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幾許  作者: _
腐 音
5/15

5mg 零

「ツインじゃなくてもよかったのに」

 ベッドに座り、新しく買った帽子を脱いで、ため息をついたミルクは、細い指先で布団の表面を愛でた。

「また痴漢されてもな」

 俺は苦笑いし、もうひとつのベッドにミルクと向き合う形で座った。

「……どうして痴漢なんてしていたんだ?」

「信じないだろうけれど、哉多が初めてよ。普通の男って、どんなものなのかなあって」

「普通ではなかったな」

「そうね」

 ミルクが笑う。

 俺は上着を脱いでポケットに手を突っ込む。同時に初期設定の着信音が鳴り、タバコを掴み損ねた不機嫌な指先で携帯電話を取った。

「あ、哉多?」

 中川のご機嫌な一声が届く。

「おう」

「隣の部屋が大変なことになっている」

「……だろうね」

「だろうねじゃねえよ。部屋荒らされてるよ。会社も大騒ぎだし。俺は自転車を盗まれたし。といってもなぜだか、寮の前にあったし」

 ……虫か。

「虫?」

 中川が俺のつぶやきを拾う。

「いや。悪かったな、さっきは」

「コーヒーで勘弁してやるよ。で、一緒なのか?」

「ああ」

「どうするんだよ、これから」

「無計画」

「そんな女かばってどうすんだよ」

「……だよな」

 そんな、女だよな。

「だいたいお前、そういうの軽蔑してる側だったじゃねえか」

「中川だけには言いたくなかったけれど」俺は前置きをしてから言った。

「俺の母親、橘早妃なんだよ」

 ミルクの視線を感じる。

「えっ、あの伝説の!?」

「伝説……ね」

『似てない』

 中川とミルクの同時発声音が、ステレオする。

「作りもんだからな、あの女。顔も体も」

「まじかよ。知りたくなかったな、それ。あ、朝野ミルクは別な意味で作りもんらしいぜ。AV女優になるためだけに生産されたサイボーグ、ってパッケージに書いてある」

「なにを見ているんだよ」

 中川の部屋の、テレビの前に堂々と積み上げられたコレクションを想像する。その中に橘早妃の文字を見つけたときは、本気で叩き割ってやろうかと思ったものだ。

「まあ、ともかく。哉多、会社に辞めるって連絡したんだって? 本気なの?」

「描いていた理想……なんてないけど、ただ時期が早まっただけだ。本意な辞め方ではなかったけどな」

「そうか。思うようにするといい。そこに責任を伴えるのなら……昔、俺が哉多に教わったことだ。俺は哉多に借りがあるからな」

「コーヒーでいいぞ」

 電話を終えると、中川のコレクションの一部でもあるらしい朝野ミルクは、タバコをくゆらせていた。

「それで、哉多は萎えちゃったのか」

 まあな、と携帯をベッドの上へ放り、あらためて上着のポケットに手を忍ばせる。

「ミルクはどうして女優になったんだ?」

「私? 私は、産まれたときから。……違うわね」ふぅーっと吐き出した煙が思案している。「産まれる前からよ。産まれるずっと前から、朝野ミルクだった」

「どういうこと?」

「容姿の綺麗な人を選んで、何億というお金を積んでつくられたのが私」

「なんのために?」

「社長が最高の作品を作るために」

「それだけのために?」

「そう」

 俺はタバコを吸いながら、黙ってミルクの話を聞いた。 

「十八歳の誕生日に、パーティーをするからって、スタジオに呼ばれたの。そこには小さい頃から知っているスタッフたちがいた。カメラが回って、撮影することを聞かされた。そして、押さえつけられた。相手は社長。私を育てた父親でもあるわ。撮影が終わって、実際の父親ではないってことを教えられた。お父さんって泣き叫ぶ声が欲しかったって」

