令嬢冒険者は最強装備を隠したい
セシリア・アルヴァンには人には言えない秘密が三つある。伯爵令嬢でありながら冒険者をしていること。金級冒険者シアとしてそれなりに名が売れていること。そしてその名声を支える装備がどう見ても下着であること。
「……何度見てもひどいですわね」
自室の鏡の前でセシリアは自分の姿を見ながらつぶやいた。黒い布を中心に銀色の細い金具が何本か走っている。胸部と腰回りだけは守られているものの腕も腹も外に出ていた。
二年前に見つけたときは何かの冗談だと思った。防具のはずがないと決めつけたが調べるうちに考えを改めた。ただしまともな職人が作ったとは今でも思えない。
試しに腕に短剣を当ててみると刃が皮膚に届く前に止まった。剣で打たれても傷はつかず火の魔法を受けても熱を感じる程度で済む。全力で走れば馬と並び、普段なら重く感じる大剣さえ片手で持ち上げられた。
最初は夢のような装備だと思ったが翌日には問題が見つかった。当然のように服を着てダンジョンへ向かったところ性能が大きく下がっていたのだ。着るものを変えて試すうちに肌を外に出すほど強くなるらしいと分かった。
「これを作った方とは絶対に友人になれませんわ」
セシリアは何度目か分からない悪口を装備の製作者に向けた。説明書など存在しないので誰が作ったのかも分からない。作った者にとってはこれが正式な戦闘服だった可能性すらあるが、それなら価値観が違いすぎる。
ため息をついて白いシャツに腕を通し、その上から革製の軽い胸当てを装着する。見た目だけなら普通の女性冒険者で服の下まで誰かに知られる心配もない。ただし困るのはダンジョンへ入ってからだった。
「お嬢様」
扉の外から声をかけられてセシリアは反射的に胸元を押さえた。すでに服は着ていると分かっていても、この装備を身に着けた状態で人の声を聞くと今でも緊張する。
「何です?」
「旦那様がお呼びです」
「すぐ行きます」
冒険者として出かけることは父にも話してあるが依頼の内容までは毎回報告していない。屋敷の廊下を歩いて父の執務室へ入ると、レオル・アルヴァン伯爵が机に広げた書類から顔を上げた。
「王都地下迷宮か」
「もう耳に入っておりますのね」
「魔王が出たという話が王宮まで届いている。知らない方がおかしい」
セシリアは父の正面に座りながら昨日届いた報告を思い返した。地下二十四階の奥から帰還した冒険者によれば、突然城が現れて魔物も増えたという。その城の奥には人の言葉を話す巨大な魔族が座っていて自ら魔王と名乗ったらしい。ただしその魔族が本当に魔王なのかはまだ分からなかった。
「討伐に行くのか」
「その依頼が来れば話を聞きます」
「危険だから断れ」
あまりにも普通の理由にセシリアは笑いそうになった。
「お父様。危険でない仕事ならそもそも冒険者に依頼など来ません」
「父親として娘に死んでほしくないと言っている」
「承知しております」
父の気持ちを軽く扱うつもりはなく、自分が死ねば母も悲しみ弟にも負担がかかることは分かっている。それを承知で十七歳から続けてきた仕事だった。今では冒険者シアという名前にも責任がある。
「ですがわたくしより適任の方が何人いると思われます?」
父が黙ったのは金級冒険者の少なさを知っているからだろう。単独で地下二十五階まで進める者となればさらに限られる。
「……死ぬなよ」
「努力いたします」
「絶対に死なないと言え」
「それを約束する冒険者ほど信用できませんわ」
その答えを聞いた父は片手で眉間を押さえた。
「その言い方を誰に習った」
「ガルド支部長です」
「今度苦情を入れておく」
セシリアが立ち上がると父はもう一度娘を見た。
「シア」
伯爵令嬢の名ではなく冒険者としての名前で呼んだ。
「無理だと思ったら逃げろ」
「もちろんです」
セシリアは父にそう答えて屋敷を後にした。冒険者組合へ着くと支部長室へ呼ばれ、予想通り用意されていた依頼書を見せられた。
「単独ですか?」
セシリアの問いにガルドは首を横に振って答えた。
「本来なら討伐隊を組みたい。ただ状況が悪い」
ガルドが机に広げた迷宮の地図には二十三階より先に赤い印が付いていた。
「今朝新しく三組入った。二十三階までは問題ない。そこから下は魔物の数が昨日の倍だ」
