親を殺す子供が増えていると、テレビで報じられていたが、幼い頃の自分は確かに父を殺してやりたいほど憎しみを抱いていた。それは単に幼い頃から精二に殴られたからではない。精二の口から発せられる棘のある一言が、幼い菱来の心を傷付けた。
精二は時代劇が好きで、家にいるときは必ず水戸黄門や大岡越前を観ていた。あれは小学校五年生のとき、水戸黄門か大岡越前か色々な時代劇を観ていたので、どの番組だったか定かでないが、ドラマの中でどこか地方の農民が、何年も働いて金を溜め江戸に出て吉原に行き、花魁を買いに行くという話しがあった。吉原というところがどんなところで、花魁が何をする人か知らなかった菱来は、精二に「おいらんて何?吉原ってどんなとこ?」と訊いた。そのとき精二の口から出た言葉は、菱来が父親を憎むことに追い討ちを掛けるものだった。
「お前みたいなバカが一生掛かってもいけないところだ」
そのときの菱来は既に大人の男と女が何をするか知っていた。遊郭が何をするところで花魁が何をするのか、その後直ぐに知ることとなるが、子供ながらテレビを観ていて、ドラマの流れで吉原がどういうところかおぼろげながら分かっていた。菱来は何であのとき精二にあのようなことを訊いたのだろう。「お前みたいなバカが一生掛かってもいけないところだ」清二は吐き捨てるように言った、その言葉がいつまでも耳にこびりついて離なれなかった。
確かにその頃はそれほど成績が良かった訳ではない。姉の真理子は賢い子で、近所では有名だった。気のせいか菱来にはあれほど厳しかった精二だが、真理子にはとても優しかったような気がする。野球のグローブにしても、吉原の花魁の話にしても、何で精二は自分に対して辛く当たるのか。雅は精二ほどでないもののやはり厳しかった。ただ怒って菱来を叩くことがあっても、精二のような暴力性はなかった。
小学校高学年になると菱来は、精二に殴られそうになると、両腕で顔をガードした。腕と腕の間で父を睨み付けると「何んだ。その目は、親に対する目か」そのように言うと今度は足の腿を蹴られた。殴る蹴るとはまさにこのことで、軍人上がりの精二の暴力は凄まじいものだった。その頃学校の先生はよく生徒を叩いた。当時子供だった菱来でも、先生が愛情を持って生徒を叩いているとは到底思えなかった。先生は生徒を叩いていいのだと思っていた。いや生徒を叩くのが仕事なのだと勘違いしていた。先生になれば生徒を殴れると思ったとき、自分も先生になりたいと思うようになっていた。
空手バカ一代をテレビで観たとき、空手なら父に勝てると素直に思った。空手を習って強くなれば絶対父に負けない。そう考えただけで浮き浮きしてきた。しかし実際道場に見学に行ってみると、あまりの過激さに尻込みしてしまう。中学三年生になって少林寺拳法の技がある程度身に付いた頃、父から理不尽な理由で殴られそうになり、咄嗟に少林寺の技でそれをかわしたとき、精二はビックリした顔をした。父の動きが一瞬止まり、菱来も思わず攻撃の態勢をとってしまった。
「お前父親を殴るのか?」そう言った精二は既に身長も菱来より低く、何か哀れに菱来の目には映った。自分は今までこんな男に殴られていたのかと思ったとき、自分より身体の小さい精二が何か気の毒にさえ思えた。それから精二は菱来に対して口で小言は言っても決して手を上げることはなかった。
菱来が高校一年のとき、熱を出してしまい学校での夏休み前、登山に参加できなかったことがある。北アルプスの登山は高校に入学したときから楽しみの一つだった。飯田は四方を山に囲まれているが、やはり同じアルプスでも北アルプスは一味違うように菱来には映った。中学から高校にかけ森村誠一の小説に嵌った。この小説の中に登山のシーンが沢山出てくる。それらを読んでいるうちに自分でも北アルプスに登ってみたいと思うようになった。だから高校に入って、登山があると分かったときとても嬉しかった。
精二は軍人上がりで足腰が丈夫なため、よく一人で山登りをしていた。また林道や農道の測量の仕事をしていたため、一日中山を歩き回ったこともあったらしい。菱来も子供の頃御嶽山に登らされたことがあるが、あのときは子供だったためただ疲れただけだった。登山には苦労して産道を出た赤ちゃんの喜びに似たところがある。最初は森や林しか見えないが、ひたすら登り続けるとやがて視界が一気に開け、何ともいえない開放感を得ることができる。
高校一年の夏休み菱来は、学校の登山に参加できなかったことから、何を思ったのか精二に夏休み槍ヶ岳登山に連れて行ってくれと頼んだ。そのときの精二の顔は今でも忘れられない。とても嬉しそうだった。何で山に登りたいのか一切詮索しなかった。「よし、俺に任せろ」と言って父は父なりに準備をしていたようだ。あれほど厳しかった精二なのに、まるで人が変わったみたいに穏やかな顔をしていた。しかし夏休みに入り同級生から割りのいいバイトに誘われ、精二との約束を果せなくなってしまった。雅に頼んで精二に行けなくなったことを伝えた。精二は非常に残念そうだった。それでも精二は計画をたてた以上独りで行くと言い北アルプスに登った。
雅が「父さん凄く残念そうだったよ」と言ったとき、初めて精二に済まないという気持ちになった。子供の頃は殺してやりたいほど憎かった精二だが、自分より弱い者に見えたとき、父親の立場が薄らではあるが理解できたような気がする。
それが北アルプス登山の帰り道、清二が車の運転中国道十九号線で居眠り運転の大型トラックにぶつけられ、呆気なく逝ってしまった。
木曽の警察署に遺体を引き取りに行ったとき、父の遺体は見る影もなかったが、その中に土産のせんべいがありなぜかそれは割れていなかった。車は大破していたにも拘らず、土産のせんべいは荷物と一緒にトランクに入れてあったため、人の顔ほどもある大きなせんべいは無事だった。母はそれを後生大事に母が亡くなるまで居間に飾っていた。菱来は母が亡くなったときそのせんべいを捨てようと思い、せんべいを手に取りビニール袋を破るとそれに噛り付いた。歯ごたえはなくまるで新聞紙でも噛んでいる感触だった。母は何でこんなものを後生大事に取っておいたのだろう。ただ母の父を思う気持ちと悲しみだけは何となく伝わってきた。
自分は今まで人生に於いて後悔しているといえば、このとき精二と一緒に山に登れなかったことであろう。酒が飲めるようになった今、もし精二が生きていたなら、一緒に晩酌を交わし何も話しをせずとも一緒の時間を過ごしたかった。
自分に娘ができたとき、今まで生きてきて、これほど嬉しかったことがあるだろうかと思えるぐらい幸せを感じた。どちらかといえば男の子が欲しかったができてしまえば、男の子だろうが女の子だろうがどちらでも可愛い。成人してお酒が飲めるようになったら、一緒に飲めるのを楽しみにしていた。そして精二と行けなかった槍ヶ岳に二人で登ってみようと思った。そんなことも今では叶わぬ夢になってしまった。
4
郷田にとってすべてが悪夢だった。もしあれが夢であればどんなにいいと思ったことか林原が自殺したその日、家の者とテレビを観ていたら突然玄関のインターホンが鳴った。母がインターホンに出て「どちらさまですか?」と訊くと相手側は「警察です」と名乗った。
刑事から林原が自殺したと聞かされ、それは俺たちのいじめが原因だという。でも俺は真下に林原をいじめてくれと頼んだだけで、直接いじめには関与していない。だから俺自身は少しも悪くないんだ。
翌日には疑いが晴れ釈放されたが、真下たちはそのまま家庭裁判所送致となり、鑑別所に送られた。俺は確かに真下に林原をいじめてくれと頼んだが、あれほどまでに陰湿ないじめをするとは思ってもみなかった。おそらく真下たちは林原をいじめているうちに、その行為自体が楽しくなってきたのではないだろうか。
俺は警察から釈放されても、周りの人間がどれだけ自分のことを知っているのか、とても不安だった。しかし先生方は知っていたようだが、生徒はまったく気付いていないように感じた。その点だけは先生方に感謝している。あと一年我慢すれば俺は何もなかったように高校に進学することができる。俺自身も親父から言われ、暫くはおとなしくしているつもりだった。
いじめなんてどこの学校でもあるし、毎年どこかの学校で自殺している者もいる。そんな弱い奴のために、自分の人生を棒に振るのは真っ平ごめんだ。いじめられて死ぬ奴は自分が弱いからだ。自分自身が強い精神力を持っていれば、いじめにも遭わないし、況して自殺をしようなんて思わないだろう。ただ真下のやりすぎは思わぬ誤算を生んだ。それより何より忌ま忌ましいのはあの菱来だ。菱来は結局逮捕されたが、マスコミの報道では執行猶予というものになり、刑務所に行かなくて済むみたいだ。
俺はあのとき菱来に呼び出され、正直怖くて仕方なかった。そこに行けば何かされるのは間違いない。俺はできれば行きたくなかった。しかしなぜかあの男の前では蛇に睨まれた蛙になってしまう。自分の意志に反し足が道場に向かっていた。
道場に行くと菱来は卍の印のついた道着を着ていた。俺でも少林寺拳法は知っている。このときはもう菱来に何かされるのは間違いないと感じた。
そのときになって俺は初めて気が付いた。俺は天に向かって唾を吐いていたのだと。つまり吐かれた唾はそのまま自分の頭上に落ちてきたことに初めて気が付いた。
菱来の少林寺拳法の技は早すぎて、自分が何をされたのか分からなかった。気が付いたら救急車に乗っていた。最も大きな問題はその後だった。すべてが公の元に晒され、俺の顔はネット上で公開されあの町に住めなくなり、今このD町に越してきたのだ。両親はあれ以来喧嘩ばかりしているし、俺も高校入試を控えているのに成績も芳しくなく、ネットで顔が出たためクラスの中では、陰でひそひそ俺の悪口を言う奴がいる。以前の俺であればそんな奴打ん殴ってやるのだが、今そんなことをしたら世の中すべての人を敵に回しかねない。
いじめていた者が一転していじめられる側に回ってしまう。そんなこと前の学校にいるときは考えてもみなかった。俺は今まで学校で常に自分を優位な立場に置いていた。誰も俺をいじめようなんて奴は存在しなかった。しかし現在状況が俺に対して酷く悪い方向に傾いている。中学生にしては体格が良かったのがかえって徒となった。ネットでは俺の顔写真から全体写真、名前まで掲載された。高校生の兄貴は俺に八つ当たりして、両親は御互いにお前の育て方が悪い、あなたの子供の接し方が悪いと責任の擦り合いになり、家の中は崩壊寸前になっている。
人は常にいじめの対象を探している。それはまるでアマゾン川に落ちた動物を一斉に襲うピラニアのように、身体が大きかろうが小さかろうがお構いなく襲ってくる状況に似ていた。俺がいくら体格良くてもそんなこと何の妨げにもならない。それでも俺はいじめには絶対屈しない。俺をいじめた奴にはどんな汚い手を使っても必ず仕返ししてやる。俺は絶対負けない。高校に進学すれば楽しい学校生活が待っているのだから。今は明日を信じるしか術がなかった。
刑務官
1
大柴元樹は長野拘置支所の玄関扉を押し開けると、玄関ホールを通り抜け事務室・関係者以外立ち入り禁止のプレートが掛かっている木製ドアの鍵穴に、腰のベルトに括り付けてある紐つきの鍵を鎖し回した。カチャという音と共にロックが外れる音を確認してドアを開けた。事務所には夜勤明けの桜田看守がソファーに腰掛新聞を読んでいる。支所の夜勤者は朝、新聞に目を通し抹消事項(逃走や自殺の方法などを書いた記事)がないか確認しなければならない。
「おはようございます」
桜田は新聞をテーブルに下ろすと大柴に顔を向け挨拶した。
「おはよう。ご苦労さん」
大柴は挨拶に答えると、支所長室手前の壁に取り付けてある鍵ケースを開け、自分の名札の掛かっている場所から、通行鍵(通行鍵は二種類ある。玄関及び事務室扉を開ける鍵と、介護区域に入る鉄扉を開ける鍵があり、玄関を開ける鍵は家に持ち帰る。舎房居室扉を開ける鍵、本鍵は通行鍵より大きく形状も異なっている)を取り出し腰紐に括りつけた。長野拘置支所は支所長を含め刑務官が十一人いる。更に支所の雑用をこなす庁務員が一人いて、職員が十二人なる小さな拘置支所だった。
大柴は松本刑務所から、長野拘置支所に転任してきて今年で三年になる。家は千曲市にあり、ここまで車で通勤していた。今年で四十五歳になり勤続二十二年のベテラン看守部長として、長野拘置支所の昼夜勤務をしていた。今日は日勤早出で七時三十分から舎房に入る。だいたい一日七人ないし八人の職員が居り、二人が非番、二人が休日という具合に、四交代制を取っていた。庁務員と支所長を除く八人が夜勤者で、後の二人が日勤者になる。夜勤者及び遅出日勤者は八時半までに登庁すればよく、庁務員は概ね八時頃登庁していた。
収容人員は総員三十五名で現在二十九名の被収容者が収容されている。長野拘置支所は小布施にある長野少年刑務所の支所にあたる。長野少年刑務所は累犯の犯罪傾向の進んだ二十六歳未満の者を収監していた。刑務所は各県にそれぞれ一つ以上あり、拘置所及び拘置支所は裁判所のある市には略存在していた。行刑施設は大別して二つに分けられる。少年施設(少年院、少年鑑別所、医療少年院)と成人施設(刑務所、少年刑務所、女子刑務所、拘置所、医療刑務所)である。長野少年刑務所は少年といっても、少年院とは異なるように、特殊な例外を除いて(少年でありながら刑事罰が科せられた者)二十歳未満の者は収監されていない。少年法と刑法が異なるように監獄法(現在は廃止され新たに刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律が適用されている)と少年院法はまったく異なるためである。刑務所も女子や少年のように名称以外でも分けることができる。長期と短期、初犯と累犯。大柴が以前勤めていた松本刑務所は累犯の短期刑務所だったため、暴力団組員も多数収監されていた。ここ数年刑務所も大きく様変わりしてきている。明治から続いてきた監獄法が廃止になったり、民間による刑務所が発足したりと、大柴が拝命した頃と比べると、食事一つとってもだいぶ被収容者にとって待遇が良くなってきた。
大柴は大阪の大学を卒業後、一年間プウタロウをやってこの仕事に就いた。大学の専攻は経済学部だったため、これといった資格も取れず、自分がやれる仕事といったら、営業職しか見付からなかった。大学四年のとき、ちゃんと就職活動をしなかったため、冬休みに入ってもどこも就職先が決まらない。冬休み長野に帰省して家で取っている地元新聞を読んでいると、大手自動車メーカーのレンタカー・カーリース部門の求人広告が出ていた。新卒者も併せて募集と掲載されていた。車を売る自信はまったくなかったが、カーディラーでなくレンタカー業務なら何とか勤まるのではないかと思い、履歴書を書き長野駅前の営業所に直接持っていった。直ぐそこの営業所長が面接をした。
仕立てのいい背広を着た営業所長に面接で「なぜ当社を選んだか?」と訊かれ「貴社の車は私の父も乗っていますし、レンタカー部門はこれから益々伸びると思います」と回答した。それから二週間後大阪の下宿先に、この会社から採用通知と会社の案内書、三月二十二日から東京で行われる、新入社員研修会のパンフレットなどが同封されていた。何とか卒業までに就職先を見つけることができた。東京での研修は一週間あったが、内容はすべて自動車の販売方法だった。自分の就職した会社はレンタカーとカーリースの会社なのに、何で車を売ることの研修を受けねばならないのかと思いつつ、四月一日に長野本社の入社式に参加し、貰った名刺を見ると、カーディラー名及び取り扱っている車種の名前が記載してあり、レンタカー・カーリースはどこにも記載されていなかった。そして再度二週間にわたる研修を実施した。車の営業方法から中古車の査定方法、名刺の貰い方、電話の応対の仕方を教え込まれた。それを教えてもらっている間、自分は絶対営業はできないと感じた。そう感じた途端、講師の言葉が一切頭に入らなくなった。営業は心理戦である。温室育ちの自分にはとても勤まらないと思った。
研修中に黒い合成皮革の鞄と営業テキストを、研修終了前に宅配便で退職届を添え長野の本社に送り返した。自分には車なんか絶対に売れないだろう。父は自分が就職したカーディラーの車を購入するとき、営業マンを自宅に呼びつけ「もっと、もっと負けろ」を連発し営業マンも「大柴さんこれ以上無理ですよ」と悲鳴を上げると「じゃお宅では買わないよ」と脅していたのを思い出し、自分も父のようながめつい中年親父に、車を売らなければならないと思うと憂鬱になった。父は千曲市(旧更埴市)の職員だったが、大柴が高校も大学も二流だったため、息子の就職先にもあまり期待していなかったようだ。結局一回も給料を貰わずに辞めてしまった。その後職安に行き、新聞広告も見て面接にも何社か赴いたが、どこからも採用の通知を貰うことができなかった。
