1日目③
「天然風呂だぁー」
誰もいないからか美咲は子供のように風呂に飛び込み、バシャンと水が弾ける音が浴室全体に響いた。さすがの私は洗ってから入る派なので、自前のお風呂セットで体を洗ってから入ることにする。シャワーの水温計は42度と表記があるが、寒いところにずっと居たせいか、体感的には表記よりもはるかに熱く感じる。洗いおわり、足から少しずつ体をつけて湯船に入ると、熱が疲れを吸い取って体が軽くなった気がした。「まりりんさぁー気になってたんだけどさぁ、清水くんのこと好きなの?」
「なっ」
どう誤魔化していいか分からず、だからと言って“違う”なんて言葉にしたら、そこで関係が終わってしまうような気がした。あたふたと手を動かしても、それを言葉にすることはできない。
「図星じゃんー。へぇ」
「だ、ダメ!ここ吹き抜けだから!」
「だからあんな班決めの最後に“清水くんと一緒がいいです”なんて言ったんだ。」
過去の話を蒸し返され、煮えくり返るようなこの焦燥感に逃げ場など存在しなかった。
「年上には敬語を使ってください」
「同級生じゃん、照れんなよ」
まだ丸くなった方ではあるが、美咲が調子に乗る時は大抵ろくな事にならないのを私は知っている。
「言わないで、秘密にしといて、いい?」
「任せろ」
今のところは不穏な雰囲気しかない。彼女が特段変な動きをしなければいいけれど、先が既に曇りがかっている気がする。
「ゆびきりげんまん嘘ついたら…」
「殺す」
「重い重い」
上がりきった頃には、時計は短針は六の数字を指していた。
「あ、ご飯始まってる。」
美咲に着替えを貸すも、15cm以上も身長差があるせいで、服が大きく不格好だったのがこれまた面白い。
「これ取り放題なの?」
食堂の真ん中には、縦1列に並んだ色とりどりの皿が並ぶ。ビュッフェスタイルの皿の上に1品1品好きな食べ物を乗っけていく。お昼を抜いたせいか、知らず知らずのうちに、盛り付けた食材の量は多かった。
「清水多くない?」
「取りすぎちゃったかも?」
私が取った量が霞むほど、清水くんの取っている食事は多かった。それよりも、美咲が清水くんを呼び捨てしていることに少し嫉妬している。
「え、スポーツやってた?」
「なんだと思う?」
「バスケ!」
「玉は使わないなぁ、ヒントは言ったらわかるやつ」お願いだから清水と馴れ馴れしく接しないで欲しい。嫉妬しようか付き合っていないのだから、私にはそれを言って抑制できるほどの権限はない。
「えーわかんない、高校から推測しよう?駄々田とか?」
「いや、大帝大富山ってとこ」
「えーわかんない」
「あ、知ってる。水泳で東京五輪出たとこだ。」
「そうそう、よく知ってるね。俺も水泳やっててさ、堺ってもしかして水泳とかやってた?」
「いや?6年ずっと吹奏楽」
こんなところで新聞を読む習慣が活きるとは、思いもよらなかった。もう何年も前の出来事だか、高校生オリンピッカー特集をやっていたために、覚えていたのはある。
「へぇ吹奏楽なんだ、他の子達何してた?」
今持っていたはずのバトンを、颯爽と奪い返して私でも清水くんでもない第三者へと渡した。特に話すことも無く、黙々とプレートに乗ったお皿の食べ物を食べ続けた。
血糖値スパイクか、はたまた疲れからの睡魔か、身体は途端に重さを増してあちこちから悲鳴をあげ始める。朝早かったとはいえど、この疲れは加齢によるものだろうか。体力はとうに限界を迎えていた。16畳の部屋で、女子8人というのは思ったよりも狭い。清水くんのところはと言うと、7畳の部屋に3人が敷き詰められているのだから、その広さは大差変わらないかもしれない。
「ここ宴会場に使うらしいよー広いから」
「やば、片付けないと」
8時半から始まると聞き、今は7時10分。およそ1時間程の余裕があるとはいえ、そのほとんどの人はこれからお風呂であるが故に時間がないのだ。バッグに乱雑に詰め込むもの、布団の中に荷物をまとめて隠すもの、その人の性格が如実に現れて実に面白い。布団を端にどかし、そのどかした布団の山の上に私は転がっている。疲れきったその体に、布団の深さが心地よい。
「持ってきたよ、堺も手伝って」
「やだ、眠い。」
扉を開ける音と共に、何か重量のある荷物が引きずられるような音がする。
「寝かせといてやれよ、ここ2人で足りるだろ」
「それもそうだね」
その低い声は明らかに彼の声で、その隣にいたのは紛れもなく美咲だった。閉める際に軋むドアの音は、心の扉を閉ざされたように1人16畳の寝室に響き渡った。
「まず一日目、お疲れ様でした〜乾杯!」
引率の教授の挨拶の後に、紙コップを上にあげ皆で盃を交わした。私の左には教授がいて、その右には藤原さん、その1つ奥に清水くんがいる。少女漫画ならば、こういう時は気を利かせて清水くんと隣になるのが定石だと考えていたが、現実はこうももどかしいのだろうか。それからというもの、清水くんは一向に藤原さんと話を続け、私はと言うと、教授の相手をしているのだ。
「堺さんって院試だよね、東美のデザインだっけ?」
「そうですね、学びたい教授がいて、大学間連携の時にお会いして非常に熱のある方がいらっしゃって。」
「そっか、もし良ければなんだけど、今総合デザインの大学院を立てるって話が出ててな、もし良ければ受けてみないか。」
「先生それまじ?先生そのまま持ち上がり?」
「上野毛の方になるかなぁって話してる。」
「世田谷ですか?私国学なんで母校くっそ近いです」
そのまま会話を藤原さんが持っていく、別にいいといえばいいのだけれど、あれからというもの、私が誰かと話していると、藤原さんが話してくるようになった。
「そっかー、まりりんが受けるなら私も受けようかな東美」
「まぁ考えてみてくれ。」
あれほど食べたはずなのに、空腹からか興奮からか一向に意識が遠のくことはなく、スマホの時計を見ると針は2時と表示されていた。トイレがてら宴会場を通り過ぎると、まだ賑やかなのだから驚きを隠せない。下に行けばカップ麺の自販機があったなと2階に降り、レストスペースに到着すると、そこに居たのは見間違えるはずもなく清水くんだった。