戦車界のアイドル登場!
ども、久しぶり過ぎて小説の書き方を忘れたカトユーです。
どうやって自分は書いてたんだろうね〜?
翌日、パドリオに案内されてクルーツク(?)集落に着いた。そこは、想像以上に酷いところだった。てっきり、現代の難民キャンプ的なモノを考えていたが、我々の目の前には強風で吹き飛びそうな粗末なテントもどきだった。何処かで拾ってきたのであろう、曲がった木の枝を突き刺し、その周りを葉っぱやらなんやらで覆っただけの住居が、三十ばかり程散らばって建っていた。見れば、崩れてしまったのだろう、木の枝と葉っぱが地面に落ちてしまっていた。
いきなり押しかけてきた、珍妙な姿の集団を見に、集落に居たエルフ達が集まってきた。皆、パドリオと同じように、骨と皮だけの身体であった。そんな彼らが、ヨロヨロと近寄って来るのを見て、自分は「うわっ!?」と情けない声を出してしまった。でも、ぱっと見ゾンビ映画なんだもん……
寄ってきた、エルフ達は口々に「飯をくれ」だの「水を飲みたい」だの言ってきたので、とりあえず、手持ちの水と食糧を彼らに分け与えた。「ありがとう、ありがとう……」と祈るように言って、もらった食糧を食べ始めた。
そんな、彼らを見て疑問に思った事があった。というのも、2,30人居る彼らの中に女子どもが一人も見当たらないのだ。
これをパドリオに聞いてみると、
「人族に殺されるか捕まえられた。運良く生き残っても、体力のない彼女達は力尽きて倒れていった」
と。自分は、聞いていて後悔の念に駆られた。あと少し、数日でも早くこの集落を見つけていれば、あるいはもっと早く、周辺の調査をしていれば、可哀想な彼等を少しでも多く救ってやれたのに、と。
その後の動きは早かった。我々は、直ちに帰還の準備を始め、上空の一式陸攻に対して集落発見と難民保護を伝えた。これで帝都では、難民の受け入れ準備が為されるだろう。
衰弱しきった彼等をまた連れ回すのは酷な話だが、彼等の命の灯火が消えかかっているのも事実だ。我々は、持ってきた有り合わせの道具で、即席の担架を作り、彼等を運んだ。ああ、チクショー。こんな時にヘリがあれば、一気に運べるのに、と愚痴を吐きながら急ぎ帝都へと向かった。
なんだかんだ言って、一週間で帰る事が出来た。帝都に近づいた時、別の小隊が用意したM3 ハーフトラックに分乗して帰れたのが幸いした。やはり、トラック等の輸送力はスゴイなと思った。これからは、帝都周辺の道路も整備することを頭にメモしつつ、およそ半月振りに執務室へと戻った。
今回の捜索で新たに、保護したのは24名の男性エルフだった。残念ながら、帰還中にも何人かのエルフが衰弱死してしまった。まるで、火がふっと消えるような静かな最期であった。全ての生命力を使い切ったのであろう。彼等の安らかな寝顔が心の奥深くに残った。
ここから半年間、難民エルフの捜索と帝都周辺の整備に力を注いだ。具体的には、新たに7つの集落を見つけ、延べ96名のエルフを救出することに成功した。いずれも小規模な集落ばかりで全滅寸前の所だった。また、既に全滅していたところもあった。屍に集るハエがブンブンと飛び回っている様は中々に心苦しいものがあった。
また、帝都周辺の整備だが、先に述べたように、有事の際に迅速に動けるよう、舗装はされていないが東西南北に十数kmずつ延伸しておいた。
半年が経ち、帝都もだいぶ変わってきた。まず、都市区画(予定地)も含め、森林の開拓がどんどん進んだ。今の状態なら数万人程度の難民なら受け入れられる自信がある。この、土地も先にメインとなる道路を敷いて、後はそれに合わせた小道を造っていくというスタイルをとったため、かなり綺麗な景観の町並みとなった。
また、人口の増加に合わせ、今まで軍隊内で行ってきた教育活動の場を、都市内に移した。具体的に言えば、学校を建てたのだ。日本風に、6・3・3・4で小中高大と全て設置した。ありきたりだが、シュバルツェルナー〇〇だ。全て公立で入学費、授業料、給食費は全てタダである。一応、義務教育ということにしてある。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
……さて。人口が増えた、ということは、軍の拡張も出来るということだ。流石に過度な軍拡は国を滅びさせかねない(ソ連とかソ連とか、あとソ連)ので、身の丈にあった軍拡をしようと思う。ゆっくり(軍拡)していってね、ってな。
まずは拡張から。前回、散々不要だ不要だ言った戦車部隊だが、復活しました(笑)
(作者の気まぐれです)
ま、まあ、戦車は漢のロマンだしね?仕方ないよね?ね?