当時バブルまでまだ少し時間があり、家の近くにはレンタルレコード屋はあるものの、レンタルビデオ屋はまだ数も少なく、一回のレンタル料も今と比べるとだいぶ高かった。ファミコンもまだ大柴は持っておらず、毎日をボーと過ごしていた。レンタルビデオやゲームがあれば、バーチャルな世界に逃げ込め、それほど不安になることもなかったのだろうが、そのような生活を続けていると、すべての思考がマイナスに働いていく。これが数年後のバブルのときだったらどうだろう。何らかの仕事に就きそれなりに勤め上げるか、途中で挫折するか分からないものの、おそらく今の仕事には就いていなかったのではないか。母は凄く心配していたが、父は気楽に構えていた。
「そんなに暇だったら、筑波博でも行って来い。面白いらしいぞ」
そんなことまで言う父は息子の将来をどう思っているのか、思い返してみるとあの父の気楽さを自分も継いでいたため、今の仕事を二十年以上何とか続けてこられたのかもしれない。それもあのお気楽な父の御陰だと思うとむしろ有り難かった。
「まあ長い人生、一年や二年遊んでいても罰は当たらないだろう」
地方公務員という仕事柄なのか、子供の頃から父を見ていて、努力してお金を稼ぐということを、父から感じ取ることができなかった。高校時代父は大柴より家を遅く出て早く家に帰って来た。父のような楽な仕事に就きたくて、市役所の採用試験や公務員の二種の採用試験を受けたが、学力のない大柴では合格には至らなかった。
他人に対して頭を下げるのがいやで、仕事は一向に決まらない。仕事は楽なほうがいい。それでもって給料は沢山貰いたい。そんな我儘な考えを持っていたため、なかなか仕事は見つからなかった。
果報は寝て待てというが、そのときは自分でもまったく焦らなかったし、誰かが何とかしてくれるのではないかとすら思っていた。大阪にいるときは学生ということもあり、チャランポランな生活をしていた。学生時代付き合っていた彼女とも、卒業と同時に疎遠になってしまった。
大阪河内にある大学に通っていて、就職のとき東京の会社に何通か履歴書を送ったが、一週間も経たないうちに不採用の返事が来た。自分 の大学の偏差値が低いのをあらためて認識することになる。
優良企業であればあるほど、優秀な人材を欲しがる。学歴社会と単純に言ってしまえば簡単だが、中学、高校時代一番遊びたい時期に、こつこつ勉強をしていい高校、いい大学を目指す。より努力して困難に立ち向かう者は、社会に出ても同じように努力する。だから一流企業といわれるところは、偏差値が高い学校を出た者を欲しがる。高学歴ではなく、困難に打ち勝つ精神力を持った者は、偏差値の高い大学の方が多く居るのは間違いない。今自分が公務員になってそれがよく分かった。
高校三年生のとき担任に「俺進学したい」と言うと担任は鼻で笑い「お前大学に行きたいのか、そんなら自分で大学を作って行け」と言われた。一瞬むかついたが、よく考えてみると自分より成績の良い者が就職しているのに、成績の悪い自分が大学に行きたいと思うこと事態滑稽なのかもしれない。そう思うと担任のバカにしたような言葉も、納得せざるを得なかった。
そんな憎まれ口を叩きながらも担任は、大柴に行ける大学を探し出してくれた。ただそれは東京でなく大阪だった。推薦枠は東京の方が人気もあり、残ったのは名古屋や大阪だった。大柴には六つ上に兄がいるが、兄は東京の大学に進学し、東京の企業に就職していた。
この頃漫才ブームとノーパン喫茶が世間を圧巻していたため、ま、大阪でもいいかということになり、辛うじて大学に進学することができた。今思い返してみるとこの大阪行きは、大柴にとって非常にプラスに働いたと感じる。高校時代それほどおとなしいほうでなかったものの、あまり人と話しをするのが得意な方ではなかった。大阪という場所は非常に地域性が強いところで、長野に比べると我が強い人が多い。今刑務官という仕事を二十年以上やってきて、海千山千の鼻っ柱の強い被収容者を顎一つで(刑務所では口先とか喋ること)コントロールし統率させるのは、大阪での四年間は大いに役立った。
2
大柴は刑務官になりたくてなったわけではない。市役所に勤めていた父が、刑務官採用試験のパンフレットを持ってきたからだ。ではなぜこの試験を受けようと思ったのか。それは受験条件として、高校卒業程度の学力と年齢が二十九歳未満と謳ってあったからだ。採用試験は比較的簡単だったが、合格通知は年末のクリスマス間近にきた。しかしそれは採用試験に通ったというだけで、採用される施設はなかなか決まらなかった。申し込みをしたとき、第一希望を長野少年刑務所と書いていたため、最初長野少年刑務所から面接を実施するので、当所まで来て下さいと連絡を貰った。面接で訊かれたのは柔道か剣道は遣っているかねということだった。あと色々訊かれたが今ではもう思い出せない。結局そこでは採用されず、第二希望の松本刑務所で採用されることになった。大柴のところへ正式に採用通知が来たのは既に三月に入り、半分諦めかけていたときだった。辞令を受けたのは四月一日だが、その前に服合わせがあるのでこちらに来てくれという電話連絡をもらった。父の車を借り、聖を抜け松本刑務所まで出向いた。大柴の他に四人の新拝命がいた。この職種を受けるまで、刑務所の看守が刑務官だということすら知らなかった。
世の中には本当に色々な仕事があるが、この仕事もまた変わっていた。拝命して直ぐ見習いで内掃(刑務所内のゴミを回収したり、刑務所内の掃除をする受刑者)についたとき、中庭の草取りを受刑者が遣っていたため、自分もつられて草むしりを始めたら、内掃担当職員が来て「君、君が草とってどうすんの。君は戒護職員なんだから。こいつらが逃げたり悪さをしたりしないように見張っているのが君の仕事なのだから」と言われた。刑務官は看ることが仕事なのだ。自分では何もせず受刑者に作業をさせ、それを戒護するのが刑務官の仕事だということを、このとき初めて理解した。
大柴は頭があまり切れるほうではないが、物覚えはよく言われたことは直ぐ実行するほうだったので、受刑者がどんなに困ろうと、仕事が遅れようと、一切手伝わなかった。それは民間の会社とは明らかに違う仕事内容だった。生産性が重要視される企業であれば、どれだけ作業効率がいいか、それがとても重要になってくるが、ここでは仕事がたとえ停滞しようと、そんなことはたいした問題ではない。ここでの目的は犯罪者を閉じ込め逃がさないことである。松本刑務所も沢山の業者と取引していたが、製品の品質が悪かったり生産が遅れたりすれば、業者から文句を言われるのは作業課や技官である。委託作業とは別に刑務所が独自に製作し販売している〈マピック〉というブランドがある。これは全国の刑務所で作っている製品のブランド名で、大きな物は神輿や箪笥、小さい物は石鹸やブローチまで多種多様な製品を製作している。市価よりも安いという評判だが、作っている者のが犯罪者とあっては、それほど魅力ある製品には思えないと、大柴は常々感じていた。
大柴が松本刑務所の表門に勤務していたとき、面会時間を三分過ぎた頃、中年の女性が面会をさしてくれと言ってきた。しかし大柴は時間が過ぎていたためできませんと断った。その者はわざわざ東京から三時間以上もかけて来たのだから、何とか面会させてくれと哀願してきたが、時間が過ぎていますからと言って受け付けなかった。以前同じようなケースがあり、新潟からわざわざ来ているのだから、頼むから面会させてくれと言ってきたため、処遇部に電話して上司に面会の許可を得てから面会を受け付けた。面会終了後、面会部長から電話があり「バカヤロー。新潟なんて嘘ぱちであいつのおふくろは長野じゃねえか。受付時間が一分でも過ぎたら終了でいいんだよ。それを一々許可していたら結局一時間過ぎてもオーケーてことになるんだぞ。電車でも一秒過ぎれば発車してしまうだろう」と怒られた。それ以来時間が過ぎたら面会人がいくら文句を言おうと一切受け付けない。銀行の窓口も似たようなところがあるが、やはり時間になったら店じまいするのが公務員ではないだろうか。
大柴はこの仕事に就くまで、武道は一切遣ったことはなく、この仕事に就いてから柔道を始め二段まで取った。中学のときは水泳部に所属していたが、夏だけの活動で冬場は特にトレーニングにも参加しなかった。
身長は1m80㎝近くあるため、大抵の被収容者よりは目線が高い。
現在行刑施設は新法が発足され、上司から何回となく被収容者に対する言葉使いを注意されながらも、まったくそれを改める素振りを見せなかった。人権が叫ばれる昨今、良いか悪いかは別として、社会のアウトロー、犯罪者ごときに対し媚を売る真似だけはしたくない。犯罪者とは立場が違うのだ。
松本刑務所に勤務しているとき、百人近い受刑者が工場で、学校の教室のように作業机を並べ作業をしていた。工場担当は腰の高さほどある担当台に乗り、絶えず受刑者が反則行為をしないように目を光らせている。受刑者が作業中顔を上げ、大柴と目が合おうものなら大変である。
「Aちょっと担当台まで来い」呼ばれたAは大柴のいる担当台下まで来る。「おい。脇見をするな」と大柴が注意し「済みません」と素直に謝ればまた元の席に戻れるが、もし一言でも口答えをすれば、担当抗弁及び指示違反で取調べとなり昼夜独居に移される。たとえばAが「脇見なんかしていません」などと言おうものなら、Aは雑務(事務やその他の雑用をこなす係)が迎えに来て処遇部横の取調室に連行される。そこに工場区長が来て取り調べの言い渡しを受ける。「指示違反と担当抗弁で取り調べ。独居へ行って頭を冷やして来い」その後取り調べ者や懲罰者、処遇困難者がいる独居房に移される。行刑施設には遵守事項があり、それに違反した者は取調べ懲罰となり、その間は面会も本も読めず、ただひたすら独居房で何もせず座って過ごさねばならない。当然仮釈放の参考になる身分帳が汚れていく。そればかりでなく最も厄介なことは、刑務所で工場担当に嫌われてしまったら、受刑者にとってそれは命取りになるということだ。刑務所では工場担当は絶対であり、いかなる理由があろうとも反抗は許されない。ただ受刑者から見て独裁者にも見える工場担当だが、社会では良識のある人間で、いずれも公務員採用試験をパスした者たちだ。それに対し被収容者は、社会ではそれなりの悪行を働いてきた兵の犯罪者であるため、厳しくしなければ刑務所の秩序が保てなくなってしまう。学校の先生が生徒を言い聞かせるのとはわけが違う。相手は聞き分けのいい子供ではなく、盗人や覚せい剤常習者などのいわば悪のスペシャリストなのだ。一旦工場担当に楯突き取り調べ懲罰となった場合、罰明け後同じ工場に戻るには、担当に詫びを入れなければならないし、工場担当がこいつは気に入らないから要らないと言われれば、違う工場に行かねばならないが、工場担当に逆らう輩は誰も自分の工場に置きたくない。そんなやつは満期まで昼夜独居に入れておけということになり、一日中狭い部屋で紙貼りをすることになる。昼夜独居者は運動会やカラオケ大会などの行事にも参加できない。それは経験した者でなければ分からないが、かなり精神的に辛いものである。当然刑務官も人の子だから、優しい者もいればそうでない者もいる。その中にあって大柴は被収容者に対して一切妥協しなかった。たとえ自分が間違った言動をとったとしても、一切被収容者に対して頭を下げるどころか、言葉の訂正すらなかった。
ある被収容者が「おやじ(刑務所などでは刑務官をおやじまたは先生と呼んでいる)その言い方撤回してください」と言ったとしても「何でお前ごときに一々俺の言った言葉を訂正しなきゃいかんのだ。ここはサービス業じゃないんだ。それが気に入らなかったらこんな所に来るな。文句があるなら面接でも何でもつければいいだろ(行刑施設には不服申し立てという制度があって、収容されている者は官から不当な扱いを受けたと思ったら、最高で法務大臣に対してまで不服申し立てをすることができる。そしてその末端の苦情を言う相手は工場区長の面接ということになる)」と言って自分の非は一切認めなかった。たとえ工場区長に面接をつけたとしても「おいBよ。今まで散々担当に面倒を見てもらっておいて、そんな言葉の遣り取りが気に入らなかったからといって、文句を言ってくるなよ。自分の立場を良く考えろ」と一括されて終わりである。ただ最近は保身に走る幹部が多くなってきているため、ことを荒立てないでくれという職員が増えてきたのも事実である。最近はむしろ訴訟を起こす被収容者が多いため、弱腰の幹部が多いのが現状だ。末端の工場担当がいくら締めても、幹部が犯罪者の要求を聞き入れてしまえば、行刑施設は彼等にとってとても居心地の良い場所になってしまう。そうなると彼等は益々自分の我儘を通そうと躍起になる。
悪党という人種は元来自分の考えはすべて正当性があると勘違いし、社会での法律や施設での決まりが自分に対して都合の悪い場合、従う必要がないと解釈している輩が殆どなのだ。
3
大柴は本日の予定を黒板で確認した。そこには午前十時千曲署より新入一名、入所予定と記載されていた。警察から送られてきた刑事被告人のデーターを見ると、昭和X年6月5日生まれと記載されている。歳が偶然大柴と一緒だった。更に驚いたことに、勤務先、千曲中学校と書かれてあった。この事件は大柴もテレビや新聞で報道されていたため、どんな事件かは知っていた。千曲中学校は大柴の出身校でもあった。大柴にはこの中学校時代、あまり良い想い出がない。
あれは確か中学二年のときだったか。夏休みが終わり水泳部で二年生が三年生の抜けたポジションを獲得するために、必死になって練習している最中である。大柴はクロールがあまり得意でなく、背泳か平泳ぎの短距離を得意種目としていた。そのポジションを狙っていたが、タイムはそれほど悪くないものの、普段あまり練習をしなかったため、レギュラーの座を摑むことが結局できなかった。レギュラーになれなかったのは残念だったが、それほど悔しくはなかったのが自分でも不思議に思えた。それは何ごとに対しても、それほど打ち込むタイプでなかったからかもしれない。
そんなときだった。一人部活の後輩、竹島を連れて体育館の床下に潜った。目的は女子更衣室を覗くためだ。当時千曲中学校は木造の校舎で、彼方此方がたがきていた。誰から聞いたのか今では記憶が曖昧になってしまったが、体育館の舞台裏にある用品倉庫の床が一箇所割れていた。その大きさは中学生がやっと通り抜ける大きさだったため、誰かが故意に開けたのは間違いない。そこから床下に潜り込み、四つん這いになれば何とか這いずり回れる高さがあり、そのまま女子更衣室の真下に行くことができた。更衣室の壁の一方はすべてボックス状の棚になっていて、そこに生徒は自分の着替えた服を入れる。その棚と床板の間が一部5㎜もない隙間が開いていた。薄いノートが一冊通るか通らないくらいの僅かな隙間だが、床下から覗くと更衣室の状況が具に見渡すことができた。隙間は建物の劣化と共にできたものでなく、明らかに誰かがカッターか何かで削ったような隙間だった。床下の換気口から明かりが多少入るため、中は真っ暗ではないものの、此方から更衣室が見えても、更衣室から床下はまったく見えなかったのではないだろうか。
女子更衣室では女子が素っ裸になることはなかったが、汗を拭くためTシャツやスポーツブラジャーを外しタオルで胸を拭く者もいた。その頃の大柴たちにしてみれば、鼻血も出んばかりの光景だったに違いない。
「おい竹島、このことは誰にも言うなよ。ばれたら大変なことになるからな」
後輩には予め釘を刺しておいた。何回か床下に潜り更衣室を覗いているとき、その日に限って竹島が先頭を這いずって行った。女子更衣室の真下まで行き、そこで向きを変えようとしたとき、竹島が「あ~」と突然大声を発した。そして更に追い討ちを掛けるように「大柴先輩」と大きな声で自分を呼んだのだ。「バカ。声を出すな」と言ったが既に遅かった。
「キャー。誰か下にいるわよ」「私職員室に行ってくる」と頭上で声が錯綜したかと思うと、何人かの生徒が更衣室を出て行く足音が耳に入ってきた。女子は服を脱ぐのを中断すると床下を見始めた。
「ねえ、ここ隙間開いているよ」
一人の女子生徒が他の女子生徒に告げた。
「さっき、下から大柴先輩と聞こえたわね」
「そう。多分水泳部の大柴君よ。この下にいるのは」
竹島が名前を出したので、女子生徒に覗いているのがばれてしまった。何てことだ。後輩の竹島は体育館の床下で、どうも猫か犬の糞を踏んだようだ。換気口の網が一箇所破れている所があり、そこから子犬か子猫が入ったのではないか。竹島はその糞を膝か何かで踏んでビックリして大声を発したのだ。その臭さは苦い想い出となり今でも思い出すと腹が立つ。声を出しただけならいざ知らず、よりによって大柴の名前を出してしまったため、大柴と竹島は生徒が皆下校した頃を見計らって、仕方なく職員室に向かった。
