032 クローラ帝国の仕組んだ罠 2
「あー疲れたー」
カノンは馬車から降りると、彼はスキルで車酔いを治していた。
なので元気なはずだが、精神的なものまでは治せないのだろう。
ベッドに倒れ込む。
「そんな事を言ってられませんよ。これからどうするのか考えないと。こんな事が続くと、お金が続かないんじゃないですか?」
ダグラスも荷物を置きながら、カノンに指摘する。
路銀が続くかどうかはカノン一人の問題ではない。
ダグラスもただ働きではない。
給与を貰う必要がある。
それに金がなくなれば“なんとかしてくれ”とカノンに泣きついてこられる可能性だってあった。
世界に関わる問題なので、ダグラスもカノンを一刻も早くドリンまで送り届けたいと思っている。
道中で路銀稼ぎなどしている暇などない。
お金は大事に使ってほしかった。
だからホテルもカノンが望むラグジュアリークラスではなく、ハイエンドのところを選んだ。
もっとも、これは最高級ホテルでは部屋に棺桶を持ち込むのを嫌がられたせいでもある。
他にも馬車を曳く馬の世話や、窃盗防止の警備員がいるところを選んだという理由もあった。
ハイエンドのホテルに泊まるのは、一人旅が長かったダグラスにはもったいないものに思えた。
しかし、カノンのわがままだけではなく、馬の安全などを考えれば仕方のない出費だとわかっている。
ただ、これまでの自分の生活費と比べて、一気に出費が増えた事が不安だったのだ。
「大丈夫、と言えたらよかったのですが……。今後どうなるかわからないので節約はしておいたほうがいいでしょうね。食料を大量に買って、街に寄るのを最低限にするというのはどうでしょう」
カノンの申し出に、ダグラスは驚いた。
“街に立ち寄るのを最低限にする”というのは彼も考えていた。
しかし――
「用を足すのはトイレじゃないと嫌だ」
「お風呂に入りたい」
「マットレスのあるベッドじゃないと眠れない」
――などと愚痴る男が、野宿続きの旅に耐えられるはずがないと思って提案しなかった。
まさか自分から言い出すとは思わなかっただけに、その驚きは大きなものだった。
「そういうやり方も可能でしょう。あとで食料品店に行ってみますか?」
「そうしますか。明日でもいいですけど」
よほど疲れているのだろう。
カノンは今日動くのを嫌がっていた。
彼の体力のなさを知っているダグラスは、仕方ないものだと思った。
「ねぇ、カーテン閉めてくれた?」
棺桶の中から、マリアンヌが話しかけてくる。
「ええ、閉めましたよ」
ダグラスが返事をすると、マリアンヌが棺桶の蓋を開けて出てきた。
今回は、ちゃんと喪服を着ていた。
「クローラ帝国に着いたんでしょう? なら、そろそろ私が日中でも歩けるっていう方法を教えてくれてもいいんじゃないの?」
彼女は、ダグラスと日中出歩く事ができる方法というものが気になったのだろう。
街に着いたのなら、早く教えてほしいと言い出した。
そんな彼女に、カノンはフフフッと含み笑いをしてみせる。
「そんなに楽しみにしていたんですねぇ」
「べ、別に楽しみになんてしてないわよ! ヴァンパイアの弱点を克服できるのなら、それに越した事はないから聞いているだけよ!」
「そうですか、そうですか。私にとってはヴァンパイアも、この世界の住人として守るべき対象です。意地悪はしませんよ。ただ、今後はいきなり人前に出るのはやめてくださいね」
カノンは必要以上にからかったりはしなかった。
ベッドから起き上がる。
「まず、太陽に当たるとどうなるんですか?」
「体が焼けて死ぬらしいわ。試した事はないけども」
「例えば、指先だけ少し日に当たった場合も?」
「その場合は火傷するだけよ。日陰に入ればすぐ治るけども」
「服を着ていてもですか?」
「この服の生地なら多少は大丈夫だろうけど、それでもしばらくしたら焼けてしまうでしょうね」
カノンは“なるほど”と何度もうなずく。
このやり取りで、何か確信を持てたかのように自信ありげだった。
「では、少しだけ試してみましょうか」
彼は“テッテレテッテーテーテテー”と口ずさみながら、どこからともなく見た事もない素材でできた箱のようなものを取り出す。
「日焼け止めクリームー」
「なんですか、その喋り方は?」
ダグラスのツッコミに、カノンは寂しそうな顔を見せた。
わけがわからず、ダグラスとマリアンヌは顔を見合わせて肩をすくませる。
「……ちょっと雰囲気を出そうとしただけですよ。マリアンヌさん、手にこのクリームを塗って、カーテンの隙間から出してみてください。きっと大丈夫なはずです」
「そんなもので日差しを防げるというの?」
「これは神の世界の薬ですからね。きっと大丈夫……なはずです。すぐに治るのなら、試してみませんか? あなたの世界が変わるかもしれません。さぁ、手を出して」
マリアンヌも疑っていたが、カノンを信じて大人しく手を出した。
白いクリームのようなものが少量絞り出される。
