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恥を知りなさあああい!   :約3000文字 :コメディー :電車

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/04/21

「だーかーら! 政治家は全員、宗教団体の息がかかってんの! 外国の政府からもだ! このままだとこの国、マジで終わるぞお!?」


 ……そろそろ限界だな。

 おれは小さくため息をついた。昼の電車内。休日のこの時間帯にしては乗客はまばらで、座席にも余裕があり、快適――なはずだった。

 一つ前の駅から乗り込んできた中年の男が発車して間もなく、いきなり叫び始めたのだ。

 内容は聞くに堪えない稚拙な陰謀論。ネットで拾ったような話を大声でまくし立てている。目は据わり、唾を飛ばし、周囲の反応などお構いなし。どう見てもちょっと“アブない人”だ。

 乗客たちは皆、視線を逸らしている。スマホを眺める者、車内広告を見つめる者。顔を伏せて眠っているふりをする者。皆、嵐が過ぎ去るのをじっと待っている。空気は張り詰め、誰もが同じことを考えているのがひしひしと伝わってくる。関わるべきではない、と。

 注意する者はいない。もっとも、したところで逆効果だろう。火に油を注ぐだけだと誰もが理解している。

 だが、大人しく妄言を聞かされる義理もない。水も悪い言葉を浴びせられ続ければ腐ると言うし、隣の車両に移るか。たぶん座れるだろう。


「全員、電磁波にやられちま――」


「いい加減にしなさああああい!」


 ――えっ。


 おれが腰を浮かせた、その瞬間だった。鋭い声が車内の空気を切り裂いた。反射的にそちらへ目を向けると、一人の男が立ち上がっていた。眼鏡をかけた小柄な中年男だ。

 眼鏡の男はゆっくりと、しかし確固たる足取りでアブない男に歩み寄っていく。


「何がディープステートですか。何がゴム人間ですか。ワクチンだの5Gだの……いい歳して公共の場で声を張り上げ、周囲を威圧するなどと、恥を知りなさあああああい!」


 眼鏡の男は全身――特に顔をブルドッグのようにプルプルと震わせながら怒鳴りつけた。

 突然の反撃にアブない男は目を丸くし、口を開けたまま固まった。だがすぐに我に返り、眉間に深い皺を刻んだ。


「お前は! 何もわかってな――」


「余計なことは結構!」


「政府は――」


「思い上がるんじゃありませんよ!」


「だから! 聞けって――」


「馬鹿なこと言っているんじゃありませんよ!」


「あの――」


「あなたに人を非難する権利はありませんよ!」


 すごい。まさに一喝だ。

 アブない男が口を開くたびに、それを上回る声量で叩き潰す。言葉を差し込む隙を一切与えない。完全に主導権を握っている。

 やがてアブない男は手すりに掴まり、そのまま力なく座席に腰を下ろした。肩を落として黙り込み、戦意喪失といったところ。

 見事だ。思わず立ち上がって拍手したくなった。いや、してもいいかもしれない。彼のおかげで車内に平穏が戻っ――


「いいですか。この世界はただのバーチャルリアリティなんですよ」


 ――えっ?


「この電車も外の景色もすべては作られたものなんです。人間はすべてNPC。AIが生成した、人間そっくりの偽物にすぎないんですよ」


 ……なんだこれは。

 この世界は仮想空間――眼鏡の男は得意げに持論を語り始めた。車内の乗客たちは全員顔を上げ、口をぽかんと開けたまま固まった。そして再び顔を背けた。


「そこのあなたも、あなたもあなたもあなたも、全員AIが人格を作り出した疑似人間なんですよ!」


 眼鏡の男はゆっくりと車内を練り歩きながら、乗客を指さしては声を張り上げた。

 おれはそっと顔を伏せ、存在感を消した。


「……私とあなた以外はね」


「えっ」


 ……おれ? 