「ずいぶん増えましたね」
「しかも時間が経つほど増えている」
大人数では魔物に見つかりやすく戦闘が増えれば消耗も激しくなる。少人数で突破できる者を先に送り込んで魔王の正体を確認したいという。倒せるなら討伐し、無理なら帰還するという依頼だった。
「そこでわたくしですか」
「嫌なら断れ」
「報酬は?」
ガルドが差し出した金額の書かれた紙をセシリアは一度見て裏返した。
「受けます」
「早いな」
「この金額を見せてから嫌なら断れと言うのはひきょうでは?」
「だから最初に言った」
笑っている支部長を前にセシリアは依頼書に名前を書き始めた。
「ところでシア。お前はどうしていつも一人なんだ」
セシリアは名前を書きかけたままペンを止めた。
「一人の方が動きやすいので」
「二年前から急に強くなったよな」
「努力しましたから」
「装備も変えたか?」
「努力しましたから」
「同じ答えで押し切る気か」
セシリアは署名を済ませて依頼書をガルドに返した。
「では行ってまいります」
「待て。話は終わってない」
「わたくしの準備は終わりました」
「おい」
聞こえないふりをして部屋を出たが危ないところだった。世の中には知らない方が幸せなことがある。シアの装備はガルド支部長にとって間違いなくその一つだ。
王都地下迷宮の前には多くの冒険者が集まっていた。普段なら挑戦者や商人でにぎわっている場所だが、今日は入口に兵士が立って一般の冒険者を止めている。セシリアは兵士に通行証を見せて名乗った。
「金級冒険者シア。討伐依頼を受けています」
「確認しています。お気を付けて」
門を通って人目がなくなってからも普通の装備で歩き続けた。地下三階に着くといつも使っている小部屋へ入り扉に鍵をかける。魔物が入ってこないことは何度も確かめているが、外の物音に耳を澄ませて誰もいないか確認した。
「……よし」
誰もいないと分かっていても声はひそめてしまう。胸当てとシャツとズボンを脱いでブーツだけ履き直した。腰に剣を差し背中に小さな荷物袋を背負えば準備は終わりで、それ以外は夜天の戦衣だけだった。
「戦闘なのですから仕方ありませんわ」
誰も聞いていないのに言い訳をしてから扉を開ける。性能には慣れても二年たった今なおこの格好には慣れなかった。一歩踏み出すと周囲の魔力が戦衣に流れ込み、足先から頭まで力が満ちて体が軽くなる。
セシリアは床を蹴って地下三階の通路を走り抜けた。前方の魔物二体が振り向くより先に間合いへ入り、一体を切って返す刃でもう一体を倒す。そのまま足を止めず地下五階から七階、十階へと下っていった。
普通の装備ならこれほど速くは進めないはずなのに疲れもほとんど感じない。戦衣には持久力を高める効果まであり何度使っても腹立たしいほど優秀だった。
十四階では岩のような外皮を持つ四足の魔物が現れた。まともに戦えば面倒な相手にセシリアは正面から突っ込んだ。
魔物が振り上げた前足を今日は避けずに腕で受ける。ごうんと重い音が響いて足元の床が割れたのに腕は痛くなかった。見えない防護膜が衝撃を受け止めているのだ。
「相変わらず無茶な性能ですわね」
そのまま剣を腹に突き立てて魔物を倒し、受け止めた腕を確かめると傷一つついていなかった。この性能を知ってから上に服を着たまま使えないか何度も試した。薄い布や穴を開けた服に半そでや短いズボンまで試したが、どれも戦衣だけのときには及ばない。肌を出すほど性能が高くなり、結局は夜天の戦衣だけの姿がもっとも強かった。
改めて試すたびに製作者への文句が増えるばかりだった。
二十四階へ下りると壁に黒い筋が走っていて床からも魔力を感じた。ここから先が報告にあった魔物の増えた区域だろう。足を止めて耳を澄ませると前方から複数の足音が近付いてくる。剣を抜いた先に現れたのは剣ややりを持つ六体の人型の魔物だった。
「数が多いですわね」
一体目を半身になってかわしながら首元に剣を入れる。二体目と三体目を倒したところで背後から伸びたやりが肩に直撃した。本来なら骨が折れる一撃を防護膜が止めた隙に振り向いて切り倒す。残り二体を片付けるまで十秒とかからなかった。
「これだけ守られるのならもう少し布を増やしてくださってもよかったのでは?」
