はぁ!?今更やり直したい?あれから何年たったと思っているの?
「あれと離婚しようと思っている。長く廻り道をしてしまったが、僕には君しかいないとやっと気が付いた。ダイアナ、どうかもう一度僕にチャンスをくれ!今度は間違えない!僕とやり直して欲しい!結婚してくれ!」
求婚者は跪き、真っ赤なバラの花束が目の前に差し出してきました。こんな時、顔が良いのは得だとつくづく実感します。あの事件の後に跪かれて求婚されていたら即座に受け入れた事でしょう。感極まって涙を流したでしょう。そうして全てを水に流し、彼の愛を再確認して喜んで元の関係に戻った事でしょう。ですが、彼は気付くのが遅すぎました。
「ヘンリー、今更だわ。あれから何年たったと思っているの。12年よ。あの騒動から12年も経っているわ。その間に私も結婚して子供も出来た事は知っているでしょう?」
私に断られるとは思わなかったのでしょう。
見るからにショックを受けています。
まさか自分が求婚すれば私が喜んで受けるとでも思っていたのでしょうか? 考えが幼稚すぎます。それが通用するのは未成年の子供までですよ。まったく。私を幾つだと思っているのかしら?もう30に手が届こうとしている年齢だというのに。
「だ、だがダイアナ。君の御夫君は亡くなっているじゃないか。君は独り身だ。結婚は出来るはずだ」
「確かに私の夫は一年前に病で亡くなりましたわ」
「だったら!」
「何故、貴男と結婚しなければならないのかしら?いいえ、そもそも私が再婚するかしないかは私自身が決めるものではなくって?」
「それは……そうだが。僕たちは婚約者同士だったではないか」
「元婚約者同士です。それも遥か昔に貴男有責で解消したものでしょう。お忘れですか?」
「……覚えている」
「それは良かったですわ。てっきり忘れていらっしゃるのかと思ったではありませんか。まさか学園で何時の間にか可愛らしいお嬢さんと良い仲になっていたなど存じ上げませんでしたわ。私、あのような経験は初めてでした」
「す、すまなかった」
アホな事を言いに来た元婚約者は肩を落として帰っていく。
その後ろ姿は嘗ての貴公子然とした姿はなく、草臥れた中年のようである。
親同士の決めた婚約者であったヘンリーは2歳年上の幼馴染で、兄同然の存在。
そのヘンリーに恋人がいたとしった時はショックでしたわ。
しかも学生の身で妊娠させた話を聞いた日は寝込んでしまったほどに。私が寝込んでいる間に婚約は解消され、公爵家から多大な慰謝料と賠償金を受け取りました。
兄のような存在。
そう思っていた事に嘘はありません。ですが、私は自分でも気が付かないうちに彼に恋していたようです。その気持ちに気付いた時が「恋の終わり」を意味しているとは、なんと間の悪い事でしょう。
彼はこれから恋人と結婚し新しい家族を迎えるというのに。虚しい…。いいえ、それ以上にこの恋情を彼にだけは気付かれたくない…そう思ったのです。
この恋は墓場まで持っていく。
私が決意した瞬間でした。
それでも国にいれば嫌でもヘンリーとその妻となった子爵令嬢の姿を見る事になります。
「捨てられた女」のレッテルを貼られるも私の誇りが許さない。逃げる事と分かっていても他国に留学する道を選んだのです。表向きは「侯爵家を継ぐための修行」と称して。
他国に留学してもヘンリーへの想いは薄れる事はありませんでした。
夫の求婚に応えたのも偏に彼に対する想いから逃げるため。
留学先で出会った王子。
王家の末の王子殿下。
留学先の学園で同級生として親しくなったことが切っ掛けでした。趣味や嗜好が似通っていた私たちは男女の友情とばかり思っていたので王子から求婚された時は酷く驚いてしまいましたが、その求婚に応じたのは私の意思です。
結婚するなら彼が良いと判断したのです。
彼がヘンリーよりも地位が上だったから、ヘンリーとは正反対の人物だったから。
彼となら「家」を守れるという打算が働いたことも事実でした。
祖国よりも大国の王族を夫に迎え入れる。
それはヘンリーや公爵家に対する意趣返しになるのと同時に、侯爵家と私から生まれる子供達が
他者に侮られない事を意味していたのです。
私は3人の男児を産みました。
これで跡取りの心配をする事はありません。
男児を3人産んだことは半ば意地でした。
それというのもヘンリーの妻が産んだのが女の子だった事が原因。