このとき思ったことは、教師にも当たり外れがあり、大柴の担任は明らかに大外れだった。中学校に入学して卒業するまで担任は替わらなかった。あの頃の教師は生徒が悪さをすると直ぐに手を上げる教師と、どんなことが遭っても生徒には一切手を出さない教師がいた。どちらがいい教師か一概にはいえないが、直ぐ生徒に手を出す教師は感情的になりやすく、自分が先生であることを自覚できず、生徒を一人の人間として冷静に見られない。その分生徒に頼られると、とことん面倒をみる。一方生徒に手を上げない教師は基本的には真面目な教師だ。これはその教師そのものが暴力を嫌いだということもあるが、自分を抑える冷静な判断力を持っていることと、揉め事に巻き込まれたくない、自分はいつも傍観者でいたい、悪く言えば無責任な教師である。
大柴の担任は生徒に対して暴力を振るうことは一切なかった。もう直ぐ五十路ということもあり、生徒からすると少々近寄りがたい冷たい印象の教師だった。
職員室に行くと竹島と大柴はそれぞれの担任のところに自ら赴いた。大柴は担任の中井のところに行き頭を下げた。
「先生済みません」
このとき大柴は素直に謝罪すれば、それほど厳しく怒られないだろうと高を括っていた。
中井は椅子に座ったまま椅子を回転させると、眼鏡の下から上目遣いで大柴を睨み付けた。侍のようにサイドだけ髪があり、あとは完全に禿げ上がった頭と薄い眉毛。眼鏡を鼻の真中まで下ろし、上目遣いに見る目がとても嫌らしく感じた。
「いい歳こいてバカなことやっているなよな」
竹島が体育館の床下で声を発したとき、女子生徒が職員室に来て床下にいるのは、大柴に間違いないと言ったのだろう。中井は睨めるように大柴を見た。そして椅子の背もたれに身体をあずけ腕を組むと、目を瞑り暫く考え込む振りをした。目の端に後輩の竹島が担任の中条に、頭を小突かれているのが見えた。
「う~ん」と唸りながら目を開けると中井は「そこに座れ」と言った。
「部活真面目にやらないで、何やっているの。恥ずかしくない。女子更衣室なんか覗いて」
そう言われると恥ずかしくて何も言えず、下を向くしかなかった。自分のしたことは確かに恥ずべきことだが、それにしても中井の言い方は嫌らしかった。
「女子更衣室を覗いて何かいいものでも見えたか?」
その質問にも何も答えずただ黙って下を向いていた。
「女子のオッパイかお尻が見えたか?」
それは教師の言葉というよりも、むしろ嫌らしい中年男の喋り方だった。それでも大柴は下を向いたまま何も言わなかった。
「大柴、最近女子更衣室で下着が盗まれたらしいが、まさかお前じゃないだろうな?」
そんなことを聞いたのは初めてだった。確かに自分は助平でどうしようもないが、天地神明に誓って下着など盗んでいない。
「下着なんて盗んでいません」
今まで黙っていたが、そのときばかりは声を出し否定した。
「おお!今まで黙っていたのに、急に自分じゃないと言い訳するのか?」
「絶対に下着なんて盗っていません」
大柴が否定すればするほど、中井は疑いを強くしていくようだ。
「大柴は下着とかには興味ないのか?」と睨めるように大柴を見た。
「興味ありません」
大柴は怒りもあり、きっぱりと否定した。
「どうも信用できんな。女子が下着を盗まれたということだが、外の者がわざわざ体育館に侵入して盗むとは思えないし、正直に言えよ」
中井は手に取ったパズルのピースの形が多少違っていても、強引にそれを押し込むように、大柴を下着泥棒に仕立てようとしているのではないか。
「僕じゃありません」
中井は何を根拠に大柴を下着泥棒と疑ったのか。そのときはまったく理解できなかったが、大人になった今なら何となく分かるような気がする。中井は自分が知りえた不祥事を、犯罪に最も近い位置にいる大柴にすべて押し付け、自分で納得したかったのではないか。今自分が刑務官という仕事に就いて、毎日犯罪者と接しているうちに、Aという事件を起こしたなら、Bという事件を起こしてもおかしくないと思える自分がいる。それは嘗ての中井の考えに近いような気がしてならなかった。
「お父さん、お母さんに来て貰おうか。もう両方とも家に帰っているだろう。ちょっとお前の家に電話してくるからここで待っていなさい」
そう吐き捨てると中井は立ち上がり、職員室の電話のところまで歩いて行った。何気なく竹島と中条の方に目をやると二人とも立ち上がり、竹島はひたすら中条に頭を下げていたが、その後竹島は中条から離れて行く。大柴は竹島を目で追うと竹島は職員室を出て行った。自分は下着泥棒を疑われ、これから親まで呼ばれるというのに、竹島はもう帰っていいと言われたのか職員室を出て行く。歳は一つしか違わないのに、これほど担任の対応が違うのか正直悔しかった。
本当に下着が盗まれたのか、この後暫くして女子に尋ねてみた。確かに更衣室でブラジャーが盗まれたという噂があったようだが、それが本当かどうかは眉唾物らしい。女子の誰かが先生に相談したのだろう。中井はそれを大柴がやったのではないかと疑っていた。親を学校に呼び出すと言えば、大柴が非を認めると思ったのだろうか。
中井は電話から戻ると、再び自分の椅子に座り禿げ上がった頭を撫でた。
「お父さん、お母さん直ぐ来るとさ」
大柴は女子更衣室を覗いたが、他の生徒をいじめるわけでもなく、万引きやかつあげもやったことがない。授業中勉強とは関係ないことをやっていたり、宿題を忘れ怒られたりしたことはあるが、それでも普通の生徒と何ら変わることがなかった。だからこのとき担任が下着泥棒の疑いを掛けてきてとても悔しかった。そしてこの担任に対して憎しみすら覚えた。
中井に呼び出された両親は二十分ほどで学校に来たが、それまでの間中井はまったく口を開かなかった。
「失礼します」
大柴の両親は職員室の入り口で頭を大きく下げると、ゆっくりと息子のところまで歩いて来た。既に職員室には中井と大柴しか残っていない。父は中井の所まで来ると再び頭を下げた。
「うちの息子がバカなことをして本当に申し訳ありません。先生には大変御迷惑をお掛けしました」
父は済まなそうに謝罪した。
「いやお父さん。もう遣ってしまったことは仕方ありません。女子更衣室を覗いたのは本人も素直に謝ったのですが、もう一つ問題がありまして・・・・・・」
そこで中井は言葉を濁した。
「先ほど電話では、元樹が下着を盗んだのではないかということですが」
「はい」
いつの間にか大柴は下着泥棒にさせられていた。両親の前で覗きをしたことを、指摘されたことは自分が仕出かした過ちだから仕方ないものの、下着泥棒はまったく見に覚えのないことだった。
「元樹、お前本当に女の子の下着を盗んだのか?」
父は息子を見て悲しそうな顔をした。自分の息子が本当に下着を盗んだのなら、これほど悲しいことはないだろう。しかしそれは明らかに濡れ衣だった。
「父さん。俺女子更衣室は覗いたけど、人の物を盗んでなんか絶対にしていない。何で先生は俺を下着泥棒にしたいのか分からないよ」
大柴は訴えるような眼差しで父を見た。
「先生、うちの子は下着なんか盗んでいないと言っているんですが。先生は元樹が下着を盗んだという証拠か、確証があるわけですか。それとも他の生徒が元樹が盗んだと言っているのですか。私はどうしても息子が下着を盗んだとは思えないのですけど」
父は畳み掛けるように中井に言葉を浴びせた。明らかに中井に対して不信感を抱いている顔だった。中井は一瞬下を向き再び顔を上げると「確証はありませんが、覗きをするということは、当然下着も盗っていたと疑われても仕方ないんじゃないですか。御宅の御子さんはそれだけおかしな真似をしたんですよ」と投げやりに返答した。この言葉で父の眉間に皺が寄った。
「あんたね、何の証拠も確証もないのに、私の大事な息子を盗人呼ばわりしてどういうつもりだ。元樹は絶対に盗みはやっていないと言っている。父親である私はこの子の言うことを信じる。もしそれでもこの子を盗人にしたいのなら警察を呼びなさい。元樹帰るぞ。こんな男が先生をやっていること事態不愉快だ」
今まで我慢していたのだろう。父は怒りをぶちまけると、大柴の手を取り職員室を出て行った。母も中井に頭を下げ父の後を追った。中井はそれに対して何も言わなかった。いや言えなかった。中井はトラの尾を踏んでしまったような顔をしていた。
大柴は父の車に乗り込むと、今まで我慢してきたものが瞳から零れ落ちた。
「元樹悔しかっただろう。いいぞ、思い切り泣け」
大柴は泣かないよう努めたが、後から後から出てくる涙と、嗚咽を抑えることができなかった。悔しかったこともあるが、こんな自分を父が信じてくれたことが、何よりも嬉しかった。いつもは存在感の薄い父だったが、このときばかりは父の心の広さと深い愛情を感じた。
「男の子は皆女の子の裸を見たいものだ。覗きは確かにいけないことだが、お前もそれはよく分かったと思う。ただあの先生にお前が下着を盗んだと言われても、父さん信じられなかった。学校に来てお前の言葉を訊いて確信した。誰が何と言おうと父さんはお前を信じる」
そのときの父は本当に優しかった。
今の日本に、この国に生まれて本当に良かったと思える人間がどれだけいるだろうか。アメリカやヨーロッパに憧れを抱きつつも、アフリカや中東の内戦をテレビや新聞で見て、ああやっぱり日本に生まれて良かったと思うかもしれない。ただそれも一過性のもので明日になればまたアメリカやヨーロッパに憧れている。
この家に生まれて良かった。自分はこの父の息子で本当に良かったと思う。車が家に着いても涙は止まらなかった。
その頃の自分はまだ幼かったのだろう。中井からあんな仕打ちをされても、担任に対して、露骨に反発することができなかった。頭の悪い自分は高校に行くための内申は、担任が決めると信じていた。だから中井が憎かったが、それを露骨に態度に出せなかった。母は父に進学指導や三者面談には行くなと言われていたため、卒業式まで学校には行かなかった。母自身も自分の息子を盗人呼ばわりされてかなり頭にきていたようだが、父に止められなければやはり息子の身を案じ学校に出向いていただろう。
中井から電話が来て「大柴君行く高校がないかもしれませんよ」と脅しを掛けられても「ああそうですか。それなら就職させますから結構です」と言って取り合わなかった。父はあんな担任に頭を下げるのなら、私立でもかまわないと言った。余ほど中井のことが腹に据えかねたのだろう。
子供にとって学校の先生というのは、その人のその後の人生に於いて、とても大きな役割を担っている。あのとき中井は大柴を下着泥棒と決め付けていたため、大柴がどんなに否定したところで、信じて貰えなかっただろうし、中井のブラックリストには既に、一年生のときから大柴の名前が載っていたのだろう。
高校に進学してからの担任は、中学のときのような酷い教師ではなかった。どちらかといえば面倒見のいい先生だったかもしれない。でもこの中学時の先生への不信感があり、どうしても教師という人種が好きになれなかった。ただこのような仕事に就いて一つ分かったことは、自分に対して先生は一人だが、先生にとって大柴は四十人の中の一人にすぎないということを。
大柴は菱来の事件報道を目にするうちに、今でもこのような熱い教師がいることに驚きを覚えた。中井とは180度違うタイプの教師だった。
4
長野拘置支所は一階が事務所、炊場(調理場)面会場があり、二階は被収容者が収容されている舎房になっている。大柴は出勤簿に判を押すと舎房に上がった。事務所や面会場の扉はすべて木製でできており、戒護区域からの扉はすべて鉄製になっていた。娑婆から持ってきた夢や希望がここですべて遮断される。事務所奥の扉を開けると、便所と浴室が並びその奥に領置倉庫と物品倉庫ある。廊下を挟んで倉庫の前は夜勤者の仮眠室になっていた。廊下の突き当りが戒護区域内に入る扉があり、通行錠と併設してテンキーが設置してある。テンキーに登録されている暗証番号を入れると、ロックが解除される音がして、それと同時に通行鍵で扉を開け中に入る。舎房は一種独特な雰囲気があり、体臭の饐えた臭いがした。
階段で舎房に上がり高市副看守長に「おはようございます。昨夜はご苦労様でした」と挨拶すると「おはよう、昨夜は何も異状ない」と返答してきた。彫りの深い顔の高市は今年で五十五歳になる。昨年勤続三十年表彰で皇居に行き式典に参加したそうだ。奥さんがどうしても天皇陛下に謁見したいと言うので、皇居まで行ったと照れながら話していた。家は川中島にあり、長野拘置支所に転属になって既に十年になる。本所には戻りたくないらしく、俺は定年までここでいいと言っていた。普段高市は日勤で夜勤は泊まらないのだが、昨日石場看守部長が、私用があるということで交替していた。
高市は内線電話のコードレスホンを取ると呼び出し音を三回鳴らした。直ぐに舎房内に点検の放送が流れた。行刑施設は朝と夕方必ず人員名簿(名札に顔写真、称呼番号、氏名、事件名、生年月日が記載されている)で被収容者を確認する。先頭の大柴が「一室番号」と号令を掛け、その後を高市が人員名簿を持ち、番号と顔を確認していく。すべての点検が終了すると「点検終了」と号令を掛け点検を終了させる。
大柴と高市が正対した。「報告します。点検人員総員二十九名、欠員一名、現在員二十八名、欠員の一名は掃夫出役一名」大柴は敬礼して高市に報告した。高市は答礼すると本鍵(収容者の居室の扉を開ける鍵)を大柴に渡し事務所に下りて行った。
「配食いいぞ」
大柴は廊下の隅に立っている舎房掃夫に声を掛けた。未決収容者が収監されている拘置監には飯を配ったり、掃除をしたり洗濯をする舎房掃夫が居り、舎房の雑用はすべてこの掃夫が行なっている。長野拘置支所には掃夫が一人しかいないため、朝昼夕と食事を作りその合間に掃除洗濯雑用をこなす。掃夫は週に二日免業日が与えられているのだが、その日は庁務員が飯を作っていた。この庁務員は飯作りは勿論、庁舎内の掃除や草取りをはじめ、検察庁や裁判所に送付する書類を運んだり、郵便局に行ったりと本当によく働いていた。
東京拘置所や大阪拘置所などの大きい施設では、各舎房の担当が決められていたが、長野拘置支所のような小さな施設では特定する担当は決まっていない。大柴は朝だけ舎房勤務で、日中は新入の事務手続きを行ったり、机上の仕事が主な仕事だった。
拘置所の朝は食事の後、舎房担当が各居室に願いごとを聞いて回る。願いごとは領置(自分の持っている物を官に預けること)仮出し(官に預けた自分の私物を手元に置くこと)廃棄、宅下げ(自分が使用している物や官に預けている物を親戚や知人に家に持ち帰って貰うこと)診察、発信(手紙を出すこと)である。朝の願いごとの後、非番者が運動、入浴を実施する。運動場は屋外にありすべて独居で、三方がコンクリートの壁で囲われている。五つの独居運動場を合わせると、扇のような形になり、一箇所に立てばすべてが見渡せることができた。
八時半に舎房勤務者と交替すると、願いごとを持って事務所に下りた。支所長室に赴き朝の勤務異状なしと報告した。願いごとの事務処理を済ませ自分の仕事、食料関係の書類を作っていると、いつの間にか九時五十分になっていた。十時に警察のライトバンが表門を抜け敷地内に入ってきた。大柴は数冊の書類とデジタルカメラを、スーパーにあるようなオレンジ色の買い物籠に入れ、警察官と一緒に戒護区域内に入って行った。
幾らマスコミで報道されようと、この仕事をやっていて収容されている者に対し、特別な感情を抱くことはない。時々強盗殺人事件のような凶悪な犯罪者も入ってくるが、それとて(ああこいつ長期になるな)と思うくらいで、自分の前を通り過ぎていく犯罪者の一人にすぎなかった。勿論今日入所した新入にも特別な感情を湧くことはないだろう。常日頃から被収容者とは不必要な会話は一切交わさないように心掛けている。人という生き物は、言葉を交わしているうちに、どうしても情が移ってしまうことがある。そうなるとこの仕事は非常にやりにくくなる。
松本刑務所に拝命したときは、歳も若かったこともあり、受刑者によくからかわれた。
「おやじこの辺の人?」
「お前には関係ないだろう」
「そんなつれない言い方しなくてもいいじゃないですか」
「昨日野球巨人勝ちました?」姑息な手段を使い職員の弱みを見つけようとする。
「俺は野球など見ない。結果が知りたければ後で回覧新聞を見れば分かるだろう」
このように被収容者に素っ気ない態度を取ると、何あいつ生意気だなと思われるが、何年かいるとあのおやじは愛想がない。ちょっとやそっとの胡麻擂りは通用しない。あの親父の前ではおとなしくしていた方が無難ということになる。取り付く島もないのが一番いいと大柴は考えていた。
菱来が遣ったことは決して正当性があるとは思えないが、菱来のような教師に出会っていたなら、今の自分ももう少し違う人生を送っていたかもしれない。
現在このような公安職に就いてはいるが、警察官のように正義感があり、日本の治安を守ろうと志を抱いてこの仕事に就いたわけではない。ただ単に他に仕事がなかっただけのことである。この仕事をしていてつくづく思うことがある。人は狭い堤防の上を歩いていていつそこから転げ落ちるか分からないと。たとえば堤防の真中を走っているとして、右側は犯罪者の川、左側が災いの川。自分ではいくら気をつけていても、対向車が来て避けた途端、バランスを崩し犯罪者の川に落ちてしまうこともありうる。
