光司くん
学校が終わって光速で帰宅した俺は、帰り道に購入したマンガの新刊をベッドの上に寝転びながら読みふける。
それにしても昼は失態を犯した。この俺ともあろうものが、弥月ごときに情けない敵前逃亡をしてしまうとは……。弱点だとかなんとかって、今後舐められてしまうかもしれん。
しかしそう言うあの野郎だって男に免疫はないはずだ。彼氏とかそういったたぐいのものがいたことがないのは間違いない。
口ではああ言いつつも、内心相当ビクビクで我慢しているに違いない。次やられたら胸の一つでもつついてやればビビって引き下がるはず。
変な才能が開花してしまった恐れもあるのが怖いところだが……。
『怒ってないよー。やっぱり泰地は優しいね』
傍らにあった携帯が震えたのでチェックすると、ハートマーク入りの文がちらっと見えたので速攻でスワイプして画面を閉じた。
もうね、午前中の俺を殴りたいね。何をそんな腑抜けた文面を繰り返し送っているのかと。
これはしばらくガン無視で、ほとぼりがさめるのを待つしかない。
今晩真奈美はパートの飲み会らしい。
たまにあることだが、こういう時はたいてい金だけ置いてあり、晩飯はてめえらでどうにかしろという流れだ。
今日もその例に漏れず、戸棚の上に二千円が置いてあった。静凪が手にとってヒラヒラと札を宙にそよがせながら、
「わぁ、二千円も使っていいのかやったぁ~」
「お前俺の分を抜かすな。なに一人で全部使おうとしてる」
「それでも一人千円使っていいなんて太っ腹だね」
「安心しろ、真奈美は少なく見積もっても一人で三千は使って飲み食いしてやがるはずだ」
真奈美は毎度遅い時間に赤い顔して帰ってくる。
大体パート主婦の分際で何ガッツリ飲み会に参加してやがるかって話だ。さっさと引き上げてこいっつーの。
そしておそらく今日も帰りが遅いであろうオヤジは、一人冷や飯を食わされるハメになり最もワリを食う哀れな存在となる。
何か買ってくるという手もあったが静凪がパフェ食いてえというので、近場のファミレスに行くことにした。
静凪と連れ立って、てくてくと街灯の照らす薄暗い小道を大通りの方へ歩いていく。
十五分ほどでやってきたのはよくあるチェーン店のファミレスで、ピークタイムだというのに混雑具合はそこそこという程度のゆる~い所だ。
店自体はかなり昔からあり、常連客がほとんどらしい。ここに来ると近所のおっさんとかに会って絡まれて面倒なので、正直あまり好きではない。
席に案内されると勝手知ったる顔で静凪とともにメニューをペラペラめくる。
と言っても静凪はいつものアレね、と言って基本ドリアしか頼まない。ただデザートをどれにするかに夢中だ。
何にすっかな~と俺がテーブルの上のメニューを目移りさせていると、
「話を聞く限り相当なクズだね。ひどい男だ」
「ううん、そ、そんなことないの、そう見えるかもしれないけど、きっとちゃんと考えててくれてて……」
ふと隣の席から男女が何やら言い争っているのが聞こえてきた。
……おっ、別れ話かな? 面白そうだからもっとやれ。
となんとなく耳をそばだてていると、
「でも実際何もしてないんだろう? そんなんじゃその泰地とかいう男の思うツボだよ。弥月がそんな態度だからつけあがるんだ」
ブフッ! っと思わず口をつけていたグラスの水を吹き出した。
すると対面に座っていた静凪が大きな声で悲鳴を上げる。
「わっ、キチャないぞ泰地!」
バカモノそんな大きな声を出したら……。
とこっそり振り返ると、ちょうど向こうからもこちらを覗き込んでいた顔と目があった。
「え? あっ!!」
曇りガラスの仕切りがあって気づかなかったが、目を丸くして身を乗り出していたのは、紛れもなくまさかの弥月当人である。
なーんか聞いたことのあるような声だと思ったら……。
「た、泰地……」
「ん? どうしたんだい弥月?」
と、さらにその向こう側に座っていた男も体を傾けてこちらを覗いてくる。
見覚えのない顔だ。見た感じ俺と年は変わらなさそう。
茶色がかった髪がところどころハネるように動きのある形にしっかりセットされており、開いたシャツの胸元にちらっとアクセサリーが見える。
パっと見、目鼻立ちも整っておりなかなかのイケメンである。まあ俺には遠く及ばないが。
なんとなくにらみ合う俺達の間で、あたふたとした弥月が愛想笑いを浮かべる。
「え、ええと、偶然、だね……あはは」
「ふぅん、もしかして彼が?」
男はすっと席を立ち上がると、俺のすぐ側まで歩いてくるなりにこりともせずこちらを見下ろしながら、
「はじめましてかな。僕は紫崎光司。弥月の彼氏だ」
弥月彼氏おったんかいワレ!
と思わず視線を送ると弥月は慌てふためきながら、
「こ、光司くん! ち、違うでしょ、何言ってるのもう……」
「大丈夫だよ弥月、安心して」
と光司くんとやらはうって変わって相好を崩し、弥月に向かって微笑を浮かべてみせる。
かたや俺の方にはまるで全身を品定めするかのような訝しげな視線を浴びせて、
「ふーん、キミが黒野泰地か……」
「フルネームで呼ばないでくれますかね恥ずかしいから」
「まあいろいろ言いたいことはあるけども、とりあえずその私服のセンスはどうなんだい?」
と指さしてくる。
なるほどあちらさんは上下とも品のよさそうな服に身を包んでいらっしゃるが、こちらは家にあった適当なパーカーとジーンズ姿である。
「なんだと? 真奈美のセンスを馬鹿にするか」
「まなみ? 誰だいそれは」
すまんがこれは俺が自分で選んで買った服ですらない。
さすがにそれはちょっと恥ずかしいので黙っておこう。
「だいたい近所のファミレスにちょっと来るだけなのに、そんなバッチリキメたってしょうがないでしょ」
と言ってやったが実際キメるもなにもない。服なんざ何だっていいんだよ、結局は顔だよ顔。
顔も負けてる? いやいやご冗談を。
「ふぅん……どうやらそうとう人を食った性格のようだね。弥月の自称彼氏を名乗っていたらしいけど……まあそんなんじゃろくに務まらないだろうね」
自称っていうか他称な? にしてもいきなり何だコイツ、出会って四秒で合体……じゃなくて四秒で否定。
自称彼氏が務まる務まらないとか非常に哲学的な思索をされていらっしゃるようだ。
「ちょうどよかった、キミに少し話がある……」
「今注文するから後でね」
気にせずメニューを見ていると、紫崎は目線を外して静凪に目を留めて、
「ええと……静凪ちゃんだったかな? こんにちは」
そう声をかけてイケメンスマイルを向けるが、基本人見知りの静凪は超絶ガン無視でスマホをいじっている。
普段そんな対応をされたことがないのか、紫崎はやや眉をひそめるとしつこく静凪に声をかけていく。
「はは、そのスマホケースかわいいね、たしかそれは……」
「お兄さんお兄さん、ちょっと邪魔になってるから」
ちょうど注文を取りに来た店員の立ち位置を奪ってしまっていて非常に邪魔くさい。
熱中すると周りが見えなくなっちゃう子なのかな?
しっしっとやると、キっとこちらをひとにらみして紫崎は自分の席に戻っていった。




