第三部 積木の万能人
このユートピアは、ある男と彼の友人との間で語られたものと言われています。
男
「この世界の人々は、信じられないくらい多くの進歩を遂げているんだ。」
友人
「へえ、たとえば?」
男
「彼らは、空を渡る船を作り出せる。明日の出来事を限りなく正確に予知し、
海の向こうの相手とも、まるでその場にいるかのように会話ができる。
膨大な知識と技術で、僕たちが想像もできないことを容易く実現するんだ。」
友人
「それはすごい。空を翔け、未来を知り、世界中に声を届ける。
まるで神様のようじゃないか。」
男
「その通り。そんな博識で万能な彼らだが、
しかし、あることだけは全く知らない。」
友人
「へえ。そんなに大きな進歩を遂げた彼らにも知らないことがあるとは。
きっと、僕たちでは想像もできないような難解な分野の知識なんだろうね。」
男
「それがそうでもないんだよ。
実は、彼らは『正義』については碌に知ろうとしないんだ。」
友人
「どういうことだい?」
男
「この世界の人々は、絶対的な正しさなんてものは存在しないと思ってるんだ。
『正義なんて人それぞれなんだから考えるだけ無駄だ。』と思っていて、
正しく生きることについて、面倒くさがって真面目に考えようとしないのさ。
しかも普段は『絶対的な正義などない。』と豪語してるくせに、次の瞬間には
『あいつは絶対に正しくない。今すぐ死ぬべき悪人だ。』なんて喚いている。」
友人
「それは滑稽だ!知識も技術も正しく用いて初めて意味をもつのに、
当の正しさの探究となるとそんな安直な結論で満足してしまうなんて。
正しく生きることは、人として一番当たり前で、大切なことじゃないか。
彼らはそんなことも分からないっていうのかい?」
男
「その通り。この偉大な万能人達は、知識はあるのに
知恵はてんで回らないのさ。しかも、彼らの愚かさは
出鱈目な世迷言を喚くことだけには収まらない。」
友人
「それだけでも十分に無様で笑えるがね。
この道化達はまだ何かやらかすのか。」
男
「思い出してくれ。彼らの手には、神にも見紛う万能の技術があるんだ。
しかし彼らは、力を持つ者が最も弁えるべき『正しさ』に限っていえば、
碌にそれを知ろうともしない無責任な能無しときている。
彼らは天翔ける船から火を降らし、未来を知って他人を出し抜き、
醜い罵声を世界中にこだまさせている。
そして言うんだ。『絶対的な正義などない。』と。」
友人
「ユートピア!それはあまりにも無責任だ!
自分の楽しみのためならどんな途方もない努力も惜しまないくせに、
好き勝手を戒める良識を前にすると、途端に『それは不可知だから
考えても無駄だ。』なんて一人前な顔をして言うんなんて。
本当はただの我儘な子供のくせに。」
男
「本当にその通り。しかしまあ、流石にこんな世界があるとは思えないよ。
実際にこれほど幼い人間の世界が存在するとしたら、知識の蓄積がもたらす
進歩に振り回されてすぐに滅びてしまうだろうからね。」
友人
「そんな無能な万能人なんて存在しないでほしいものだね。
乱麻を断つ快刀も、思慮のない子供に握らせるくらいなら
最初から無い方がいいじゃないか。」