精神的壁ドン
俺はイライラの相手、弥月に向かってそう言った。
何やら喋っていた男子生徒があっけにとられた顔でこちらを見たので、
「あっ、すいませんね、お取り込み中横から……おい、ちょっと来い」
「え?」
ぽかんとした弥月の腕を掴んで立たせると、有無を言わせずそのまま教室を出て、人気のない渡り廊下まで引っ張ってくる。
そして壁を背にした困惑顔の弥月に向かって壁ドンである。いやさすがに壁ドンはしないが精神的壁ドンで追い詰める。
「な、何……?」
「あんな風にしつこくされて嫌なんだろ? うざいと思ってるんだろ?」
「……う、うん」
「ならうざい死ねって言ってやりゃいいじゃん」
あの男子が何を言おうと勝手だが、俺はコイツの態度がどうしても許せん。
嫌なら嫌と、きっぱり言ってやりゃいいものを。
「そ、そんなの言えるわけないでしょ、怒らせちゃうし……嫌われたりしたらずっと気まずいし……そういうの嫌」
「嫌いなやつに嫌われたって、それこそどうでもよくない?」
「それはそう……かもしれないけど、そんな簡単に……」
弥月はそう言ってうつむきがちに口ごもっていたが、突然はっと何か思い出したように顔を上げて、口元をほころばせた。
「えへへ」
なにわろとんねんこいつ。
「……何だよ?」
「ちょっと、思い出して」
「何をだよ?」
重ねて聞くが、弥月はなんでもない、と小さく首を振る。
それでも口元が緩むのを噛み殺している風だが、ついに頭がおかしくなったか。
「……だったら別に死ねとまでは言わないけど、ウンコしたくなったんでちょっと失礼とか言えばいいじゃん」
「それ、下品。食事中に」
「だからたとえだっての」
はあ、と俺がわざとらしくため息をついてやると、弥月は肩をすくめてぎゅっと自分の二の腕を掴み、上目遣いにこちらを見た。
なんだそのらしからぬ群れからはぐれた子羊みたいな目は。これではまるで俺がいじめているみたいではないか。
「怒ってる?」
「いや別に……もういいけど」
「そうじゃなくて、その、舞依と一緒に……騙したこと」
その一言で、どうやら俺はとんだ思い違いをしていたことに気づく。
謎の絶賛不機嫌中だと思っていた弥月は、実はそのことが後ろめたくて俺を避けるような態度を取っていたようだ。
あんなマネをして、よくよく考えれば俺に下座らなければならないのは弥月のほうだろう。この根っからのM気質……被害者意識が強すぎるのも考えものだ。
「ああ、ブチギレのガチギレだ。絶対に許さん」
「えっ……。そ、その……ど、どうしたらいいかな?」
「許してほしかったら今ここでパンツ見せろ」
「えぇっ、こ、ここで!? そ、それはちょっと……は、恥ずかしいし」
「ちっがう! そこは『死ね』だろ!」
「あっ、そ、そうだよねごめんね」
う~んものすごい調子が狂う。
これでは俺が単なる鬼畜変態男ではないか。
「し、死ねっ」
「何そのかわいい死ねは」
「え、えっとどんなんだっけ……。なんか調子狂う……」
「そりゃこっちのセリフだ。そんなんじゃナメられていじめられるぞお前。んで変なやつに言い寄られてアレしてコレされて」
杏子みたいに邪魔するやつはチン○狩ったるぞぐらいの勢いがほしいね。
まあそこまで行かなくとも、その押したらイケんじゃね? と思われそうな態度はやめるべきだ。
冗談じゃないからな、という意味を込めてじっと見返してやると、またしても弥月は表情をほころばせた。
「えへへ」
「だからなにわろとんねん」
「……それね、ずーっと前にも泰地に言われた」
「は?」
弥月はそれがさも嬉しそうに言うが、こちらは頭にハテナマークでなんのことだかさっぱりである。
「それは何か?」
「……覚えてるの。心配してくれて、うれしかったから」
そう言って視線をそらすと、弥月は恥ずかしそうに頬を赤らめた。
肝心の当人はそれきり黙り込んでうつむいてしまって、変な間が流れる。
何かこの感じは俺の非常に苦手とする雰囲気である。ピンク色の波動……それが毒のように全身を巡って継続ダメージを与えてきそうな勢い。
俺はそうはさせるかと、変な空気に飲まれる前にさっさと沈黙を破る。
「な、なんだよ急にメスの顔しやがって」
「……めすのかお?」
「いやなんでもない違う違う、そういうことを言ったのはだな……そういう奴が身近にいるとイライラするわけ。するとストレスで俺の寿命が縮む。だからそれは要するにお前のことを気にして、というわけではなく俺自身のためなわけ」
「そうなんだ、うふふ」
「そうだよ、笑ってんじゃねーよ」
なんだその弥月の分際であらあらしょうがないわね的な上から目線は。
本来なら「別に早く死んだほうが世のためなんじゃない?」とか返すところだろうそこは。
だが弥月はムキなって張り合ってくるどころか、何か思いついたような顔になってずいっと一歩距離をつめると、
「もしかして照れてる?」
「は、はあっ? どこにそんな要素があるしょうもないそんな……。そ、そんなことよりいいからさっさとパンツ見せろ」
「あ、ごまかした~……くすくす。……ねえ、そんなに見たいの?」
じっと潤んだ熱い眼差しを向けてくる。
なんだこれエッロ……じゃなくて、何をそんな急に調子づいてやがるかこの女は。
これまで暴言一辺倒だったくせに、変な引き出しを開けてきやがった。どうやらそうまでして俺をからかってマウントを取りたいらしい。
「じ、冗談に決まってんだろ、誰が今更そんなもん見たがるか。もう見飽きてんだよぼけ」
「ふ~ん、じゃあいっつもこっそり見てるんだ? そんな素振り見せないくせして」
見てますがなにか?
と開き直る手もあったが相手の出方が読めないだけにそれは危険だ。
そうでなくても弥月はいたずらっぽく笑って、
「そっかそっか~、なるほど~……」
なにか新しい発見でもしたようにしきりにうなづいてみせる。
やりづらいことこの上ない。
「……とにかく、そういうわけだから。わかっただろ?」
「うん、ありがと泰地」
そしてこの屈託のない笑顔。う~ん気味が悪い。
俺はそれには答えずすぐさま踵を返すと、弥月を置いてさっさと教室に戻った。




