彼女候補
「静凪やめろ、怖いからやめろ」
こちらを覗いていたのはパジャマ姿の静凪だった。寝起きらしい。
ドアを開け放つと静凪はささっと俺の背後に隠れて、若干眠たげの訝しげな目つきで舞依を睨む。
「誰だ?」
「妹の静凪だ」
「おっ、妹がいたのか。ちっちゃいなー、ははは」
舞依はフレンドリーに笑いながら近づいてくると、べんべんと静凪の頭を叩く。
すると静凪はすぐさまその手を叩き落として、ものすごい不愉快そうな顔で、
「気安く触らないでください。初対面の相手に対して何のつもりですか? どこの誰ですか?」
舞依ではなく俺に向かって言う。まるで普段とは別人のような物言い。
こいつはクソガキのくせに子供扱いされるのをやたら嫌うのだ。
大人な俺は甘んじて容認してやっているが、舞依のようなタイプは苦手に違いない。
そのくせすごい人見知りなので、なぜか文句は全部俺に来る。
「ああ、この人はクラスメイトの……あ、違う。なんかよくわからん変な人だ」
「彼女候補の天宮舞依だ。よろしく」
何が彼女候補か、と視線を送ると、にやりと不敵な笑みが返ってきた。
そんなことを言えば静凪が黙っていないだろう。案の定静凪はむっと唇を曲げて、
「彼女候補ってなんですか? 誰の許可を得てるんですか?」
と、俺に向かって言う。
いちいちワンクッション挟むの止めてほしい。
「ほう、本人から許可は得ているのに、ここでは妹が口出しをしてくるのかな?」
「いや本人からも許可得てないだろ」
「ふん、おおかたそのバカみたいな胸でお兄ちゃんをたぶらかしたんでしょ」
あってる。大体あってる。
俺を物陰にしていた静凪は、壁にひっかけてあったはたき棒(意味深ではない)をさっと手に取ると、何を思ったかそれでいきなり舞依の胸をつつきだした。
棒の先端(繰り返すが意味深ではない)がつんつんと膨らみを圧迫するたびに、ぶにゅりぶにゅりと音が聞こえてきそうな勢いで形がたわむ。
その光景はさながらぶどう狩り……いや桃狩りである。
「おっ……やったなぁ!」
舞依はどこかの誰かみたいにエロい声を出すどころか、棒()を手荒くひっつかんでおしのけた。
そしてぺろりと舌なめずりをすると、素早い身のこなしで静凪に急接近し、両脇を抱えて持ち上げそのまま天井向かって高い高いを始める。
「そらたかいたか~い! ははっ、軽いな~静凪は!」
「ぎ、ぎゃああああっ!! やっぱりデカパイは感度が鈍いぃぃっ!!」
何を高らかに叫んどるかこいつは。
舞依は軽い軽いと言うが、いくらなんでも赤ん坊じゃあるまいし普通の感覚なら十分重たい。一体どんな腕力してやがるんだ。
静凪はジェットコースターのたぐいは一切乗らないぐらいには高いところが嫌いなので、やたらめったら悲鳴を上げまくる。
それを喜んでいると勘違いしているのか、舞依は「あはははは」と高笑いをしながら上げ下げを繰り返す。
静凪はジタバタとあがきまくるが逃れられない。ようやく解放されたころにはすっかり怯えている模様。
フラフラと再度俺の陰に隠れると、どこからか携帯を取り出して電話をかけ始めた。
「もしもし、今すぐ……」
静凪は口元を隠すようにして、何ごとか小声で話している。
それを見た舞依がすぐさま、
「静凪も携帯持ってるのか。よし、私とも番号を交換しよう!」
舞依が自分のスマホをさっと取り出して接近するが、静凪はすぐに電話を切ってポッケに隠し、断固拒否の姿勢を取る。
「ん? やり方がわからないのか、よしお姉さんがやってあげよう」
しかしそんなものではこの女は止まらない。
