000:la la la...
涼しげな歌声を頼りにし、〈彼〉は無意識に公園へと足を運んでいた。
la la la ...
歌詞のない、単調な歌であった。空を白ます朝日の真下、〈彼〉は歌声の主を探す。滑り台の下を抜け、そのまま急上昇。一陣の風となって砂塵を舞わせた頃には、もうジャングルジムの上空で目標を発見している。
(見ツケタ……)
〈彼〉の通った入り口から見て一番奥、砂場の隣にはベンチが設けられていた。他の遊具と合わせてか、パステルカラーに染色された可愛らしいベンチである。そして、そのベンチの上にもまたパステルカラーの可愛らしい少女が座っていた。
パステルカラーの。
少女。
〈彼〉は、先ほどとは逆に急降下。そのままの勢いで駆けると〈彼〉が〈同化〉した空気が風を作り出す。そのままそれは〈彼〉と共に少女へ向かい、少女の長い髪を軽く掻き上げた。
灰色の髪が、ふわりとなびく。
そして、〈彼〉はそれを見た。――少女のうなじに、確かに。
アクアマリンの宝石が埋め込まれている、その様を。
(フ、ハハッ……)
どこからともなく笑いが込み上げる。〈彼〉は大声で笑ってしまいたかった。しかし、それは不可能なことである。
何故なら、〈彼〉は今、空気であった。
〈彼〉は空気と〈同化〉しているのであった。
空気には、口もなければ喉もない。声が出せないのは当然で、そんな状態で周りに聞こえる笑い声を上げられるはずもなかった。
la la la ...
何も知らないのであろう。少女は歌い続けていた。先ほど垣間見えたアクアマリンの宝石のように、澄みきった歌声である。今度は自然の風に、灰色の髪が再び揺れる。何やら楽しそうに、宝石と同色である空色の瞳は細められていた。
(ナント、美シイ……)
髪の色に、瞳の色。
それぞれが、ここまで宝石に影響された〈対魔班〉を、〈彼〉は今まで見たことがあっただろうか。
(コレコソガ、我ノ欲スル最大ノ力……)
無意識であった。〈彼〉は徐々に少女へと近付き、触れようとする。
(我ヲ……、〈帝〉ヘ導ク力……)
そして、触れるその直前で、
〈彼〉の動きはぴたりと止まった。
la la la ...
少女の歌声は、単調に同じメロディを繰り返す。終わりを知らない、永遠の歌。
(何ト……、言ウコトダ……)
〈彼〉は思わず呆然と立ち尽くした(空気なのでその場に立てるはずももちろんないのだが)。ありえもしない事実が目の前で歌っていた。
(コノ娘、迷イヲ、持タヌノカ……?)
触れる直前にわずかに触れた少女の心。――そこには、〈彼〉の入り込む隙間など、少したりとも存在していなかった。
(何ト言ウコトダ……)
これでは……、〈同化〉できないではないか。もったいない……、何と、もったいないのであろう。
(ドウニカシテ、手ニ入レラレヌモノダロウカ……)
〈彼〉の思考はそこまで行き着き、しかし……、案が出ない。
ドウニカシテ。
ドウニカ ドウニカ ドウニカ 欲シイ 欲シイ コノ娘ガ――!!
la ...
途端。
歌声がやんだ。
(ナッ……)
それは、あまりにも突然のことであった。〈彼〉は思わず慌て、まさか自らの存在が見つかってしまったのではとうろたえた。
しかし、〈彼〉をさらに驚かせたのは少女の次の言葉である。
「そこで何をしているんです?」
思わず、身の毛がよだつのを感じた。いや、正確には今の〈彼〉には身もなければ毛もないのだが、それだけの恐怖を確かに感じたのだ。
(見ツカッタッ……!)
〈彼〉は覚悟を決めかけた。〈同化〉を見破られてはおしまいである。しかし、決めかけた、その瞬間に――
「早く入ってきたらどうです、悠希くん」
少女の口から、またも思わぬ言葉が飛び出した。
……悠希くん?
(ナッ……?)