菱来は生徒に暴力を振るい逮捕されたが、大柴が子供の頃はそれこそたんこぶができるほど叩かれたものだ。今だったら問題になることも、当時菱来と同じようなことを遣った教師は沢山いただろう。ただ遣りすぎは確かにまずいが、同じことを遣っても時代によって悪いことになってしまうのは何も学校だけの話しではない。大柴がいる行刑施設でも、以前は被収容者に対し実力行使を行なっていた時代もあった。しかし現在そのようなことを行なったら、自らが収容される側になってしまう。何が正しくて何が間違っているのか、それは時代が決めるものだが、菱来も時代に逆行する損な生き方をしたものだと感じた。
人生には落とし穴はつきものだ。この仕事も自分では気をつけているつもりでも、知らないうちにそれに落ちてしまうことも希にある。
大柴には別れた妻との間に小学校六年生の息子がいた。元妻が息子に会うことを拒否したため、息子にはまったく会ってない。今は多分大阪にいるはずだが、来年は中学に入学する。目の前にいる中学教師を見ていてふと息子のことが頭を掠めた。元気でいるのか、そうでないのか、今はそれさえも分からない。自分はいったい何を考えているのだろう。パソコンに菱来の持ってきた荷物をすべて打ち込むと、家族構成を訊いた。妻はいるが現在精神を病んでいるということだ。
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大柴は母と二人で千曲市の実家に居住していた。離婚して十年になるが、もう再婚はしたいとは思わない。毎日人間の屑を見ているうちに、自分自身も屑に成り下がったのかもしれない。そう思うとまた結婚しても結果は同じような気がした。離婚の原因はおそらく自分にあったのだろう。
刑務官という仕事をしていく上で、どうしても本来の自分を殺して職務を遂行しなければならないことがある。それが職場だけに留まらず私生活に移っても、被収容者に対応するように妻にも対応してしまう。官舎生活もまた妻にストレスを与える原因だった。
大阪出身の妻、理沙が松本で暮らすのはかなり大変だったに違いない。言葉の壁もあっただろうし、厳しい自然環境もあった。冬場、車の運転はスタッドレスタイヤを履いてもそれなりの熟練度がいるし、かなり古い官舎は暖房を入れなければ、冷蔵庫の中のほうが暖かいくらいだ。サーモスタットのスイッチを入れ忘れたら水道管は凍結してしまう。一度凍結したら一日水が出ないこともある。何よりも大変なのは個性の強い官舎の奥さんたちとのお付き合いだった。
刑務官は警察官と一緒で階級社会である。それは本人だけに留まらず、子供たちにまで波及する。妻たちは上司の奥さんたちに気を使い、夫婦喧嘩や子供を叱るにも神経を使わねばならない。刑務所のグランド直ぐ横にある官舎は塀を挟んではいるものの、施設の中の受刑者の声が官舎まで聞こえてくる。朝と夕の受刑者の行進時に掛かる号令は、耳についたらいつまでも離れなかったと理沙は言っていた。殆どの刑務官の妻は、何とか環境に慣れていくのだが、理沙はいつまで経ってもこの環境に馴染もうとしなかった。
それでも夫である大柴がもう少し理沙に優しくしてやればよかったのだが、職場の緊張感をそのまま家まで引き摺ってしまうので、理沙のストレスは益々溜まることとなり、到頭理沙から離婚話を切り出されてしまった。理沙はかなり前から悩んでいたようだが、大柴はそれにはまったく気付いてやれなかった。離婚の話しを切り出されたその日、レンタルビデオ屋で借りた映画を観ていた。官舎で炬燵に潜り横臥しながら映画を観ていると、理沙が突然話しかけてきた。
「大事な話しがあるのでテレビを消して下さい」
「観終わってからではだめなのか」
「お願いします」
理沙は思い詰めたように大柴を見詰めた。今までにない理沙の強い眼差しを目の当たりにして、これから話す内容がただごとではないような気がした。ビデオを止めテレビを消した。
「話しって何だ?」
大柴は起き上がると、テレビから理沙の方に目を移した。理沙は大柴の前に腰を下ろすと重い口を開いた。
「あなたの妻をもうやっていく自信がありません」
最初目の前の妻が何を言っているのか理解できなかった。
「それは離婚したいということか?」
思わず声を荒立ててしまった。官舎は古さもあって隣の生活音が筒抜けである。夫婦喧嘩をして翌日登庁すると隣の住人から「昨日は奥さんと激しく遣りあったね」と冷かされれたことがあったが、建物が老朽化していたため仕方ないと諦めていた。
理沙から言われるまで、そんなことを妻が考えていたとは思ってもみなかった。寝耳に水とはこのことだ。自分は浮気をするわけでも、妻に暴力を振るうわけでも、借金があるわけでもない。それなのに何で一方的に離婚を突きつけられなければならないのか、正直納得できなかった。
このとき理沙の話をじっくり聞き、官舎を出てアパートでも借りていれば、もう少し違う結果になっていたかもしれない。思いやりに欠けていたことに気付くべきだった。そのときは妻にいきなり離婚を切り出されたことに腹が立ち、先のことが見えなくなってしまった。
「お前誰か好きな人ができたのか?」
「そんなんじゃないの。このような生活を続けていたら、私おかしくなってしまうわ」
一瞬普段の自分の言動を反省し、歩み寄ろうという気持ちが働いたものの、自分が働きに行っている間、何もしないで官舎にいるくせに、何で今頃になって我が儘を言っているのかと思うと腹が立ってきた。
「お前の好きなようにすればいいだろう」
大柴にも意地があった。今まで女性と付き合って、自分の方から別れ話を持ち出したことはなかったが、ストーカーのような往生際の悪い男にはなりたくなかった。そのため未練たらしく去った女の後を追うようなことはしなかった。男性の場合もう一度やり直そうという気が起こるが、女性の場合一旦気持ちが離れてしまったら、どう足掻いても復縁をするのは不可能だろう。自分をふった女の尻を追いかけるみっともないまねだけはしたくなかった。理沙がどうしてそのように考えたのか分からなかったし、理解できなかったが、彼女がそのように考えたのなら、自分がいくら説得したとしてもむりだと思えた。
理沙とは大阪の大学時代知り合ったのだ。一度長野に帰郷すると自然消滅した。しかしこの仕事に就き暫くしてから連絡を取ったところ、理沙にはそのとき特定の彼氏はいないというので、非番の日車で大阪に向かった。このときは初めて理沙とデートしたときのように心がときめいた。焼け棒杭に火が付いたというわけではないが、それからまた付き合い結婚した。大柴は自分自身気が付かなかったが、大学時代とは別人になっていた。学生時代はアイドルの物まねをしたり、駄洒落を言ったりして理沙を笑わせたが、この仕事に就いて笑わなくなったし、冗談すら言わなくなった。ちゃらんぽらんでいい加減だった大柴が、曲がりなりにも公安職に就いたこと事態、理沙には意外だったかもしれない。
四年の結婚生活は幻だったのか。理沙は大阪に帰り養育費は要らないので、息子には二度と会ってほしくないと言った。理沙は息子に会ってほしくないのではなく、大柴との関係を断ち切りたかったのだろう。理沙から見て大柴は非人間的に映ったのかもしれない。別れ際息子は紅葉のような小さな手でバイバイと手を振っていた。この子が自分の子供なのは間違いない。しかし明日からは他人になるのだ。自分自身納得できないもののどうしょうもなかった。理沙は涙ぐんでいたが、何も知らない息子は笑っていた。このときばかりは流石に胸が痛かった。
6
大柴が夜勤の日、一通の電報が長野拘置支所に届いた。電報が届いたのは既に夕方の六時を回った後だった。その前に電報の差出人から電話があったのだ。その電話には大柴が対応した。
「もしもし、あの私飯田中央病院の梶原と申します。そちらに菱来誠さんという方が、いると思うのですが?」
電話の相手はとても丁重に話した。
「在監者の有無の、電話による問い合わせには回答できないことになっているんです。誰がここに収監されているかというのは、プライバシーもありますし、個人情報の保護にもつながりますので」
「言付けだけでも御願いできませんか?」
「伝言はできないんです」
「じゃどのように連絡を取ればいいのですか?」
相手方は明らかに腹を立てているのが此方にも伝わってきた。警察では面会するのに予約を取り、電話で在監の有無も教えてくれるらしいのだが、行刑施設は弁護士であろうと、たとえ検事でも在監の有無は電話では一切回答しない決まりになっている。弁護士に関しては、電話だけでは確認のしようがなく、いくら弁護士が訴訟をおこすと脅しを掛けてもそれに屈することはなかった。検事に関しては警電(警察専用電話)を使ってもらうか、名前を確認した上で新たに此方から電話をすることにしていた。若年の職員の中にはうっかり(いますよ)と回答してしまう者もいて(以前は教えてくれたのに何で今回は教えてくれないんだ)と言ってくる者もいたが(そのように言われてもそのような決まりになっていますので、お教えすることはできません)と回答していた。腹を立てた者の中には(あんた名前なんていうんだ)と怒りを露わにする者もいるが、それに対しては(名前を名乗る必要はないでしょう。もし私の名前が知りたいのであれば、こちらに直接来て頂ければお教えします)と説明した。
刑務官という人種はいつも犯罪者を相手にしているため、一般の人にも同じように対応してしまうことがある。それは気をつけなければならないと常々感じていた。
「もし差し支えなければ本人宛に電報を打って下さい。不在ということであればその通知があなたのところに行くはずですし、その者が在監していれば一方通行でありますが、用件は間違いなく伝わるはずですから」
大柴は丁重に答えた。そしてその日の夕方案の定電報が届いた。電報には次のことが書かれていた。{私は飯田中央病院で医師をしている梶原といいます。今日あなたの奥さんである菱来由紀子さんがシーツを破き、それで首を吊り自殺を図りました。見つけ次第直ちに蘇生を施したのですが、命は何とか取り留めたものの昏睡状態が続き危険な状態です。最悪の場合脳に障害が残るかもしれません。詳しいことは後日またお知らせします}
舎房交替までまだだいぶ時間があったため、大柴が直接電報を本人のところまで持っていき交付した。緊急を要するものは一分でも早く本人に交付しなければならない。これは行刑施設に於いて鉄則である。このように家族が危篤とかになった場合、往々にして被収容者が、至急電報を打たせてくれと申し出ることがあるが、翌日の裁判に関してどうしても弁護士と連絡を取りたいという場合を除き、いくら家族が危篤になろうと、夜間の電報は受け付けない。このような所に収監されている以上それは仕方ないことだった。
夜勤ペアの茂田看守と交替したが、菱来は何も大柴に言ってこなかった。しかしこの後職をも失いかねない大問題になるとは、このときの大柴は知る由もなかったであろう。
刑務官はすべて法律に則り仕事を遂行している。警察も同様のことが言えるのだが、自分を守るのも法律であり、自分を追い込むのも法律である。法律は一見完璧なように見えるが必ず穴がある。それらをいかに自分の都合のいいようにもって行くかは、経験によるところが大きい。
施設内には遵守事項という決まりがあり、これに違反した者はそれなりの不利益処分を受けねばならない。ただその遵守事項を職員はしっかり理解していても、中に収容されている者は必ずしも理解しているとは限らない。新入時に何がいけなくて何がいいのか細かく説明を受け、尚且つ一人一人に所内の決りことをすべて書いたしおりが貸与される。それでも担当によって説明不足のこともあり、後になってそんなことは知りませんでしたということが往々にして起こる。だいたい社会に於いて法律を犯し、このような所に収監されているのだから、この中の遵守事項を破るのは何の躊躇いもないだろう。それを守らせるには厳しい対応が必要だが、最近はそのようにただ締め付けるだけの処遇は人権保護に逆行しているので、遵守事項を守らなかったからすべて不利益処分を下すようなことは少なくなった。刑務所のような行刑施設ではごねどくということが存在する。施設に対して不平不満を言ってごねればごねるほど、処遇が緩和されていくところがあった。
7
非番の日、自宅に帰りつくと母が朝食の用意をして待っていた。父は十五年前に亡くなっている。自分で冷蔵庫からビールのミニ缶を取り出すと、海苔と生卵をご飯にかけそれを食べながらビールを一気に流し込んだ。スウェットに着替え母に「おふくろ二時頃まで寝るわ」と声を掛け二階の自分の部屋に上がり、そのままベッドに倒れ込んだ。非番の日はいつもこのようにして、二時くらいまで仮眠を取ることにしていた。
この仕事をしてきて何年も昼夜勤をしていると、非番の日は少し寝ないと身体がもたない。それでも松本にいるとき官舎に居住していたが、結婚するまでは非番の日必ずどこかに遊びに行くか、パチンコをしていた。体力には自信があった。
大柴は特に趣味を持っていなかったが、高校のとき自動二輪の免許を取って以来、オートバイにのめり込んだ。大学のときもツーリングサークルに入り、奈良や京都によく行ったものだ。
松本にいるときも同じ夜勤の二つ先輩金山から誘われ、非番の日は冬場以外、金山とオートバイで県内のあらゆるところに出かけた。長野県生まれであったが、父に以前連れて行ってもらった場所は憶えているものの、こんなにも温泉や景勝地が多い所だと、改めて知ることとなった。
松本刑務所の官舎からオートバイで、五分と掛からない場所に浅間温泉がある。その温泉街を抜け、山道を登っていくと美ヶ原高原へ抜ける山道が続いている。ここは以前有料道路だったため、道路も整備されオートバイで攻めるには、打って付けのワインディングロードだった。
大柴は休日の朝、皮のパンツと皮のジャンバーを羽織り、ヤマハFZRでこのワインディングロードを攻めた。コーナーで膝のパットをするのが何ともいえない快感だった。車が殆ど走ってこないため、対向車を気にすることなくオートバイをハングオンさせることができる。職場の先輩金山が乗っているオートバイはオフロードタイプのため、ワイディングロードを走ることには誘わなかった。一度オートバイの限界が分からなく、コーナーでオートバイを倒しすぎ転んだことがある。そのとき柔道の受け身をとったため、まったく怪我をすることはなかったが、オートバイはマフラーやカウルに大きなダメージを受けた。今は四十歳を越えたこともあり大型アメリカンバイクに乗っている。乗るのも然ることながら研く楽しさも知った。
自室のベッドでうとうとしていると、枕元にある電話の子機が鳴った。いつも眠りが浅く僅かな物音で直ぐ目が覚めてしまう。一階の居間でテレビを観ている母よりも電話を取るのが早かった。母が椅子から立ち上がり、サイドボード上に置いてある電話の親機まで行くのに、電話のベルが最低五回は鳴らなければならない。それよりも眠っている自分が先電話に出たということは、三回か四回呼び出し音が鳴ったということだろう。これから深い眠りに入ろうという中途半端な時間に起こされたため、頭が多少ボーとしていた。しかし電話の内容を聞いた途端、一気に眠気が飛んでしまった。
「はい。大柴です」
喉にざらつきを覚え電話に出た。
「大柴部長か。非番のところ悪いな。支所長の亀岡だが、実は今日飯田中央病院の医師梶原と名乗る者から電話があって、菱来の奥さんが植物状態なので、本人を電話口に出してくれと言うんだ。石場部長が電話の対応に当たったのだが、被収容者は電話口には出られませんと説明すると、昨夜本人から電話を貰ったというのだ。そんなことはないでしょうと石場部長が言うと、昨日電話を貰ったのは菱来さんに間違いないと言うので、ちょっと確認しますと言って一旦電話を切った。それでもしやと思い本人に確認すると、昨夜大柴部長に電報を入れてもらい、茂田看守に至急医師に電報を打たせてくれと頼んだら、電報は打てないと説明を受けたが、少ししたら茂田看守が携帯電話を貸してくれたと述べた。直ぐに官舎にいる茂田看守を呼び出し確認すると、本人は菱来に電話を貸したのは自分に間違いないと認めた。まあ起こってしまったことは仕方ないが、今本人を呼んで事情聴取している。間もなく本所から警備隊が調べに来る。大柴部長にも事情を聞かなければならないので、済まないが非常登庁してくれ」
「分かりました」
寝耳に水ではないが、一気に目が覚めた。茂田のバカ、何てことをしてくれたんだ。亀岡の話しからすると、多少自分を疑っているのかもしれない。こつこつと積み上げてきた積み木が、ガキ大将にでも一気に壊された心境だった。こんなことがあるのだろうか。何で携帯電話なんか貸したのか。そんなことをしたらもう終わりだということが分からないのか。
