弱点
いきなり笑いかけてくるとは一体どういう風の吹き回しだこの女。
しかし俺は油断することなく、警戒心たっぷりに問いかける。
「な、何か?」
「ん~? なんかラインの返信がなくて不安になってる人がいるって聞いて」
その一言で舞依があることないこと弥月に吹き込んだのだと察した。おのれ謀ったなあの脳パイ女……。
弥月は微笑を浮かべたまま上がってくると、俺のすぐ隣に腰を下ろした。
やたら近いので俺は腰をずらして間隔をあけながら、
「ど、どういうことだよお前……なんで返信しない?」
「返信っていうかケータイ、朝ぼーっとしてて……家に忘れきちゃった」
「わ、忘れた? な、なーんだそういうことか」
「ふふっ、ほっとした?」
「は、はあ? ほっともはっともないわぼけ」
「くすくす」
弥月はさもおかしそうに笑うが何わろとんじゃいという話だ。
これではまるで俺が返信来ないよどうしようどうしようとうろたえる女子中学生のように思われるではないか。完全にはめられた。
にやにや笑いで煽ってくる弥月を無視してスマホをいじろうと手に取ると、弥月はいきなりぐっと顔を寄せて画面を覗き込むようにしてくる。
「ねえねえなんて送ったの? 見せて見せて」
「やめろ勝手に覗くな、プライバシーの侵害だぞ」
「なにそれ。どうせあとで見るんだからいいじゃん」
クッソが、一回送ったやつって消せないんだっけこれ……。
怒ってるどころかウザイぐらいの上機嫌じゃねえか。
弥月がぐいぐいとやたら近くに体を寄せてくるので、またしても腰を動かして距離を離す。
するとはずみでわきに置いてあったおしるこ缶を倒してしまう。
もはや詫びジュースなど必要ないのだがどのみちおしるこなどいらんので、拾い上げて弥月に押し付ける。
「もういいから、これ持って帰れ」
「……なんでおしるこ? えっ、でもどうしたの? 泰地がものくれるなんてめずらしいね」
弥月は受け取った缶をまじまじと見つめる。
「お詫びの印にこれを……」「は? おしるこなんていらないけど!」でドカーン、の予定だったはずが、弥月は普通にフタを開けて飲み始めた。
さっさと帰れと言っているのに……。
「朝一緒にいた子……仲良さそうにしてたね?」
ひとくちめを飲み終わると、弥月は突然そんなこと言った。
朝一緒にいた子とは杏子のことを言ってるのだろうが、傍目からはそう見えるらしい。
だが会話の内容を聞いたら絶対にそんな感想は出ないはずだ。ケツに膝蹴りももらってたし。
「いやまあね、親友の女を寝とってやろうと思ってね」
「……親友なんていたの?」
エロ本の読みすぎでしょ、でいいのに突っ込むのそこじゃねえんだよ。
どいつもこいつも人を友達いないぼっち野郎だと思ってやがる。
どうもしょっぱなからしてやられた感があって押され気味なので、ここぞとばかりに反撃してやる。
「おや~? 弥月ちゃんもしかして嫉妬してるのかなぁ~?」
「うん」
どういわけか弥月はまっすぐに俺を見てうなづいた。
そんなわけないでしょ、的な反応を予測していた俺にとって、全く想定外の不意打ち。
「う、うんて、あんたそんな……」
「見ててすっごく嫌な気持ちになってた。お腹のあたりがぎゅってなって……どうしてくれるの?」
「ど、どうしてくれるって……」
なんなんだこいつ急に……。
なんと返すべきか思い浮かばずにいると、弥月はおもむろに顔を近づけてきて、
「またいい子いい子してくれたら治るかも」
「は、はあ?」
間抜けな声を漏らす俺の顔を見て、弥月はさらにおかしそうに口元を緩ませる。
まずい、そこはかとなく漂い出すこの空気は……飲まれるわけにはいかん。
「え、えーっと、お尻をナデナデすればいいのかな」
「ふーん、ナデナデしたいんだ?」
「えっ? いやあの……」
弥月はじいっと試すように、至近距離で俺の目を見つめてくる。
なんというか別にケツを触るぐらい造作もないのだが、この雰囲気でやってしまうと何か……何かが違う。
こうしてことごとくこちらのペースを外されると、マジで何言ったらいいかわからんくなる。ていうか必要以上に近いのをまずやめてほしい。
「ん~どしたの? 目そらして。ねえ、顔赤いよ?」
「ば、バカかお前、マンガじゃあるまいし顔赤いとかなんとかって早々わかるもんじゃないだろ。ていうか適当に言ってるだろわからないと思って……」
「すっごい早口になってる。おもしろーい」
そう言って弥月はくすくすと口元に手を当てて笑い始めた。
なんだこの笑わせているではなく完全に笑われてる感じは。こういう笑いはいらない。
俺はグイグイ距離を詰めてくる弥月を避けるように、上半身をのけぞらせながら敵を糾弾する。
「そ、そう来たか、今度はそっち路線か! お前、さては童貞丸出しの反応を見てからかおうって魂胆だろ」
「やっぱそうだよね、なんだかんだ言ってもそうだもんね。弱点見~つけた」
「は、はあ? 何が弱点か」
「だって泰地ってあたしが真剣な顔すると、すぐふざけてごまかそうとするでしょ? 恥ずかしいの苦手だもんね?」
「お、俺がだと? そんなわけがないだろ、羞恥プレイは大の得意分野だぞ」
「ほらまたそうやって。じゃあなんともないって、証明してみせてもらおうかな~」
にやっと舌なめずりをした弥月は、がばっと俺の二の腕に抱きついてきて、こてんと頭を肩に乗せるようにしてくる。
ヤッベ柔らかいい匂い……となるもつかの間、弥月はまるで別人のような甘えた声で、耳元に熱い吐息まじりにささやきかけてくる。
「……んふふ、体固まってるよ? 照れてるんだ? かわいい」
その声でぞわわっと鳥肌が立ち、激しい動悸とともに気分が悪くなり胸が苦しくなってしまう。
とカッコよく言っているがそれは単純に緊張しまくっているだけのヘタレ童貞野郎じゃないかと?
違うな、俺はそこらの童貞とは違う厨二病的な特異体質なのだ。ビビって緊張しているだけとかそういう話ではない。断じて。
というか人前でイチャついているカップルとすれ違うたびに心の中で「爆散しろ!」とつぶやいている俺としては、こういう雰囲気はキッツいキッツいわけ。もうくさすぎてたまらん。
「ねえねえ、早くナデナデは?」
「おっ、お前なあ、ここ……が、学校だぞ?」
「別にいいじゃない、誰もいないし。……何が嫌? どうしたらいい?」
「ど、どうしたらって……ちょ、ち、近い近い!」
無理無理、これは耐えられん。非常に心臓に悪い。
俺は力任せに弥月の腕を引き剥がすと、ばっと飛び退くようにしてその場に立ち上がる。
「だいたい人の弱点ついてこようとするやつなんて嫌に決まってるだろボケ! アホか!」
「あっ、ごめんね、嫌だった? 別にそういうつもりじゃ……。でもやっぱ弱点なんだ……」
「ロック○ンのボスじゃねえんだからそんな弱点なんてあからさまなもんはねえんだよなめんな!」
俺はかつてないめっちゃ早口でそう言い捨てると、自分の荷物をひっつかんで飛び降りるように階段を降りていった。