ってことで、半年振りに戦車部隊の復活。
あと、戦車部隊の一部に自走砲連帯を組み込んだ。これにより、戦車部隊は完全にお飾り部隊となった……
あとは、無難に歩兵部隊の増強。
今回、保護したエルフ達のほとんどが成人エルフ男性だったのか幸いし、大幅な軍備拡張に成功した。
そして、注目の戦車は〜〜
皆さんお待ちかねのチハたんです。
(え?誰も待ってないって?)
……まあ、軽く紹介をば。
九七式中戦車 チハ
言わなくても分かるだろうが、大日本帝国陸軍が運用した戦車だ。
チハというのは、本来開発秘匿名称であった筈だが、戦車乗員の間でも「チハ車」等と普通に呼ばれていた。(秘匿とは…)
なんやかんやで、弱いなんて言われたりするチハたんだが、大抵の場合比較対象がおかしかったりするのが原因だろう。例えば、工業大国アメリカの象徴、M4シャーマン戦車と比べられる事が多い。そりゃ、太平洋戦争中に何度も死闘を繰り広げた戦車だから、誰もが比べたがる。だが、冷静に考えると、チトおかしい思う。確かに、その2つを比べると圧倒的にシャーマンの方が強い。(だって、主砲が75mmと57mmだし…)
ここで、大事なのが両者がいつ造られた戦車なのか?ということだ。チハたんは名前から分かる通り(皇紀2597年から)、1937年に出来た戦車……と言いたいのだが、制式採用は一応1937年らしいが、これがホントに制式採用だったのか?というのが疑問に残っていたりする。ともかく、1937年に試作が完成し翌年に量産がスタートした戦車だ。
対してM4シャーマンは1942年に量産開始となった戦車だ。この時代は、WW2の影響で凄まじいスピードで 戦車は発達していった。一年や二年経つだけで、戦術も車両もガラリと変わっていたのだ。
つまり、チハと比べるべきなのは同時期(±1年)に開発された戦車が妥当なのである。
そうなってくると、比較対象となるのはチェコのLTvz38(独:38(t)軽戦車)やドイツのⅢ・Ⅳ号戦車初期型、フランスのシャールB1 ter、アメリカのM2A3軽戦車、ソ連のBT-7となる。
この辺りの戦車と比べると、普通の戦車だなという印象を受ける。ただ、細かく見ていくと個人的には器用貧乏だなと感じてしまう。
例えば、歩兵支援であればⅣ号戦車の短砲身75mm砲の方が優れているし、装甲で見ればB1 terが圧倒的である。機動力を見てみれば、M2A3やBT戦車が圧倒的に優れていた。
しかし、乗員配置が優れていたり、無線設備が充実していたりと注目すべき点は多い。また、後続のチヘ、チヌ、ホロ、ホニへと続く日本戦車の基礎を作ったという点は凄いことだろう。
いずれも、比較的ゆとりのある車体設計が功を奏した。
メタいがこんな小説を読んでくれる方達だ。多分、自分より詳しい人が多いだろう。
あとはさらっと説明しよう。
九七式中戦車チハ(前期型車体)の諸元は以下の通りだ。
重量 約15t
全長 5.55m
エンジン V型12気筒空冷ディーゼル(170馬力)
最高速度 38km/h
武装 九七式五糎七戦車砲、九七式車載重機関銃
最大装甲圧 25mm
乗員 4名(車長、砲手、通信手、操縦手)
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
復活した戦車兵達の前に登場したのは、先代のT-35よりだいぶ洗練された見た目の戦車だった。やっぱり、砲塔は一つで良かったんだ……
早速、戦車の特徴や注意事項を説明したあとに、実演してみる。キーを挿してひねる、一般の車と同じような手順で、チハのエンジンが始動する。真っ黒な煙を出す、チハに戦車兵達はびっくりしていた。何せこの煙を見た昭和天皇も「あれは何だ?」と言わせた程である……
しばらくして、カタカタと履帯の音を響かせてチハが動き始めた。広い演習場を走り回って戻ってきた頃には、戦車兵以外の兵士達も集まっていた。
戦車を降りたあと、戦車兵達にチハに乗るための知識を色々と教えた。
翌日からは本格的に戦車教育が始まった。前回は、かなり手抜きだったが今回は車が走る仕組みから勉強が始まった。その後、内燃機関の仕組みや動かし方等を教え、ようやく戦車に関する話となった。戦車の基礎知識を粗方覚えた彼等はようやく、専門分野を学ぶこととなる。とは言っても、人数が少ないので戦車部隊全員が、車長、砲手、操縦手、通信手をこなせるよう猛勉強した。結局、戦車乗員の養成に1年以上を費やす事になるのはまだ先の話。
チハですよ!
個人的には戦中日本戦車でいっちばん大好きな戦車です!(所謂チハ改なんですけどね)
次回はうーん…
土曜日とか?