ダメ男製造機
翌朝、起床して一階に降りていくと、階段の途中で下から母親と弥月のバカ笑いが聞こえてきた。
弥月はウチではほぼ家族同然の扱いを受けているため、夜だけでなく朝から居座っていることも珍しくない。
何やら盛り上がっているようだが、朝っぱらからドリフの客席みたいなのは勘弁……と俺がリビングに入っていくと、テーブルについていた二人がチラっと俺の方を見て、
「ねぇ?」
「くすくす」
さも陰口を言っていた所にその本人が来ましたよ、とでも言わんばかりの反応をする。
これにはピキっと来たが俺はあくまで冷静に、
「……母ちゃん俺の飯は」
「食パンあるから自分で焼いて食べれば?」
真奈美は俺の方をろくに見もせずに言う。
かたやテーブルの上には、弥月と一緒に食ったであろう朝食の皿が並んでいる。
こんな仕打ちを受けて引きこもりにならないのが不思議なぐらいだ。
もう何も言うまい、と通り過ぎようとすると、制服姿の弥月がティーカップ片手にこちらに首を傾けてくる。
「おはよ」
「なに朝っぱらから優雅に人んちでお茶してんだよ」
「泰地お前、あいさつもまともにできないの?」
「ま、まあまあ怒らないで」
いきなりドスをきかせてきた母親を弥月がなだめる。このババアの怒りポイントはマジで謎だ。
弥月は俺と二人の時には傍若無人な振る舞いをするが、基本人当たりはよくコミュ力は高い。
時たまうちのリビングで母親や妹と楽しそうに会話をしているのを見ると、俺よりずっとここの家の子っぽい。
「ね、ジャム塗ってあげよっか」
俺がキッチンでパンをトースターで焼いていると、弥月が近寄ってきて声をかけてきた。
こいつは昔っから俺が何かしようとすると、とにかくおせっかいを焼こうとしてくる。
任せるとたいていのことは完璧にできてしまうため、俺の出番がなくなる。まさにダメ男製造機。
だから俺がダメ人間呼ばわりされているのも、こいつのせいなのだ。言わばマッチポンプなのだ。
「きれいに塗ってね」
「はいはい」
でもまあやってくれるならやってもらおっと。
俺の座右の銘は他力本願。本当に優れた人間は、自らの手を汚さずに人をうまく使って偉業を成し遂げるものだ。
「ほら、できたよ」
「わ~弥月ちゃんじょうず~」
こうして褒めてやると弥月はふふん、とまんざらでもなさそうだ。すぐ図に乗る。
要するにチョロッチョロなのだ。褒めまくったら万引きでも銀行強盗でもするんじゃないかね。
俺ができあがったパンに手を伸ばすと、リビングのほうからでかい声がした。
「弥月ちゃん、そのクズをあんまり甘やかさないでね!」
ク、クズ……だと? この俺が……?
誰の息子を捕まえてクズ呼ばわりするかあのババアは。
何がおかしいのか弥月もくすくすくすと口元に手を当てて笑いが止まらない。
「もうお前は用無しだ、あっちへ行けしっしっ」
「はいはい。ちんたらしてるとバス乗り遅れるよ」
弥月は微笑を浮かべたまま、それだけ言ってキッチンから出ていく。
俺はテーブルのある居間の方には行かずに、そのままキッチンで焼き終わったパンを一人でもしゃもしゃと食った。
「あら? 静凪起きてこないじゃないの! ああもう、まだ寝てるの!? まーた遅刻するじゃないの!」
学校に行く準備が終わった頃、ババアが突然ヒステリックに叫んだかと思うと、ドンドンと階段をかけあがっていった。
そのスキに俺はさっさと家を出た。するとすぐ後ろから弥月が追いついてきて、心配そうな顔をする。
「静凪ちゃん大丈夫かな」
「スリーピングビューティーだからな奴は」
「それ意味わかって言ってる?」
静凪とは俺の二つ下の中学生の妹のことだ。
さすが俺の妹らしく、静凪の特技は寝る。いや必殺技とも言える。お寝坊なのはいつものことだ。
気にせずさっさとバス停に向かって歩きだすと、たたっと弥月が行く手を阻むように回り込んできて、
「ちょっとその頭、寝癖ついてるわよ」
「おっ、そうか」
「襟も!」
と言って俺の襟元を正し始める。
コレをやられると意外とこそばゆいというか恥ずかしい。
「すまんね」
「まったく、本当にダメなんだから」
「それは言わない約束だろう弥月よ」
「そんな約束いつした? まったく、一緒に歩く身にもなってほしいわ」
「何も一緒に歩かなければいいんじゃないですかね……」
「しょうがないでしょ? 嫌でもかぶるし」
弥月の言う通り、ここから学校方面に向かうバスの本数が少ないため、別々に家を出たとしても結局のところ高確率で登校がかぶる。
しかし俺が言いたいのはそういうことではない。
「いや、何もお互い他人のふりをして距離を取れば……」
「なんでわざわざ他人のふりすんの?」
「なんでってそりゃ……」
幼なじみの仲睦まじい誰もが羨む美男美女カップル。
恐ろしいことに、俺たちは周りからはそう思われている。
厳密には、付き合ってないと言いつつも実際付き合ってんだろ? と思われている限りなく微妙な立場にいる。
「別に、勝手に言わせておけばいいじゃない。ただの噂でしょ」
