君主の帰還
こんちゃ
__君主は還った。若き君主となって。古きは淘汰され、新しきは殺戮する。その摂理には深淵さえ逃れられない。嗚呼、君主が還って来た還って来た。まつろう者達よ、君主と共に現世へ滲み出よ。新たな時代を告げるために。
真は公園の地面で目を覚ました。既に夕刻の鐘は鳴り終わり、人々は家へと帰っていく。公園内にいるのも真唯一人であった。
自身は土の上に身を投げ、空を向いている奇妙な格好で目を覚ましたのに、真の最初の行動は溜め息であった。
「やっとか……」
やっと地上に帰って来れたのに涙ひとつも湧かない。感情は大分磨耗してしまっているようだ。まああの世界は地獄どころの騒ぎではなかった、発狂してないだけ御の字だろう。
ゆっくりと立ち上がると、次に自分の身を確認する。
痕は身体中にあるが、それより気になることがある。
(神気が使えない)
全くもって行使することが不可能なのだ。他にも試してみれば神気の他にも妖気量も大きく制限されている。妖気とは隔絶した神気が扱えないのも辛いが、妖気があそこに行く前の二分の一まで落ちてる。これでは成長しているどころか退化しているではないか。やはり還って来るための多額の対価を支払わされたようだ。高い通行料と思い納得するしかない。
救いがあるとすれば経験までは取られてないこと。体に染み込んでいるのでこれは進歩の証となる。半分にまで落ちた妖気量も経験から効率よく運用すれば何とかなるだろう。
後はあの世界で得た相棒である冥丸がいること。見た目はダークマターのようなマンホールほどの大きさの影であるが、その能力は多岐に渡り、想像を絶するほどの強さを持つ。
得た物も失った物もそれぞれだ。
地上に戻ってきたらまずやらなければならないことが膨大にあったはずなのにやる気が湧かない。それでも時間は待ってはくれない。一つ一つ進めよう。
……、呼ぶか。返事が来るかわからんが。
「澪子」
「ここに」
驚いた、数分は沈黙が続くと思ったが、間髪入れずに返事が来るとは。己が出奔してからそれほど時間が経っていないのだろうか。
「どれほど時間が経った?」
「1年と11ヶ月です」
再度驚いた。最悪な結果であること、それ以上に2年経ってもすぐ参上する親衛隊長に。
澪子の顔をまじまじと見つめる。成程、確かに大人びている気がする。
「俺が居ない間に何が起こったか説明しろ」
「若がお隠れになって最初は何処かお一人で任務に就いたのだと想像しておりました。しかし一ヶ月経っても戻らないことに当主様が心配なさり本格的に捜索を始めましたが見つからず。半年が経つ頃には当主様が伏せがちになり、それからは分家の良明殿が当主代行を務めております」
「良明殿が?叔父貴殿ではなく?」
想定外の返答に片眉を上げる。良明殿には継承権が無かったはずだが。あのボンクラは銭を稼ぐ能しか無い狸だ。
「久邇照様も若の一ヶ月後にお隠れになりました、他に本家筋はなく家老の明水殿が代行を務めようとしたのですが、良明殿が当主様に"自分が若がお戻りになるまで変わりを務める"と進言し当主様が承諾した形にございます。」
「……あの人も耄碌したか」
よりによって彼奴に全権を渡すなど愚の骨頂であろうに。この報告だけで今の炎家の有様が見えてくる。
聞きたくもないが聞かないわけにもいかない。
「炎家はどうなった」
「良明殿に代わってから親衛隊は一変、旧体制の若派の隊員は追い出され、出所の怪しい死縷々士が新たに入れ替わりました。そこで良明殿は親衛隊を妾の如く扱い、権力を振り翳し、他家に己が次期当主であると嘯き、頭を上げさせて回っております。また鬼火衆を含め、複数の士衆が追放の咎を受けました」
「やりたい放題してくれるな……」
親衛隊を妾扱いとは虚仮にしてくれる。彼奴は創立された訳を知っているのか?既に頭が冷え切っている。
「なぜ追放の咎を?」
「若様が消えてから鬼火衆を含めた他の士衆が、公安の暗躍であると考えて、第二十二小隊を襲撃致しました。両方共に死者が出て、またその時期と重なり炎家の序列降格が決まりましたので、良明殿がその咎を士衆に負わせた次第でございます」
十中八九腹いせであろう。上が分家筋の阿呆が当主代行に就くと聞き、本家筋が消えたと思われたのだ。それ故の序列降格だろうが、阿呆はそれを士衆のせいだと思い込んだわけだ。自ら戦力を減らすなど馬鹿なことだ。自分陣営でなければないなりに使いようはあるのに。
公安襲撃の件はな、己が消える数日前に大きないざこざがあったからそう疑うのも仕方ない。
顔を覆いながら続けて尋ねる。
「他には」
「長野県が落ちました。若様失踪の一年後に長野県で大きな"世界の亀裂"が発生しS級含めた数千体の異形が堕ちてきました。公安と長野県守護須野家は討伐に失敗し異形共に明け渡し、良明殿は県境の守備だけを命じ増援を送りませんでした。現在は皇都への一本道のインフラが塞がり、炎家の事業に多大な損害が出ています。またこのような事例が小規模ではありますが東北で……」
澪子の報告を聞いてる間に思考し続ける。
自分が消えてから最悪な事態が起こったようだ。まさか炎家が筆頭である天賀家領でこんな事態が起こるとは。
阿呆が増援を出さなかったのは正解だが、自身が士衆を減らした故の問題であるので評価する以前の話だ。
自分の後始末くらいやれ。
嗚呼、やることが増えすぎて気が遠くなりそうだ。いっそのこと出奔してしまおうか。
「___そして、大変腹立たしい話なのですが、良明殿が姫様に求婚され、天賀家に圧力をかけております」
瞬間空気が重くなり澪子は息ができなくなった。主君の顔は虚無になっている。若の妖気は変化していないのにまるで妖気の奔流にいるかのような気分である。今にも地面に伏してしまいたい。
「それは天賀家の御息女である姫様で間違いないな?」
「っは……い……」
舌を必死で動かし応えると圧が消失した。再度若の表情を見るがそこに感情の色は無い。
「追放された士衆はどうしている」
「僭越ながら私が陰でまとめております。皆今の炎家に失望し若の帰還を待ち望んでいる者達です。呼べば直ぐに馳せ参じます」
「今の炎家内で俺に付くのはどれほどだ」
「私直轄の親衛隊五十人と、畦火衆以外の士衆が無数に、家臣達は日和見でしょう」
十分か、二年空けたにしては悪くない。阿呆に人望が無さすぎるだけだが。
「1時間以内に来れる者を全て炎家本家の前に集めろ。俺が帰還したと伝えておけ」
「御意」
地上に戻って初めてやることが此れなのがもの凄く気が進まないがやるしかあるまい。
「良明を殺す」
設定や用語などはまとめて出しますのでお待ちください