083 最悪の印象 1
混乱しているのはダグラスだけではない。
吸血鬼側にも動揺が広がっていた。
――マリアンヌの帰還と同時に妊娠が発覚したからだ。
その事実を知った事で、彼女の出迎えを盛大に行わなかったのだと理解した。
異種族であっても、まだ魔族であれば認める事ができたかもしれない。
――だが相手は家畜扱いされている、ただの人間である。
元人間である吸血鬼の眷属たちですらも、眉をひそめてしまう相手だ。
マリアンヌの家族が落ち着いている事などできないだろう。
その事は当事者であるダグラスもよくわかっていた。
ジリアンがどのような説明をしたのかわからないが、なにか弁解をせねばならない状況である。
まだ周囲からの圧迫感を感じているが、ダグラスは状況を変えようと気合を振り絞って動く。
「あの、お父さ――」
「誰がお父さんだ!」
動揺のあまり、ダグラスは陛下ではなく、お父さんと言ってしまった。
これは“マリアンヌのお父さん”という意味だったのだが、あちらはそうは取らなかった。
“すでに婿入りする気か!”と怒りを買ってしまう。
その怒りの籠った言葉が強烈だった。
言葉一つでダグラスの意識を刈り取った。
弱い人間であれば、その一言で心臓まで止まっていただろう。
だがダグラスは人間の中では強い部類に入り、モラン伯爵を討ち取った事によって、さらに強くなっている。
一瞬、意識を失ったが、ダグラスはすぐに意識を取り戻した。
それを見て、マリアンヌの父は不愉快そうに顔をしかめる。
彼はジリアンから話を聞いた時点で、ダグラスを殺すつもりでいた。
直接手を下せばマリアンヌに嫌われてしまうが、殺気を籠めた怒声で殺せば問題ない。
“あの程度で死ぬほうが悪いのだ”と言えるからだ。
殺すつもりだったから、この場には人間の使用人などは連れてきていなかった。
なのに、彼の目論見は失敗に終わった。
それがとても不愉快だったのだ。
「チッ、まったくのグズというわけではないようだな」
「お父様! なんて事を」
マリアンヌがダグラスに駆け寄ろうとするが、腕を掴まれてできなかった。
彼女は心配したが、ダグラスはまだ生きている。
意識を失って倒れそうになったものの、本人の意思で堪えてみせたのだ。
その事に彼女は安堵の表情を見せる。
だが、まだ安心はできなかった。
妊娠の事実を知った両親が、どのような行動に出るかわからなかったからだ。
「まずは家族で話し合いましょう」
マリアンヌの母が、そう言ってマリアンヌを城の中へ連れていこうとする。
この時、一瞬気を失って倒れそうになっていたダグラスは、馬車から足を踏み外していた。
態勢を立て直そうとして、彼は馬車から地面に降りる。
それを見て、マリアンヌの母の表情が、文字通り鬼の形相へと変わる。
「あなたは呼んでいません!」
――挨拶も済ませていないのに家族面をしている。
ダグラスは態勢を立て直しただけなのに、マリアンヌの母に最低な第一印象を与えてしまう。
気を失う原因を作ったマリアンヌの父のほうも、憤怒の表情を見せていた。
「えっ、いったいなんの事ですか……」
「白々しい! 分をわきまえなさい!」
――意識が一瞬飛んだだけなのに、最悪だと思われた状況がさらに悪化している。
ダグラスには状況を吞み込めなかった。
彼にわかるのは一つ。
――歓迎されていないという事だけだった。
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歓迎されていないとはいえ、一応はマリアンヌを連れてきた者である。
それにモラン伯爵からも守ってくれた。
王女に傷物にした不届き者ではあるが、渋々王宮の一室へ案内される。
歓迎されぬダグラスではあったが、ジリアンが彼に付いてきてくれていた。