魔物の死体に文句を言っても仕方がないので先へ進んだ。二十四階の奥には報告通り以前はなかった巨大な黒い扉があり、向こうから濃い魔力を感じる。ここまでは予想より楽だったが扉の先もそうだとは限らない。セシリアは荷物から水を出して飲み、剣に刃こぼれがないか確かめた。
「帰るなら今ですわね」
誰からも返事はなくセシリアは黒い扉を見上げた。依頼は魔王の確認だけでも達成扱いになるのだから無理だと思えば帰ればいい。父にもガルドにもそう言われたし自分でもそのつもりだった。そのとき扉の向こうから呼びかける声が響いてきた。
『そこにいるのであろう』
低い男の声を聞いてセシリアの表情が変わった。
『入れ』
「……気付かれていますわね」
ここまで来て扉の前から帰るのも格好が悪いと考えて、自分の格好ならもう十分悪いと思い直した。セシリアが扉を押すと地下とは思えないほど天井の高い広間が現れる。左右に青い火が並び、一番奥の黒い玉座には人間の倍近い大男が座っていた。黒い肌に赤い目と二本の角があり報告の特徴と一致している。
『ほう』
立ち上がった魔王の視線がセシリアの姿をとらえて止まった。
『……ほう』
「二回言わないでいただけます?」
『いや、人間の戦士にはそのような戦装束があるのかと思ってな』
装束の話だと分かってセシリアは顔を熱くした。
「ありません」
『ではなぜ』
「黙りなさい」
セシリアが剣を構えると魔王は声を上げて笑った。
『面白い』
「こちらはまったく面白くありませんわ」
『その格好で威厳を求めるのも難しかろう』
セシリアは床を蹴って一気に間合いへ入り剣を振った。魔王が上げた腕の爪と刃がぶつかって火花が散る。これまでにない重さにセシリアの足が止まった。
「っ!」
魔王の拳が腹に入りセシリアは壁まで飛ばされた。防護膜が衝撃を受け止めても息が止まりそうになる。今まで倒してきた魔物とは力が違いすぎた。
『なるほど。見た目だけではないらしい』
「だから言ったでしょう」
『言ってはいない』
確かに言っていないと認めながらセシリアは立ち上がった。魔王が腕を振ったのを見て横へ跳ぶと、黒い魔力のかたまりが先ほどまでいた場所をえぐる。三発、四発と続く攻撃を走って避けたが一発が肩をかすめた。
肩に走った熱さで防護膜が削られたと分かった。これを続けて受ければいずれは破られるだろう。優秀な装備でも完全に身を守りきれるわけではない。
「長引かせると危険ですわね」
正面からでは勝てないと判断して攻撃をかわしながら横へ回る。足を狙って振った剣は入ったものの傷は浅かった。魔王の手が伸びてきたためつかまれる前に飛び退いた。
『速いな』
「自慢の足ですので」
『その服では走りにくくないのか』
「戦闘中に服の話をしないでくださいません!?」
再び顔が熱くなり、どうして魔王と装備談議をしなければならないのかと思った。怒りに任せて踏み込んだ剣を受けられると今度は腹を蹴る。巨大な体が後ろへ動いたのを見てセシリアは手応えを得た。
『ほう』
「三回目!」
追いかけて振るう剣に拳が返り、次の剣を爪が受け止める。攻撃を重ねるうちに魔王の傷は増えていったがセシリアも無傷では済まなかった。防護膜を抜けた攻撃に腕や足や肩を切られている。傷は浅くても戦いが続くにつれて疲れは増えていた。
『人間』
呼びかけた魔王の周囲に黒い魔力が集まり始めた。
『次で終わらせよう』
「奇遇ですわね」
セシリアは剣を両手で持ち直して魔王を見据えた。
「わたくしも同じことを考えていました」
魔王が両腕を広げると部屋全体が揺れ始めた。天井から石が落ちる中で巨大な魔力のかたまりが生まれていく。まともに受ければ危険だが避けても後ろの壁ごと吹き飛ばされ、逃げ道を失うだろう。
セシリアは深く息を吸って戦衣に流れ込む魔力を感じ取った。限界まで体を強化して足に力を込めたところで魔王が叫ぶ。同時に放たれた黒い光へセシリアは走り出した。
普通なら逃げるところを攻撃に向かって踏み込む。防護膜が光に触れた途端に全身に重さがかかったが足は止めなかった。一歩、二歩と進むたびに肌が焼けるように熱くなる。三歩目で防護膜がきしみ、四歩目には魔王の驚いた顔が目の前にあった。
「届きましたわ」
全力で振り上げた剣が魔王の胸に入り、セシリアはそのまま刃を押し込んだ。魔王につかまれた肩は骨がきしむほど痛い。それでも剣を離さずさらに深く突き入れた。
