エンジョイ勢(ヘタレ)
「え、なにそれは……」
一本釣りされた魚のモノマネかな?
謎の奇行に戸惑っていると、弥月はかかとを上げて背伸びをしながら、
「ん~」
「いや、ん~じゃなくて……」
「弥月ちゃんこのままだと不機嫌ですよ」
急にぱちっと目を見開いて、早口でそんなことを言う。
「それって、もしかしてさっきの……」
「悪い?」
悪いとかそういう話かは知らんが……静凪に口を吸われたことを言ってるのか。
要するにあたしにもしろ、ということらしい。
といってもあれは俺からしたわけではなく、単純に寝ぼけて唇を吸いちぎられそうになっただけなのだが。
「だいたいね……そんなたかが、皮膚の接触ごときでなんやかんや言うのもおかしいわけですよ」
「接触ごとき、ならいいでしょ?」
そう言って再び目をつむる弥月。
これは……どの道倒していかないと先に進めない強制バトルらしい。
あれだけ遅れる遅れると連呼していたやつがここに来てまさかの裏切り。
どんな思考回路しとるんじゃと頭の中でぼやきつつも、観念してじっと待ち構える唇に軽く口付けてすぐに離すと、弥月の口元がにやぁ~と緩んだ。
「うふふふぅ……」
「気持ち悪いなその笑い……」
「好き」
弥月ははにかみながら上目遣いをしてさらに、
「泰地は?」
と無限の可能性を秘めたネタフリをしてくる。
しかしここで「弥月さんが好きです。でもゾウさん(意味深)のほうがも~っと好きです」ってやったら絶対機嫌損ねるだろう。
仕方なく安牌で行くことにする。
「す……スキ―」
「なにそれ。あ、恥ずかしいんだ~? くすくす、スベってるよそれ」
「スキーだけにね!」
「それもダメ~。ごまかそうとしてるでしょ~? あ~あ恥ずかし~」
「人の顔指さすな」
こっちがレベルを下げてやってるのにわからんのかこの女は。
さらに弥月はニヤニヤ笑いながら、トンボでも捕まえるかのように指先をくるくるやりだしたので、ベシっとはたき落としてさっさと玄関を出る。
とこんな感じですっかり頭がユルユルになってしまっている弥月さんだが、一歩外に出てしまえば微塵もそんな素振りは見せない。
ぴしっと姿勢よくさっそうと歩く姿は、そのスタイルのよさもあいまって勝手に盗撮されてネットに上げられてしまいそうな勢いだ。
そして肝心の顔面のほうも、すっと通った鼻筋にぱっちりした二重まぶたに白い肌と、一緒に隣を歩くのも気後れしてしまうレベルである。
だがまあそれは弥月がすごいと言うか、深雪さんの遺伝子がすごいだけの話だ。深雪さんの若い頃にそっくりだと言うし。
しかし待てよ、となると深雪さんの母親はもっとヤバイ……以下無限ループになるので、まあ一応誰もが目にとめるような美少女とでも言っておこう。非常に陳腐であるが。
でそんな美少女が、早歩きしながらもまだちょっと納得がいかないのかガンガン文句を言ってくる。
「だいたいあたしの時は逃げるくせに、静凪ちゃんとはベタベタしてるのはなんで?」
「いやベタベタってほどでは……そもそも妹だしね、別にそういう性的なアレじゃないし……。君とだとガチのやつになっちゃうでしょ?」
「ガチのやつって……それでなにか問題でも?」
まったくこれだからガチ勢はひくわー。
俺のようなエンジョイ勢とはしっかり棲み分けしてもらいたいものだ。
とにかく自分より静凪とベタベタしているのが気に入らないらしい。いや別にこっちも好きでやってるわけじゃないんだが……。
さて急ぎ足で停留所までやってきた俺達は、なんとかギリギリいつも乗っているバスに間に合った。
乗客はちらほらで、二人がけの席も空いているので一緒に座ることもできるのだが、今はとある取り決めというか理由があって別々に座ることにしている。
それはこの前の騒ぎのときの、ちょっとした手違いのせいだ。
俺は弥月の変な噂を晴らすため、『僕はすぐ他の子に目移りしてしまう二股野郎のクズです』そしてバイです、とこっそり書き加えたビラを学校前で光司くんに配らせた。
しかし何を思ったかその時の俺は、一緒になってそれを配ってしまった。「よろしくお願いしま~す!」なんつって、なんか楽しくなってテンションが上がってどうかしていた。ビラにBY紫崎光司とつけ加えるのを忘れていたのが仇となった。
そして二名の変態が生まれたところで、ごつい体育教師が駆けつけてきてなんか入ったことないような部屋に連行された。
お説教が始まるのかと思いきや、いきなり紫崎ががくっと崩れ落ちて泣き始めて、
「うっ、うぅ……僕たちのせいで……一人の女の子が、苦しんでいるんです。どうか、彼女だけは……罰するなら僕たちを……」
……たち?
たちってなんやねん。さらっと複数形にすんな。
しかも色々話がわけわからん方向に脚色されていてもはや意味不明。
素でやってんのか演技なのか、いずれにせよ頭がおかしい。そもそもお前のカッコつけ自己満が原因だろうが。
一体どうしてくれましょうこの変態、と俺が教師の顔色を伺うと、その時体育教師と一緒にくっついてきていた現国ババア教師がそれを見てなぜか勝手に感心しはじめて、
「行為は褒められたものではないですが、とても誠実そうな子ですね。まあそこのうちの生徒はどうだか知りませんが」
人は見た目が100割。イケメン無罪。はっきりわかんだね。
紫崎がそのへんのブサメンだったら何言ってんだコイツで終わりだろう。
俺は絶妙なタイミングで「ちょっと待ってくださいよ~!」とバラエティで司会にいじられた芸人っぽく立ち上がったが無視された。間って難しい。
ていうか自分の学校の生徒をないがしろにするってどうなの? まあこのババアの授業の時は基本漫画を読んでいるのがバレていて、目をつけられていたのかもしれないが短気な話だ。
そしてなぜか俺だけ反省文を書かされるハメとなる。
ネットの謝罪文をつぎはぎにコピべして提出しておいたが噂はとどまらず、俺は股をかける少年(バイ疑惑アリ)として一部の生徒の間で一躍名をはせることになった。
かたや一方で、弥月は一年生ながらも校内踏まれたいランキング四位にランクインするという有名人となった。
本来そのような天上人と俺のようなゴミクズが口をきくのも畏れ多い……となるはずが、まさかそれが付き合っているとなると、弥月の方にもいろいろと悪い影響が出てきてしまうのでは、ということでおおっぴらにはせずに様子を見ているのである。
しかし弥月の方は、どうしてそんなことになっているのか?
それはバスに乗り込んできた同級生らしき生徒との会話を聞いてくれれば一目瞭然である。




