☆井の中☆
ああ、久々に聞こえる足音。
口の端からだ液が滴り落ちる。
しかも若い女だ。しなやかな筋肉が男よりも食感も味もいい。
男の汚い絶叫など聞きたくもない。あの最後の顔つきも声も何もかもが──。
空気感が変わった。気味の悪い足音が聞こえる。
ゴブリンじゃない。もっとおぞましいナニかだ。
刀を召喚する。いままでと同じ戦い方ではだめだろう。
扉の穴は真ん中だけ空洞になっている。最後の敵か。
刀には先に炎をまとわせる。
最後の扉を斬った。
その先にいたのは醜い見た目の化け物だ。
皮膚は溶けていて骨が見えている。
しかもその骨は黄ばんでいて汚い。
口の端から覗いている2本の黄色くなっている犬歯はよだれをまとっている。
触れば切り刻めるが触りたくない。
なんか若干毛が生えてるし。汚いことこの上ないのだ。
息を整える。敵なのだ、見た目などどうでもいい。
ぐるぁァア! と叫んで爪で引っ掻こうとしてくる。
俺は後ろに飛び避ける。そのまま姿勢を低くして地面を蹴って刀を振るう。
が、敵が高く跳躍してそのまま俺の上に飛びかかろうとしている。
それを横に転がって避ける。
俺は睨みつける。相手の動きの全てに反応することができるように。
刹那。飛びかかってきた敵は完全に油断しているようだ。
俺が恐れて動けないと思って勝利を確信しているらしい。
俺はその隙を見逃さず横に回避した後にスカったその腕の両脇を一直線に裂いた。
傷口から噴出された緑の血が飛び散る。
絶対当たるわけにはいかない。せっかくおっさんにもらった服を汚したらまじで申し訳無さすぎる!
バク宙で下がり、血を避ける。
着地したとき、今までの匂いの何倍も臭い。
酸っぱくて錆びた鉄の匂い。
これが身体に流れて貯まるものか。鉄の匂いはわかるがなんで酸っぱいんだよ。
そんなときいきなり頭を強く殴られた。痛い、など言えるような時間すらなかった。
……何があった……?
朦朧とする頭をどうにかまとめようとする。
たしか……、ボスを倒して、頭を殴られて。
そこで覚醒した。そうだ、殴られた。
「……えぇ、そうですね。人間の女性だと思います。ボタンを押して秘密通路がバレそうでしたもの」
何を言っているんだ?
焦点のあった視線を向ける。
伽羅色の髪を尖った耳にかけている。少し鼻を刺激の有るある匂いが刺す。
エルフだ、と思ったのと相手が俺の方を見たのは同時だった。
「あんた! もしかして騙したわね!?」
「何を言っているのかさっぱりだ。あんたが頭を殴ったのか?」
相手は雷に打たれたかのような反応を示す。
「……ていうかなんで『あんた』呼びなのよ!?」
「そりゃお互い様だね」
俺は憧れのエルフを前に興奮が隠しきれない。異世界物には必須だろう。
俺は胸に手を当てる。
……違う、触りたいわけではない。
自己紹介のためだ。
「名はメイ。そのままメイって呼んでほしい」
「私は────」
「おいおい、なんで助けてんだ? 卑しい奴隷が勝手な判断すんなよ」
大きな体躯、短髪で威圧的なその声は空気を揺らしている。
その揺れはとんでもない威圧感を与えられる。
「何なんですか、あなたは」
俺はスキルを発動状態にする。
こいつはヤバい。井の中の蛙状態だったらしい。
海、青! じゃなくて、なんなんだ、この魔力量は。
量も質もいいなんて、な。本当にヤバいぜ。
「あ?」
低く、太く、鈍い。
一文字でここまで心にさざ波を立てさせることがあるか?
