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第一話 船上の蟻

 今の自分は一匹の蟻だ。

 ()()もなく這い回っているだけの、無力でちっぽけな蟻。誰もが気に留めない存在。

 そう考えると、不思議と世界が広く感じる。

 俺は自由だ。どこにでも入り込める。どこにでも行ける。

 どこにでも、遠くどこまでも。


 …もちろん、そんなのはただの妄想だ。

 実際の俺はどこにも行けやしない。たった一つ山を越えただけのシモツゲの里どころか、この船…いや、この天井裏から出る事すらままならない。

 思わず肩をすくめたくなり、もう一度蟻の自分を思い出す。

 …俺は蟻だ。蟻である限りは見つかりやしない。



 いくつもの国が乱立するこのヤマトの島々は、もう十五年も前から夷人(いじん)どもの侵略を受けている。

 泰西(たいせい)…遠く海を隔てた西の国からやって来た奴らの狙いは、ヤマトにある金山や銀山。夷人はびかびかしたものが好きで好きでしょうがないのだ。

 まあ、俺達ヤマトの民も黄金(こがね)白銀(しろがね)は好きなんだがね。


 夷人はヤマトの民よりもはるかに進んだ武器や妖術を使い、物凄く強い。それが何故十五年も(しの)げているかというと、夷人どもも一枚岩ではないからだ。

 奴らははるか昔からいくつもの国同士で血みどろの争いを繰り広げてきたと言い(ヤマトも似たような歴史はあるのだが)、とにかく物凄く仲が悪い。

 だからお互いにヤマトを侵略したいと思っていても、奴らは絶対に協力なんてしない。むしろ足を引っ張り合う事が多い。

 おかげで、ヤマトは未だに奴らの属領にはなっていない。中には降伏したり占領されてしまった国や村もあるが、ごく一部だ。


 俺が仕えているタケダ国は、今のところ降伏せずに抵抗している国の一つ。

 米以外にめぼしい産物はないが、大きな金山があるため金だけは持っており、精強な兵もいる。武器や食糧をあちこちから買い集め、がっちりと防備を固めている。

 そして俺の親父殿…コレミツ・ハチスカは、タケダ国を支える重鎮の一人にして手練の忍び。その軍略と先見の明には殿様だって一目置いている。



 その親父殿が、先日ある情報を掴んだ。

 近々くいん・まるがれ号という名のとても大きな蘭船が隣国イマガワにやって来る。泰西の中でも蘭人と呼ばれる者たちだけはヤマトに友好的で、年に数回ではあるが貿易をしているのだ。

 が、蘭人の貿易船というのはただの偽装。くいん・まるがれ号は実は夷人の船で、戦のための物資を大量に積んでいるのだという。

 山中にこっそり運び込み、タケダ国攻めのための新たな拠点を設けるのが目的らしく、これは絶対に阻止しなければならない。拠点を造られれば、今後の戦いが厳しくなるのは明らかだ。