携帯を奪おうとする舞依と逃げる静凪。
棒立ちの俺を軸にして変な攻防戦が始まってしまい、いい加減こいつら叩き出すかと思っていると、開きっぱなしの扉の前にまたも人影が現れた。
弥月だった。軽く息を切らしているようだが……静凪のさっきの電話の相手は弥月だったか。
電話で呼ばれてすぐやってくるなんて、なにか弱みでも握られてんのかこいつ。
「……な、なに?」
「いや別に……」
じっと様子を見ていた俺と目が合う。妙に警戒されていて、なんか気まずい。
すると弥月の到着に気づいた静凪が、今度はどたどたと弥月の背後に回り込んで盾にする。
だがそれも構わず舞依はそのまま弥月に特攻して、がばっと両手を回して抱きしめた。
「んーっ、いい匂い!」
「ち、ちょっと何やってんの舞依!」
「おっと、何をやってるんだ私は」
舞依はそう言いつつも抱きしめるのを止めない。
同じような身長の二人の胸同士が圧迫されて、視覚的ビッグバンを起こしている。
あら~いいですわね。僕のビッグマグナムも仲間に入れてほしいです。ん? 豆鉄砲ですか?
やがてようやく舞依が体を離して落ち着くと、弥月の後ろからひょこっと顔を出した静凪が舞依を指さして、
「弥月ちゃん、この女が彼女候補とか言ってるけど、どういうこと?」
「え? ち、ちょっと、どうなんだろう、ははは……」
「なに笑ってごまかそうとしてるの? 弥月ちゃんがいらないんだったら、こんなのにとられるぐらいなら泰地はわたしがもらうからね」
「は、はぁっ?」
弥月は目玉が飛び出さんばかりの驚きようである。
どさくさに紛れて何を言ってやがるかこのバカ妹は。
「い、いきなり何を言って……。だ、だって静凪ちゃん、こいつのこと嫌いでしょ?」
「好きですけど? 愛していると言っても過言ではないです」
「いやいやいや! それはダメでしょ! ふざけるのもたいがいに……」
「ふふ、お兄ちゃん大好きなんてかわいいじゃないか。なるほど、これでまた一人ライバルが増えたな。さあどうする弥月、これでグズグズしてられないな」
「な、なにがってばよ?」
どこぞの忍者っぽくなっているが、弥月は相当動揺しているようだ。
まーたこのアホどもが意味のわからんことを言って収拾がつかないので、ここは俺が一発ビシッと場を収めてやるか。
「まあ超絶イケメンの俺を取り合ってしまうのは仕方ないが、君たちはもっと分別というものをだね……」
「ちょっとうるさい黙ってて」
「はい」
弥月にギロっと睨まれた。怖いです。
今ので舞依>静凪>弥月>>俺というパワーバランスが確定してしまった。
「誰が最も泰地の気を引けるか……。私はあくまでフェアに勝負したいと思っている。選ぶのはあくまで泰地だからな」
「いや誰も選びませんけど? おかしいでしょこの絶望的な三択しかないの」
「ちょっと! 三択っていうか、あ、あたしはそんなの参加する気ないからね!」
「あーそうですよね、わかってます、はいはい」
「なんだもうイライラするなお前たちは! ……まったく、誰のためにこんなことしてると思ってるんだ」
「なぜお前がキレる」
自分でかき乱しておいてこれだから手に負えない。
静凪も悪そうな顔で何か企んでる風だし……。
だがあれもこれも元を辿れば、弥月が舞依を巻き込んで俺を陥れようとしたのが悪い。
コイツが余計なマネさえしなければ、こんなことにはならなかったはず。
俺は弥月にお前のせいだぞ、という意味を込めてこっそりアイコンタクトを送ってやる。
「……な、何? なにか文句でも?」
しかしこの悪びれる様子もない態度。
やはり嫌いだ。