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嫌いな人


 嫌いな人は? と聞かれたら、真っ先に思い浮かぶのが幼なじみの赤桐弥月の顔だ。

 自己中のわがままで、偉そうで、嘘つきで、負けず嫌いで、口が悪くて、でも外面だけは良くて……言い出したらキリがない。

 そしてなにより俺のことを完全に見下している。徹底的に嫌っている。口癖は死ねこのダメ人間。

  

 俺、黒野泰地くろのたいちと弥月とは物心ついたときから家が隣同士で、家族ぐるみの付き合い。

 俺の家にも部屋にも、弥月は昼夜問わず家族同然に出入りをする。ウチの家族はみんなウエルカム。俺以外。

 その日、弥月がいきなり二階にある俺の自室に乗り込んできたのは、夕食が終わって夜の九時を回ろうとしたところだった。

  

「コレ書いて」


 パジャマらしき服の上にシャツを一枚羽織って現れた弥月は、そう言ってキャラクターの絵が背景にプリントされた、小さな紙の切れ端を押し付けてくる。

 見ればプロフィールメモのような、いわゆる卒業する前とかに女子から渡されて書かされるやつだ。

 高校生になってまだ三ヶ月も経ってないってのにずいぶん気の早い話だ。


「何? もう卒業すんの?」

「いいから早く書け」


 小学生の時にかたくなに書きたくないと言って女子を泣かせた経験がある。

 中学の卒業アルバムの余白ページも白紙だった俺は、この手のものを欲しがる人の思考がよく理解できない。

 何食わぬ顔で得た個人情報を将来どっかの業者に売り飛ばそうだとか、そういう理由があるなら話は別だけども。

 いろいろと思うことはあるが、ことコイツに至っては、無下に断ればいずれ俺が泣きを見るハメになるので素直に従う。

 

「ほらよ」


 俺はスマホゲーを中断しベッドから起き上がると、さらさらと走り書きして突き返す。

 弥月はびっと俺の指先から乱暴に紙片を奪い取ると、まじまじと見つめて、


「好きな教科、好きなタイプ。好きな芸能人。尊敬する人。将来の夢。生まれ変わったら? 今好きな人はいる? なにか一言。……全部特になし。もうさっさと死んだら? この世に未練ないでしょ?」

 

 もし今突然目の前に神様が現れて、「キミ、寿命ね。明日で死ぬから」と言われても「まあしょうがないっすね」で受け入れてしまうかもしれないのが怖い。

 いや別に、自殺願望とかがあるわけでは全然ないのだが、単純にしんどい思いとか面倒なことをしたくない。ただ楽に生きたいだけなのだ。


「唯一書いてあるのが……特技、寝る。あのね、寝るのは特技って言わないの。みんな寝られるから」

「じゃあ(テスト前に無勉で)をつけたら?」

「それはずいぶん立派な特技ね」


 弥月はニコリともせずに言うと、メモを丸めてゴミ箱に捨てた。 

 せめて俺の見えないところで捨ててほしい。


「何のつもりか知らんが、勝手に人の部屋にゴミを増やさないでくれないか」

「ゴミにしたのはあんたでしょ。これでよ~くわかったわ、あんたのダメっぷりが。まあ改めて確認するまでもなかったんだけどね」

「人口減少で先行きくらいし。年金も破綻するだろうし、閉塞感が半端ないよね」

「あんたの、ダメっぷりがね」


 家族からも当然のごとくダメ人間扱いされているのも。

 そして根本的に俺にやる気がないのも、全部この女のせいだ。

 そんな事を言ったら、そんなバカなことがあるか責任転嫁するな。

 と言われるだろうが、少なくとも俺は大元をたどれば原因はおおかたコイツのせいだと思っている。


「貴様、貴様さえいなければぁ……」

「……それ何のキャラ? だいたいね、その程度で文句言ってたら、本当に不幸な人に失礼よ。このあたしと幼なじみ、ってだけで、間違いなく日本男子の幸福度上位一パーセントに入るわ」

「マジか」


 つまり百人に一人の逸材。

 するとおおよそ俺の学年の男子はもれなく無気力で、毎日学校とか行きたくない異世界転生してチートハーレムしたい、だとかって思ってることになる。

 本当にそうならなんとなく希望が見えてきたぞ。俺だけがダメ人間ではないのだ。


「よかったわね。あたしという女神がいてくれて」

「そんなわけねーだろこの疫病神が」

  