『貴様……』
「令嬢は……意外としつこいものですのよ」
セシリアが剣を横へ引くと魔王の体から力が抜けた。巨大な体が後ろへ倒れた衝撃で床が揺れる。セシリアも立っていられずその場に座り込んだ。
「……勝ちました?」
魔王は答えず、その体が黒い光に変わり始めた。やがて完全に消えると床には討伐の証拠になりそうな黒い石だけが残った。セシリアは石を腰の袋に収めてから大の字に寝転び天井を見上げた。
「死ぬかと思いましたわ」
体中が痛いうえに防護膜もほとんど残っていない。服を着ていたら間違いなく負けていただろう。認めたくはないが今回もこの装備に命を助けられた。
「ありがとうございます」
戦衣に礼を言ってからセシリアは自分の格好を見た。
「ですがやはり見た目は許しません」
再び床が揺れたので最初は魔王が倒れた影響かと思った。だが壁にひびが入り天井からも石が落ちてくる。先ほどの揺れが続いているだけではなさそうだった。
「ちょっと」
セシリアが立ち上がる間にも揺れは強くなっていく。
「待ってくださいませ!」
部屋の奥が崩れ始めてダンジョン全体が大きく動いた。新しく現れた区域そのものが消えようとしているらしい。出口へ走って扉を開くと通路も崩れかけていた。
「こんなところで死んでたまりませんわよ!」
二十四階を走るうちに階段が消えたため別の道を探して引き返す。落ちてきた壁を飛び越えて二十三階へ戻った途端に床全体が白く光った。足元に現れた魔法陣は内部の崩壊時に冒険者を外へ送る緊急排出術式だ。見覚えがあったので今度こそ助かると思った。
「助かり――」
言いかけたところで三階の小部屋に服を置いたままだと思い出した。帰りに立ち寄って着替えるつもりだったので荷物に予備の服はない。
「待って……待ってください!」
叫んでも足元の光は強くなり転移が始まった。
「せめて荷物を!」
口に出してから荷物は背負っていると思い出す。戻りたいのは着替えを置いてきた小部屋だった。
「違います! 服ですわ!」
視界が白く染まり、次に足の下に地面を感じた。目を開けると青い空が広がっていて外へ戻れたと分かる。生きていると安心しかけて顔を上げたセシリアは、そのまま動けなくなった。
冒険者や兵士に商人、それに町の住民まで集まっている。一人や二人どころか百人でも足りないほどの数だった。ダンジョン前の広場を埋め尽くした人々が声もなくこちらを見ていた。
魔王の出現とシアが単独で向かった話を聞いて結果を待っていたのだろう。数秒かけて状況を理解したセシリアは自分の体を見下ろした。夜天の戦衣からは腕も腹も足も出ていて隠れている場所の方が少ない。上に羽織る服は一枚もなく辺りは真昼の明るさだった。
「あ」
人々の視線を集める中で誰かが声をもらした。
「あれシアじゃないか?」
その声に続いて別の誰かがシアの名を呼んだ。
「シアだ!」
魔王と向かい合ったときより怖くて頭が真っ白になった。広場の人々は生還したシアを見て歓声を上げ始めた。
「帰ってきたぞ!」
「魔王は!?」
「シア!」
「無事だ!」
誰も笑っておらず、純粋に生還を喜んで拍手までしている。誰か一人くらい笑ってくれた方がまだましだった。動けずにいたセシリアはなんとか腰の袋から黒い石を取り出した。
「魔王は」
戦闘では一度も震えなかった声がここで震えた。
「……討伐いたしました」
一瞬の沈黙の後で広場からさらに大きな歓声が上がった。
「うおおおおお!」
「シアがやった!」
「魔王を倒したぞ!」
「英雄だ!」
見ないでほしいし叫ばないでほしいと言いたかったが金級冒険者としての意地が邪魔をした。ここで逃げるのはおかしいと胸を張った途端、余計に見られている気がして後悔する。腕で隠せば恥ずかしいと認めることになるが認めてもいいのではないか。むしろ恥ずかしくない方がおかしいだろう。
頭の中でそんな考えがぶつかっているとガルドが人の波をかき分けて来た。
「シア!」
「支部長」
この男なら上着でも何でも貸してくれるはずだ。ようやく助かったと思ってセシリアはガルドを見た。
「魔王は!」
「倒しました。これが証拠です」
「本当か!」
ガルドは差し出された黒い石に目を落とした。
「よくやった!」
「ありがとうございます。それより」
