あそびましょ?
トイレの扉がノックされた。
ゴクリと唾を飲み込み、名前が呼ばれるのを待つ。
このタイミングで扉の先にいるのが子供なのか大人なのか、女性なのか男性なのかなどを判断する必要があった。
「花子さん」
甲高い女性の声だ。滑舌から幼さが感じられる。小学生くらいだろうか。
「花子じゃないよ」
そう返事をすると、扉の向こうの少女はひっと声を上げた。少女の呼吸が荒くなっていく。想像通りの反応だ。
「じゃあ勇太さん?」
肯定する代わりに、こちらから扉を二度ノックした。
「あ、遊びましょ」
「いーやーよ」
今まで一度も否定したことがなかったから、少しだけふざけてみる。
少女がどんな反応をするのか楽しみだ。
「……どうして?」
予想外の返事だったのか、呆気に取られたように少女は言った。
扉の前に佇み、口をポカンと開ける少女の姿が容易に想像できる。
「そういう気分じゃない」
「そんなことってあるの?」
「幽霊も暇じゃない」
「変なの」
気の抜けた少女の声を聞いて、思わず吹き出しそうになった。
「噂と違うじゃん」
「噂はあくまで噂でしかないからね」
「遊んでよ」
「だから嫌だって」
「遊んでくれるまで帰らない」
「なんでよ。怖くないの?」
「ぜんぜん怖くない。というか、怖くなくなった」
興味本位に返事をしたせいで、面倒なことになってしまった。
こちらから扉を開けて驚かせなければ帰ってもらえそうにない。
女の子がずっとここにいたら、きっと彼女の両親も心配するはずだ。
「ねえ、遊ぼうよ。私、暇なの」
「嫌」
「せっかくここまで来たんだから遊んでよ。どうせやることなんてないでしょ?」
「だから嫌だって言って!」
声を荒げて扉を叩く。しつこい来客だ。すんなりと諦めて、とっとと帰ってほしい。
女の子の対応に追われて苛立ちを覚えていると、階段の方から足音が聞こえてきた。
耳を澄ませて音を聞く。今度は複数人いるみたいだ。
肝試しにでも来たのだろう。
今日は来客が多い。
同じ時間に二組も来るのは初めてだった。
「……そうだ」
少女を驚かすことができれば、逃げる彼女をみて次の来客も追い払うことができるかもしれない。
そうすれば面倒なやり取りをまた一からやる必要性もなくなる。
「しょうがない。何して遊ぶ」
「そんなの勇太が決めてよ」
「……わかったよ」
まさか少女に呼び捨てされる日が来るとは思いもしなかった。
こんなに図々しい来客は初めてだ。親のしつけはどうなっている。
このまま成長してしまったら、礼儀の知らない人間として社会から冷ややかな視線を向けられることになるだろう。
足元に転がっているナイフを拾い上げて扉に手を当てる。
これを使って脅せば、驚いて家に帰ってくれるかもしれない。
暇ではあったが、少女には早急にこの場から離れて欲しかった。
「それならじゃんけんをしよう」
思いついた遊びを提案する。
じゃんけんの意味は特にない。
扉を開いてナイフの刃先を少女に向けることができるならなんでもよかった。
「僕が勝ったら逃してあげる。でも、もし君が負けたら」
「負けたら?」
「命を貰う」
「突然幽霊らしいこと言うね」
確実に僕のことを舐めている。一言多い生意気な少女だ。
「逃げるなら今のうちだぞ」
「逃げたら追いかけてくれる?」
「なんで君はそんなに僕と遊びたいんだ?」
どうして少女が僕に襲われることを望んでいるのかわからない。
「なんでって。寂しいからだよ」
「パパとママは?」
「いない」
「友達は?」
「みんな私のこと気持ち悪いって無視するの」
「……そうか」
少女なりに事情を抱えているらしい。
変な子供だと思っていたが、少女の現状を聞き同情してしまう部分もあった。
どこか僕と似ている部分もあるみたいだ。
「……とにかく、約束だぞ」
「うん。わかった」
少女の声からは少しも恐怖を感じ取れなかった。
ナイフをぎゅっと握り締め、ドアノブに手を当てる。
もちろん、僕にはろくろ首のように首を長く伸ばすことも呪いをかけることもできない。
物音や凶器を使って驚かすことが精一杯だ。
それでも少女が喜んでくれるなら、望み通り遊んでやろうと思った。それが今の僕にできる最大限のことだ。
普段は人を怖がらせているのだから、たまには喜ばせてあげようじゃないか。
僕は大きく深呼吸をして、力任せに扉を開いた。