舞依さんが……
遊園地行きからだいたい一週間。
光司くんのおかげで、弥月の周りは変なのが絡んでくることもなくなり、平和になったらしい。
奴は学校が終わると毎回校門の近くまで迎えに来ていて、これみよがしにその場で立ち話をするので嫌でも目立つ。
最近は弥月だけでなく舞依ともちょっとあいさつを、とか言って三人でどこかに行ったりゴチャゴチャやっているようだが、かたや俺はその脇をすっと素通りしてスマートに帰宅することができるようになった。
舞依のほうもいきなり教室に突貫してくることもなくなったし、放課後唐突に「キャッチボールしよう」だとか襲われなくなったのはよいことだ。
まあ今となっては何となくあいつの目的もわかって、それでさほど不思議には思わない。俺の周りも非常に平和になって、まさに光司くん様様である。
……べ、別に寂しくなんてないんだからね! いやマジで。
そんなことより今の俺の懸念ごとは、この先に控えた期末テストである。
高校に入ってすぐは真面目にやっていたのだが、ここ一、二ヶ月はろくに授業も聞かずノートもとっていないため非常にヤバイ。
これは言うなれば一番うしろという席が悪い。スマホが悪い。田中が毎度マンガを持ってくるのが悪い。
そうして俺が近いうち弥月先生を召喚せねばいかんなと思っていた矢先に、ふたたび異変が起きた。
放課後、いつものようにラノベと杏子を冷やかした後、一人でするっと教室を出て帰り道につく。
だが校門を出てすぐ、聞き覚えのある鼻につく声に呼び止められた。
が、無視した。
「待ってくれ、どうしてキミはそんな自然に無視するんだ」
紫崎が小走りに追いかけてきて、無理やり肩を掴んでくる。
いくらヒマだろうと、こんなところで野郎と立ち話をする趣味はない。向こうだってそうだろう。
「……なんだよ? 弥月ならまだ教室じゃないの」
「いや……弥月ではなくて、今日はキミに話がある」
「俺はない」
ぱっと紫崎の手を振り払って行こうとすると、今度は先に回り込んで通せんぼしてきた。
何か知らんがこの男必死である。顔も暑苦しい。
「だから待ってくれと言ってるだろ! 話があると言っているのに!」
「はなし~……? 光司さんはなにをおごってくれるのかな?」
「あ、ああ……わかった。では駅前の喫茶店で話そう」
「なんでわざわざ駅前まで行かなきゃならんのだ。俺を拘束すると時給が発生するぞ」
ここでさっさと喋ればいいものを、何を改まってんだか。
逃げてもずっと追いかけてきそうなので、あきらめて紫崎について駅前の喫茶店へやってくる。
お支払いは全部任せて飲み物とケーキを注文し、席に着く。紫崎は自分のコーヒーカップの中をかき回すのもそこそこに、
「実は話というのは……少しばかり相談があるんだけども」
「三十分五千円ね」
「キミは弁護士にでもなったつもりか」
などとお互いジャブを繰り出して様子を見るが、あまり長々と男同士でこんなところにいると勘違いされる恐れがある。
もういいからさっさと要件を言えと急かすと、紫崎はズズ……とコーヒーをすすって息をついた後、急に改まった顔になって、テーブルの上に視線を落として話し始める。
「じ、実はその……。ま、舞依さんが……」
「マイサンがどうした? 立たなくなったか?」
「舞依さんのことが、気になりだしてしまって……。できれば、その……彼女と、つ、付き合いたいと思っているんだけど……」
「などと意味不明なことを供述しており」
「いちいち茶々を入れないでくれないか。言っておくけど冗談じゃないぞ。正直僕は結構モテるほうだと自覚はあるし、これまで何人か告白を受けて断ったこともある。けどなんて言ったらいいか、あの人は……今まで見てきたどの女子とも違うタイプで……。変に媚びてきたりもしないし、素直で……」
「さらりと自慢するのやめてもらえませんかね」
「それがこの前それとなく聞いたら、泰地のような人がタイプだ、と言われてしまって……。しかし泰地くんには全くその気はないらしいじゃないか。そこで一つ……」
「ちょっと待った」
この男、放っておいたら怒涛の勢いで話し続けて勝手に話を進めやがる。
舞依と紫崎がどうたらこうたら別に好きにすればいいが、その前に一つ確認しておくことがある。