混乱する〈彼〉のことなど全くお構いなしに、すっくと少女は立ち上がると、入り口の方へ大きく手を振る。
そこで〈彼〉はようやく気付いた。なるほど、こんな朝早くに、ただ歌を歌いに公園へ来たのではあるまい。
そうか。……そう言うことか。
(待チ合ワセ……)
少し遅れて〈彼〉は少女の向く方へ振り返る。そして、にたりと笑った(つもりになった)。
だいぶ遠いが、それでも解る陰湿っぷり。何とまあ、この少女とは正反対なほどに心に隙間を持った少年が、そこには立っていた。
――一気に希望が見えた。それを確かに〈彼〉は感じた。
少年は、やれやれ、とでも言いたげに溜め息を吐き、そのまま気だるそうに歩いてきた。少女の隣に少年が並ぶと、少女は、
「遅いですよ。三十分も待ちました」
にっこりと、輝かんばかりの笑顔で言った。少年が、溜め息を吐く。
「お前が早すぎるんだろ。まだ五分前だ」
「はぁ。五分前行動とはまた……。まったく、どこの小学生ですか。女の子を待たせないように先の先を見て行動するのが立派な男の子ってものですよ?」
「……」
呆れつつも、諭すような少女の言葉。少年は再び溜め息を吐く。相手が反論しないのを見るや否や、そのくらいのタイミングで、少女は一気にまくし立てた。
「大体ですねっ、悠希くんには乙女心ってものが解ってないんですよ! 普通、男の子とお出かけするときの女の子と言うのは、多少なりとも張り切って、早めに家を出るものなんです! それを見越して、自分が待つのも気にせずに約束の一時間くらい前には――!」
くどくどくどくど。
(サテ……)
〈彼〉はもう、少女と少年のやり取りに興味など示していなかった。ただ、二人の姿だけをまじまじと見つめる。
灰色の髪に、空色の瞳を持つ少女。歳は、十代半ばと言ったところか。
そして、同じく十代半ばくらいの少年。焦げ茶の髪に、同色の瞳。……宝石、は?
(……アソコカ)
〈彼〉の視線は、少年の右腕へ移った。黒い、レザーのリストバンド。手首につけられたそれは、宝石を隠すものだと思われた。
(取リアエズ、でーたヲ拝見サセテモラウカ)
そして――
「ひゃ!?」
「!」
〈彼〉は、猛スピードで二人の間を駆け抜けた。強風に二人の会話が止まる。
ピッ ピッ
二つの電子音。これは多分、〈彼〉にのみ聞こえたことであろう。〈彼〉が止まるとそこはすでに公園の入り口で、〈彼〉はその場でデータを開封し始める。
『DATA LOADING... ... LOADING... ...』
――ピッ
『NAME...悠希志筑 JUEL...opal
AGE...15 ID...324322−Y』
(ユウキ、シヅキ……)
……opal。オパールか。アクアマリンじゃないと言うことは、あの少年の方なのだろう。
(おぱーるデ、アノ髪ト瞳……)
まあ、つまりは。
――あの少女の方が価値がある。
『DATA LOADING... ... LOADING... ...』
〈彼〉は残ったもう一つのデータに手をつけた。価値のある、少女のデータ。
「あーもうっ、髪がパサパサですっ。悠希くんのせいですよっ!」
少女が怒鳴るように言う。パサパサ、と言うのも、先ほどの強風による砂埃が原因であろう。
「おれのせいはないだろう。風に言え、風に」
正論である。少年――志筑はクセなのか、また溜め息を吐いている。
「知ったことじゃないですよ! 悠希くんさえ遅刻しなければ、こうはならなかったんです!」
「遅刻した覚えはないんだが……」
志筑はまた溜め息。少女も、つられるように溜め息。そして、続けて言った。
「とにかく、行きますよ。唯さんたちが待っているかもしれません」
そして、さっさと歩き出す。数歩歩いて振り返ると、
「ほら悠希くん、早く!」
にこりと笑って手招きをした。
「……」
はぁ。
溜め息。志筑の溜め息は、これで何度目だろうか。マイペースに歩き出し、志筑は少女の後を追う。
――ピッ
ほぼ同時に、データの開封が完了した。〈彼〉は、それの隅々まで、目を通す。
「遅いですよっ、悠希くん!」
跳ねるように、少女は公園を飛び出した。また振り返り、少年を待つ。
『NAME...水島こより JUEL...aquamarine
AGE...15 ID...258592−M』
少女――こよりは、灰色の長髪を揺らしつつ、志筑を待っていた。
+++ +++
サテ。
基本情報ハ揃ッタガ、マダでーたガ足リヌヨウダ。
シバラク、観察サセテモラウカ……。