行刑施設での外部交通は面会、手紙、電報しか方法がない。平成十八年五月新法(刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律)が発足し受刑者でも外部通信の手段として電話が許可になるということだが、長野少年刑務所ではまだ実施には至っていなかった。たとえそれが許可になっても、それは出所が近い受刑者であって、菱来のような未決収容者は、電話での外部との遣り取りはできない決まりになっている。
どうして茂田は菱来に携帯電話を貸したのか、自分の知るところではないが、夜間それも大柴の夜勤のときにそれを行なったということは、監督者である自分が何もなくこのまま無事に済むわけがない。
二十年以上の刑務官生活で、嘗て先輩に鳩行為(刑務所や拘置所に収容中の者が、第三者を使って手紙や伝言を運んで貰うこと。伝書鳩の意味)で自ら職を離れていった者もいたが、職員が鳩になるにはそれなりの理由がある。以前は受刑者になると親族しか面会、信書が許可にならなかったので、暴力団組員は自分の組事務所に連絡を取るため、職員を籠絡し手紙を運んで貰っていた。
この世はすべて力関係で成り立っているといっても過言ではない。大柴のように腕力に長けていなくとも、まったく魑魅魍魎共の威圧に屈しない者もいれば、武道の有段者であっても、簡単に篭絡されてしまう者もいる。それは人である以上仕方ないことなのだろう。
この仕事は犯罪者の言い成りになってしまったら、もうその者は職を離れたほうがいい。日本の行刑施設はどこの国の行刑施設より収容状況が安定している。それは日本の刑務官が他の国の刑務官よりも優れているからに他ならない。それは金や情に流されないからだと自負していた。犯罪者にとって娑婆で罪を犯そうと、行刑施設内で罪を犯そうと大して変わるものではない。刑務官という職業は、犯罪者にこれ以上犯罪を起こさせない最後の砦なのだ。その最後の砦である我々が、犯罪者に砦を開放してしまったら、日本の治安は崩壊してしまうだろう。そこまで考えて茂田は行動したのだろうか。このようなことは他の施設ではなかったわけではないものの、よりによって自分の泊まりのときに、このようなことが起こるとは思いもよらなかった。目の前が真っ暗になった。
長野拘置支所に非常当庁すると、長野少年刑務所のクラウンが玄関前に横付けされていた。大柴はコーデュロイのズボンにブラウンの革ジャンという出で立ちだったが、そのまま庁舎に入っていった。事務所に入っていくと、いつもと明らかに違う重たい雰囲気がそこにはあった。どの職員も大柴になんて声を掛けていいか迷っている様子が、此方にも伝わってきた。支所長室のドアは閉まっていた。いつもは支所長室のドアは開け放たれている。おそらく中で茂田が取調べを受けているのだろう。茂田が終ったら今度は自分が調べられるはずだ。
大柴は自分の執務机に腰掛けると、椅子の背もたれにもたれ腕組みをした。目の前にいる桜田がいやに遠くに感じた。
「茂田は何で携帯電話なんか菱来に貸したんだ?」
石場部長が気安く声を掛けてきた。
「それは自分にも分かりません」
そんなことは自分のほうが知りたかった。ただ石場はこの事務所の重たい雰囲気を払拭するために、言葉を掛けてきたのだろう。話す切掛けを作ってくれたことは、それはそれで有難かった。
「本所から処遇部長と第三統括(警備隊長)が来て、今支所長室で茂田の事情聴取を行なっている」
「随分対応が早いですね」
「大柴部長が帰ってから直ぐに、飯田中央病院から電話が掛かってきて、支所長が直ぐ菱来のところに確認しにいった。菱来は茂田に居室へ携帯電話を入れてもらったと言うんだ。それで今度は茂田を呼び出し事情を訊くと、菱来に携帯電話を貸したのは自分に間違いありませんということで、直ぐに本所に連絡すると、処遇部長と第三統括がすっ飛んで来た。えらいことをしてくれたよ」
最初に事務所に入ったとき、四面楚歌のように感じたが石場の話し方からすると、この件は茂田が単独で遣ったことで、大柴のことは疑っていないように感じられた。勤続二十年以上の大柴が、そんなことを遣っても、何の得にもならないことは他の職員も分かっているだろうし、普段の勤務態度を見ていれば、大柴が被収容者に情を掛けるような人物でないことは誰でも分かるはずだ。ただ長野少年刑務所の職員は大柴がどのような仕事をするのか、まったく知らないはずである。大柴は松本刑務所から直接こちらの支所に転勤してきたため、初等科同期の数名以外は知らない職員ばかりだった。
8
茂田博美は拝命して三年の若年職員だった。今思い返しても、あれは嫌な想い出である。茂田は東京東村山市内の中学校に通っていた。三年に進級したとき、クラス替えになり中学入学のときから憧れていた吉崎瑠璃子と一緒のクラスになった。瑠璃子は目鼻立ちが整い二重の大きな瞳は、他のどの生徒より魅力的に映った。瑠璃子に憧れを抱いていたのは何も茂田だけではない。原宿でも歩いていれば、モデルにでもスカウトされてもおかしくない美貌を持っていた。ただ彼女は外面に対し内面は決して美しいものではなかったが、そのときの茂田には分かるはずもなかった。瑠璃子はバスケット部に所属し、それなりに活躍していた。茂田は剣道部に所属していたが、たまに道場を抜け出し体育館の女子バスケ部の練習を覗きに行った。クラス替えになった四月、幸運にも席の隣が瑠璃子だった。自分の憧れの女子が直ぐ横にいると思うと、毎日がバラ色になる。最初のうちは酷く緊張したものの次第に慣れ、他の女子と同じように気安く話せるようになっていった。もっと気難しくお高くとまっていると思っていたが、意外にも普通の女子生徒のように喋って笑った。
夏休み前瑠璃子の誕生日、瑠璃子の自宅で催す誕生会に呼ばれた。天にも昇る思いだった。呼ばれたのは同じクラスの女子が三人と、男子は同じクラスでバスケ部のキャプテン福沢と茂田だった。福沢はバスケ部だから呼ばれ、自分は隣の席だから呼ばれたのかと思ったが、もしかしたら少しは自分に気があるのかもしれないと、ささやかな希望を抱いた。茂田は多少背もあり、顔も整っていたので、女子からは何回かラブレターを貰ったことがある。多少女の子に人気があるのかと自惚れもあった。世の中は詰まるところ美男と美女が結ばれる運命にあると勘違いしていた。自分に気がなければわざわざ誕生会なんて呼ばないだろう。そう勝手に解釈して夏休み明け、ラブレターを書いて瑠璃子の通学鞄にそっと入れておいた。夏休みの間悩みに悩んだ挙句、覚悟を決め書いたラブレターだった。家に帰り翌日瑠璃子がどんな反応を示すか不安もあったが、楽しみでもあった。茂田の頭の中で悪い結果はまったく想像していなかった。
翌日不安と期待を抱きながら学校に登校すると、なぜかクラスの皆の態度がいつもと違っていた。女子は茂田を見てくすくす笑っている。男子の目は明らかに軽蔑しているような感じを受けた。通学鞄から机に教科書を入れ、何気なく正面にある黒板に目をやるとそこには手紙らしきものが貼ってあった。何だろうと思い黒板まで近付くと、それは自分が瑠璃子に出したラブレターだった。
何でクラスの皆の態度がおかしかったのかが、このとき初めて理解できた。手紙にはピンクのラインマーカーで(君はぼくの太陽だ)というところに線が引いてある。茂田は黒板にマグネットで留めてあった手紙を毟り取りポケットにねじ込んだ。二学期に入り席替えは終っていたので、既に瑠璃子は茂田の隣にはいなかった。今まで順調に中学生活を送ってきた茂田にとってそれはまさしく悪夢だった。
席に戻り瑠璃子を見ると、彼女は茂田に気付き視線を逸らした。そもそもラブレターは、出した者と受け取った者との密室の遣り取りだから、普段口にしないことも平気で書ける。それが公になり第三者の目に触れないと分かっているから、恥かしい文章も躊躇わず書けるわけで、これがもし他人の目に触れたら、これほど滑稽で笑える文章はないであろう。十五年生きてきてこんなに恥かしい思いをしたことはなかった。穴があったら入りたい心境だった。
なぜ瑠璃子はあんなことをしたのか、茂田はポケットから皺くちゃになった手紙を取り出し、じっくりそれを見ると、瑠璃子の名前が書いてあるはずの箇所が、すべて墨で塗りつぶされていた。そこには悪意さえ感じる。今まであれほど恋焦れていた瑠璃子が、このとき途轍もなく憎らしい存在に変わっていた。しかし茂田に対する仕打ちはこれだけで終らなかった。
あの一件から誰も茂田とは口を利かなくなった。最初それは無視という形で始まった。今までも確かに前のクラスでもいじめを受けた生徒は存在した。それは自分とは無縁の世界と思っていた。それにいじめを受ける生徒はどちらかというと、成績もあまり良くなく、運動も得意でないおとなしい子が対象だった。茂田はこのときまで成績も良く、男子にも女子にも人気がある生徒だった。それがあのラブレターを黒板に貼られた日から、一転していじめられる対象に変わってしまう。無視というのは周りが考えている以上に、遣られている本人は辛い。自分の存在が幽霊みたいに誰も相手にされないのだ。いや幽霊はまだ怖がってくれるが、今の自分は幽霊以下の透明人間のような存在だった。
ついこの間まであれほど楽しかった学校生活が、たった一通の手紙で地獄のような学校生活に変貌してしまう。無視が嫌がらせに変わっていくのに、それほど時間は掛からなかった。無視は本人にとっては辛いことに違いないのだが、周りの者からすると本当に辛い思いをしているのか確認のしょうがない。そうなるといじめている方からするば、その行為自体がつまらなくなってしまうのだろう。何か直接反応が見たいと考え、次なるステップに移っていく。まず教科書にマジックで落書きをされるようになった。バカとか死ねとかスケベ男とか、お決まりの文句が書かれていた。今まで他人より自分の方が、スポーツも学力も勝っていると思っていたので、このことは非常に屈辱的なことだった。いじめている方はこちらが困れば困るほどそれが快感なのか更に行為はエスカレートしていく。そのうち靴や運動着を隠されるようになった。ただ直接身体に危害を加えてはこなかった。茂田自身剣道を遣っていたため、多少腕力には自身があった。一対一の喧嘩ならいつでも勝負するつもりだったが、面と向かって正々堂々と遣ってくる者は居らず、集団で陰湿に嫌がらせをされるとなす術がない。
いじめが始まって一ヶ月経った頃、たまりかねて担任の若い男性教師に相談に行った。担任は海道という数学の教師で、歳は二十代半ばにしか見えない。
茂田は職員室に行き、すべての事情を話した。海道は少々困惑した顔をしながら「相手が特定できない限り難しいな」と言った。確かに誰か個人を特定できない以上、いじめを止めさせるのは難しいかもしれないが、担任なら何とかしてくれると思っていた。当初海道に対してあまり期待はしていなかったものの、それでもクラスの皆に(いじめは醜い行為だからやめなさい)とだけでも言って欲しかった。しかし海道は茂田の期待に反して、クラスの皆には何も言わなかった。
海道に相談しに行ってから一週間後、茂田は学校に行くのを止めた。登校拒否になったのだ。父はとても厳しい人だったが、茂田が学校に行きたくないと言うと、高校はどうするんだと訊いてきた。父は進学塾の講師をしていたため、そのことが気になったのだろう。もともと今の受験制度に疑問を持っていたため、茂田が学校に行きたくないといってもさほど驚かなかった。
「俺今の中学校は行きたくないが、別に勉強が嫌いなわけじゃない。だから高校には行きたい」
そのように言うと、父はニヤリと笑った。
「お前がそのような考えを持っているのなら、俺がいい高校を探してきてやる。ただ内申の関係で公立は無理かもしれんが、贅沢をいわなければいくらでもある。心配するな」
結局卒業するまで殆ど学校に行かなかった。卒業間際になり父は、学校長宛になぜ茂田が学校でいじめを受けたか至急調査してその結果を教えて欲しい。何もしていただけないのなら法的手段に訴えると内容証明を送付した。卒業式の翌日、海道は教頭を伴って茂田の自宅にやって来た。海道は玄関に入るなり三和土に土下座した。
「申し訳ありませんでした」
茂田は父の後からそれを眺めていたが、海道は涙を流していた。
「あんたの安い頭を下げて貰っても、息子の青春は取り戻せんのだよ。まあ自殺をせんで生きていてくれたから良かったものの、これで息子が死んでしまったら、あんた謝っただけじゃ済まないよ」
海道はどのように調べたか詳しく説明してくれなかったが、茂田が瑠璃子のラブレターを書いて瑠璃子の鞄に入れたとき、瑠璃子はそれを親しくしていたバスケ部の福沢に相談したらしい。そこで福沢は皆を煽って、ちょっと茂田のことをからかったということだ。茂田はクラスの全員が自分をいじめていたと思い込んでいたが、このいじめに対して反感を持っていた生徒も居り、その生徒がことの真相を語ってくれたのかもしれない。
福沢の父親はPTA役員で、いじめの主犯をどの時点で知ったのか分からなかったが、結局何も手を打たなかった。
海道が帰った後「お前は女を見る目がないくせに女に現を抜かすとは何ごとだ」と怒られた。海道は言わなかったが、瑠璃子と福沢はおそらく付き合っていたのだろう。どう見ても福沢よりは自分の方が容姿は整っている。だから福沢は自分のことが憎かったのではないか。勝手な想像だが、強ち外れていないような気がする。バスケ部のキャプテンをしていたが、あの男があれほど、統率力があるとは知らなかった。反感を持っていた者もいたみたいだが、結局は福沢の思い通りことが運んだのだ。
茂田はテレビや新聞でいじめを受け、自殺した生徒の報道を見る度に、このことを思い出し胸が痛んだ。自分はあのとき辛く悲しかったが、死ぬことまでは考えなかった。しかしそれは単に学校に行かないという逃げ道を見つけられたからに他ならない。もしあのときあのまま我慢して学校に行き続けていたなら、自分もやはり自殺していただろうか。子供にとって学校はすべての生活空間なのだ。学校に行けなくなることは、未来を奪われることにも匹敵する。企業戦士が会社で自分の居場所が無くなったとき、絶望に陥るのもこんな感じなのだろうか。
海道のところまで相談に行き、一週間経っても何もしてくれない海道に物凄く腹が立った。あのとき担任に相談しに行こうか迷った挙句、意を決して相談に行ったのに海道は何もしてくれなかった。期待はしていなかったものの、それでも落胆は大きかった。結局先生という人種は何もしてくれない。
今のいじめ問題を新聞やテレビで見ると、教育委員会や教師は自分の保身しか考えていない。皆自分が可愛いのだろう。そんなとき目にしたのが菱来の報道だった。いじめられた者がすべて菱来のとった行動を歓迎しているとは限らないが、少なくとも身を犠牲にして、いじめっ子に復讐したことには、とても勇気付けられた。海道は何もしてくれなかった。菱来の取った行動は確かに間違っている。しかし今の無責任な学校社会に楔を打ち込んだのは間違いない。
茂田は決して暴力肯定派ではない。しかし今学校でもこの行刑施設でも、ことが起こると直ぐに上の者は保身に走り逃げ腰となる中で、自ら犠牲になって立ち向かっていく姿は素晴しいと思った。たとえそれがドンキホーテのように無謀な行動であったにせよ、すべてを擲って自分の信念を貫くことはなかなかできるものではない。
菱来がこの長野拘置支所に移送されてきたとき、何かしてあげたかった。しかしそう思っても実際に何をしてやればいいのか、刑務官である自分が被収容者にしてやれることはたかがしれている。それでもそれを行なった場合、自分の職責が問われることにもなりかねない。
そんなとき偶然菱来から至急電報を打たせてくれと申し出があった。手紙であれば内緒で出してやることもできたのだが、電報の場合痕跡が残ってしまう。夕方の四時には領置金収受簿を締めてしまうため、領置金(被収容者が携有してきた現金)の引き落としは明日になるが、それを誤魔化すのは不可能に近い。NTTの請求書にも記載されてしまうので言い逃れはできない。仕方なく茂田は自分の携帯電話を菱来に貸してあげた。菱来の居室右隣は空室で、左隣は年寄りでラジオ放送が流れていたため、通話の内容は他の被収容者には聞かれないと判断した。菱来には本来電話の貸し出しはしないのだが、今日は緊急性もあり電話を特別に貸し出すと説明した。累犯でない限りまさか職員が、違法行為をしているとは思わないだろう。電話を貸してもらったことには感謝していたようだが、それが大変な問題になるとは菱来が知る由もなかった。
茂田自身これが発覚したらただで済むと思ってはいないものの、これほど早く発覚するとは考えてもみなかった。電話を貸した翌日、もう相手方から電話が掛かってきた。