 俺は言葉が出なかった。タバコという小道具が、いつもより早く短くなっていく。

「ねえ、哉多。橘早妃っていう女優さんは、本当にすごい人なのよ。あの人みたいな女優さんにはなれない。意識が違いすぎる」

「アイツみたいになる必要はないだろ」

「そうよね」

 メンソールの煙が無計画に影を消失させていく。

「外の世界を知りたかった。ずっと渇く暇もなく仕事をさせられて、私の楽しみは、どれだけ稼いだのか計算することだった。自分の稼ぎのことじゃなくて、社長の儲けをね。社長に元を返せる金額を確認したら、飛び出していた。もう恩は返したもの」

「それは恩とはいわないんじゃないのか」

「私はサイボーグとして生産されたけれど、こうして生まれてきたから。自分を生きてみたいんだ。朝野ミルクではなくて、朝霧美陸あさぎりみりとして」

「社長にそういった話をしても、理解はしてくれないのか?」

「逆らうとお仕置きされるの。カメラの前で。なんでもお金なのよね。そのためのサイボーグなんだろうけれど」

「なあ。昨日って、なんであいつらに見つかったの?」

「わからない」

「位置情報で居場所を知られたとか──」

 ミルクは首を振った。

「私、携帯とかスマホとかいまどきのもの持ってないのよね。どこへ行くにも護衛がいるから必要ないって、持たせてもらえなかった。だから、向こうから連絡を取りようがないし」

 ミルクは少し考えて、言った。

「ネットかもしれない」

「ネット?」

「病院で話しかけられたの。哉多を待ってるとき。私と話しながら、スマホをずーっといじってた」

 俺はホテル装備のパソコンの前に座る。嫌な緊張感が指先を襲う。こんなに緊張して女優の名前を打つのは俺だけなんだろうな。しかも二回目の。



朝野ミルクが病院の喫煙コーナーでタバコ吸ってるwwwww

男と逃亡か!?

見つけたらヤレるんじゃね?

駅前で騒いでるの見た! あれ絶対朝野ミルクだね! 逃げてるっぽいw

絶対撮影じゃない模様

見つけたら賞金出るかな?

早く見つけようぜ

ミルミル狩り開始w




「もういいわ」

 ミルクは呆れた顔をした。

 とにかく、このホテルに滞在し様子を見ることにした。今までの規則正しい生活をくつがえし、だらけるのは容易なことだった。垂れ流しのニュース番組に相槌を打ったり、どうでもいい話をしたり、ミルクの買い出しをさせられたり、ミルクとの逃避時間を楽しんでいる自分がいる。母親から逃げ、ずっと仕事をしてきて、外の世界を知りたかったのは、意外と俺のほうなのかもしれなかった。

 会社には事情を説明できずに、辞めるということだけを電話で伝えていた。上司は俺を問い詰めようとはしなかった。「一週間待つ。有給扱いにするから帰ってこい」と言われたが、俺はかたくなに辞めると言い張った。私物をなんとかすると約束して。

 期限の一週間はとっくに過ぎた。俺のクビは決定だろう。電話が鳴る。会社か? 携帯の待ち受け画面に、見覚えのある電話番号が表示される。

「哉多?」

 何年振りかに聞いた、かすれがかった声。

「なんだよ」

「アンタの部屋の荷物、お隣のすけべなお兄さんと片付けたわ。会社のトラックで家に運ぶようになってるから。あなたたち、途中で拾ってもらって届けてもらうように」

「え、なにを言っているの」

「この歳で、いい年した息子の部屋の掃除と、勤め先に頭下げるだなんて。第二次反抗期って感じ」

「……すまない」

 十二年と四か月め以降、口にすることはなかった言葉が出てきた。

「性的要素のひとつもない面白みのない部屋だったけれど」

「それは関係ないだろ。だけど、どうして? ずいぶん手回しがよくないか?」

「ちょっとー。私を誰だと思っているの」

「伝説のばばあだろ」と毒づいたところではっとした。「まさかミルクの父親から」

「冴えてるねー、君。哉多を調べたら、伝説のオンナである私と繋がったってわけ」

 すまない。二度目は言葉にしなかったが、伝説の熟女には訂正してやる。 

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