ヘンリーは私との婚約をダメにしたことで公爵家の跡継ぎから外され「子爵位」を譲り渡されて公爵領で小さな館を構えていました。夫婦の間には女児しかいないのです。女性が「爵位」を継ぐのは今は未だ少数。しかも受け継いだ女性全員が「才女」と言われているのです。ヘンリーの娘が「爵位」を継ぐのなら相当の努力が必要になるでしょう。
私と結婚していれば男児にも恵まれ次期公爵として華々しい栄華の人生を送れていたものを……そう悔やんで欲しかったのかもしれません。
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元婚約者が亡くなったという知らせが公爵家から届いたのは、彼と会った一ヶ月後のこと。
落馬からの転落死。
俄かには信じられない死因です。検死の結果、怪しい処は全くなく只の不運な事故として処理されました。
公爵家の跡取りから外されたとはいえ「公爵家の息子」である事に変わりはありません。現役の当主の一人息子として厳かに葬儀が執り行われたのも当然のことでした。
公爵家の直系の葬儀という事で王族や高位貴族の出席者ばかりの中で、ヘンリーの妻であるドロシー・スーザン子爵夫人が、夫の棺に縋りついて泣きわめく姿は異質な雰囲気を醸し出しておりました。
貴族という者はどんな時であろうとも冷静に取り乱してはならない、と教えられています。貴族令嬢ともなれば尚更。元子爵令嬢とはいえ、彼の妻はそれが出来ない人種のようでした。高位貴族の方々は見苦しい振る舞いをするスーザン子爵夫人に眉を顰めますが、それに気付かないのでしょう。泣き声は益々高まるばかり。ここまで露骨だと何かの演出めいて見えると思ってしまうのは彼女によって誇りを傷つけられたが故の考えでしょうか?
葬儀の間中、神殿ではドロシーの泣き声が響き渡ったせいで神官の言葉も葬儀の主催者の公爵の言葉も参列者代表の言葉も聞こえ辛いものでした。公爵家の皆様は彼女の存在自体をない者として扱っておりました。スルースキルが大変磨かれて御出ででした。
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ヘンリーが死んで未亡人となったスーザン子爵夫人は、彼の残した遺産で豪遊しているという噂が
侯爵領にも聞こえてきました。連日夜会に赴いているというのです。怪しげなパーティーにも参加しているという話です。挙句、カジノにのめり込んでいるという噂も……。
『最愛の夫を亡くして寂しいのだろう。ドロシー・スーザン子爵夫人が夜ごと遊び歩いているのは恐らく自宅に戻りたくないためだ。家に帰れば嫌でも夫君を思い出して辛いからな。公爵家の跡目を捨ててまで選んだ最愛の妻のする事だ。ヘンリーもきっと許してくれる。我々は広い心で彼女を見守っていこうではないか』
スーザン夫人の実家を始めとした周囲の者達は挙って彼女の振る舞いを擁護していたのです。特にヘンリーの学生時代からの友人たち。彼らもスーザン夫人と一緒になって遺産を食い荒らしているというではありませんか。素晴らしい友情もあったものです。
もっとも、婿養子を貰い「公爵夫人」となったヘンリーの妹、アリシアは辛辣でした。
「お兄様が亡くなったせいでタガが外れたんでしょう。煩くいう存在がいないのをよい事に遺産を使って豪遊だなんて恥を知らないらしいわ。まったく、使う事だけは一人前の奥方だこと。お金を自由に使えるのが嬉しくて仕方がないのね」
実に的を射ていました。
スーザン夫人の実家である子爵家は借金は無いようですが、家計は常に火の車。金銭面で随分と苦労されてきたのでしょう。お金の使い方が下品としか言いようがありません。残された遺産が底をつくのは目に見えているといいますのに。
ドロシー・スーザン夫人が逮捕されたと新聞の一面に、というよりもトップにでかでかと載っています。これは一体どういうことかと新聞を読んでいくと、「夫殺し」の容疑者として逮捕されていました。
どうやらヘンリーの落馬は事故ではなく殺しであったようです。しかも妻のスーザン夫人だけでなく彼女の兄やヘンリーの友人の殆どがそれに関わっていたと書いているではありませんか。
これは……貴族社会。とりわけ下位貴族は荒れますね。
数ヶ月後、下位貴族の半数が族滅したとニュースのトップとして飾られました。