昨日泊ったのは大柴と茂田しかいない。大柴に迷惑を掛けられない以上、自分が遣ったと申し出るしかなかった。菱来に電話を貸したときからある程度覚悟は決めていた。この仕事に未練はない。自分は少なからず正義感はあった。しかしこの仕事は正義感だけでできる仕事ではない。自分が思い描いた世界とはあまりにも掛け離れていた。茂田は最初少年刑務所を希望し、川越ではなかったものの念願かなって長野少年刑務所に採用された。不良を立ち直せるのがこの仕事だと思い込んでいた。しかし現実はまったく違っていた。
茂田は中学校時代いじめを受け担任教師に相談しに行ったが、海道は何もしてくれなかった。だからどこかで熱血教師みたいな者に憧れを抱いていたのだ。これが少年院の法務教官だったら、まだ多少茂田の理想とする仕事に近付けたかもしれない。
茂田はこの仕事に就いて三年になる。東京都内の大学を卒業すると、四月一日付けで長野少年刑務所に拝命した。大学の専攻は商学部だったが、選択科目で法学を履修した。そのとき日本の行刑施設を教授は取り上げた。そこで少年院に非常に興味を持った。ただ茂田自身少年院と少年刑務所の違いをよく理解していなかったこともあり、法務教官の採用試験ではなく刑務官採用試験を受けていた。しかし人間を更生させるには少年も成人も同じだと思い、最初はこの仕事に大きな志を持っていた。それが東京で行なわれた初等科研修終了後、長野少年刑務所に配属され、強欲非道の亡者の溜まり場を目にしたとき、自分の中にある志が萎んでいくのを実感する。茂田の頭の中で少年刑務所は、少年たちに刑務官が(早く更生してお母さんやお父さんを安心させてあげなさい)と教え諭している姿を想像していたが、現実に目にしたものはまったく違っていた。職員が受刑者に気安く声を掛けることは殆どない。それどころかこの少年刑務所に更生して社会復帰しょうと考えている者がどれだけいるだろう。先輩の刑務官には、ここは悪党の終点道場だという者もいる。こいつらがこれから真っ当な人間になるなんて夢にも思わぬことだ。所詮こいつらは人間の屑だと。
入浴場で受刑者が裸になると、五人に一人は身体に刺青をしている。人を見る時は頭を少し傾げ睨めるように見る。ここは累犯刑務所ということもあり、初犯の者は一人としていない。同じ過ちを何度となく繰り返す。二十歳から二十五歳までの僅かな間に、最低一回は受刑生活を経験している。普通に考えれば真っ当な人間が来るところではないのだ。
自分とさほど年齢も変わらず、社会の裏街道を歩んできた者たちが、まともに更生して社会復帰しようなどと考えるはずもなかった。朱に交われば赤くなるの諺通り、悪に染まっていくのは自然の流れである。
そのような悪党を相手にする刑務官という人種は、更に我の強い人たちであった。考えてみれば気の弱い者ならば、彼等に籠絡されてしまう。悪のエリート、人殺しや暴力団の組員等に対抗するには、それなりの度胸と腕力がなければ勤まらない。どんな悪党に対しても決して引き下がらない。言葉だけで屈服させるには、それなりの経験が必要だった。この現実を目の当りにしたとき、自分はどこか別の世界、迷宮に入ってしまったのではないかと感じた。
拝命して一年経った頃、突然長野拘置支所の配置換えを命じられた。刑務所と拘置所の違いは研修で習っていたので良く分かっているつもりだったが、職員が被収容者に対する接し方が、被告人と受刑者ではまったく違うことを思い知らされた。
先ず拘置支所に転属になったとき、支所長から刑務所のように高圧的な態度を、未決収容者にとらないように注意を受けた。拘置所は刑務所ほど掃溜めの中に足を踏み入れた感覚はないように感じた。ただそれは表面的なもので、実情は長野少年刑務所の受刑者より未決収容者は更に腹黒かった。
未決収容者の場合確定受刑者と違い、刑が決まっていないため社会的身分が保障されている。裁判で有罪判決にならない限り、色々な権利が生じる。選挙権もその一つだが、何度もこのようなところに収監される者は、自分の立場をよく理解していて、官に対してあらゆる要求をしてくる。食事一つとっても、まずいだの、冷めているのだと文句が絶えない。そんなに文句があるなら自弁(自分のお金で弁当を買うこと)を頼めと言いたいところだが、そのようなことを口にしてしまったら、彼等は待っていましたとばかり難癖をつけてくる。自分の遣ったことを棚に上げ、権利ばかりを主張してくる魑魅魍魎の未決収容者より、生意気で頭にくることも多いが、確定受刑者の方がまだましに思えた。
非番の日官舎に帰り、横になりながらテレビを観ていると、知らないうちにうとうとしていた。枕元に置いてある携帯電話からゴットファザーのテーマが鳴り響いた。テレビで流れている映像と、浅い眠りの中で見ていた夢が重なり合って、まったく別の音が耳に飛び込み目が覚めた。
携帯電話を手に取り電話に出ると、相手は支所長の亀岡だった。今の電話は一昔前の電話と違って、電話に出る前に相手が誰であるか分かるため、相手を確認してから電話に出ることができるのだが、今日に限ってまどろみの中で電話を取ったので、相手を確認せずそのまま電話に出た。
「支所長だが直ぐ役所に来てくれ」
それだけ言うと電話は切れた。官舎に居住していると、非番や休日に突然呼び出しを受けることがある。出廷や外治療(外の病院に連れて行くこと)があるとき官舎の住民は、半日だけ出てくれとか、二時間だけ出てくれということはよくあることだったので、あまり考えず官服に着替え登庁した。事務所に入ると石場部長が「支所長室へ」と目配せした。茂田はそのまま支所長室に入って行った。
「入ります」
茂田が支所長室に入ると、そこはいつもと明らかに雰囲気が違っていた。
「茂田か、ちょっとそこに座ってくれ」
支所長は執務机から立ち上がると、入り口に向かいドアを閉め鍵を掛けた。亀岡は来客用の革張りソファーに腰を掛けたので、茂田も向かいに座った。背もたれにはもたれず背筋を伸ばし浅く腰掛けた。ソファーは軟らかくゆったり座るには座り心地がいいが、浅く腰掛けるには腰が落着かず座り心地が悪かった。その落着かない座り心地は、今の茂田の心境そのものだった。あまりいい話ではないことは既に覚悟している。
「率直に訊くが、昨日夜間菱来に携帯電話を貸したのか?」
亀岡は茂田に視線を向けると徐に訊いてきた。もうばれてしまったのか。これほど早く自分の行った不正行為が発覚するとは思いもよらなかった。亀岡の顔を見るとそれほど険しい表情には見えない。しかしこのように表沙汰になった以上、亀岡にも何らかの迷惑を掛けるのは間違いないだろう。
「はい。貸しました」
「そうか」
亀岡のその一言は本当に残念そうな力のないものだった。僅か三年の刑務官生活だが、このことがどれだけ重大なことかは茂田でも理解している。それでもあえて間違った行動を取ってしまった自分を振り返って、何か途轍もなく遣る瀬ない気持ちになった。遣ったことは確かにいけないことなのだが、それでもそれほど悪いことをしたという自覚がなかったのが自分でも不思議に思えた。
今まで自分に合わない高価なスーツを着ているような感覚を、この仕事に就き常に感じていたが、この一件でこの着心地の悪いスーツを脱げるという安堵感もあった。
「自分が単独で遣りました」
「一緒に泊まっていた大柴部長は、このことを知っているのか?」
「いえ、何も知らないはずです」
「このことがいけないということは分かっているんだろ」
それはまるで昨日か今日拝命した新人刑務官に諭すような言動だった。
「分かっています」
「我々は法律に基づいて手紙の内容を査閲することもできるし、弁護士以外の者との接見の立会いも認められている。未決収容者は事件の証拠隠滅、逃走防止の観点から特に外部交通には留意しなければならない。それなのに携帯電話を貸してしまうなんて。こんなこと若い君に言うのも、釈迦に説法かもしれんが、昔の古い電話と違って今の携帯電話はそれこそ何でもできるだろう。写真だって送れるし、場合によっては世界のあらゆる所に繋げることもできる。まあ菱来はハッキングなんてやるとは思えないが、悪質な被収容者であれば何をするか分からないのだぞ。そこまで考えて携帯を入れたのか?」
亀岡に言われるまでもなく、今の携帯電話はパソコン並みの性能があり、やろうと思えば何でもできることを見落としていた。確かにたまたま菱来に携帯電話を貸してしまったが、悪知恵を使えば色々な悪さもできる。下手をしたら茂田自身が、多額な借金を背負わされることにだって成りかねない。
「私は君が携帯を菱来に貸したかどうか確認するだけで、後の調べは本所から警備隊が来て調べる。その前に一つだけ訊いておきたいことがあるのだが?」
「何でしょう?」
「菱来は最近入ってきた被収容者だが、教師をやっていたこともあり累犯太郎(何回も刑務所を出入りする者を懲役太郎または累犯太郎という)でもないし、職員を篭絡するとも思えん。何で菱来に携帯を貸してしまったんだね。どうしても君にメリットがあるとは思えないんだが?」
亀岡がそのように考えるのも無理はないと思う。菱来自身はこれほど大きな問題になると知っていれば、職員を犠牲にしてまで自分の欲求を通そうとはしなかったであろう。
「自分は篭絡されたわけでも、菱来から何か貰い受けたわけでもありません。今回の菱来に関する一連の報道を目にして、少々気の毒に思えたのです」
一瞬亀岡の瞳が大きく開かれたように感じた。
「茂田、私は昔工場担当をやっていたとき、よく懲役に言ったものだ。ここに来た以上何らかの罪を犯したのは間違いない。人殺しもいれば交通違反で捕まった者もいるだろう。その罪名によって社会では人の見る目がまったく違うだろうが、ここでは罪名が何であろうと一切関係ない。ここはお前たちが何を遣ってきたかではなく、これからどうするかが重要で、我々は人殺しだから最低な人間だとか、交通違反だからまだましだとか、そのような目でお前たちを見ない。我々にとって大切なことは、そのものの罪状ではなく、今そして今後どうしていくのかということだ。だから罪名に対しての偏見は一切持っていないと言ったもんだ。今そんなことを言ったら問題になるかもしれんし、そのようなことを言う職員はいないと思うが、奴らの身の上話を訊いて、それにいちいち同情していたのではこの仕事は勤まらんぞ」
「同情なんかじゃないんです。自分は中学校のときにいじめに遭い、登校拒否になりました。そのときの担任は見て見ぬ振りをして何もしてくれませんでした。自分は菱来の一連の報道を見ているうちに、自分が中学時代あんな先生だったらどんなに良かっただろうと思ったのです」
亀岡の視線と茂田の視線が重なった。
「そういうことだったのか。この仕事は同情心が湧き、私情が入っては職務に支障をきたす。茂田個人のとったつまらぬ行動が、この長野拘置支所を根底から覆すことになりかねないということは分かっているな」
「はい」
「う~ん・・・・・・」
亀岡は先ほどとは違い、腕組みをすると目を閉じ何も言わなくなってしまった。どんなことでもそうだが、それを行なっているときは後のことをあまり考えず行動してしまう。茂田自身悪いことだと分かっていながら遣ってしまったこととはいえ、その後大変な問題になるとは考えてもみなかった。
反省
1
菱来は自分の小さな要求が、一人の若い国家公務員の未来を奪ってしまうとは知る由もなかった。
妻が自殺を図り植物状態になるかもしれないと、医師から訊かされたとき、それほどショックを受けなかった。由紀子の心は既にこの世になかった。しかし自らの命を絶とうとしたということは、もしかして気が触れたのではなく、振りをしていたのではないかとさえ思えてならない。由紀子にとって娘の薫は自分の命より大切なものであったろう。それが事故や病気で亡くなったのなら未だしも、自ら命を絶ってしまったということは、由紀子でなくとも認めたくない。
自分の娘とはいえ親の贔屓目に見ても、あのように素直に育った子は滅多に御目に掛かれるものではない。自分が二十年以上教師を続けて分かったことだが、薫のように綺麗で、勉強もできて、素直な性格の子は、学年に一人いるかいないかの非常に貴重な存在だった。
自分は山が好きで大学時代、専門的な登山でないものの、この目でどうしてもヒマラヤを見たくてカトマンズに行ったことがある。そのとき見たカトマンズの子供たちの目は輝き、今でもそれは心に焼き付いている。自分に子供ができたらあのような目の子供になって欲しいと願った。薫が高校にでも進学したらもう一度カトマンズに行こうと思っていた。薫とはグウァムやハワイには行ったが、もう少し大きくなってから、歴史的な建造物や大自然を見せてやろうと考えていた。
薫は由紀子にとっても菱来にとっても魂であり希望だった。それがなくなってしまったら後は屍として生きていくしかない。そのようなことを回想しながら、由紀子のことを考えてみると、彼女が自殺したのは、自分がこのような事件を引き起こしたからに他ならないと思い至った。
どのような経緯でそれを知ったのか。あれだけマスコミに取り上げられ、テレビでも毎日のように菱来の名前が上がれば、否応なしに目にしないわけにはいかなかったであろう。そしておそらく薫や由紀子のことも取り上げられ、それを目にしたのなら、行く場所は一つしかないと考えても仕方ないことかもしれない。それは蜘蛛の巣にかかった虫のように、もがけばもがくほど糸が絡みつき、身動きが取れない状態に追い込まれていくようだった。
薫が自殺して由紀子まで同じように、植物状態になり自分まで職を失ってしまった。守るべきものが何もなくなったとき、それはそれですっきりした気分になったのは自分でも意外だった。この後刑務所に行き何年か務めるのか、或いは執行猶予で社会に戻るのか、いずれにしても自分独り食べていくことは造作も無いことのように思えた。
そしてなぜか自分の未来も、そう悲観したものでないような気がする。
2
中学校で教員をしているときも当然規則があったし、大学にもたいしたことではないものの決りごとがあった。拘置所内も当然決りがあるのだが、自分が子供の頃イメージしていた監獄とはまったく趣が違っていた。物凄く厳しいところを想像していたが、朝七時の起床から夜九時の消灯まで幾つかの生活の決りごとはあるものの、それも一ヶ月ほどで慣れてしまう。
一日中本を読んでいても、何もしないでボーとしていても、看守に怒られるわけでもなく、自分が犯罪者でなければ、三食昼寝つきでわりと快適に生活することができた。
人生は山登りと一緒で、装備が何もなければ軽装で自由に動き回れる。しかし山が荒れ吹雪になり身動きが取れなくなった場合、装備が何もないことは死を意味している。今の菱来には何もない。死に対する恐怖心すら持ち合わせていない。流石に自ら命を絶とうとは思わなかったが、守るものがなくなったとき、これほど清々しい気持ちになるとは思ってもみなかった。
今まではそれこそ暗示にでも掛けられたように、社会での自分の地位を維持するため、周囲を気にしながら生活していた。今はそれらのしがらみからすべて解き放たれ身軽になった。それが自分にとって良かったのか悪かったのか、この先どうなるのか、今の菱来に分かるはずもない。一旦落ちるところまで落ちていくと、後はそこから這い上がるだけである。トランプでできたタワーのように、あともう少しで完成というときに、風が吹き込み崩れてしまう。それでもまた最初から作り直せばいいのだと思えたとき、また新たな一歩を踏み出せそうな気がした。
拘置所は七時に起床の放送が流れると、一斉に収容されている被収容者は起き上がる。朝の点検までに布団を畳み部屋の掃除を済ませ洗面を行なう。各個人で多少違いはあるものの、僅か畳三枚しかない狭い居室ですることは自ずと限定されてくる。七時三十分の点検で職員が一人一人の称呼番号を確認していく。菱来は二十三番の称呼番号が与えられていた。よく映画やテレビで中に収容されている者を、番号で呼んでいるシーンを見たことがあったが、ここの職員は自分のことを名前で呼んでくれた。
点検終了後舎房掃夫が朝食を配食する。食事を終えると舎房担当が、籠付きの台車を引き朝の願いごとを訊きにやってくる。
八時三十分になると運動か入浴が始まる。入浴は夏期が週三回、冬期が週二回と決められていた。入浴時間は十五分。それ以外の日は運動日に充てられている。後は出廷がない限り、午前と午後何もすることがない。自由は無いが時間はたっぷりある。就寝意外は好きな時間に好きなだけ、本を読むことも勉強することもできた。林原夫妻が大量の本を差し入れてくれたため、本を読むことに関して不自由はなかった。新聞も取ることができるので、外の情報も得ることができる。ニュースもラジオで流れるので、大きな出来事はダイレクトで知ることができた。
東京に嫁いだ姉が、私選の弁護士を手配してくれた。菱来自身は金も掛かることだし、国選で構わないと思ったのだが、姉の行為を素直に受けることにした。姉は弁護士を手配してくれたものの、面会には一度も来なかった。
