参
「狼くんは、一匹でどうしたんですか?」
(群れを追われた。)
話題を変えるつもりだったのだろう青鬼は、明るい話題にならなかったことに目に見えて落ち込んだ。
怪我をしていたことから察せると思うのだが。
「こんな小さいのに……。」
これでも、なんとか成長した方であった。
子狼は、生まれて間もなく、目が開いた時から群れで忌むべき存在になったのだから。
「そう言えば、狼くん、名前はなんと言うのですか?」
(名前なんて無い。)
「それは困りましたね。じゃあ、私が考えても良いですか?」
子狼は今まで自分に名前が無くて困ったことは無かったが、ニコニコと言われて悪い気はしなかったので、了承した。
「それじゃあ、藍。」
(ラン?)
「この瞳の色から貰いました。美しい藍色。」
(この、瞳。……美しいなんて、初めて言われた。)
「どうして? こんなに綺麗なのに。」
一族の間では、この青い瞳が忌むべき対象だったのだ。何度無くなれば良いと思ったことか。
それでも、子狼は、生まれて初めて褒められて、心が満ちる思いがした。
(嬉しい、嬉しい。)
「喜んでくれて、ありがとう。私の髪の色、青でしょう。青は藍から作られるのですよ。」
それを聞いて、藍はさらに心が浮き立った。
(それじゃあ、俺は、あなたのことを青と呼ぶ。優しいあなたは、鬼では無い。)
「セイ? ……嬉しい、ありがとう! 私は今日から青。よろしく、藍。」
(よろしく、青。)
その日から、心優しき青鬼と孤独な子狼の友情は始まった。
■ ■ ■
それから数年が過ぎて、藍は立派に成長した。
相変わらずあの洞窟で生活しており、時々訪れてくれる青と遊ぶのが唯一の楽しみになっていた。
けれど、青は年々笑顔が消えて行った。
人間を食べる生活が、苦しくて仕方なかったのだ。
「私は人間に生まれたかった。」
そう言って泣く青を、藍はただ背中に頭を擦りつけて慰めるしかできなかった。
ある日、いつものように藍の元を訪れた青は驚いた。
洞窟に人間がいたのである。
「青! 待ってたよ!」
「え、もしかして藍ですか?!」
肯く人間を見て、青は恐る恐る近寄る。
そして気付いた。瞳が綺麗な藍色なのに。
「本当に藍なんですね。すごい、人間にしか見えませんよ。」
「狼は人化出来るんだ。最近やっと出来るようになったんだよ。」
くるくる回って、尻尾も無いことを教える藍は、本当に嬉しそうである。
「良いなあ。」
そう呟いた青に、嬉しそうな表情から一転、藍は真剣な顔をして青に近づいた。
「なあ、青は俺より魔力がある。人化できるだろう?」
「え? まあ、そう見せかけることは可能だと思いますけど……。」
「じゃあ青、俺たち二人で、人里に下りよう。人間として暮らそう。」
「ら、藍、何言って……。」
「俺は本気だよ。」
冗談と一笑に付すには、藍の目は本気過ぎた。
藍は、青に拾われた時、名前を貰った時、何が何でもこの人の為になろうと思った。
今がその時だと思ったのである。
「む、無理ですよ。閻魔様には絶対に見つかってしまいます。そんなことしたら、その里の人々が……。」
希望は見えない。
けれど、俯く青の手を取って、藍は力強く言った。
「大丈夫、俺に考えがある。」
「考え?」
「俺、人化の術と一緒に、結界術も頑張ってものにしたんだ。この結界の中に居れば、閻魔は青の居所を突き止めることが出来ない。」
そう言って洞窟に張られた結界に、青は息を飲んだ。高位の術形式で、綻びも見られないのである。
これならあるいは。
青の心に、希望の光が灯った。
計画は、単純だった。
閻魔の力が弱まり、藍の力が強まる最近望の日に、二人で人化して人里へと逃げる。それだけ。
落ち合う場所は人里から少しだけ離れた山。約束の日に藍はその場所で待っていた。
だが、青が来ることは無かった。
計画の中に、もし青が来なかった場合、というものがあった。
気儘な閻魔が、当日何をするかわからなかったからである。
もしくは、逃げようとしたことがばれてしまった場合。
とにかく青は、藍に自分が半日待っても来なかった場合は、一人で人里に下りろと言い含めていた。
自分はどれだけ遅れても、必ず藍の元へ行くから、と。
藍は待った。一日と半分待った。
それでも青は来なかった。
泣きそうになりながら、藍は青が必ず自分の元へ来る、ただそれだけを信じて人里に下りた。
そしてルーラルに置いてもらった。
いつ青が来ても良いように、ルーラルの敷地に結界を張って。
置いてくれる人たちのために、失敗しながらも仕事を頑張って。
一年待って、二年待って。
そして五年。
五年待った。
ある日、親方の後ろについてやってきた子どもを見た時、藍は喜びで吠えなかった自分を褒めたかった。
やっと、やっと青が来た。
しかし、青には記憶が無かった。
たどたどしい話を聞くうちに、藍には分かった。
五年。五年、閻魔のせいで人間を喰った青は、壊れそうな心を守るために、記憶を封じたのだと。
それでも、自分との約束は覚えていたのだと。
自分の気配は覚えていてくれたのだと。
藍は泣いた。
■ ■ ■
青は、人間を求めてルーラルへと足を向けた。
(青! 俺を思い出せ!)
藍は青の前に飛び出し、グルルル、と唸った。しかし青の瞳には光が無く、藍を一瞥するとまた切り裂くために腕を振り上げた。慌ててそれを飛びのいてかわす。
青に、ルーラルの人たちを喰わせるわけにはいかない。
正気に戻った時に、優しい青はきっと生きていけないほどの傷を受けるに決まっている。
藍は右に左に跳びながら、青を翻弄することにした。意識をルーラルから引き離したい。
けれど、それも閻魔にはお見通しだったのだろう。
「青鬼、何を遊んでいるんだ。君を閉じ込めていた人間どもを、さっさと食べておいで。」
ぱちん、ともう一度鳴らした指に、青は力を無くしたように、けれど凄い速さで藍を抜いた。
(まずいっ!)
藍は地面を蹴ると、青の肩口へと飛び付いた。青を傷つけたくは無かったが、四の五の言っていられない。がぶッと肩に噛み付くと、青は眉を顰めて藍を振り落とした。
次は足に噛み付いてでも止める。そう覚悟した藍が見たのは、頭を抱えて苦悶する青の姿だった。
今の刺激で、意識が戻ろうとしている……?
(青! 青! 意識をしっかり持て! 俺を、みんなを思い出せッ!)
「う、……うぅ、ら、ん、らんッ」
(青!)
意識が戻った。そのことに喜んだ藍は、すぐに地に叩きつけられる思いをすることになる。
「藍ッ、私を殺してぇッ!!」