「私もマリーの望む方向に話を進めてあげたかったのだけれどもね。あなたたちの出会いは、どんなにオブラートに包んで説明しても陛下には許しがたいものでしかなかったようね。……それに妊娠もあったから」
彼女はダグラスから視線を逸らしながら、ワイングラスに注がれた新鮮な血を一口飲む。
ダグラスには普通の紅茶が出されていたが、とてもそれを飲もうという気分にはなれなかった。
「ジリアン様。なぜマ……、マリアンヌ様が妊娠している事を教えてくださらなかったのですか?」
ここは吸血鬼の巣窟である。
下手にマリーと呼ぶわけにはいかない。
動揺していても、これ以上心証を損ねないためにダグラスは“マリアンヌ様”と呼ぶ。
「当事者ではない私だってどうするべきか悩んだもの。本人も“あなたの子供ができた”と言いづらかったのよ。そこはわかってあげなさい」
「でもそんなに大事な事を……」
「仕方ないでしょう。結婚もしていないのに子供ができてしまったのだから。外部の人間だとどうなのか知らないけれど、王女がゆきずりの相手と子供を作るなんて大問題なのよ。しかも人間相手だなんて……。一応子供の父親だから見逃してもらえたけれども、私が説得していなければあの場で殺されていてもおかしくなかったんだからね!」
「それは……、感謝しています」
人間か吸血鬼かは関係ない。
“助けてやる”と言いながら娘を孕ませる男への対応など、どこの世界でも同じだろう。
ジリアンが先に会って話をしてくれていなければ、ダグラスはただの肉片と化していただろう。
それには感謝している。
だがやはり“もっと早く教えておいてほしかった”という気持ちが強く、無条件で感謝しきれなかった。
「可愛い一人娘が帰国して、ブリーフ派のモラン伯爵に襲われたものの助かった。そう思っていたら、妊娠の事実を知らされたのだもの。陛下とはいえ冷静ではいられないわ。あなたも戸惑っているだろうけれど、感情をぶつけられる覚悟はしておきなさい」
「ええ、もうぶつけられましたが」
疑問だらけで困った表情を浮かべるダグラスを見て、ジリアンの頭にも疑問が浮かび上がる。
「そういえば陛下の怒りを受けて、なんでただの人間が生きているのよ? 一瞬気を失ったように見えたけれど、それだけのようだし」
「それは……」
ダグラスも“死ぬかと思ったが生きていた”としか言いようがなかった。
しかし、かつてカノンが話していた事を思い出す。
「僕たちには見えませんが、人にはレベルというものがあるそうです。強者の命を奪った数だけ強くなるらしいです。僕はモラン伯爵を倒したので、それだけ強くなっているという事かもしれません」
「強者を倒せば強くなれる、か……。それが本当なら長年国境を守っていたモラン伯爵を倒したらかなり強くなれそうね。彼も強者だったから」
「ええ、まぁ実感はないんですけども。それより、これからどうなるかとか、どうすればいいのか助言をいただきたいのですけれど」
ダグラスは、ジリアンに助言を求めた。
“求愛行動を求めた”というだけならば勘違いで済むだろうが、妊娠までしているのならただでは済まない。
吸血鬼社会の事もわからないので、マリアンヌの友人である彼女に頼るしかなかった。
ジリアンも手助けはしてやりたい。
だがそれはダグラスのためではなく、マリアンヌのためだ。
彼女は悩み、そして口を開いた。
「陛下の名前は知っている?」
「チューダーという家名しか……」
ダグラスが首を振る。
その反応を見て、ジリアンは苦笑を浮かべた。
「じゃあ、まずはマリーの家族について話しましょうか。いくらなんでも名前すら知らないというのは印象が悪いもの」
まずは基本的な事からである。
ジリアンは“マリーって彼になにも話してなかったのね”と呆れ、彼女の尻拭いをしようとしてくれていた。
家族の事があり、またやらねばならない事もできたので今年一杯は週一になると思います。
その後の事は、随時お知らせいたします。





