浮気?
「黒野!」
俺の姿に気づくなり、杏子はまるでそのまま抱きついてきそうな勢いでこちらに駆け寄ってきた。
そしてすぐ目の前で立ち止まると、不安そうな表情から一転、安堵した顔ではぁ、と息をつく。
「よかった。来てくれなかったらどうしようかと思って……」
杏子はすがるようにじっと上目遣いに俺を見つめてくる。
てっきりおせーんだよノロマが、とか罵倒されるかと思っていたが、これは全く想定外のリアクション。
もう今にも腕にしがみついてきそうなのでこちらは逆に引いてしまう。
……あれ? ていうかなんか普通にかわいいぞ?
「で……何?」
「あのね、あの……」
焦ってうまく言葉にならない様子。
よくよく間近で顔を見ると、なんだか顔色も悪いし目の下のくまも化粧で隠しきれていない。やはり普通ではない。
あの杏子がここまで憔悴しているとなると、もしやマジでかなりヤバイ事件とかに巻き込まれたとか?
嫌な予感を膨らませながら、息を呑んで杏子の言葉を待つ。
「き、恭一が、恭一が……」
「ラノベがどうかしたのか?」
ヤンキーにボコられてカツアゲされたのか。(いかにもされそうなショタ顔をしている)
もしくはガチムチのおっさんにアーッされてしまったのか。(いかにもされそうなショタ顔をしている)
あれ? でも恭一のやつ、今日普通に自分の席で本読んでたような……。
「う、浮気……してるかもしれない」
「は?」
それだけ? と続くのをすんでのところでこらえた。
何かと思えば浮気? してるかもしれないってなんじゃそりゃ。
警察沙汰レベルのものを覚悟していただけに全くの拍子抜けである。
「そ、それはまた……。大変な……」
もうさっさとおっぱい揉んで教室帰ろうかと思ったが、杏子の顔があまりに真に迫る勢いなのでひとまず心配する素振りをみせる。
「そうなんだよ。女の子と二人でショッピングモールを歩いていたのを、友達が見かけたって……」
「ふぅ~ん……なるほどなるほど」
神妙に話を聞きながらも内心どうでもよかった俺は、付近に積んであったレンガに座って、買ってきたおにぎりの封を切って食べ始めた。
浮気と言ってもそれだけの情報で……全然確定ですらないっていうね。
「どうしよう、その女の子も全然、見たこともない子だったって言うし……」
「見たこともないね、うんうん」
「でもそんな子と出かけたとか、アタシ全然聞いてないし……。これってやっぱり、浮気なのかな……?」
知らねーよ、そんなしょーもない話をするためにこの俺をわざわざ呼び出したのか?
ていうかなにを普通のかよわい女子みたいなリアクションしてるわけ? クソビッチギャルみたいな見た目の分際で。
……とは言わない。膝で蹴られるから。
「それはね……さっさと本人に聞けばいいと思うよ」
ナイスアドバイス俺。
ていうか杏子のことだから、そんな話が耳に入ったら「なに? どういうことなの?」と速攻で壁際に追い詰めてそうなものだが。
俺が最も単純明快な答えを提示したにもかかわらず、杏子はアテクシ顔で宙のどこか一点を見つめながら語りだした。
「いやでもアタシは、恭一のこと信じてるから。内緒ってことは、きっと何かそうしなければならない理由があるんだって……。だから恭一の方から、言ってくるのを待とうと思って」
ファッ? なら最初から自分で解決しとるやんけ。なぜ俺にわざわざ話したし。
「そうですか、では僕はこれで」
「ちょ、ちょっと待った! そこでちょっと、黒野に頼みがあるんだけど」
「あぁ?」
これはさすがにお人好しの俺と言えど、軽く巻き舌気味になってしまう。
いやもうこんなスカシボケみたいなことを盛大にやられたら頼み事もクソもないっすよ実際。
「あ、あのさ……。ちょっと恭一の様子を、それとなく探ってほしいんだけど……」
「信じてると言いながらも俺にこっそり探ってきてとはこれいかに」
「そ、それはさぁ……あんただって恭一のこと気になるでしょ? 友達でしょ?」
「友達じゃ相方はやってられへんのや」
人間強度が下がるからね。仕方ないね。
「そっか、もうそんな間柄じゃないもんね。バイの泰地くん」
「殺すぞ」
「何だよ? いつも自分で掘る掘る言ってるくせにさ」
「自分で言うのと人に言われるのは違うんだよ。ていうか今ヤベーんだよ、変な噂のせいでギャグじゃすまなくなってきてるから」
全力で否定してかないとマジでシャレにならない。
しばらくそのネタは封印せざるを得なくなっている。
俺が渋っていると、杏子は両手を合わせて頭を下げてきた。
「お願い。こんなこと頼めるの、黒野しか思い当たらなくて。恭一と仲いいのって黒野しかいないし」
なんかいい風に言ってるけど、完全なる汚れ役じゃないですか。
俺はうんともすんとも言わずに菓子パンを頬張りながらふと思い出して、
「お前、もう飯食ったの?」
「いや……その、最近食欲なくて……」
「ふ~ん……」
その傍らでもぐもぐもぐとこちらはお構いなしである。人の不幸で飯がうまいを地でやる俺。
しかしそれで飯も喉を通らないとかそういうこと? どんだけ軟弱なんだよまったく。
「……わかったよ、やりゃいいんだろやりゃ」
「ホント? ありがとー! なんだ~黒野ってやっぱ恭一の言うとおりじゃん。よっツンデレ」
「何がツンデレだよ揉むぞ」
弥月の件があって以来、ツンデレというものに拒否反応を起こすようになってしまった。
もうアニメとか漫画でもツンデレキャラが出てきたら即切るね。
杏子は俺が承諾した途端、急にイキイキしだして「うりうり~」と肘でつついたり肩をべしべししてきやがったのでなんかイラッとして、
「で、報酬は?」
「ほ、報酬?」
「この俺がただで動くとでも? こちとら分刻みのスケジュールの男だぞ?」
そう言ってやると杏子はうーん、と少し考える素振りをしたが、すぐにポン、と手を叩いた。
「わかった。無事解決したら、アタシと恭一と、黒野と弥月の四人でディズ○ニー行こうか。交通費ぐらい出してあげるから」
「はあ? なにを我ながら名案みたいな感じ出してるわけ? こういう時報酬って言ったらエロに決まってんだろ」
「あっそ。弥月に告げ口してやる」
「ディズ○ニーいいよね。ブーさんにハチミツぶっかけてえ」
今そういうネタもうかつに言えなくなってしまった。
ちなみに杏子も俺と弥月が付き合いだしたことを知っている。あのバカ舞依がうっかり口を滑らせたらしい。
前にも言ったかもしれないがそういうダブルデート的なものは響きが寒いのでNG。
「ん~……」
杏子は俺のことを見下ろしながら何やら考えていたようだが、やがて俺が座っている目の前に立ちふさがった。
そしてやや短めの自分のスカートの裾を片手でつまんでみせた。
「じゃあこれ……めくってみせればいい?」




