嫌い、でも好き
「うぇ、えっ、ぐすっ、うえぇぇっ……」
なぜ泣く。
いやまあ、泣きたくなるのもわからないでもないが……。
「いやあのね、俺もどうリアクションしたらいいかわかんなくてね。なんつーか、なんかいろいろ……頑張ったね、うん。わかったから、泣くなって」
とりあえず手を伸ばして頭をなでてやるが、その後が続かずマジで応対に困る。
いっそ「あれだけ見下していた相手を実は好きでしたとか……ぶははは! マジウケるんですけど~!」とかやろうかと思ったのだが、どう見てもそれはやったらいかん空気である。
仕方なしにここは俺の素を出して……イケメン路線で行こうと思う。
「……ていうかね、お前が俺にベタボレなことなんて知ってたよ」
「嘘つき」
さっきから僕嘘しかついてないじゃないですかやだー。
決め台詞がことごとく嘘呼ばわりされるんですが。
「い、いやなんていうかね? 普通に嫌われてると思ってたんだけど、最近あれ? もしかしたら……みたいな。こう、ワンチャンあるかな~みたいな……まあ薄々感じてはいたんだけども……」
と何やらモゴモゴと後出しを始めてしまう奴が約一名。これは圧倒的ブサメン。
すると弥月はこちらの顔を見もせずにうつむいたまま、今にも消え入りそうな声で口を開く。
「じゃあ、あたしの気持ち知ってて、からかってたんだ……」
「え、ええ? そうは言ってないでしょ、そんな事は言ってない……」
「やっぱりあたしのこと、嫌いなんだ。みんなといっしょで……」
勝手に誤解してどんどんダークサイドに落ちていく弥月。
どうにも行き詰まって追い詰められた俺は、ここで起死回生のイケメン顔を作って、
「いや違う。どんなに嫌でダメなやつだって、俺は絶対嫌いになったりしない。口では色々言うかもしれないけど、本当に嫌いなわけじゃないから。だから無理すんなって、無理して好かれようとしなくていい」
と脈絡もない唐突な決め台詞を吐いた。
しかしこれが狙い通り効果てきめん。弥月ははっと顔を上げると、潤んだ目でじっと俺を見つめはじめた。
「そ、それ……やっぱり、覚えてて……」
これ手帳の後ろの方に書いてあって、赤線で囲んであったんですよね。
何か俺が過去にこんなクッサイセリフを言ったみたいだが記憶にない。黒歴史は自然に抹消するタチだから。
いやまあそんなようなことを言ったような気もしないでもないのだが、きっとマンガかなんかのセリフを丸パクリしてカッコつけて言っただけじゃないかな。俺のことだから。
「ねえそうなの? 本当に、覚えてて……」
「ってそれに書いてあったから」
やってしまった。落としたがる癖がつい……あまりに正直者なのも考えものだ。
というか、この至近距離でそんなキラッキラな目で見つめられるのに耐えられなかった。どうにも良心の呵責がね……。
「絶対とか一生とかいうやつはたいてい嘘つきだからね。そんな事軽々しく言うやつは信用しないほうがいいよ、うん。何事も諸行無常、それ真理ね」
何年越しかの超特大ブーメラン。光司くんの大先輩。
まあこっちは子供の言うことですから、そのへんは大目に見てもらって。
と俺がニコっと保護者スマイルで同意を求めて、ちらっと弥月の様子をうかがう。
「……」
しかし弥月は口を半開きにして、死んだ魚のような目で俺のことを見ていた。
これはヤバイやつだと焦った俺は、慌てて早口で言い訳タイムに入る。
「あ、あのさ、人って、そんときのノリや気分でコロッコロ言うこと変わってさ、案外みんないい加減だからいちいち気にすんなって話でさ……そもそもがなんやよくわかってない子供の言うことですから、」
「嘘だったんだ……嘘だったんだ……」
「う、嘘じゃない、嘘じゃないけど、嘘かもしれない!」
「もういい、死ぬ」
「ま、待て待て! 早まるな、死ぬな! そっ、そうだ、こういうときこそてめえ嘘つくんじゃねえ死ねって逆に言ってやればいい!」
「死ねこの嘘つき!」
「そう、それだ!」
「死ね、死ね死ねっ!!」
「いいよもっと! もっとこい!」
なんだこれ。なんかよくわからんけど盛り上がってる。
弥月も大声で罵倒して気分が乗ってきたのか、非常に攻撃的な目つきになって俺に掴みかからん勢いで詰め寄ってくる。
「じゃあ嫌いなの!? あたしのこと本気で嫌いってこと!?」
「い、いやそうとは言ってない……」
「言ってる! ちょくちょく嫌い嫌いって言ってくるじゃん!」
「そ、それはその場のノリというか気分というか……あるじゃん? そういうの。じ、じゃあ今、逆に俺の悪いところっていうか、嫌いな所言っていいから! まああんまりないかもしれないけど。ほぼないに等しいと思うけど」
苦し紛れにそう返すと、弥月はう~ん、と首を傾げて考えこみはじめて……いや一切それらしい素振りは見せずに淡々と、
「すぐ嘘つくの嫌い」
「うんうん」
「すぐつまらない下ネタ言うの嫌い」
「そうね」
「真面目なとこでもふざけようとするの嫌い」
「まあまあ」
「さらに自分がオモシロイと思ってるところが嫌い」
「ふ~ん」
なるほどそんな風に思ってたのか~。結構えぐってくるね。容赦ないね。
ぐさりぐさりと突き刺さってくる言葉に思わずうっと胸を抑えてしまいそうになるが、弥月はおかまいなしにさらに続ける。
「ありがとうって言う時と言わない時があるの嫌い」
「う~んよくないね~それは」
「偶然行きあってもめんどくさい時は気づかなかったふりして無視するの嫌い」
細かい。細かくなってきた。
にしてもまだ? まだ続く?