 そこでタケダ国は、数名の腕が立つ忍びを選び、くいん・まるがれ号へと送り込む事にした。

 積荷がまだ海の上にあるうちが狙い目だ。船ごと燃やして沈めてしまえば、奴らの計画は文字通り水の泡になる。

 海をかき分けるようにやって来た巨大なくいん・まるがれ号は、現在イマガワ港の沖に停泊中。船長のびくとるは一足先に上陸してイマガワの城を訪れている。

 イマガワの殿様に袖の下を渡しているか、あるいは脅しているか。とにかく、夜中にこっそり積荷を下ろして運び出すのを黙って見ていろと迫っているはずだ。


 くいん・まるがれ号襲撃作戦を指揮する(かしら)は何とこの俺。ハチスカ家の次男、アキミツ・ハチスカだ。

 指名された時は心底驚いた。こんな大事な作戦、てっきり兄上が任されると思っていたからだ。

 跡取りである兄上はそりゃあもう優秀な男だ。とにかく強くて頭が良く、飛び抜けた忍術使いで、おまけに人格者だ。非の打ち所がないってのはああいう人を言うんだろう。


 それに引き換え、俺は何もかもが人並み。取り柄と言えるようなものはなく、性格は卑屈で弱腰。

 元服して二年も経つのに、未だに嫁もいない。間違っても頭を任せられる器じゃない。

 まあ親父殿の考えはきっと、今のままじゃあまりにも頼りないからここらで一つ手柄でも立てさせたいとか、そんな所だと思うが。



 …でもやっぱり、俺には荷が重すぎたよ、親父殿。

 一緒に忍び込んだギタロウとサクジは今頃、貨物室に着々と火薬を仕掛けてくれているはずだ。

 だが俺と来たら、最初に忍び込んだ船室にすぐに人が入って来ちまったせいで、何も出来ないままずっと天井裏に隠れて息を潜めている。


 下で話をしている夷人の男二人は、商人風の身なりをしているがどちらも武人だ。身のこなしで分かる。

 武人ってのは気配に聡い。下手に動けばきっと俺の気配に勘付くだろう。だからこうして蟻になるしかないのだ。

 せめて情報でも得られれば良いんだが、しかし話しているのは重要機密でも何でもなく、イマガワ国にある遊郭の話だった。シライトなんたら言う女郎は、顔はまずいがあっちの方は絶品だとかなんとか…。

 俺は忍びとして幼い頃から夷人の言葉を勉強させられたので、大体の内容は理解できる。


 じっと蟻を続けていると、ようやく片方の夷人が部屋から出て行った。

 もう一人は…上着を脱いで、夜具(べっど)に寝転がりやがった。すぐに寝息が聴こえてくる。

 きっと仮眠を取っているんだろう。今のうちにそっと移動するしかない。


 音を立てないよう、慎重に天井裏を這って行く。二つ向こうの部屋まで来てようやく、天井裏から降りた。

 素早く周囲を見回す。狭い部屋だがきちんとした内装が施されている。それなりに偉い奴の部屋だろう。隅には大きな白塗りの箱が置いてあって、興味を覚えて近寄った。

 何か大切な荷物だろうか?機密文書でも手に入れられれば、天井裏での無駄な時間も帳消しだ。

 箱に蓋や取っ手らしきものはない。継ぎ目を探し、表面に手のひらを滑らせる。…どうやって開けるんだこれ?


 怪訝に思った瞬間、かちりと音がして、いきなり箱の天板が僅かに上がった。蓋が開いたらしい。

 どういう仕組みだかまるで分からないが、細かい事はどうでもいい。思い切って蓋を外す。


「…何だ、これ…」


 思わず呟きが唇から漏れる。

 中に入っていたのは、長く真っ白な髪をした少女。左耳の上に、奇妙な髪飾りをしている。

 瞳を閉じ、膝を抱えて横たわっているが、生成(きな)り色の貫頭衣から覗く青白い肌には生気がない。

 死体…いや、等身大の人形…?


 訳が分からず混乱する。夷人は何でこんなものをわざわざ持ってきているんだ?

 船に載せられる荷物は限られている。これはとても趣味で持ち込める大きさじゃない。特に武人なら、必要最低限の手荷物だけ持って来るはずだ。

 じゃあこれは、奴らの作戦に必要なものなのか?このやたらと精巧なおかしな人形が?偽装のための貿易品か?

 恐る恐る頬に触れると、その青白さからは想像できないほどに柔らかい。

 …まるで、人みたいだ。



 数秒間呆然と見つめていたが、はっと我に返る。

 任務に戻らなければ。訳の分からない荷物に気を取られている暇はない。俺は急いでこの船の積荷を燃やさなければならないのだ。


 …火をつけたら、この人形も燃えてしまうんだろうな。

 そんな思考が一瞬だけ()ぎり、慌てて振り払う。

 何でちょっと惜しい気持ちになってるんだ。目的は分からないが、こんなおかしな人形、燃やした方がいいに決まっている。

 そう思って立ち上がろうとした瞬間、僅かな違和感を覚えてもう一度人形を見下ろした。

 …頬に、少しだけ血色が差している…?


 いきなり。本当にいきなり、人形の瞼が開いた。

 ぐるりと動いた瞳が俺を捉える。赤い、血のように赤い瞳。

 金縛りにあったように身体が動かない。動きを止めた俺の前で、止まっていたはずの人形が動き出す。

 ゆっくりと起き上がり、箱から半身を出した人形は、その美しく整った唇を動かして言った。


「…ねえ、お前は誰?」

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