「あんた今、弥月の彼氏なんだよな? まあ実際はそうじゃないのか知らんが、そういうことになってるよな? それが舞依と付き合いたい、告白する……ってなると、二股をかけるってことになるわけだが? そのへんわかってる?」
「そ、それはもちろん。その、弥月とのことは……これを機に撤回しようと思う」
そう口にした途端、俺は反射的に席を立ち上がり、腕を伸ばして紫崎の胸ぐらをつかんでいた。
「ふざけんなよおい」
「う、くっ、苦しい……」
よっぽどそのまま殴ってやろうかと思ったが、ちょうど側を通りかかったウエイトレスの子が立ち止まり、どうしたらいいかわからないという顔でこちらを見ていたので、
「あ、すいませんちょっと虫がついてたんで。なんでもないっす」
紫崎を解放して何事もなかったかのように座り直す。
俺としたことがついカっとなってやった後悔はしていないをしてしまった。そういうのはガラではないのだ。
なによりここで叩き出されたら食いかけのケーキがもったいないからな。ここはあくまで冷静に、紳士的にな。
と俺がケーキにフォークを突き立てると、紫崎は若干青ざめた顔でよれた襟もとを直しながら、
「そ、そんな怒らないでくれ。びっくりするじゃないか……」
「あぁん? キレてねえっつうの。俺のどこがキレてんだよ。ていうかあれだけ大見得きっておいて、もう撤回するんか? どういうこったよそれは」
「そ、そもそもあれは、弥月を安心させる意味を込めて……」
「おばあちゃんが安心すりゃオレオレ詐欺してもいいってか? 後のことも考えずに迷惑だろ」
「そ、それに関しては、僕の考えが浅かったとしか言いようがない。も、申し訳ない……」
「俺に謝ったってしょうがないでしょ。それ弥月にはちゃんと言ったのかよ?」
「それはもちろん、すでに弥月にもこの話はして、直接了承をとっている。弥月は笑顔で『全然大丈夫、気にしないで』と言ってくれたし」
「ふーん……。笑顔で、ねぇ……」
それきり黙ったままケーキを口に運んでいると、聞いてもいないのに紫崎は弁解をするようにひとりでに喋りだした。
「そもそも僕と弥月はいとこ同士だし、別に恋愛感情とかそういうものは全くない。何か困っていることはないかと聞いて、それをなんとかしてあげようと思って動いたまでで……」
「頼まれてもいないのにだろ? そういうのよけいなお世話っていうんじゃないのかね」
「いやだから僕は親類としてね、助けになってあげたいと思ったんだよ。深雪おばさんについてもそうだけども」
なぜそこで深雪さんが出てくる。ていうかババア呼ばわりすんじゃねえ。
と睨みつけるが、紫崎は難しそうな顔になって唸る。
「まあ赤の他人のキミに、どこまで話していいのかわからないが……」
紫崎は厳密には深雪さんの兄の息子、だそうだ。
その深雪さんの兄が、今の所を引き払って実家に一緒に住んだらどうか、とさんざん申し出ているらしいが、深雪さんが首を縦に振らないらしい。
「実は僕もこの前越してきたばかりで、弥月と会うのも十年ぶりぐらいなんだ。だから詳しくはよく知らないんだけど、父さんがよく二人のことを気にかけているから。さほど思い入れもないだろうに、あの家にこだわる理由がわからないといってね」
家を引き払うかもしれない、という話は、俺もいつか真奈美から聞いたことがある。
ただそれはなんだかんだで先延ばしになっている……のか、話自体がなくなったのかまではよくわからない。
「まあ、深雪さん本人が話したくないなら無理やり……っていうのは野暮ってもんじゃないの」
「それに関しては、事が事だけに僕があまりどうこう言える立場でもないんだけどもね……。それよりも今は、舞依さんのことについて何か、なんでもいいから教えてほしいんだ」
「別に―。だいたいモテモテの光司さんなら俺に聞くことなんてないんじゃないすかー」
「いやそれが……読めないんだ、彼女は本当に。例えばその、舞依さんの好きなものとか……タイプとかそういうのがわかれば……」
「そんなもん知らんわ。走るのが早い人が好きとかそういうレベルだろ」
適当に言っただけだが、紫崎は「なるほどそういう……」と勝手に感心している。アホくさ。
こちらはちょうど食うものも食い終わったので、
「んじゃ、俺は帰りますわ。ごちそうさんです」
そう言い放つなり席を立ち上がって、足早に入り口へと足を向ける。
背後から呼び止めるような声がしたが、俺はそのまま無視して店を出た。