拘置所の時間は非常にゆっくり流れていく。人は食べていくために働く。そして欲しい物があり、行きたいところがあるともっと頑張って働こうと思う。ここはすべてが遮断され何も自由になることはないように思えるが、考える時間だけはたっぷりあった。今まで生きてきて自分の人生を振り返ったことがなかったため、時間が許す限り幼い頃から現在に至るまでの想い出を回想してみた。
自分が犯した罪は、決して許されることではないことは十分分かっている。しかし自分の中に悪いことをしたという認識が希薄なのも確かだった。人は色々な理由から犯罪を犯す。金が欲しい者は金を盗むし、相手が気に入らなければ怪我をさせたり、それがエスカレートすれば、殺したりすることもあるだろう。今冷静に思い返してみると、自分の場合も単純に考えれば、単に相手が気に入らなかっただけかもしれない。林原との約束がどうのこうのといったところで、何も罰を受けない郷田が、のほほんとしている姿が許せなかったのだ。それを感情的になって一方的に痛めつけ怪我を負わせてしまうことは、やはり普通の傷害と何ら変わらないように思えた。突き詰めて考えればやっていることは、真下たちと変わらないことになる。
自分は教師であって力も郷田より勝っている。絶対的な力を持った自分に郷田は逆らえなかっただろう。真下たちが林原にやったいじめとどこが違うのか。むしろ教師と生徒という立場からすると此方の方が悪質かもしれない。そのとき初めて気が付いた。自分が犯した過ちは、時間が経過し見つめ直してみると、いかに愚かなことをしたのか、改めて認識することになった。
弁護士宛の手紙にその旨を認めると、弁護士は現在の被告人の心境ということで、証拠書類として裁判所に提出した。弁護士面会のとき「あなたの気持ちがその様に変化していったということは、極めて重要なことです。上辺だけで反省しているといっても、裁判長はなかなか信用してくれませんが、あなたのように心境の変化を手紙に認めた場合、裁判長には少なくとも悪い印象にならないはずです。林原夫妻が集めてくれた嘆願書も提出したし、裁判も佳境に入りました。あとは私に任せて下さい」そのように自信たっぷりに言うと弁護人面会室を出て行った。
父
1
薫にとって父は特殊な存在だった。父は私に全然似ていない。小学校低学年のときは漠然としたものだったが、五年生になってそれがはっきり分かったような気がする。父は私と違って肌が浅黒い。そして私は色白で爪の形は、父のような形のいい爪ではなかった。私の手の爪は男のように幅が狭く醜い。それに比べると父の指は、女の人のような綺麗な指で爪は桜の花びらのような形をしていた。母も女性らしい綺麗な手をしていた。私の手は父とも母ともどちらの手にもまったく似ていない。綺麗な顔と相反してその手は醜かった。私は決してナルシストではないけれど、そのことを子供のとき随分悩んだ。顔がいくら綺麗でも、普段それを自分で見続けることはできない。しかし手は嫌でも目に入ってくる。私はこの手が大嫌いだった。よく女の子は父親に似るといわれるが、父の指の形は私とまったく違っていた。
なぜ私はそのように思うようになったのか、それは私が幼稚園に入るか入らない頃だったと思う。家にあった白い軽自動車で伯父の家に行ったとき、母は私を連れ伯父宅の近くにある大きな病院に立ち寄った。その病院のベッドに母より大分年上の男が横になっていた。鼻と腕にチューブがついている。母はその男の枕元に行くと、小さな声で何やら囁いた。するとその男は虫の泣くような声で私を呼んだ。気味悪かったが、私は母に背中を押されその男のところまで赴いた。何か分からないが、果物の腐った臭いが私の鼻腔を刺激した。
男の枕元まで行くといきなり手を握られた。私はその手を振り解こうとして、その男の手を見ると白くとてもごつい醜い手だった。爪は伸び爪垢も黒く溜まっていて、とても不潔に感じた。そのとき男の顔は気味悪く映った。今思い返してみると病人だったから気味悪く映ったのだろうが、目鼻立ちは整っていたように思う。健康であれば男前だったかもしれない。私は結局手を離すことができなかった。不安のあまり母を顧みると、なぜか母は泣いていた。
小学校に上がっても、中学生になっても、あの光景を思い出す。あの爪の不潔さは小学校三年生のとき、遠足で見た猫の死体よりも、私の頭の中に嫌な記憶として留まっていた。小学校五年生のときテレビドラマで、継親のことをやっていた。このとき私は確信した。あの病院にいた男の指の形、目鼻立ち、肌の色は私にそっくりだった。あの男は私の父に違いない。ドラマの中のヒロインは、継母にいじめられるのだが、継父は無関心だった。その子はとてもいい子で皆からとても好かれていたが、唯一継母だけには嫌われていた。私の場合母は本当の母に間違いないが、父は絶対あの病院の男だと確信した。
小学校五年生の私は頭をフル回転させ必死に考えてみた。あれはきっと母が本当の父に私を会わせたかったのだと。あの男は余命幾許もない病人だったに違いない。最後母の計らいで娘の顔を見せてあげたかったのではないか。あの男が私の本当の父なら、今の父はいったい誰なんだろう。果して父はそのことを知っているのだろうか。私は母にも訊けず、勿論父に訊けるわけもなく、ただ私が良い子でいるしか方法がないように思えた。
私にとって理想の父親像とはかなり掛け離れていたが、もし父が私の思うように、本当の父でないと知っても、おそらく父は愛情を持って私に接してくれただろう。私はそれに応えなければならない。本当のことを知っているのか知らないのかは別にして、この人ほど私に良くしてくれる人は、地球上で他にはいないのだから。
父に対する感謝と、済まない気持ちが入り交じり、それ故に一生懸命勉強もしたし、スポーツも頑張った。それが私にできる感謝の表れだった。私はそのようなことがあり、絶えず自分に引け目を感じていた。だから周りのすべての人に好かれるように努力してきた。常に良い子でいたい、そう思っていた。それがあの試合のせいで、私の仮面は剥がれ落ちてしまった。私は私自身気付かぬうちに自分を追い込んでいたのだ。
美穂は私の本性を見抜いたのかもしれない。私がとってきた偽善的な態度が、逆に美穂に嫉妬心を抱かせ、それでも私は偽善者であり続けようとした。しかし本当の私はあの試合の後の私なのだ。本当の菱来薫は違うのだ。もっと我儘で自分勝手なのだ。
あの病院にいた男が父であるということは、母は今の父と結婚後不倫をしていたことになる。あの母がと思う反面、あの母ならとも思えた。ただ父はそのことを知っているのだろうか。私が思うに父は何も知らなかったのだと思う。あの父は人が良すぎるところがある。でもたとえそれを知ったとしても、自分は何も知らないということにしたのではないか。あんな良い人を裏切った母は、やはり許せなかった。
私の身体の中にもあの汚らわしい母親と同じ血が流れていると思うと、自分で自分が嫌になった。
これはすべて私の憶測にしか過ぎない。もしかしたらそれは私の思い過しかもしれない。
私は今回のこの一連の出来事を振り返って、自分が学校でいじめられたのは、美穂の悪意ではなく、私自身の業の深さが原因ではないかと考えるようになった。私は周りから常に良い人だと思われたいため努力した。しかし外面をいくら繕っても、内面までは修正することはできなかったのだ。
私の中には汚い血が流れている。あの立派な父を裏切った母の汚れた血と、人の女房を寝取る意地汚い男の血が流れているのだ。父の顔に似合わないあの美しい手は、私のこの醜い手とは似ても似つかない。そう私はあの実直な父とは正反対に、容姿は整っていたが手の形は醜く心までも醜いのだ。
色々なことを思い返してみると、私は自分でも気付かぬうちに、他人を傷付けていたのだ。私が生きていく上で、また美穂のように嫌な思いをする者も出てこないとは限らない。私はこの世にいないほうがいいのかもしれない。私を愛してくれている両親には申し訳ないが、私は仮面を被っているのがいやになった。本来の自分を隠しているのに疲れてしまったのだ。もう永遠に誰とも関わりたくない。
そのとき既に気力が無かったが、最後の気力で便箋を出し自分の思いを書き綴った。遺書は両親宛と、母だけに宛てた遺書を分けて書いた。両親といっても形として残すだけで、本当の気持ちは母に残す遺書に託した。誰に見られてもいい遺書は{お父さん、お母さんごめんなさい。美穂ごめんね。あなたにそんなに辛い思いをさせていたなんて、私全然知らなかった}と認めた。
薫は洗面場にあった洗濯用ロープを持って、家中うろうろ歩き回わり、自分の死に場所を捜した。
あと数分後私はこの世からいなくなる。幸いにも私には宗教心がなく、私は死んだら無になるのだろう。私の意識が途切れた途端、菱来薫という入れ物は単なる肉の塊に過ぎない。その入れ物がどんなに醜い姿を晒そうとも、もう私には関係ないことなのだ。小学校遠足のとき見た猫の死体は、風船のようにお腹が膨れ川にぷかぷか浮いていた。それを見たとき死に対する恐怖を感じた。それが今では恐怖心がまったくない。人間は死んだら無になるのだ。もう嫌なことを考えずにすむ。何だかすべてが嫌になった。友香の家を後にしたときから、自分の中にある魂は既にどこかに逝ってしまった。もう私は死ぬしかないんだわ。なぜそう思ったのか自分でも分からない。それまで自分はいじめなんかに遭っても絶対自殺なんかしない。そう確信していた。テレビや新聞でいじめに遭った自分と同じ年齢の子が、自らの命を絶つことに腹立たしさえ覚えた。それなのに何でだろう。いじめには耐えられたのに、友香の話を聞いた途端生きていくのが辛くなった。もう何もかも嫌になった。美穂があのような行動に出たことは、確かに自分に責任がある。でも何でそこまで。もういい、何も考えたくない。薫の頭の中のコンピューターは容量を超え、それ以上計算することができなくなっていた。エラーの文字が頭を過った。皆さようなら。
2
菱来の家は鼎の交差点を西方面に行った民家が密集した場所にあった。菱来由紀子は車で十分ほどの水引工房にパート勤めをしていたため、その日は夫と薫を送り出し、朝食の後片付けと洗濯を済ませ九時十分頃家を出た。九時半から仕事を始め五時半で仕事を終える。退社後直接家には帰らず、帰宅途中にある大型スーパーに買い物をするため寄り道をした。そこで食料品の買い物を済ませると、レジ横で近所の村下の奥さんに会い立ち話を始めた。
話の内容は娘の受験のことで、村下も昨年息子が高校受験だったため、つい話しが弾んでしまい立ち話が長くなった。車に戻り時計を見ると七時近くになっていた。主人も部活が終わり、もうそろそろ帰宅する。急いで帰って夕食の支度をしなければと思い、一目散で家に帰った。鍵を開け中に入ると、外は暗くなっているにも拘らず、家のどこも彼処も電気が点いておらず真っ暗だった。
「薫・・・・・・」
娘の名を呼んでも何も返事がない。いつも学校に履いていく白いナイキのスニーカーは、玄関に綺麗に揃えてあったのでいるとは思うのだが。(いやだ。あの子疲れて寝ているのね)由紀子は夕食の支度をしようとキッチンに向かった。廊下を通りキッチンに行こうとすると、今ではあまり見られなくなった、二間続きの和室の襖が開けっ放しになっている。そのためそれを閉めようと襖に手を添えると、妙な臭いが鼻についたと同時に、部屋と部屋の間にある鴨居に人の影のようなものが目に映った。一瞬それが何か判別がつかず、無意識に和室の蛍光灯を点けた。そこには薫の変り果てた姿があった。
薫の足元には汚物にまみれた一通の封筒が置いてあった。由紀子はそれを拾い上げるとその場で開封した。便箋には薫の丁寧な字で遺書らしき文面が書かれていた。
{お母さんごめんなさい。どうか先立つ私を許して下さい。私はずっと学校でいじめを受けていました。しかし私はいじめを苦にして自ら命を絶とうと思ったわけではありません。
今回私が学校で受けたいじめは、私自身のいわば身から出た錆なのです。私は今日までどんな人にも好かれるようにと思い、常に良い人であろうと努力してきました。私に対してどんな悪意を持とうと、私自身が素直になり良い人で居続ければ、きっとその人にも私の気持ちが分かってもらえると思っていたからです。
しかし実際は違っていました。私は外面は良い人を演じていたのですが、内面はそれとはまったく違っていたのです。それはなぜか、私には汚れた血が流れていたからです。
そうお母さんあなたの汚い血が私の中に流れていたからです。私のお父さんが本当は違う赤の他人だったということを、私は小学校五年生のときに知ったのです。それは偶然テレビドラマを見ていたとき、私の本当の父親ではないかと思える、男の人の手を思い出したのです。
今のお父さんもお母さんも、手が非常に綺麗なのに、私だけ手がこんなに醜いなんておかしいと思いました。そして幼い頃お母さんに連れて行かれた病院で見た男の人の手が、私の手とそっくりだったのです。それは神様が私に与えてくれた、小さなヒントに違いないと思いました。
あの頃は顔もやつれていたため、良く分からなかったのですが、おそらく容姿は私にそっくりなんじゃないかと思います。つまりその人が私の本当のお父さんではないのでしょうか。あのときお母さんは泣いていました。私は幼くて何でお母さんが泣いているのか、何で病院に来たのか分からなかったのですが、今ならはっきり分かります。お母さんはあの男に、実の娘である私を一目見せたかったんですね。
あんな立派なお父さんがいるのに何でお母さんは、あんな人の子供を産んだのですか。私はこの世に出てきてはいけない人間だったのではないですか。お父さんに済まないとは思わないのですか。お父さんは何も知らないんでしょう。
今まで私を育ててくれて、お父さんには本当に感謝しています。そして済まない気持ちもあります。このことを知ったとき、お父さんのためにも良い子になろうとひたすら努力しました。勉強もスポーツも頑張りました。いつもにこにこして、あの子は本当に良い子だねと、周りの人に言われるように振舞っていました。でも本当の私は違うのです。真実を知ったとき、お母さんのことが憎くて仕方ありませんでした。何でお母さんはお父さんを裏切ったのですか。お父さんが気の毒です。
このことを知ったとき、実の娘でない私を育ててくれたことに感謝し、誰からも好かれる良い子になり、勉強も一生懸命して、皆から尊敬されるように努力してきたのです。しかし本当はどこかに醜い心を持っていて、それを親友の美穂に見透かされてしまったのです。今までの良い子の薫は実は偽りで本当の薫はもっと醜いのだと。私の中には、お母さんの汚れた血が流れているのです。お母さんの罪は私の罪です。私がお母さんの罪を背負ってあの世に持って行きます。お母さんはお父さんを大切にしてやって下さい。さようなら}それは由紀子にとってあまりにも辛い内容だった。
自分の身体から自分の魂が抜き出て行くのではないかという感覚に襲われた。菱来に薫が実の子でないということは、どうしても知られたくなかった。私はどうしても子供が欲しかった。結婚して二年経っても子供ができないため、菱来と二人で産婦人科に診察に行った。結果は後日私だけが訊きに行き、そこで驚くべき事実を知る。まさか菱来が無精子症とは思わなかった。私は色々悩んだ末、兄の農場で働いている柿崎康夫に頼んで子供を作ることにした。
康夫とは菱来と出会うまで、ずっと男と女の関係だった。康夫は知能が他の者より少しばかり劣っていた。しかし康夫は本当に素直で優しい心の持ち主だった。学生時代は康夫と結婚しても良いと思ったほどだ。しかし大人になるにつれ、康夫と家庭を持っても惨めなような気がしてきた。康夫を愛していたのは間違いない。しかし周りの目も気になった。何よりも兄の目が怖かった。兄と康夫は同じ歳で康夫は中学のとき特殊学級だった。しかし一週間の半分は普通のクラスで授業を受けていた。兄とはクラスは違ったが、どうも康夫はクラスの一部の者からいじめを受けていたようだ。その端正な容姿と行動があまりにもギャップがあったため、いじめっ子の目に留まったのだろう。その者たちと兄はよく喧嘩をしていた。兄は康夫のことをあまり好きではなかったようだが、使用人の息子ということで義務感から康夫を守ったのだろう。兄はそれでも康夫はそれほどいじめを苦にしているようにはみえないと言っていた。
しかしそのことを、私が高校に入り康夫と付き合い始めた頃訊いたことがある。康夫はそのときのことを思い出し、とても辛かったと呟いた。あの悲しい目は相手を理解しようと思わなければ、決して気が付かないのではないか。どんな人間でも心はあるのだ。いじめを受ければ心が痛むのは皆一緒なのだと。いじめている方は康夫みたいな者はただ笑っているだけで、何も感じていないと思っているのだろうか。康夫は顔で笑っていても、心の中では泣いていたんだと。あるいは心の中でやめてくれと叫んでいたかもしれない。こんな純真な心を持った康夫をいじめるなんて許せないと思った。私は康夫が愛おしかった。そのように思っていたにも拘らず、私は結局康夫との関係を断ち切り菱来と一緒になった。薫が言うように私には汚れた血が流れているのかもしれない。
