『第九章 絶望』
「君たちのおかげでだいぶ住人が減ってくれた。でもまだ足りない。もっと殺さないと」
黒髪の青年―ナイアは笑顔でそう言った。
「私は、こんなことするためにあんたに協力しているわけじゃないわ!」
「はぁ?」
ナイアは心底不思議そうにしていた。
「なにを言ってるのか分かってる?君は最初になんて言った?“なんでも協力する”って言ったよね?」
「そうだけど・・・」
「なら、ちゃんとしてもらわないと困るよ」
「どういうことじゃ?」
「・・・」
ジブリールはなにも言おうとしなかった。
「その女は、この世界を支配しようと考えていたんだ」
声はそのままに姿だけが老婆になったナイアが話し始めた。
「アヴァロンの支配に始まり、最終的にはこの世界全てを手に入れようと考えていたんだ。そして、僕に協力を求めたのさ」
ナイアは次々と姿を変えた。
「だから僕は、彼女に“ルナ”を与えたんだ」
白髪の女性になったナイアは姿を変えるのをやめた。
「やっぱり、この姿が一番落ち着くね」
ナイアは伸びをしてから話を続けた。
「“ルナ”は“アフロディーテとヒュペリオンの子供”なのさ。ただ“ルナ”は“天空神”としての力に目覚めたみたいでね。天空神である“ディオーネ”の生まれ変わりとも言われていたよ」
その口調はどこか芝居じみていた。
「おっと話が逸れてしまったね。とにかく、僕は彼女に神の子を与えたんだ。でも、彼女はせっかく与えた力を使おうとはしなかった」
「それは、あのときはそんなの無理だと思っていたから」
「じゃあ、知っていたら使ったのかい?」
「それは・・・」
「世界を支配するとか言っておきながら情が捨てられない。それは強さにもなるが、弱さにもなることさ。だから、あのとき情を捨てるべきだったんだよ。そうすれば、こんな結果にはならなかった」
ナイアは不意に黒い球体の方を向いた。
「君がだめなら、しかたない“これ”の力を借りよう」
ナイアは黒い球体に手をかざした。
「なっ!待ちなさい!なにをする気?」
「“クトゥルフ”を復活させるに決まってるじゃないか」
「そんなことさせない!」
ヨグ・ソトースは攻撃の構えを執った。
「馬鹿だなぁ。僕がそう簡単に邪魔させると思うのかい?」
―バシャーン
突如、湖から半魚人が現れた。
「あとは頼んだよ。“深き者”たち」
“深き者”と呼ばれた半魚人たちが一斉にヨグ・ソトースたちに襲いかかった。
「さてと、始めようかな」
そう言うとナイアは両手を前に出し、呪文を唱え始めた。
「フングルイ・・・ムグルウナフ・・・・クトゥルフ・・・ホマルハウト・・ウガフナグルフタグン」
ナイアが呪文を唱えるたびに黒い球体にひびが入る。
「イア。さぁ、目覚めよ!クトゥルフ!」
ナイアが叫ぶのと同時に、黒い球体が砕けた。
「#△*□○」
“それ”が理解不能な声で鳴いた。
「これが、クトゥルフ?」
「不気味」
「気持ち悪!」
「予想以上じゃな」
「まさしく、化け物ね」
「そんな、なぜ成長しているの?」
それぞれ反応は違うが、その存在に全員が恐怖していた。
「どうしたんだい?クトゥルフ。君はこの世界の言葉を理解し、話せるはずだろう?」
ナイアがクトゥルフにそう問いかける。
「イセカイノコトバ、ナレルノジカンガカカル」
クトゥルフの言葉が脳に直接響く。
「そうは言ってもね。君の言葉はこの世界の住人には理解できないんだよ」
「マッタく不便でならないな」
最初は片言だった言葉が徐々になめらかになっていく。
「やっと慣れてきたな」
「じゃあ、さっそくだけどここにいる連中を殺してよ」
「なぜ、我がきさまに従わなければならないのだ」
「なぜって、僕が出してあげたんじゃないか」
「契約のしていないものに従うつもりはない」
「それはつまり契約すればなんでも言うことを聞いてくれるんだね?」
「ああ。だが、きさまと契約するつもりはない」
「どうして?」
「きさまの目的と我の目的が一致しない」
「僕の目的が達成されればあとは君の自由にしていいよ」
「信じろと?」
「ちょっとまったぁ!」
ふたりの間にヨグ・ソトースが割って入った。
「おや?以外とはやかったね」
「はぁ、はぁ。これ以上、あなたの好きにはさせない」
「そんなこと言ったって、いったいどうするつもりだい?」
「こうなった以上、手段を選ばないわ」
ヨグ・ソトースがナイアの足下を指指した。すると、ナイアの足下に扉が出現した。
「あなたを別次元へ飛ばす」
「それはなんの解決にもならないよ」
「少なくともこの世界からあなたという存在を消すことができる」
「無理さ。そもそも僕を扉の中にいれるこは不可能だ」
「そんなこと」
しかし次の瞬間、ナイアの足下にあった扉が消えた。
「平和ぼけした君になんて負ける訳ないよ」
「くっ」
「それに、僕をこの世界から消したところで僕が死ぬ訳じゃない。何度だって戻ってくるよ」
いつの間にかナイアの顔の半分が闇に染まり、そこに無数の目が現れた。
「最高位の神だからって調子に乗らないでほしいね」
ナイアが腕を振り上げた瞬間、無数の触手がヨグ・ソトースを襲った。
「何?どういうこと?」
その触手はクトゥルフのものだった。
「くっ、身体が勝手に動く」
「あはははははははは。どうだい?これが僕の力だよ」
「その力、アザトースのものでしょ」
「そうだよ。我が主アザトース様のものさ。アザトース様から授かったんだ」
「ということはアザトースはこちらの世界に召還されたということなの?」
「察しがいいね。その通りだよ」
「いったいだれが召還したの?」
「僕が教えるとでも?」
「教えないなら力ずくで」
しかし、ヨグ・ソトースの言葉はクトゥルーの攻撃に遮られた。
「がはっ」
「あはははははははは!契約なんかしなくてもクトゥルフは僕の思いのままだ!」
「くっ、こんな若造に」
「若造って。はぁ、口を謹んでほしいね。僕の方が位は上なんだから。まったく下手に出ればすぐ思い上がる。」
ナイアがクトゥルーに触れる。
「君のすべてをいただくよ」
「なにを」
次の瞬間、クトゥルフが姿を消した。
「いったいなにをしたの?」
「決まってるじゃないか。”吸収した”んだよ」
「なっ!」
「くくくくくく、ふふふふ、あーははははははははは!」
ナイアの笑い声に反応し、深き者たちが歓声をあげた。
「アザトースに加えてクトゥルーも手に入れた。これならだれにも邪魔されない、邪魔出来るものなんてひとりもいない!」
ナイアの姿が変貌していく。無数の顔、無数の触手、一対の翼があり、その大きさはルルイエを飲み込むほどにまで膨れ上がっていた。
「「どうだい、すごいだろう?」」
無数の口から一斉に声が発せられる。
「「絶望はこれからだよ。あはははははははは!」」
ナイアの笑い声だけが響いていた。