075 ピキニパンツ派 VS ブリーフ派 4
「これは血の風呂というよりも、大惨事っていう感じだな」
メイドたちの血で汚れた浴室を確認しながら、ダグラスはモラン伯爵に話しかける。
「人間ごときがぁ! この私に傷をぉ!」
モラン伯爵は怒り心頭だった。
ダグラスの言葉を無視して、ナイフを引き抜き、握り潰した。
「こいよ。それとも人間が怖いか?」
ダグラスは挑発する。
当然、モラン伯爵は怖い。
だが、彼の冷静さを失わせるために必要な行為だった。
「人間など恐れるかぁ!」
モラン伯爵は挑発に乗ってくれた。
やはり人間に舐められるのは許せないようだ。
これはダグラスにとって好都合である。
浴室内は血で濡れていて滑りそうだった。
そこで戦うのは、ダグラスにとって不利。
廊下側におびき寄せる必要があった。
そしてもう一つ狙いがあった。
モラン伯爵は激昂しながらも、その根底には常識がある。
壁や天井を壊して接近してくるわけではない。
真っ直ぐにこちらへ向かってくる。
浴室の扉は大きいとはいえ、その範囲は限定される。
その限定された範囲というのが今は重要だった。
吸血鬼も人間と変わらぬ二本足で走る以上、四足歩行する獣のように急激な方向転換は難しい。
モラン伯爵が近づいてくる。
そこでダグラスは、小瓶に入った液体を彼に向かってかけた。
「ぎぃえええあぁぁぁ!」
モラン伯爵は激痛のあまり、足を滑らせて地面に倒れ込む。
ダグラスは足元に転がってきた彼の体を飛んでかわす。
「なんだ、なんだこれは!? 体が腐る!!」
「神の聖水の一ヶ月ものだ。よく効くだろう?」
――神の聖水。
これはカノンがくれた塗り薬と一緒に袋の中に入っていたものだ。
それが聖水だと気づいた時、ダグラスはすぐに捨てようとした。
しかし、吸血鬼の国に向かうのだ。
効果の高い聖水は、一応貴重な武器となる。
念のために持ってきていたのが役に立った。
そして、この最初で最後の一撃を障害物で邪魔されないため、モラン伯爵を挑発したのだ。
――怒りで直線的な行動を取らせる。
一本しかない聖水を無駄にしないため、自分の身を危険に晒したのだ。
その狙いは成功した。
ナイフであればかわせただろうが、広範囲に広がる液体はかわしきれない。
しかも吸血鬼は露出が多いため、服で防ぐ事もできない。
モラン伯爵は聖水の半分ほどを浴びる事となった。
彼の肌が焼けただれていく。
かけられたものがものだけに“腐るという表現は正しい”とダグラスは思っていた。
しかし、黙ってみている状況ではない。
すぐさまレプリカソードで、心臓を狙って突こうとする。
――だが、それはモラン伯爵の手によって止められた。
刃を逸らしたり、ダグラスの腕を掴んだというわけではない。
文字通り、手を犠牲にして刃を止めたのだ。
そのまま手を横に払う。
ダグラスは、その勢いに負けてよろけてしまう。
モラン伯爵は手を切り裂かれたが、心臓は無事だった。
だが、他の部分は無事とは言い難い状態である。
「ぬあああぁぁぁ!」
吸血鬼が持つ再生能力も、神が作りだした聖水の前では無力である。
聖水のかかったところから体を腐食させていく。
まるで強酸を浴びたかのような状態だった。
苦痛で暴れ回る。
ダグラスはただの人間である。
振り回している腕に当たるだけでも致命傷を負いかねない。
うかつに近づく事はできなかった。
やがてモラン伯爵は、ある事に気づいた。
急いで浴室に入り、浴槽に飛び込む。
「あっ!」
浴槽の中には、まだ血が残っていた。
そこで回復するつもりだろう。
血まみれの浴室は足場が悪いが仕方ない。
慌ててダグラスは追撃を行おうとする。
浴槽内に剣を突き入れる。
だが、ダメだった。
またしてもモラン伯爵の手によって止められる。
――今度は刀身を掴まれていた。
モラン伯爵の体は、悔しさで震えていた。
人間ごときに傷を負わされた事が、なによりも悔しかった。
そして、みっともなく取り乱してしまった自分がなによりも許せなかった。
怒りが頂点を過ぎ、かえって冷静になり始めていた。
「よくも、よくも……」
危険を感じてダグラスは距離を取ろうとするが、剣がびくともしない。
スイッチを操作して刀身を消して距離を取る。
浴槽から立ち上がったモラン伯爵は、聖水がかかった部位は溶けたままで治っていなかった。
あれほど端正だった顔も半分が溶け、醜くなっていた。
やはりブリーフ以外は裸というのは大きな弱点だったらしい。
そんな状態でも、血を吸った重みでずり下がりそうになっているブリーフを元に戻す事は忘れていない。
(まずいな。聖水でどうにかできると思っていたけど、やはりゾンビとは違ったか)
血で聖水を洗い流されたこの状況は、ダグラスにとって危険なものだった。
正直なところ、聖水でモラン伯爵を倒せなければ、もう打つ手がない。
レプリカソードで傷はつけられるかもしれない。
だが問題はどう傷つけるかだ。
ダグラスができるのは不意を突く事だけで、正面切っての戦闘には自信がない。
吸血鬼の身体能力で押し切られるだろう。
「助かったわ。彼を相手にどれくらいやれる自信がある?」
マリアンヌが、ダグラスとモラン伯爵の間に割って入る。
そう、まだ彼女がいた。
ダグラスは一人ではないのだ。
「聖銀の武器があるから、胸を刺せば倒せるとは思う。ただ、ヴァンパイアの身体能力を相手にどこまでやれるかはわからない」
「そう、わかったわ。なら私が動きを止めるから、あなたが援護して」
役割分担である。
同じ吸血鬼であるマリアンヌがモラン伯爵の動きを止め、ダグラスが支援をする。
場合によっては、トドメもダグラスが刺す事になるだろう。
「わかった、やろう」
マリアンヌも態勢を立て直す事ができた。
一人では倒せない相手でも、二人でなら倒せるかもしれない。
二人はモラン伯爵と対峙する。
これが二人の初めての共同作業となる。