「ん?」
ガルドの視線が下へ動いてからセシリアの顔に戻った。もう一度下を見た後で再び目が合ったが何も言わない。
「それより?」
セシリアはガルドを見上げてなんとか笑顔を作った。
「上着を貸していただけません?」
「あ、ああ」
ガルドが脱いだ上着をセシリアは奪うように受け取って体に巻いた。
「ありがとうございます」
「お前はもしかしていつもそれで戦ってたのか?」
セシリアは聞こえていても答える気になれなかった。
「二年前から強くなった理由って」
「支部長」
「はい」
「黙ってくださいませ」
「はい」
背すじを伸ばしたガルドの周りではまだ歓声が続いていた。セシリアが上着の前をしっかり閉じて人心地がついたところへ子供の声が飛び込んできた。
「お母さん! シアってすごい格好で戦うんだね!」
「見ちゃいけません!」
母親らしい女性が慌てて子供の目をふさいだ。魔王の攻撃でもこれほど傷ついた気分にはならなかった。
「支部長。お願いがあります」
「報酬なら上乗せするぞ」
「違います」
セシリアは報酬の話を遮ってガルドを見上げた。
「今日ここで見たことを全員の記憶から消す方法はありません?」
「無理だな」
考える時間さえ置かずにガルドはそう答えた。
「そうですか」
「たぶん明日には王都中へ広がる」
「そうですか」
「魔王を倒した英雄だからな」
「装備まで広まります?」
ガルドが周囲を見ると何人かの冒険者が早くも興奮して話していた。
「あれがシアの秘密装備か」
「すげえな」
「魔法装備だろ」
「どこで売ってるんだ?」
「俺も着たら強くなれるかな」
「お前はやめとけ」
ガルドは冒険者たちからセシリアに視線を戻した。
「……広まると思う」
「そうですか」
伯爵令嬢として二十二年間、冒険者として五年間生きてきて今日ほど消したい日はなかった。セシリアは人々から顔をそらして空を見上げた。
「シア! その装備の名前は何ていうんだ!?」
知らない冒険者がこちらに向かって声を上げていた。装備の名を聞かれてもセシリアは答えずにいた。
「どこで手に入れたんだ!?」
手に入れた場所を教えるつもりもなかった。
「俺にも見せてくれ!」
セシリアはこめかみに血管を浮かせて声の方を向いた。
「見せません!」
セシリアの声が響くと広場は一瞬だけ静かになった。
「絶対に見せませんから!」
言い残して歩き出すと群衆が左右に分かれた。拍手は続いているが恥ずかしくて逃げ出したい。明日からどうやって冒険者組合へ顔を出せばいいのかも分からなかった。
それでも魔王を倒して依頼を達成し王都を守ったのだ。胸を張って帰ればいいと自分に言い聞かせた。
その日の夕方、アルヴァン伯爵家では父レオルが無言で新聞を読んでいた。向かいに座るセシリアにも一面の大きな文字は見えていた。
『金級冒険者シア 単独で魔王討伐』
その見出しまではいいが問題は下に書かれた一文だった。
『謎に包まれていた英雄の戦闘装備も明らかに』
その一文を見てセシリアは両手で顔をおおった。
「早すぎませんか?」
「新聞屋も仕事だからな」
「まだ夕方ですわよ?」
「号外らしい」
「そんな号外はいりません」
黙ったまま新聞を読む父をセシリアは指の間からうかがった。
「……何か言ってくださいませ」
「魔王を倒したのは立派だと思う」
「そこではありません」
「生きて帰ったのも立派だ」
「そこでもありません」
「では何を言えばいい」
「分かっているでしょう!」
セシリアに言われて父はようやく新聞を置いた。
「実は前から気になっていた。どうしてお前が急に強くなったのか」
セシリアは父の言葉の続きに嫌な予感がした。
「まさかあの格好で戦っていたとは」
「言わないでください!」
セシリアはこれ以上父の顔を見ていられず机に突っ伏した。
「性能がいいんです! 普通のよろいなんか比べものにならないくらい強くて服を着ると弱くなるんです!」
「そうか。分かったから落ち着け」
「好きであんな格好をしているわけではありません!」
父が口元を押さえたのを見てセシリアは顔を上げた。
「今笑いました?」
「笑っていない」
「絶対に笑いましたわね」
「娘が無事に帰ってきて安心しているだけだ」
父はそう言ってもう一度新聞を手に取った。
「それで次も着るのか?」