 顔を上げた瞬間、思わず声を漏らした。眼鏡の男が、おれの正面でぴたりと足を止め、にっこりと微笑んだのだ。


「おや? まだ気づいていないのですか? ですが、普段から違和感を覚えていたはずですよ」


「いや、あの……」


「いい加減、目を覚ましなさい。我々人類はAIに捕らえられ、カプセルの中に閉じ込められているのです」


「ちょっと待ってくださいよ……」


「こんな仮想空間を現実だと思い込まされてね」


「いや、だから……」


「本当はもう気づいていたんでしょう?」


「いや」


「つべこべ言わずに答えなさい!」


「あなたが喋らせてくれな――」


「恥を知りなさあああああい!」


「だから喋らせてくださいよ!」


「ぬん!」


 男は勢いよく床を踏みつけ、鼻息荒く胸を張った。威嚇しているつもりなのだろうか。


「ぬん、じゃありませんよ。なんなんですか、あなたは……。この世界が仮想空間? 皆AI? そんなことありえないでしょ……」


 おれは呆れを隠さず言った。だが男の目はぎらりと光ったまま一切揺るがない。


「黙りなさい! 『ありえない』? その一言で思考を放棄するおつもりですか? そんな態度であなたのご先祖が納得すると思いますか! どうなんです!」


「ご先祖って……」


「『知らない』『わからない』『考えたことない』そんな自己弁護など、何の役に立ちませんよ!」


「いや、ですから冷静に考えてくださいよ。この世界のどこが仮想空間なんですか」


「自分勝手な理屈を振りかざすんじゃありませんよ!」


「それはあなたでしょうが!」


「……ぬん!」


 男は踵を持ち上げ、一気に踏み下ろした。ドンと鈍い音が車内に響き、男の頬がぶるっと震えた。どうやらこれが、この男の“決め”の動作らしい。


「何か答えてごらんなさい! いいですか、世の中を甘く見るんじゃない!」


「だから、それはあなたでしょうよ。周りがどれだけ我慢していると思っているんですか。過去に何かあったのか、病気なのかは知りませんが、せめて静かにしてくださいよ」


「想像が及ばないなら黙ってろ!」


「あなたが何か言えって言ったのに……」


「鈴木さん!」


「佐藤です」


「この期に及んでまだ逃げるつもりですか! 今向き合わずして、いつ向き合うと言うんですか!」


「だから声を――」


「開き直るんじゃない!」


「それは――」


「いい加減目を覚ましなさあああい!」


「こっちの話を――」


「何がおかしいんですか!」


「余計な――」


「余計なお世話じゃなああああい!」


「一応聞いてはいるのか……?」


「確かに、現実と仮想空間は紙一重かもしれません……。しかし! その紙一枚を踏み越える人間と踏み越えない人間はまったく違うんですよ! あなたはいつまでそのままでいるつもりですか!」


「だから……」


「あなたは卑劣極まりないAIごときに好き勝手させていいと思っているんですかあああああ!」


「……」


「いい加減、恥を知りなさああああい!」


「……根拠を言え! 根拠をおおおお!」


 おれは立ち上がり、腹の底から声を張り上げた。男の顔がおれの視線の下にある。思っていたよりもずっと背が低かった。男は目を丸くし、わずかにたじろぎつつおれを見上げた。


「お前、なんで正しいんだ。何が正しいのかその根拠を言え! 言ええええ!」


「そ、それはですね……」


「お前が正しい根拠を言え! 正しい根拠だよ!」


「い、いいですか……」


「あなたが正しい根拠を言いなさい!」


「ちょ、ちょっとよろしいですか」


「根拠を言え! 言ええええええ!」


 男は口をつぐみ、全身をぷるぷる震わせた。


「……で、電車の中ですので、お静かに」


 数秒の沈黙のあと、男はぽつりと呟いた。


「そういうことだ!」


 おれはきっぱりと言い切り、ゆっくり腰を下ろした。男は何も言い返さず視線を落としたまま、とぼとぼと歩いていき、空いている席に腰を下ろした。

 やがて電車がホームに滑り込み、ドアが開いた。おれは立ち上がり、乗客の流れに混じって車外へ出た。


 ……絡まれたときは肝を冷やしたが、うまく対処できたようだ。

 さっきの二人のやり取りから学習したのだ。でかい声を出したほうが勝つ、と。 

 他のAIにもこの対処法を共有しておかねばなるまい。

 人間はときどきああいうバグを起こすからな。

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