単発恋人ガチャ
午前の授業が終わって、昼休みになった。
校舎三階の1-Bの教室。廊下側の一番うしろのポジションの俺は、こっそりカバンを持って人知れず教室を出た。
近くに少しばかりおしゃべりな女子の席があるため、そのうちに同類が集まってきてここら一帯がやかましいことになるのだ。
断っておくが一緒にご飯を食べる友だちがいないわけではない。
俺は一人が好きなのだ。もう一度言うが友だちがいないわけではない。
そしてやってきたのは教室のある建物とは別棟の、屋上へ続く階段。
屋上は封鎖されているので出られないが、ここは誰にも見られず誰も来ないという神スペース。
ゆっくり大便をするためになるべく人のこないトイレを探していた時、偶然見つけた。
俺は階段の一番上の段に腰を下ろして、カバンから弁当箱を取り出す。
フタを開けると、白米と、俺の大好物の卵焼きがぎっしり詰まっていた。
実はああ見えて真奈美はツンデレなのだ。おかず卵焼きしかないけど。
「あ~」
とその時、下の踊り場のほうで声がして、何者かの影が落ちた。
ぎくぅっと弁当を取り落としそうになりながら目線を向けると、よく見た顔がゆっくり階段を登ってきた。
「また一人でご飯食べてるー。くすくす、かわいそ~」
「カワウソ? どこだ?」
「かわいそう、つったの。なんで唐突にカワウソ出てくんのよ」
弥月はちょっとずれて、と目配せすると、俺のすぐ隣に腰かける。
「……何用かな? 卵焼きならやらんぞ」
「相変わらずぼっちのかわいそうな男子を偶然見かけたから、一緒に食べてあげようと思って」
弥月は、ふんふ~ん、と上機嫌に変な鼻歌をしながら、手に持ったランチバッグから弁当箱を取り出す。
一方でまたかよ……とこちらはげんなりである。こうなるのは今日が初めてではない。
最初にここで俺が一人で飯を食っているのを見つかった時は、指をさされて大爆笑された。
その時も偶然廊下で俺を見かけて後をつけてきた、というが、同じクラスでもないのに偶然多すぎだろ。
「こうなるともうストーカーだな。実はお前、俺のこと好きだろ」
「な、何が!?」
何がって何よ?
ちょっとした軽口のつもりが、ぐわっと凄まじい形相で睨まれた。おお怖い。
「ごめんなさい冗談です。なぐらないでください」
「……あたし、今までそんな殴ったり蹴ったりしたことある? ないでしょ?」
言われてみれば案外そうかもしれない。
しかし時に言葉の暴力は肉体へのそれを上回るのであってだな。
弥月は若干むすっとしながら、膝の上に俺のものとは天と地ほどの差がある色とりどりの弁当を広げて、
「違うのよ、これ。お母さんが『泰地くんにも食べさせてあげて』って言うから」
「深雪愛してるって言っておいて」
弥月の母親、赤桐深雪はなるほど弥月がこうなるのも納得の超絶美人である。
見た目も異常に若く、年は三十代半ばながら、大学卒業したてのOLと言われても余裕で通じる。弥月の姉です、でもいけるんじゃないか。
そして何より、弥月に厳しく俺に優しいという稀有な存在である。端的に言って女神だ。
「今度母親スワッピングしようぜ」
「死ね」
ほんとハズレ引いた。
あんな母親がいたら毎日甘え放題だぜ。
「でも今日体調悪そうだったからちょっと心配かな」
深雪さんは生まれつき体が弱いらしく、よく体調を崩す。
そのせいで二人目の子供を断念したのだという。
ああ、佳人薄命というやつか。俺的には泰地お兄ちゃん大好きな妹が欲しかったのに。
弥月の弁当は実は俺の弁当だったのではないかと思うほどにほとんど俺が食った。
代わりに弥月は真奈美の卵焼きをうまいうまいと言って食っていたが、目隠しをして食えば恐ろしいことにこちらに軍配が上がる。
どんだけ卵焼き極めてんだよって話だ。ただし顔面補正を入れるとその味の差は歴然である。
飯を食い終わって俺がスマホをいじっていると、弁当箱を片付け終わった弥月が、少し改まった風に口を開いた。
「あのさ、今朝の話があったからってわけじゃないんだけど……」
「何が?」
「危機感のかけらもない泰地くんに、弥月ちゃんからありがたいお言葉を送りましょう。『いつまでもいると思うななにもかも完璧なかわいい隣の幼なじみ』」
「なにそのメチャクチャ語呂の悪い標語」
才能なし。
余計な修飾語は省きましょう。
「実は前々から考えてたの。頭ごなしに決めつけるんじゃなくて、何ごともやってみないとわからないことってあると思って。だからあたしも試しに、誰かと付き合ってみようかな~なんて思って」
そう言って弥月は弁当の入っていた小さいカバンから、折り畳まれた手紙らしきものを取り出した。
その似たようなのを三つ、俺の目の前に差し出して見せてくる。
「どれがいい? 好きなの引いてみて」
「……それは何?」
「ラブレター。今日下駄箱に入ってたの」
単発恋人ガチャを他人に引かせるなんて豪勢な。
言われるがままに一枚選んで手渡すと、弥月は封を乱暴に切って、
「放課後、希望の木のところで……ふんふん。お話がありますと。まあ普通そうね。これでいっかな~」
こともなげに手紙を広げて字面を追った後、黙っている俺にじろりと視線を送ってきた。
「……あのさ、今あたし、超適当に決めた相手と試しに付き合おうとしてるわけだけど」
「うん」
「それでなにか思うところとか……言うことないわけ?」
「いや別に……マジでこいつキチガイだなって」
頭湧いてるとしか思えない。まあ僕のような常人には及びのつかない思考回路をしてらっしゃるんだろう。
それでもしうまくいってめでたく彼氏ができました、となって矛先がそっちに向くのなら大歓迎だ。
「まあその……おかしなことしようとしてるわけだけど、止めないわけ?」
「好きにしたらいいんじゃん? 一度きりの人生だし」
「……こ、後悔しても知らないわよ?」
「誰が何を?」
無視。自分で聞いといてこれだ。
弥月は再び手紙を見つめて、何ごとかじっと考え込んでいた様子だったが、
「ねえ、一応あんた放課後一緒についてきてよ」
「なんで俺が」
「だって怖いでしょ普通に考えて。もし不良たちがいっぱい待ち構えてたらどうするのよ」
「全力で逃げるけど」
「いやそこは守れよ。あたしを」
俺が狙われないよう突き飛ばしてでも逃げるね。
むしろ突き飛ばしてから逃げる。
「あ~やっぱやめよっかな、なんか怖いから。ねえ、どう思う?」
「いや会ったらいいんじゃん? せっかく手紙をくれた相手に失礼だろう」
「あーっそう、わかったわよ。じゃ放課後、教室に迎えに行くから。もし勝手に帰ったら……わかるわよね?」
弥月はじっと俺の顔を見てすごんでくる。
なんで俺がそんなのに付き合わされなきゃいけないんだか……さっさと帰りたい。