太い指をくわえる。ピィーッと高い音が響く。
魔素の塊が迫る。俺は横に飛んで避ける。
後ろの壁にヒビがはえる。
平たい魔素が回りながら迫る。
飛び上がり空中で回転する。そのまま想造した刀をそれに合わせて振り下ろす。
ギィン、と響き渡る。
魔素の同調が上手くいった。魔素が自分帰化の場合は自動で行われ魔法を切断できるのだが、今回は自分で行った。
だから失敗したときのために回避をしたのだが、必要がなかったようだ。
俺は地面を蹴って迫りくる魔素の刃を弾きまくる。が、魔素の密度が違うものが混じっている。
俺は慌てて避ける。頬に走る鋭い痛み。温かい液体。
「調子に乗っちまったか。でもま、後ろ気ぃつけろよ」
後ろにいるのはエルフ。彼女の持つのは俺が想造した武器。
それは短いが、俺から視線が外れた今なら俺は急いで近づく。
ある程度近ければ長さをコントロールできるのだから。
魔素の刃がこれば彼女が死んでしまうだろう。
人間は全力を普段は出せないらしい。なぜなら体が持たないから。だが、本当の危機になったとき、100%を使えるのだ。
この身体はそもそも運動神経に長けていた。異世界転生特典なのかはわからないが敵の攻撃の回避が無駄にかっこいい。
いや、そこではなく、足も早くてこの争いに満ちた世界では有利だと思う。
しかもそれが全開になったときめっちゃ早いのだ。
俺はスキル使用可能圏内にはいる。
相手は魔法の準備が整ったところだろう。魔素の集まっていくのが視える。
だけどまだ小刀であるエルフは少し距離がありすぎる。
俺はスキルを起動して小刀を大太刀に変える。
それは身体を貫通────しなかった。
だが、その伸びた刃はエルフの身体を魔法から遠ざけた。
エルフは弾き飛ばされる。俺は慌ててエルフを抱きとめる。
そして、あらかじめ目星をつけておいたボタンを蹴る。
いきなり床が開き隠し通路が顕になる。
大男がそっちに気を取られている間に今までの通路を引き返す。
俺の足に迷いなど無い。だって能力があるのだから。ただ記憶された道を引き返すだけ。
どれほど走っただろうか。同じ景色の中を走り続けることの恐怖。
なんとか迷宮を脱出した。
急いで、離れな、きゃいけ、無いのに。
俺の身体はすでに限界だった。
歩くことすらできないのだ。俺は近くの木の陰で横になる。
急がなければ。あの大男なら俺の魔素の残滓くらい探すことができるだろう。
ならば、急いで街に向かわないと俺はともかく他の人も巻き、込んで、しま、う─────。
ここはどこだ。
……うん、 凄い既視感がある。本日2度目です。
身体を起こそうとすると身体中に電気が流れたような痛みが走る。
筋肉痛の上位互換といった感じだろうか。まじ痛い。
そこは見たことのない部屋だった。
これまたボヤけた目で見たことのある顔である。が、今度はちゃんと介護してくれているようだ。
「あ、メイ様!」
……様? あれ、ここ病院?
いや、耳見た? エルフじゃん。
「体調は良くなりましたか? 知ってる限りの手当はしたのですが……」
「う、ん……」
「私でのではだめですか……」
明らかな落ち込み方は昔友達が振られた時を思い出す。
「あ、そういうことじゃなくて!」
慌てて言うと花が咲いたように笑うという言葉が合うほどにぱっと顔が輝いた。
叫んだ途端身体に走る激痛に顔を歪めぬように気をつける。
「あっそうだ。名前は?」
「あったのですが……」
彼女は過去のことを話してくれた。
2年ほど前にエルフの国からでた。
そこで色んな国を回る途中、森で商人と出会った。
その商人は馬車に乗っていて「後ろ空いているから乗っていいよ」といわれたそうだ。
その手にきれいに引っかかり、乗って奴隷ライフが始まったのだ。
そして1年前さっきの大男に買われ隠し通路を隠す役割を担っていたのだ。
「なるほどな」
俺は合点がいった。それなら俺と同行を許可するのを誘うのは間違いではなさそうだ。
「そして奴隷商はまず家族とのつながりである名前を刋ります」
この世界では名前というもので家族が繋がり合う。元の世界で言う名字の発展版である。
個人名を名付けたものは魂レベルで結束され、その繋がりを元にすればお互いを探し合うのなど造作もないことだ。
だからこそ名前を『刋る』ことで、その可能性を払拭するのだ。
このつながりは繋いだ者の魔素の質で決まる。
このつながりというのは通路のようなもので質が良く、多いというのは通路が頑丈で広いということになり、この通路を通じて魔力や情報のやり取りが可能になる。
だから王侯貴族たちの子供が奴隷商に捕まっても刋られることは少ないのだ。
刋られるということはそれは名付け親の繋ぎ方が悪かったか、その質も量も上回る人物が刋ったか。
どちらにせよ国に良いことなど微塵もない。
この世界の貴族になる方法は25世代その家系に属するもの含めて名を刋られていないことが条件となる。
だから結果的に貴族の魔力量が多い傾向になりやすいのだ。
「そうか。名がないのか……。じゃあ、俺がつけてもいいかな?」
俺は名前をつけるといった経験がほとんどなかった。子供がいるはずもなく、買ってたペットも金魚すくいでとった金魚くらいだ。
「よろしいのですか! 願ってもない、ぜひともお願いします!!」
人に名前をつけるという緊張感。
まず特徴を捉えていこう。髪の毛は伽羅色で艶のありストレート。
目も同じ色で二重でまつ毛は長い。
薄紅の唇に鼻が可愛くついている。
前世なら間違いなく人気女優になっていただろう。
んー、キャラメル、キャラメル、メル……。メル……? メルだ!
今まで史上一番しっくりした。
うん、芽璃なら俺と繋がりアルっぽくて良い。
「うし、決めた! 君の名前は芽璃。これからよろしくな!!」
「メル……。ありがとうございます! あの……」
「一緒に冒険しないか? 嫌なら諦めるけれど……」
「良いんですか! よろしくお願いします!!」
「こっちこそ!」
彼女は可愛く笑う。これは誘拐されますわ。
そして今後についてより正確に考えていくのだ。