「本当にこんなものを塗るだけでいいの?」
「そのクリームには、太陽光に含まれる紫外線というものを防ぐ効果があります。おそらく、ヴァンパイアは紫外線に極端に弱いだけでしょう。それを防げば日中でも活動できるはずです。とりあえず、その量で両手分はあるので試してみてください」
「そう……、これで……」
さすがにこんなもので防げるとは信じ切れない。
不安を覚えながら、マリアンヌは両手にクリームを塗る。
「白いのが消えてしまったけど、これで大丈夫なの?」
「ええ、それでいいんです。顔に塗った時に、顔が真っ白なんて嫌でしょう? 透明になるものなんです」
「ならいいのだけれど……」
マリアンヌは、やはり不安を拭い去れなかった。
白い膜で覆って太陽を防ぐというのならばともかく、透明になってしまったのだ。
そのまま太陽の光を通してしまうのではないかと思ってしまう。
自分の体が日に焼けるのは恐ろしい。
だが、ダグラスと出歩くためにも、彼女は勇気を出してカーテンの隙間から手を窓側へと出す。
「……なにも起こらないわ」
「なら失敗ですか?」
「いいえ、そうじゃないの」
マリアンヌは、ダグラスに手を見せる。
「太陽に当たったのに傷一つもない。少し嫌な感じはしたけれども、それだけよ。あの軟膏はなんなの?」
「どこにでもある、ただの日焼け止めクリームですよ」
カノンがニヤリと笑う。
日焼け止めクリームのために、わざわざ長い階段を上って、タイラーの屋敷へ向かったのだ。
あの苦労が無駄にならずに済んだ事を喜ぶ。
「こんなもの、どこにでもあるわけないじゃないのよ! 革新的だわ、これがあればみんなも太陽を恐れずに済む……」
それ以上に、マリアンヌが喜んでいた。
吸血鬼の天敵は、人間でもエルフでもドワーフでもない。
自然に存在する太陽だった。
太陽が出ている間は外を出歩く事すらままならない。
ゾンビやスケルトンといった低級のアンデッドですら、太陽を浴びて死ぬ事はないというのに。
それだけに、日焼け止めクリームの存在は画期的だった。
ただ塗るだけで太陽による被害を防げるのだ。
便利さも含めて、吸血鬼社会を揺るがすものとなるだろう。
「これは他にもあるの? みんなの分も売ってくれる?」
「ありますよ。ですが売るほどはないですね。もっとも、ドリンのサンクチュアリで補充できるかもしれませんけども」
「なら売って! あるだけ全部!」
吸血鬼という種族にとって、これは見過ごせない代物だった。
マリアンヌは、カノンに詰め寄る。
「それは認められません。この世界の誰かが開発したのならともかく、神の力で特定の種族の運命を歪める事はできません。ダグラスさんとのデートを楽しむ程度にしておいてください」
「でも――」
「認めません。そもそも、こういう薬があるというとわかっただけでも進歩の第一歩なのではありませんか? この情報を土産にするといいでしょう。それ以上言うのなら、これは差しあげませんよ」
「くっ……」
マリアンヌが悔しそうに下唇を噛む。
カノンから力尽くで奪うのは簡単だろう。
だが、それでは二本目、三本目が手に入らなくなる。
種族の悲願を叶えられるチャンスを、完全に失うわけにはいかない。
ここでカノンに吸血鬼を見捨てられぬよう、なんとか耐えようとしていた。
(吸血鬼にとって、そこまで画期的だったとは……。冗談半分だったんだけど、本当にそこまで効果あるなんて思わなかったんだよなぁ)
そんな彼女の心情を、カノンは感じ取っていた。
そして、軽い気持ちで日焼け止めクリームを見せた事を反省する。
悔しがる彼女の気持ちをまぎらわしてやろうと、親切心から行動しようとする。
「ではダグラスさん、マリアンヌさんの体の隅々まで塗ってあげてください」
「えっ、僕がですか!?」
いきなり話を振られたダグラスが目を丸くして驚き、体を強張らせる。
いや、ダグラスだけではなかった。
マリアンヌも緊張で硬直していた。
「では、塗り終わったら試しに買い物に行きましょうか。私は食堂で何か飲んでいますので、終わったら教えてください。使い方は――」
二人に何か言われる前に、カノンはチューブの絞り方や使用量をダグラスに教えて部屋を出た。
(さぁ、これで二人の仲が縮まるかな)
――サンオイルを塗ってあげる。
それは堂々と異性の体に触れるチャンスである。
まだ女性経験のないダグラスのために、カノンが用意してやった。
しかし、一つ大きな問題もあった。
(一気に仲が縮まり過ぎたらどうしよう……。これからの旅で俺だけ肩身が狭くならないか?)
――ラブラブカップルと一緒の長旅。
自分が邪魔者扱いされるのがわかっているだけに、その点だけがどうしても心配だった。
今週は三回目のワクチンを打つため、次回は来週になります。
二回目の時に副反応があったため、よりきつくなるという三回目に備えるためです。
それではまた来週よろしくお願いいたします