落とされた姫神
「何故…。何故わたくしだけが…」
神々の暮らす世界から地上へと落とされた美しき姫。
草ばらに佇み小さく呟いた。
名前さえも変えられては、自分は何者かも分からない。
先程まで暮らしていたはずの空を見上げる。
青く輝く美しい空。太陽が眩しくそっと顔を背け、辺りに視線を巡らせた。
何処までも見渡す限りの緑色の草はら。
不安気な面持ちの瞳から真珠の様に眩い涙が一粒溢れ、地面に消えた。
神々の世界には幾つかの掟がある。詳しくは分からないけれど存在は勿論知っていた。けれどいくら考えても自分は掟を破っていない。いつもと変わらずに姫神として天界に住まい、己のやるべき事をしていただけ。それなのに…。
突然下った命。己の名を変えられ地上へ落とされた。
突然の事に思考が止まる。右手に持つ桜の枝に咲く花がふわり、風に揺らめいた。
『織り姫』
今日からお前はその名で生きよ。
天帝の命は絶対であり、他の神々さえも逆らえない。
姫神は激しく反論しようとした。
「わたくしは、その様な名ではありません…!」
吐き出したはずの言葉は虚しくも紡ぐ事さえ出来ず宙へと消えた。
己の名前を変えられ、あまつさえ地上に落とされた姫神。
美しい女神でもある。
艶やかな長い黒髪を麻の紐で後ろに結び、面持ちは凛々しくも優しい。
白い肌に薄紅の口。
意思の強い瞳は黒く濡れている。
そんな姫が何故地上に落とされ、名前すら変えられたのか。
しかし、天に住まう神の命には逆らえない。
神々の暮らす世界から地上へと落とされた美しき姫。
先程まで暮らしていたはずの空を見上げる。己の運命を嘆きながらも、赤い袴に纏われた足を一歩、動かした。
髪には金の冠。様々な玉が散りばめられ、太陽の光に反射して尚その光が強くなる。
草はらのほとりに細い川が流れている。その直ぐそばにある小さな社。
その社の前に立ち、じっと見つめた。
そして、これから自分がこの社に住まい、草はら一帯を治めるのだ。小川を流れる水音を聴きながらため息をひとつこぼし、姫神はそう悟った。
何故…。
意味さえ分からず草はらを歩き、小川の社へと辿りついた時、己の使命が脳裏に浮かぶ。
「これが運命と言うならば、わたくしに抗う力もありません。己の名さえ変えられてしまっては、この小川の水の如く抗わずに身を任せましょう。わたくしはこの地を治め、流れる水を護り、また争い起こればそれを鎮め、人々の道標となる…!」
小さな社の前に立ち、覚悟を決めた様に姫は天にも届く様に力強く声を張り上げた。