「服がダサい。ケチ。嘘つき。ひねくれもの。ダメ人間。クズ」
今度は雑になってきた。オブラートもう使い切っちゃったかな?
しかしさすがにペースが落ちてきて、そろそろ打ち止めかな。ていうかもう止まってお願い。
「それと……」
まだあんのかい。止まらないんだけど、ゴロッゴロ出てくるんですけど。
やめて、これ以上言われると泣いちゃうかも。
「ち、ちょっと待った、一回休憩入れようか。一気にいっぱい言うと疲れるし……」
「……でも好き」
え? と顔を向けた先で目と目が合うと、顔を赤くした弥月はさっとまつげを伏せて視線をそらした。
突然の不意打ちに、こちらもなんと返したらいいかわからず何度目かの沈黙が走る。
「……泰地は?」
そしてそれを破ったのが弥月のこの一言。
じゃあ俺はいつものミルク砂糖多めのコーヒーで。
……などとやってしまったらまた罵倒タイムに逆戻りしてしまう。
「き、嫌い……じゃあないよ」
「じゃあ好き?」
「す、好き? っていうのはつまりどういうアレで……」
「はいかいいえ、でちゃんと言って」
「は? ドラ○エの主人公かよ」
またしても脊髄反射的に突っ込んでしまう。
すると案の定弥月はたちまちうつろな表情になって、
「やっぱり嫌いなんだ……」
「ち、違う違う今のはつい癖で……。た、単純に、恥ずかしいんじゃないかな。もう筋金入りのシャイボーイなもんで……。コイツ何考えてるかわかんないしウザイなー……って思ってたこともあったけども、ああいうの見せられるとちょっと誤解だったかなというか考えが変わるというか……」
「ウザくて嫌いなんだ……」
「そ、そりゃ嫌いなところが全くないってわけではないけども、なんていうか……まあ可愛さ余って憎さ百倍というか、ああ、それは違うか。ま、まあそういうのも含めて好きっていうか……。そ、そうだよ、弥月と一緒だよ一緒」
「あたしと一緒……?」
探り探りだったがそう言ってみるとなんだかそれが一番しっくりくる。
弥月の瞳にも光がさして、目に力が戻りつつあった。これはいける。
「そうだったんだ……」
「そうそう、こういうクソめんどくさいところもひっくるめて好きだよ」
「めんどくさいって言うな。なんでクソとかわざわざつけるの?」
キレられたんだが?
妥協を許さないこの女……やはりめんどくさい。
「今の……嘘じゃないよね?」
しかもガンガンに疑われている。
前科があるだけに致し方ないとは言え、もうちょっと信頼してくれてもいいんじゃないかね。
「う、嘘ではないよ、嘘では」
「本当?」
「た、たぶん……」
「本当?」
これうんって言うまでループするやつや。
「う、うん……」
「そうやって口で言ってもまたどうせ嘘なんでしょ? じゃあその証拠に……。その……き、キスして」
は? なんだそれ少女漫画の見過ぎやろ。
……っとあぶねえ、またしても反射的に口に出すところだった。
そんなことしたらこれまでのが全部台無しになりそう。死ぬとか言い出すぞまた。
「どっ、どこに?」
そして出てきたのがこの童貞丸出しの間抜けな問いかけ。
弥月はそれに答える代わりに目をつむって、顎を軽く持ち上げた。
これにはさすがの俺も覚悟を決めざるを得ない。
どこからともなく脳内でおまかせコールが響き出し、笑ってしまわないかそれだけが気がかりだったが、予想に反してそうはならなかった。
外からかすかに差し込む光に浮かぶ唇の輪郭が、薄暗さの中のかすかな息遣いが、狭い空間で研ぎ澄まされた五感によってより艶やかさを増す。
もう好きにしていい、と言わんばかりに無防備な姿を晒す弥月を前に、俺はメチャクチャに緊張していた。ドキドキドキとらしくもなく胸が高鳴りだし、心臓の鼓動が止まらない。
頭の中がゴチャゴチャで真っ白になる。
しかし体はまるで別の意思を持つように本能のままに勝手に動き出し、軽く弥月の肩に手を添えるようにして、呼吸が肌で感じ取れる距離までゆっくり顔を近づけていく。お互いの唇はもう目と鼻の先。
そして二人は幸せなキスを……。
「うんこうんこ~! きゃははは!」
「きゃ~逃げろ逃げろ~」
とその時、外から子供たちの騒ぐ声が聞こえてきた。
接触しかけた唇は寸前でぴたっと止まり、閉じていた弥月の瞳がぱちりと開き、
「ぷっ……」
どちらからともなく、同時に吹き出す。
お互い顔を見合わせたまま何度かまばたきをすると、やがて二人して声を上げて笑いだした。