セシリアは黙ったが答えはもう決まっていた。魔王と戦って夜天の戦衣がなければ死んでいたと改めて分かったのだ。恥ずかしいから使わないなどという理由で命を危険にさらすほど子供ではない。
「……ダンジョンでは」
声をひそめて答えると父の口元がまた動いた。
「今笑いましたわね?」
「笑っていない」
「こちらを見なさい!」
翌日の冒険者組合にはいつもの三倍近い人が集まっていた。入口から中を見たセシリアは壁の張り紙を読んで帰りたくなった。
『魔王討伐記念 英雄シアへの祝い金受付』
余計なことをしてくれたと思いながら中へ入ると一斉に視線が集まった。昨日ほどつらくはないし今日は服も着ている。いつもの自分なのだから大丈夫だと言い聞かせて受付へ向かった。途中で若い男性冒険者と目が合ってしまった。
「あ」
嫌な予感がしたところで男が話しかけてきた。
「シアさん。昨日の――」
「何も言わないでください」
「はい」
今度は別の女性冒険者が近付いて声をかけてきた。
「ねえシア。あの装備ってどれくらい強いの?」
「服を着ているときのわたくしが十人いても装備だけのわたくし一人に勝てない程度には」
それを聞いて周囲の冒険者たちが口を閉じた。
「そんなに?」
「そんなにです」
女性冒険者はセシリアの答えを聞いて考え込んだ。
「じゃあ私もあれなら――」
「一着しかありません」
「残念」
本当に残念そうな相手をセシリアは理解できなかった。そこへガルドが姿を見せたので報酬を受け取りに行った。
「来たか。報酬は用意してあるぞ」
「受け取りに来ました。それだけいただいたら帰ります」
「待て」
「嫌です」
「まだ何も言ってない」
「昨日から嫌な予感しかしません」
ガルドはそう言うセシリアに一枚の紙を見せた。
「王宮から表彰の話が来ている」
表彰と聞いたセシリアは返事もせずに固まった。
「断ります。人前へ出たくありません」
「早いな。魔王を倒したんだぞ」
「昨日十分出ました」
「正式な式典だ」
「なおさら嫌です」
受け取った報酬袋は手にずっしりと重かった。命をかけた分に見合う金額ではあるが式典の話までついてくるとは思わなかった。
「表彰は代理人でお願いします」
「無理だろうな」
「では病気になります」
「元気だろ」
「明日から病気です」
セシリアの返事にガルドはため息をついた。
「お前は魔王と戦うより嫌そうだな」
「当たり前です」
出口へ向かうセシリアをガルドが後ろから呼び止めた。
「シア」
セシリアは足を進めながら振り向かずに答えた。
「何でしょう」
「昨日の装備なんだが」
「何も言わないでください」
「似たものを作れないか王国の研究所が興味を持ってる」
セシリアは足を止めてガルドの話に耳を傾けた。
「……何ですって?」
「魔王の攻撃を防げる装備だからな。当然だろ」
「嫌な予感がします」
「現物を調べたいそうだ。少し貸すだけで国防に役立つかもしれない」
「絶対に嫌です」
「金も出る」
金額の話になってセシリアはガルドを振り返った。
「いくらです?」
ガルドはセシリアの問いに声を上げて笑った。
「お前はそういうところは変わらないな」
「冒険者ですから」
後日、王国研究所が夜天の戦衣を詳しく調べた。同じものは作れなかったが構造について新しい事実が一つ分かった。この装備は肌を出していなければならないわけではなかったのだ。
魔力を通しにくい素材で体をおおうことが性能の落ちる原因だった。つまり魔力を通す特殊な布で服を作れば、上から着ても能力を保てる可能性があるという。
報告を聞いたセシリアは研究員の両手を握った。
「作ってください。いくらでも払います」
「は、はい。ただまだ研究段階で数年かかる可能性も……」
「待ちますから研究してください」
「かなり高額になると思います」
「払います」
困った顔をする研究員の前でセシリアは真剣だった。服を着て戦えるのなら魔王討伐の報酬を全部使ってもいい。名誉も表彰も英雄という呼び名も今はいらなかった。
夜天の戦衣は王国でも有名になり研究者たちは長い年月をかけて仕組みを調べ続けた。魔王を倒したシアが帰還した日のことも王都では長く語られた。勝利の証を掲げた英雄の姿を見物人は覚えている。セシリアの方はできれば全員に忘れてほしかった。