どうしてこのあたしがそんなせせこましいマネをしなくちゃならないの、と言わんばかりの勢い。
そういうのがめんどくさいという割に、俺にはきっかり文句を言うというのはどうなのか。
「黙ってさえいれば、まあ見た目はそこそこ……見れなくもないから」
わーい弥月様にほめられた。
何を隠そう俺の父親はフランス人で俺はハーフの帰国子女で超絶イケメンだ。
というのは嘘だが、何ごとも平均より上という俺は顔面ももれなく並以上である。
ただ弥月と並ぶとどうしても偏差値がガクンと落ちてフツメン扱いになる。
「あたしぐらいになると、目があっただけで告白されそうになるから面倒なの。だから彼氏がいるってことにしておいたほうがラクなんだけど」
「お前が楽をするためになんで俺が苦労しないといけないんだ」
俺はただでさえあんまり社交的な方じゃないというのに、そういう変な噂があるせいで女子が寄り付かないだけでなく、友達も少ない。
例えば学校の廊下を歩いていたらいきなり肩でぶつかられて、
「お前なんかが弥月ちゃんと釣り合うもんか!」
なんて見ず知らずの奴に捨て台詞を吐かれたりする。怖すぎる。
これもう俺そのうち刺されるんじゃないかって。死ぬにしてもそういう死に方は絶対に嫌だ。
どこに狂信者が紛れ込んでいるかわかったもんじゃないので、うかつに自分から声もかけられない。
そのせいで友達いない根暗野郎と弥月にもバカにされるしで踏んだり蹴ったりだ。
その反面、弥月はお得意の猫かぶりであたりかまわず愛嬌、とやらを振りまいているせいか、やたら友達というか知り合いも多い。
目があっただけで告白されそうになる、というのもあながち冗談でもないのかもしれない。
しかしついこの前までおねしょしたのを必死こいて隠してたかと思えば、いつの間にかカレシカノジョだとかって色気づきやがって。
弥月に限らずだが、そんなめんどくさそうなもの、みんなよく作ろうと思うな。
「ならさっさとちゃんと彼氏作れよ。本当に迷惑だから」
「へ~、彼氏作っちゃってもいいんだ? そしたらもうあんたの面倒なんて見てられなくなるけど」
「誰がそんなもん頼んだ? 完璧な俺に助けなど必要ない」
「あっそう。……まあどのみちね、こんな微妙な偏差値の学校にいる男なんてそろって微妙。あたしと釣り合いが取れない」
「じゃあそういうお前はなぜそんな学校を選んだ」
「それは……家から近いから」
家から近い、というのは俺もほぼ同じ理由なので間違いないのだが、そんな崇高な人間が家が近いからという理由で進学先を選ぶかっていうね。
ちょっと突っ込むとすぐに論理が破綻する。それはどこかの段階でこいつが大嘘をぶっこいているからなわけだが、いちいちその真偽を確かめていたらキリがない。
弥月の虚言癖は今に始まったことではなく昔っからだ。この女は自分を取り繕うためなら平気で嘘をつきやがる。
涙目になりながら「にんじん食べられるもん」なんてやってた頃はまだかわいかったが、それがそのまま成長して、ウソも巧妙になってきているので手がつけられない。
「できないことでもできるって言い続ければできるようになる」と、いつかそんなことも言っていた。
俺に言わせてもらえばどこのブラック企業だよっていうね。要するにそういう危険思想の持ち主なのだ。
「別に同じ学校に限らず……なんか好きな奴とかいないわけ? 誰か」
「いません」
弥月は吐き捨てるように言いながら、なぜか凄まじい目つきでこちらを睨んできて、
「仮に好きな人がいたとして。あたしの方から告白なんてすると思う?」
以前に聞いたことのある弥月の理論によると、先に告白する……つまり惚れたほうが負けなのだという。
仮に付き合いだした後も、先に告白した、という事実はいつまでもついて回る。
それでずっと引け目があるというのが、気に入らないのだという。どんだけプライド高いんだコイツ。
「だから待ってるの。ずぅっと。わかる?」
じっと目を見つめてしつこく念を押してくる。
要するに自分に釣り合いが取れる白馬の王子様が現れて、さらに都合よく好きになって告白してくるのを待っているという。
そんなもんババアになるまでずっとやってろと思うが、実際選り好みさえしなければ、いくらでも相手はいるというのが癇に障る。
「それと妥協したくないわけ。取り繕った自分じゃなくて、ありのままを好きになってほしいっていうか」
「ありのままもなにもずっと猫かぶってたらね。本性知ってるの俺ぐらいじゃないの」
「……まあ、そうかもね」
そうかもねって、バカなのかなこの子。
前言撤回。これは無理だわ、将来ネットでママタレントとかを叩くやつになるわ。
「だから、それが……」
「残念ながらありのままを愛してくれるのはお前の母親だけだぞ」
「な、何よ? はっ、実の母親にもろくに愛されてない男が」
パリィからの致命の一撃。
生半可に手を出すと三倍ぐらいの威力になって返ってくる。
一発で俺のライフを削りきった弥月は、ふん、と鼻を鳴らして急に不機嫌になって、早足で先に行ってしまった。