トワの大いなる学習帳:「ネジ」
目を開いたら怪しげな白い部屋にいる、というシチュエーションは大抵の人間にとっては卒倒する程のビッグサプライズになり得るものだと思うが、そんな奇妙な状況も何度も繰り返していると安心感すら覚えてくるのだから、慣れとは全くもって怖いものだなぁと俺は寝ぼけ眼で夢の世界の主を探した。
少女は部屋の角で、ミニカーを両手に持って何やらままごとのようなことをしていた。先日「大事なものにつけるように」と言ってプレゼントしたストラップは結局ミニカーにつけることにしたようである。動かす度に先端に付属した人形がミニカーと擦れて既に傷だらけになっており、俺は獅子の頭をしたその珍妙なマスコットの苦難を内心で労った。
「アキラ」
俺に気付いた少女がこちらへ向かって歩み寄って(正確には床上5cmを浮遊しながら直線移動して)くる。もう何度もこうして彼女との交流を繰り返しているが、少女にとっては俺との接触は毎回新鮮な発見で溢れているようで、訪問を楽しみにしてくれているみたいだった。俺のすることと言えば眠る前に何となしに手に取っていた物をこちらの世界に持ってきて少女に見せびらかしているだけなのだが、何にせよ喜んでもらえるのはこちらとしても素直に嬉しい話である。
「今、偽アキラ女が、偽アキラ男を倒したところだ」
偽何とかというのは彼女がつけたミニカーの名前である。俺は少女が語る二つの車の辿った数奇な運命とその生き様を話半分で聞きながら、何か無いものかとポケットの中を虱潰しに弄っていた。今日は事前には特に何も用意していなかったので、このまま行くとまた男だの女だの存在だの、質問魔の彼女に哲学的な疑問を浴びせかけられる羽目になってしまう。何でも良いから少女の気を引けるものを探さなければならない。
ズボンの後ろポケットに手を入れると、何か固いものに指先が触れた。金属製の小さな部品のようである。この形状はネジだな。しかし何故こんな所にネジが入ってるんだろう、と頭の隅で考えながら俺は一先ずネジの神様に感謝して指先でつまんだそれをポケットから取り出す。
「それは、何?」
間髪入れずにトワが人差し指をネジの方へ真っ直ぐ向け、さながらガンマンの如く質問の弾丸を飛ばした。何て目ざとい子なんだろう。将来良い姑になるぞ。
「これはネジだ。何かを組み立てる時に使うパーツで、これ単体では特に意味はない」
「パーツ」
「そう、部品。ミニカーにもたぶんネジは使われてるぞ」
ほら、とトワから偽アキラ男を受け取って裏面を見せる。しっかり締まった小さいネジを見て少女は目を丸くした。
「気付かなかった」
「そうだな。あくまで一部品だけど、一つでも無くなると致命的な問題になりかねない大切なものなんだよ」
感心したのだろうか、少女はネジを見ながら神妙な顔をして何度か頷いた。
「人間の出来を例える時にも表現としてよく使われるな。“あいつはネジが飛んでる”とか“頭のネジが足りない”とか・・・まぁあまり良い意味では使われないんだけど」
「・・・そんなに大切なものなのに」
少女は息継ぎをするように言葉を切って、再び口を開いた。
「大切なものなのに、失くすまでは気付かない」
憐れだ、と少女は言った。恐らく彼女には憐憫という感情はまだ理解が及んでいないはずなのだが、近頃は理解していない分野においても状況を鑑みた感情表現というものを彼女は行えるようになっていた。どんどん人間らしく成長していくな、と俺は無表情で言葉を待つ少女を見返した。彼女も俺との接触から発見を見出しているように、俺も彼女から常に新しい発見を見出していた。
「確かにな。不思議な話だけど、大切なものってのは持ってる時はそれが大切だって気付けないことが多いんだ。失って初めてそれが如何に大切だったか気付いて後悔する」
俺は手の中で“重要な物”から“憐れな物”に成り下がったネジを見た。それから主を失った使途不明のネジの喪失感に思いを馳せた。想像の中の彼の心はとても空虚だった。
「私のネジはちゃんとある?」とトワが訊いてきた。少し心配そうな表情をしているように見える。俺は笑顔で少女の頭を撫でた。
「あるよ。失ってないなら、まだちゃんとあるってことだ」
今日学んだこと
ネジ・・・昔必要だったが今は不要のもの。
・正確に言うならば、立場や認識によって存在価値を歪めるもの。不定物質。
・人の頭や心にもあるとのこと。やはり概念的、現象的な側面が強い。