 だが俺は簡単には騙されない。言わせてもらえば全くの逆だ。

 こいつと幼なじみでさえなければ、俺はみんなから頼られるまじめで正義感あふれる熱血漢で、毎日お薬がキマってるぐらいハッピーなはずだ。

 きっぱり突き放してやるが、冗談だとでも思っているのか弥月はくすくすと笑う。笑いのツボがおかしい。


「いいわ、この際だから、あたしの何が気に入らないのか言ってごらん? 完全論破してあげるから」


 弥月はずいっと顔を近づけてきて、俺のすぐ目の前で勝ち気そうに長いまつげをまたたかせる。

 セミロングの黒髪。すっと通った鼻筋に、血色の良いやや薄い唇。

 眉のすぐ上で切りそろえられた前髪の下に、少しどきりとするほど綺麗で力のある目元がのぞく。

 

 非常にありきたりで陳腐な表現で申し訳ないが、客観的にこの女を簡単に表すなら、容姿端麗、頭脳明晰、才色兼備、文武両道……あとなんかあったか。

 このクソみたいな性格を除けばこれだけ完璧で……そして嫌な奴を俺は知らない。いまだ会ったことがない。


 かたやこの俺は、主体性なし。やる気なし。プライドなし。事なかれ主義。

 長いものには巻かれる。吹けばチリのように飛ぶ男。テキトーでもまあ人生なんとかなんだろうの精神。

 それが俺。

 いや俺だった。


 俺はただいまをもって生まれ変わる。

 これからは戦おうと思う。

 主にこのクソ女の支配から逃れるために。


 ……なんか今、ふとそんなこと思った。

 俺にしては珍しくやる気が出た。


「まぁ色々あるけども……強いて言うなら全部かな!」

「うるさい黙れこのダメ人間。はい論破」


 ただの罵倒を論破とは言わない。

 圧政に立ち向かった俺の心はすぐさま全力でへし折られた。


「ごめんなさい、今日はもう許して。ゲームやりたいから帰って」

「真奈美ちゃんにあのボンクラなんとかしてくれないかしら。って頼まれたの。このままだと本気でクズニートになるからって、真顔で頭を下げられたから」


 真顔ってなんだよ、笑えよ真奈美。

 ちなみに真奈美とは俺の母親の名前である。

 自分より二回り近く年上の人間をちゃん付けするのもどうかと思うが、弥月とはそれぐらいにツーカーな仲だというわけだ。なめくさっているとも言える。

 

「みな何か勘違いしているようだが俺はやればできる子だからな。ただ誰かさんのせいで著しくやる気を失っているだけだ」

「なによそれは?」


 断っておくが、俺のマシンスペック自体はあらゆることがらにおいて平均を上回っている。

 だが俺の家族はそろってあらゆる基準を、全部載せの廃人用スペックの弥月に持ってくる。

 それより劣ってるとかなんとかって、小さい頃からずっと比べられ続けたらたまったもんじゃない。


「この前ふと本を立ち読みして、なるほどなって思って」

「何が?」

「何をしても褒められないで育つと、何ごとにも無気力な人間ができあがるっていう」

「それあんたのこと?」

「おかげさまで」


 そう言うと弥月は腹を抱えて爆笑しだした。やはり笑いのツボが明らかにおかしい。

 もうね……帰り際に階段から突き落としたろかと。


 これでその実、弥月が俺のことを好き好きで、その照れ隠しについ辛く当たってしまうというのなら、ああなんて可愛いやつなんだと思えなくもない。

 だが絶対にこいつは俺のことが嫌いだと断言できる。いや好きとか嫌いとかいう以前に、同じ人として扱われていない可能性すらある。基本的人権を与えられていない。

 

「まああんたがいくらダメになろうが知ったこっちゃないんだけど、何かの間違いであんたとあたしが一緒になる……みたいなことも、0、00000000001パーセントぐらいはあるかもしれないわけじゃない?」


 コンプガチャも真っ青な数字である。確率を開示しているだけ良心的か。


「それは遠回しに俺に金を要求してるのか? 課金しろと」

「……何言ってんの? とにかく要は、あんたにやる気を出させればいいんでしょ? そんなのあたしにしてみれば、超カンタンだから」

「へえ、どんな?」


 聞き返すと弥月は急に真顔になって、ちょっと何か考えるように一度うつむいた。

 やがてぱっと顔をあげると、指先を口にあてて離すような奇妙な仕草をした。


「……何? 今のは」

「投げキッス。やる気出たでしょ?」

「指がものすごく臭かったのかと思った」

「死ね」


 弥月は自分でやっといて恥ずかしい事に気づいたのか、徐々に顔を赤くしていく。

 アイドルでもないのに投げキッスとかするやつ初めて見た。


「しかもものすごく中途半端な感じ……」

「う、うるさいっ、死ね死ねっ!」


 殺意がハンパない。

 弥月は床に落ちていたクッションをひっつかんで投げつけると、足音荒く部屋を出ていった。

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