弥月にゃん再び
その後、帰宅した俺に弥月から怒涛のラインが来た。
『なんで勝手に帰ってるの? 信じられないんだけど』
などといった内容の要するに弥月様激おこである。
よっぽど俺の部屋まで乗り込んで詰めてくるかと思ったが、
『罰として、夜あたしの部屋来て。ご飯食べたらでいいから』
と意外に優しい。いや優しくはないか。
弥月が俺の部屋に来ることは日常茶飯事だがその逆、俺が弥月の部屋に行くことは滅多にない。
まあ別になにか面白いものがあるわけでもなく、部屋に行っても特にすることもないのだ。
しかしご褒美だの罰だの、そういうの好きだよなほんとに。
アメとムチというか、やっぱそういう女王様的な気質があるのかね。
などとぼやきながらも、言われたとおりに飯が終わった後『今から行く」と連絡して隣の弥月宅へ。
チャイムを鳴らすとすぐに弥月が出てきて、ささっと俺の背後を確認したあとぐいっと腕を引いて家に引きずり込む。
無表情のまま「来て」としか言わず、これは怒っているのかな? と思いながらも階段を登ってそのまま二階の弥月の部屋へ。
弥月の部屋はいつぶりか忘れたが、特に余計なものが転がっているということもなく、きれいに片付いている。
勉強机にテーブルにテレビにベッドに、そしてありがちなキャラクターもののクッションやぬいぐるみが……といたって普通。
漫画やゲーム機の一つも見当たらず、俺にしてみたら精神と時の部屋みたいなもんだ。普段一体何をして過ごしているのか疑問である。
たしか中学生の時に俺がここで弥月が持っていた恋愛少女漫画を読んで、
「うわなにこれ、おもしろすぎ」
「ほんと? それあたし好きで集めてて……」
「ありえなさすぎて超笑える。ギャグ漫画?」
と爆笑したせいなのか、そういうのは丸ごと捨てたのかもしれない。
まあ実はあの押し入れの中に大量に隠されている可能性も無きにしもあらずだが……。
そんなことを思い出していると、なおも無表情の弥月に「座って」とだけ言われて、床の丸いクッションを指さされる。
逆らわずに言われたとおりにすると、そのすぐ対面に同じようにしてクッションの上に弥月がぺたんと座り込んだ。
よくよく見れば弥月の格好は、いつぞやも見覚えのある肩丸出しの裾がスカート状になっている妙にエロい薄いピンクのパジャマ姿だ。
思わず膝とふともものラインに目がいっていると、突然弥月はぐっと顔を近づけて詰問してきた。
「どこに行ってたの? ライン送っても返ってこないし……」
「いやちょっと非常に重大な用を思い出しまして」
「重大な用? 何か知らないけど……それなら一言あってもいいでしょ? 探したんだからね?」
「はいはいすいませんでした」
「だめ。だから罰」
だめってなんやねん。
まあなんでもいいんだけど、そこまで本気で怒っている感じではないので実は少し安心している。
しかしそれはそれでまた別の問題が……。
なんというかこの部屋といい、風呂上がりらしい弥月といい、めっちゃいい匂いがするんだが。
「それで、罰ってなんでしょうか?」
金取る系は勘弁してくれませんかねえ……と伺いを立てると、弥月は急に膝立ちになってそのままにじりよってくる。
そしてむす~っとした顔を近づけて来たかと思うと、急ににへら、と笑って、
「じゃあまずは頭ナデナデかな~」
「は? それが罰なのか……」
「だって泰地嫌がるでしょ? どうせ言ってもしてくれないじゃん」
弥月は拗ねるように口を尖らせるが、頭撫でるぐらいで済むなら余裕すぎる。
俺はおもむろに手を伸ばし、わしゃわしゃと弥月の頭を撫で回す。
「い、いたっ、もっと優しく!」
「もっとエロく言ってみてくれ」
「うるさい」
一応罰ということなので、リクエスト通りに優しく頭を撫でつけていく。
手のひらになめらかな髪の感触と体温が伝わってくる。
弥月はまるで犬のように頭をたれてされるがままになっていたが、しばらくすると顎を持ち上げてじっと俺を上目に見つめてきた。
目が、顔全体が若干とろんとしていて、さらに何か訴えかけるように小さく開いた唇がなんというか……非常にエロい。
それに気づいてしまって体が固まっていると、急に身を乗り出してきた弥月の口元がそのまま頬に触れた。
ふわっと甘い香りが鼻を刺して、またすぐ遠のく。
「えへへ、スキあり」
すぐ目の前で弥月が頬を緩ませる。その口調といい、もうゆるゆるである。
あー……ヤバイなこれは。もしかして俺が爆発しないといけないやつか。
普段カップルの爆散を願っている俺がまさかその立場になるとは。
「も、もういいかな。これ以上は爆発しないといけなくなるので」
「だめ」
さっきからだめパターン入ったぞ。だめって言われるとなんも言えない。
弥月は「ちょっとまってね」と言うと、一度ベッドの方へ離れていって、手に何かを持って戻ってきた。
そして再度俺のそばに座り込むと、背中に隠すようにして持ってきたそれを見せてくる。
「じゃん!」
「え、なにそれは……」
「かわいいでしょ?」
というそのブツとは、猫耳……のついたヘアバンドだった。
まさか、と嫌な予感が走ったその瞬間、弥月はためらいなく猫耳を頭に装着した。
「どう? んふふ、弥月にゃんだぞ~」
説明しよう!
弥月にゃんとは、甘えモードになる静凪のしずにゃんを丸パクリした非常にゴロの悪いセンスのかけらもない俺が苦手とする弥月の形態の一つである。
なぜ苦手かと言うと、この女は弥月にゃんならいくら甘えてもいいという謎理論を展開して、ここぞとばかりに恥ずかしい行為に及ぶのだ。
しかもわざわざ猫耳まで用意するとは……パクリのくせに本家よりガチっているという非常にタチの悪いやつだ。
そして今もぶりっ子ポーズをしながら、下から俺を覗き込むようにしてくる。
「ねえねえ、かわいい?」
「そ、そうね……」
「たまには言ってくれてもいいじゃん」
「か、かわいいよ……」
「やたっ! もっともっと!」
「かわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいい!」
言い過ぎ、うるさい。
というボケのつもりが全然ツッコんでくれない。
弥月はひたすら笑顔でうんうんうんとやるばかりだ。
「はやく止めろよ、これじゃ俺がヤバイ人みたいだろ」
「止めないよ? もっと言っていいよ」
「どんだけ欲しがるんだよ。だいたい俺が言わなくたって、かわいいなんてあっちこっちで言われなれてるだろ?」
「わかってないなぁ~。好きな人に言ってもらうのとじゃ全然重みが違うんだよ?」
「んふふふ~」とすっかりごきげんになった弥月にゃんが、じりじりとにじり寄ってくる。
やはりこの女……弥月にゃんだぞ~とか言ってやりたい放題やるつもりだ。
今にも胸元に飛び込んできそうな弥月に、俺は及び腰になりながらも待ったをかける。
「ま、待て落ち着け。一回冷静になろう。あとで素に戻って死にたくなっても知らんぞ」
「別に~? 二人だけだったらいいもん。ここなら邪魔も入らないし」
なるほど、自分の部屋を選んだのは本家しずにゃんの乱入を恐れてのことか。
まあこんな猫耳までつけてにゃんにゃんやってるところを誰かに見られでもしたら恥死するだろう。
だとか言っているその矢先に、コンコンと部屋のドアがノックされる音がした。




