弥月様
いつものように少し離れた席に座る俺と弥月。
しばらくバスに揺られていると、徐々に同じ学校の制服を来た生徒が乗り込んできて、車内が騒がしくなってくる。
やがて弥月のいる後ろ斜め後方から、「おはよ~」だのなんだの挨拶をする声がして、いつものどうでもいい会話が聞こえてくる。
「え~でもいつもいるよね~」
「家が近いんだからしょうがないでしょ。バスもそんなに多くないし」
そういうところだけ拾ってしまうんだよなあ。なぜか妙に地獄耳になる現象が起きている。
というか声が通りすぎだろ、明らかに俺の方を見て言ってやがるな。
あくまで俺は関係のない他人としてモブ顔で携帯をいじっていると、
「でも怖くない? なんかさ、ヤバイ人なんでしょ?」
俺の噂は伝言ゲーム的に広まり、よくわからないけどとにかくなんかヤバイ人、という位置に落ち着いたらしい。
しかし理由もなく生理的にヤバイというような言い方はどうかと。そんなだから女子から用事があって話しかけられるときも常に半歩遠い。
まあ前からそんな感じだったような気がしないでもないんだけど。
俺はあくまで関係のないヤバイモブ顔で座っていると、
「別に優子には関係ないじゃん? 何かされたわけじゃないんでしょ?」
「えっ? いやそりゃそうだけどさ……」
「だけどなに? 何か問題ある?」
弥月がきっぱりと強い口調で切って捨てる。
以前の弥月なら、「あはは……」と愛想笑いで適当にごまかすところだ。
しかしそれで変な空気になっているのが明らかにわかるのだが……聞いてる俺がもうヒヤヒヤものだ。
するとまた別の女子の声がして、
「お~怖い怖い。ほら優子、はやく弥月様にごめんなさいして」
「それやめてって言ってるのに……」
「え~だって男子みんな言ってるよ? 弥月様弥月様って」
そう、弥月様なのである。
俺がもっとしっかりはっきりしろ、とうるさく言ったせいなのか、付き合いだしてから急に弥月の周りへの態度が変わり始めた。
わかりやすく言うと、以前俺だけにツンツンしていたのが逆転した感じというか。
あれは本人曰くツンデレの演技だったとは言え、もともとその素質はあったわけだ。
そんなだから、かつては天敵であった妖怪軍団すら、今や目で威嚇して蹴散らすレベルになっている。
もう目からニフラム光線出てんじゃないかってね。とにかく近くに寄せ付けさえしない。
奴らは奴らで、「弥月ちゃんのあの見下すような目、たまらん」と喜んでいるので誰も困らないこれぞ優しい世界。
で、なんかの節にエクスタシーに達してしまった妖怪の一人が、「ああぁ弥月様ぁぁ!」なんて叫んだのを、面白がって他の男子が拾ったのだという。
最初はおふざけ半分にネタにされている風だったのが、それがそのまま定着しつつある。
だって本当に弥月様なんだもの。
「うひゃひゃ、マジかよ!」
「マジマジ! ウケルっしょ!」
そのうち俺の席の後方が男子二人組の話し声でやかましくなる。
片方は元から乗っていたのだが、知り合いがやってきたとたんうるさくなるパターン。
やがて少し落ち着いた男子の片割れが、隣りにいる弥月たち女子グループにちょっかいをかけ出した。
「あっ、弥月様おはよございまっす。それとその他の人たち」
「ちょっと何がその他よ~」
そしてなんかリア充っぽい会話が始まる。
一方俺は変なエロサイトのリンクを踏んでしまって、「あなたの個人情報が危険です!!」と詐欺サイトから怒涛の勢いで警告を受けていた。
「なんつーかちょっと小耳に挟んだんスけど~。弥月様が片思いしている相手がいるとかって、ホントっすか」
「え? そんなのいないけど。誰に聞いたの?」
「いやぁ別に誰っていうか……ウワサウワサ。や~でもそんなのがいるとしたら、やっぱ超ハイスペックイケメンの俺様タイプ? だまって俺について来いみたいな」
俺の特徴まんまじゃないか。すまんね。
「だからそんなのいないって言ってるでしょ。どの道そういうのタイプじゃないし」
「えっ、そうなの? じゃどういうのがタイプ?」
「ハイハイストップ。そんなの聞いたって、弥月があんたみたいの相手にするわけないでしょ、しっしっ」
「えーえーわかんないっしょ、ワンチャンあるかもしれないでしょ」
そんな感じで男子生徒はしゃべっているうちに楽しくなってきちゃったのか、だんだんと声がでかくなってくる。
もうひとりの男子も参加しないとマズイとでも思ったのか、「いやお前それないわー」とか何のひねりもない突っ込みを無駄にでかい声で繰り返しだした。
このバスにはもちろん学生だけではなく普通の乗客もいるのだ。朝っぱらから騒いでいるのはなかなかに迷惑。
全くうちの学校はほんと頭の悪いやつが多くて困るね。かたや俺は静かにスマホの無料エロ漫画を嗜む模範的な生徒だというのに。
男子側があまりにしつこいので、女子生徒たちもうんざりしているようだった。
「えーでもそれってマジでさ―」
「ちょっと静かにしてくれない? 迷惑でしょ?」
ついに見かねたのか、弥月がやや鋭い声で注意する。
すると少し間があったがすぐに、
「おぉ~怖~っ。これが弥月様の迫力……」
「静かにしてって言ってるでしょ」
何か言いかけた男子を、さらにぴしゃっと遮る。
これは下手すると「いい加減しつこいんだけど? 死ね」とか言い出しそうな勢いだ。
結局男子生徒はそれでおとなしくなった。というかなんかバスの中全体が静まり返った。
その一方で俺は謎のサイトで一億円が当選していた。やったぜ。
画面を消そうと一人悪戦苦闘しているところに、弥月からラインが来た。
『はっきり言ったから。えらいでしょ? ほめてほめて』
いやそりゃ流されるのはやめろとは言ったけど、そこまでやれとは言ってないというか、そういう方向とはちょっと違うような……とはいまさら言い出せず。
一瞬ちらっと弥月の方を見るとちょうど向こうもこちらを見ていて、目があった拍子ににこっと笑顔で手を振ってくる。
そういうのも他の人に見られるとアレだからやめろと言ってるのにやめない。
そもそも弥月的には別にバレてもいいというスタンスらしい。
だが今の表向き何でもなさそうで、実は超ラブラブ(死語)みたいなのも楽しいんだと。
それと俺がちょっとアレな人扱いされてたほうが浮気の心配もないし。とかなんとかも抜かしやがった。
まあ、もう弥月様の好きにしてくださいという感じです。
そんなわけで弥月とは学校でも基本接触をしない。
だが昼休みの時だけは別である。
昼休みになると俺と弥月は、かつて俺がひとり飯|(断じてぼっち飯ではない)をしていた別棟の屋上へ続く階段へそれぞれ向かう。
ここなら誰かに見られることなく二人きりになれるということで、こっそり落ち合いつつ昼食などを済ませるのだ。
「あっ、ダメ、そこ汚い……」
「大丈夫大丈夫、綺麗だよ。濡れててちょっと匂うけど」
「本当……? あっ、ちょっと……」