それはパンドラの箱だった。開けてはならない箱を開けてしまった。しかしそれは直ぐには発動せず、十五年経った今突然発動したのだ。人として許されることではなかった。あの子は罪を背負ってこの世に生を受けたと思ったに違いない。それはあの子の罪ではない。私の罪なのだ。
由紀子は無意識のうちに薫の遺書を便所に捨てていた。そして薫の元に戻ると意識が遠退いていくような感覚になった。ごめんね薫。お母さんは花になります。そのときから由紀子は由紀子でなくなった。
明日に向かって
1
菱来は長野地方裁判所で、裁判長から執行猶予の言い渡しを受けると、長野拘置支所に戻り直ぐ釈放になった。そのままバスターミナルまで歩き飯田行きの高速バスに乗った。途中篠ノ井を抜け千曲市を通りトンネルに入って行く。千曲市には二度と来ないだろう。そう思うとちょっぴりこの地に哀愁を感じた。
飯田駅に着くとその足で飯田中央病院に向かった。由紀子は精神科ではなく、ICUに移されていた。菱来が飯田にいたときから既に由紀子とは意思の疎通を欠いていたが、今は身体も動かない植物状態になっていた。水や肥料をやらなければ枯れてしまう花のように、そう由紀子は花になってしまった。彼女が本当に精神を病んでいたのか、今となっては確かめることはできないが、もしかしたら由紀子は花になれて良かったのではないか。そのように思えてならない。
由紀子の主治医だった梶原が、菱来に一通の手紙を渡した。手紙には切手が貼られておらず、表に菱来の名前が記載され、裏を見ると下條直人と書かれてあった。下条は由紀子の実兄である。病院廊下の長椅子に腰掛けると、封筒を破り中の便箋を取り出した。そこには男らしいしっかりした字体で次のことが書かれてあった。{誠君、出所おめでとう。この手紙を手にしたということは、既に君は拘置所を出られたということでしょう。一回も面会に行かなかったことを御許し下さい。僕は君にどんな顔をして会えばいいのか迷った挙句、結局面会に行けませんでした。君の事件は世間では色々言われているようですが、僕自身の意見としては、仕方ないと思う反面やはり暴力はいけないと思います。
本来なら直接会って御話しをしなければならないことなのでしょうが、どうしても君と面と向かって話す勇気がなく、御手紙で御勘弁下さい。由紀子は御覧になったように、もう植物状態から回復する見込みはないそうです。だから今から御話しすることは僕の胸に仕舞っておけば、そのほうがいいのかもしれませんが、今後君が私共に引け目を感じるようであればいけないと思い、すべてを御話しすることにしました。
以前私共の農園に柿崎康之という使用人がいたのですが、その息子の康夫は僕と同じ歳で、子供の頃はよく一緒に遊びました。子供の頃はそれこそ美少年で、ここら辺では有名でした。康夫は頭の方はあまり賢くなかったため、中学校を卒業すると、直ぐにこの農場で働くようになりました。どうも由紀子は高校時代から康夫とは男と女の関係だったようです。僕も薄々それには気付いていましたが、由紀子に面と向かっては言えませんでした。そして由紀子が誠君と一緒になっても、康夫との関係を続けていたみたいです。
康夫もあれだけいい男だったので、女は選り取り見取りのはずなのに、なぜか由紀子との関係をやめなかったのです。ただ康夫は知能が若干普通の人より劣っていました。やがて二人の間に薫ができたのです。申し訳ありません。薫は君の実の子ではないのです。由紀子と康夫の間に生まれた子なのです。君も憶えていると思いますが、君たちは二年経っても子供ができないため、一度産婦人科に行ったそうですね。
こんなこと僕が言うのは非常に躊躇われるのですが、君は無精子症だったようです。そのことを由紀子は君に伝えなかったみたいです。それでも子供を諦めきれない由紀子は、康夫と情事を重ね薫を授かったのです。僕がそのことを聞かされたのは薫が四歳になったときです。そのとき康夫は膵臓癌に掛かり、余命半年と告知を受けたときでした。僕は随分反対したのですが、由紀子は薫を連れ康夫に会いに行ってしまいました。薫はそのときは分からなかったようですが、小学校高学年になって、どうも君が実の父でないことに気付いたみたいです。
それはすべて薫が由紀子に宛てた遺書に書いてあったそうです。薫が自殺した原因は学校でいじめを受けたからではないのです。自分の中に流れている血が汚いと思ったからなのです。薫は君には本当に感謝していました。薫があんな良い子に育ったのは、君に対する感謝と贖罪からだとも、遺書に書いてあったそうです。僕は未だに何で使用人だった康夫を由紀子が好きになったのか分かりません。顔は確かにモデル並みに整っていたのですが、康夫の取り柄といったら、僕が言うのもなんですが何もないのです。そのような木偶の坊になぜ、由紀子は引かれたのかどうしても分からないのです。今まで隠していて済みません。何もかも由紀子が悪いのです。君を裏切ったこと、使用人を好きになったこと、由紀子は今植物状態ですが、妹は今が一番幸せなのかもしれません。由紀子が自殺未遂をする前、彼女自身そのとき正気に戻ったのか、今まで気が触れた振りをしていたのか医者に確認すると、目の前で起こった出来事があまりにもショックで、そのような結果になってしまったのは自分に責任があると思い込み、天照大神のように自分自身を隠してしまったのではないか。それを薬や心理療法で、本来の自分を取り戻せるように働きかけていたところ、気持ちが正常になるに従い無気力さがとれていき、それとは反対に自分自身がいたたまれなくなり、より自分を惨めに感じ自ら命を絶ったのではないかということです。
医師の方では由紀子が完全に快復したかどうかは、確認できなかったようですが、僕に対して遺書を書いたということは、以前の由紀子の状態からは考えられません。精神状態が正常に戻ったことが、かえって由紀子を辛いところに追い込んだのだと思います。
こんなことを言えば君は怒るかもしれませんが、由紀子はあのまま死なせてやれば、その方が由紀子のためには良かったのではと思えるのです。由紀子は自分の妹ながら君みたいな立派な夫がいるにも拘らず、康夫みたいなバカな男と関係を持ち、子供まで作ってしまうのだからまともな女ではありません。
一番気の毒なのは薫です。あの子のような賢い子でなければ、自分の境遇に気付かなかったかもしれませんし、また自らを追い込むこともなかったと思います。あの子にとって由紀子が、君を裏切ったことが、どうしても許せなかったんだと思います。
昔から血は水より濃いといいますが、薫があんな賢い立派な子に育ったのは君の下で育ったからだと思います。おそらく由紀子は一時だけ正気に戻ったのではないでしょうか。それがかえって由紀子の命を縮める結果になったことは皮肉ですが。僕が見た遺書は誠さんには見せないでと書かれていたため、君には見せることができませんが、内容は以上のようなことが書かれていました。どうか由紀子の気持ちを汲取ってやって下さい。今後由紀子の面倒は私共が責任を持って看ますし、君も困ったことがあったらいつでも伊那に来て下さい。微量ながら力になります}義兄からの手紙はそのように締め括られていた。自分が知っている義兄であれば、おそらく菱来との関係を断ち切りたいのだろう。だからこのような手紙を医師に託したのではないか。狭い田舎であれば身内から犯罪者が出たなら、そのように考えるのは当然のことだろう。
自分が無精子症ということも、薫が自分の実子でないということも今始めて知った。そして薫が自殺した原因は、いじめを受けたからではなく、自分自身の境遇に悩み自ら命を絶ったことも。
今まで何度も感じたことだが、自分の娘にしてはできすぎた娘だと思った。あの娘があんなに素直に育ったのは、実の父でない自分への感謝と贖罪の気持ちからだったのだ。何て良い子なのだ。己の境遇を恨むどころか前向きに生きようとした。しかし結局は彼女も周りの悪意に負けてしまったのだ。いじめは関係ないと義兄は言っているが、それが切っ掛けになり、もう一度自分を見詰め直したとき、何もかも嫌になったのではないだろうか。誰にも打ち明けることができず、余ほど辛かったのだろう。本当の子供でなくても生きていて欲しかった。たとえ血は繋がっていなくても薫は自分の子だ。十五年間一緒に暮らしてきたことは紛れもない事実なのだ。
義兄の手紙を読み終わっても、椅子から立ち上がることができなかった。ショックは確かにあった。しかしそれ以上に嬉しかった。たとえそれが幻想であったとしても、それはそれでかまわない。自分は薫の父であったことを誇りに思う。
2
アスファルトから照り返す日差しが眩しかった。自分の前を通り過ぎていく車が、アスファルトから発する熱気で陽炎のように揺らめいて見える。肘まで捲り上げた警備会社の制服はもう一週間以上も洗濯をしていない。ヘルメットの内側にはタオルをあて、額から出る汗を吸収したが、それでも頬に汗が流れ落ちてくる。ズボンのポケットに手を入れハンカチを取り出し額の汗を拭いた。タオル地のハンカチは右下に熊のプーさんが瓶に手を突っ込んでいる刺繍が施してある。紫に近い青色は何回か洗濯を重ねるうちに、水色に変色してしまった。このハンカチは娘の薫が残した形見だった。元々は大きなバスタオルだった。最初自分の背丈より長いタオルを引き摺りながら、家中を歩き回った。ご飯を食べているときもテレビを見ているときも決して放さなかった。外に出掛けるときもそれを持って行こうとしたが由紀子はそれだけは許可しなかった。薫が寝たときタオルを洗濯し乾燥機にかけ、朝方また枕元に戻しておいた。毎日のように洗濯していたため色褪せ所々ほつれていたがそれでも放さなかった。小学校に入学することになっても、家にいるときはいつもこのタオルを持っていた。由紀子は仕方なくハンカチの大きさに切って、解れないように四隅をかがり、コンピューターミシンで熊のプーさんの刺繍を施してあげた。それも成長するにしたがって、タオルにあまり執着しなくなっていた。出所して家の荷物を整理していると、辛うじて一枚だけ箪笥の奥にこのハンカチタオルが残っていた。
以前この暑い時期は、夏休み家族でよく海外旅行にいったものだが、今となってはそれもただの想い出にすぎない。
この道路の交通誘導の仕事に就いて、もう少しで一年になるが、仕事中誰とも言葉を交わさなくていいことだけは、自分にとって都合がいい。まあ自分みたいな人間を雇ってくれただけマシということだろう。
執行猶予をもらい出所した後、日本全国から是非うちの塾の講師になってくれという誘いを受けたが、それよりも多く御叱りの手紙も貰った。
今の収入は教師時代に比べると半分にも満たない。塾の講師の誘いでは年収一千万以上出すというところもあった。それは明らかに自分を客寄せパンダとして、使うのが見え見えで、ときが来れば宣伝効果は薄れ、お払い箱になるのは時間の問題だろう。
今の仕事は何も考えなくていい。人間関係の煩わしさもない。教師時代は一日立って授業をしていたため、交通誘導員として立って仕事をするのに苦痛は感じなかった。それでも家に帰り靴を脱ぐと、教師時代にはなかった足の浮腫みが見られた。
今は休みの日、ビールを飲みながらレンタルビデオショップで借りてきた映画を観るのが何よりもの楽しみである。拘置所に収監されているときは、差し入れ本も多かったため、沢山の本を読んだ。今は市の図書館に行って本を借りてきては読んでいる。
自分は薫の分も林原の分も引き継いで生きていこうと思う。それも悲観的な考えではなく前向きに。お金が貯まったらもう一度カトマンズに行ってみたい。
3
由紀子と付き合う切っ掛けになったのは、伊那の中学校に勤務しているとき、市が主催する料理教室に参加したときだった。そのときはまだ母も元気だったため、伊那市内の教員住宅に居住していた。同じ勤務先の家庭科の中年教師が、独身の菱来の食生活を気に掛け勝手に申し込んだのだ。
菱来は料理にはまったく興味なかったが、職場の先輩が申し込んでしまったため、仕方なく週一回の料理教室に参加した。料理教室に参加した男性は、菱来ともう二人農協の職員だけである。あとは皆比較的若い女性だった。男である以上女性に興味を持たないわけではないが、自分の方から積極的に女性に声を掛けるタイプではなかったため、毎日が何もなく過ぎていくように思われた。
教室では五人ずつグループになって料理を作るのだが、菱来のグループに由紀子がいた。由紀子はこの料理教室のなかで、とくに目立った存在ではなかったが、目が綺麗な子だなあという印象は持っていた。女性とは大学時代同じ大学内の女子大生と付き合ったことがあったが、卒業と同時に自然消滅していた。女性に対して人見知りするということはなかったものの、自ら積極的に女性に近付いていくことは、何か億劫で煩わしかった。
結婚後由紀子の話によれば、菱来は学校の先生ということもあって、料理教室の女性の間では人気があり、皆お付き合い願いたいと狙っていたそうだ。
料理教室に通って二ヶ月ほど経ったとき、学校の方が忙しく四回ほど教室を休んだら、なぜか学校に由紀子から電話が掛かってきた。
「あの私料理教室に通っています下條です。突然勤め先に電話して済みません。どうされたのですか?教室に来られないので皆心配していますよ」
突然の女性からの電話にビックリした。女性との経験の少ない菱来には、なぜ由紀子がわざわざ電話を掛けてきたのか分からなかった。
「ちょっと学校の方が忙しくて」
忙しかったのは最初の一回だけで、後は何となく行きそびれてしまったからだ。
「それならよろしいのですけれど」
「わざわざ心配してくれて済みません。今度の教室は出るようにしますから」と言ったものの何か直ぐ電話を切るのも勿体なく、周りに誰もいなかったこともあり「今度よろしかったら食事にでも行きませんか」と思わず普段では絶対口に出さない言葉を発していた。
「え~。よろしいんですか?」
相手の反応に少し戸惑ったものの「是非お願いします」と口走っていた。自分で言っておきながら自分で驚いた。
このときまさか由紀子が菱来と平行して、他の男と付き合っているとは思いもよらなかった。自分は物に対しても人に対してもあまり執着心がなかったためか、普通の男であればあのようなことを義兄から聞かされれば、怒りがこみ上げて来ても不思議ではないのだが、なぜか少しも由紀子に対して怒りが湧いてこなかった。寧ろ自分が無精子症で子供を欲しがる由紀子に対し、辛い思いをさせ済まないとすら思えた。
由紀子のお腹に薫が宿ったとき、この上もない喜びを感じた。しかしそれが自分の子でないと分かっていたら、あのように嬉しかっただろうか。それでも薫の存在は自分の生きる糧に違いない。知らなかったのは自分だけで、彼女たちはそれぞれ悩んでいたのだ。
女の人は自分のお腹を痛めて我が子を産む。しかし男はそれが自分の子であるか、そうでないか、DNA鑑定でもしない限り信じるしかない。イエス・キリストの父ヨセフはどのような気持ちで自分の息子を見守っていたのだろう。人が何を言おうと、自分が信念を持っていればそれでかまわない。
人に執着しない菱来でも、自分の人生を振り返って人に何かをしてあげるのは、やはり悦びなのだと感じる。今由紀子に自分がしてやれることは傍にいてやることだ。
仕事が休みの日、久しぶりに由紀子のところに面会に行った。身動きしない由紀子の枕元に行き、彼女の顔をじっと見ていると、色々なことが走馬灯のように頭の中を過った。今までそれこそ色々なことがあったが、やっぱり俺はお前のことが好きだ。菱来は何も言わない由紀子の唇に自らの唇を重ねた。目を瞑っていた由紀子が、一瞬こちらを見たような気がする。意識がないものの唇には温もりがあり、初めて由紀子とキスをしたときと何も変わらなかった。由紀子は死んでなんかいない。間違いなく今ここに生きている。ここにいるのは植物なんかじゃない。人間なのだ。
菱来は由紀子の腕をとった。ミイラのように痩せ細った腕は、水気がなくカサカサして痛々しい。竹の枝のような細い指には、ぶかぶかになった指輪が辛うじて関節に引っ掛かり、落ちずにそこに留まっていた。指輪の図柄は蝶が二匹舞っているモリ・ハナエのデザインだった。
初めてこの指に指輪を嵌めてからどれくらい時間が過ぎたのだろう。昔は本当に綺麗な手だった。婚約したとき由紀子と二人で、わざわざ名古屋まで買いに行った結婚指輪だ。店のショーケースを見ていた由紀子が、迷わずこれがいいと言った。同じ物を二つ買ったのに既に菱来の指にはそれはなかった。
菱来は由紀子の手を取ると、その手で自分の瞳から零れ出る濡れたものを拭いた。それはいくら拭いても止まらなかった。快復するかどうかは分からない。それでも希望を持って待ってみよう。
嘗ては考えてもみなかったが、明日は必ずくる。そう信じて今は生きている。
〈了〉
〈参考文献〉カムイ伝 白土三平(小学館)
四〇〇字換算三二〇枚