020 吸血鬼、再び 3
カノンのせいで、ホテル内で新たな混乱が起き始めた。
この状況はまずい。
アンデッドと関係のないところで問題が起きている。
これでは対応に支障が生じるかもしれない。
ダグラスも、こんなところで死にたくはないので打開策を考える。
(とはいえ、僧兵が到着するまで時間を稼ぐしかないけども)
教会の所属する僧兵は、神の祝福を受けた武器を使用している。
それは自然の摂理に逆らうアンデッド相手に絶大な威力を発揮する。
彼らが到着するまで時間を稼げば、どうにかなるだろう。
ダグラスは隙間からゾンビの頭を破壊する。
(スケルトンがいないのがまだマシだ。あっちは素早いらしいからな)
腐った肉は重荷にしかなっていない。
ただゾンビのほうが見た目や匂いなどで生理的嫌悪感を呼び起こし、それが恐怖に直結する。
だが対処しやすい分だけ、ダグラスにはゾンビのほうがマシだと思えた。
何体かのゾンビを倒した時、ダグラスは異変に気付いた。
(もう終わりか? この規模の墓場で?)
墓場からホテルに流入してくるゾンビがいなくなった。
他のところに向かったのかもしれないが、ゼランの規模を考えれば、もっとやってきてもいいはずだ。
ダグラスとしては助かるが、嫌な予感がする。
「……あれは!?」
墓場からボロ切れを纏った何者かが近づいてくる。
最初は死霊術師かと思ったが違った。
ダグラスも昔出会った事があるが、不気味さはあっても、背筋が凍るような恐怖は感じなかった。
――この恐怖に似たものは覚えがある。
(まさか、あの時のヴァンパイア!? この騒動の犯人はあいつか!)
カノンの事が衝撃的過ぎたせいで、吸血鬼の事を忘れてしまっていた。
“こんな街中に現れないだろう”という思いもあったせいかもしれない。
だが、今は世界中が異常事態に巻き込まれている。
予測不可能な出来事が起きると覚悟しておくべきだった。
「カノンさん!」
聖水騒動により、ダグラスの中でカノンの評価が一段下がっていた。
小便が聖水としての効果があるとわかったのは“神だ”と思うにふさわしいものだったが、あまりの品性下劣さに評価が下がったのだ。
しかし、それでも神と呼んでも遜色のない力を持っている。
吸血鬼に対抗するには彼の力が必要だった。
だが、カノンは酔っぱらっていて頼りにならない。
彼の周囲には人が残っているが、やはり酔っぱらっていて逃げ遅れているだけであったり、カノンを見捨てて逃げる事ができない者たちばかりだ。
戦えそうな者はいない。
悪化していく状況を打開できそうになかった。
(よりにもよって、こんな時にくるなんて!)
すべてを見透かしたかのようなタイミングでやってきた吸血鬼に、ダグラスは戦術的敗北を喫した事を悟る。
――だが、それはまだ早かった。
ホテルの外で大きな音が聞こえた。
最初は“吸血鬼が暴れているんだろう”と思ったが、それが違った。
「誰かがゾンビを倒してるぞ!」
テーブルを押さえていた使用人が叫ぶ。
ダグラスも外を確認すると、吸血鬼が柱を引っこ抜いて振り回している。
ゾンビが吹き飛び、周囲に肉片をまき散らす。
ホテルの近くのゾンビには柱ではなく、腕で薙ぎ払う。
そこには技術もなにもなかった。
――人間を超越した圧倒的な力。
それだけである。
さすがに使用人たちも、ゾンビを倒してくれた者が人間ではない事に気付く。
あらかたゾンビを倒したところで、吸血鬼は扉の前に立った。
ガチャガチャとドアノブを回す音が聞こえる。
嫌な予感がしたので、ダグラスは壁際から急いで離れ、カノンのそばに向かった。
彼の予感は的中する。
扉が開かないと思った吸血鬼が、扉を蝶番ごと強引に蹴り飛ばした。
「……いたぁ」
なぜボロ布をまとっているのかわからないが、やはり昨日の吸血鬼のようだ。
その赤く輝く瞳は、昨日と同じくダグラスを捉えている。
ダグラスは慌てて床に落ちている銀のナイフを拾って、レプリカソードの中に入れる。
神に祝福されたものではないが、銀のほうが石よりはマシのはずだ。
こちらに向かってくる吸血鬼の動きを、今度は見逃すまいと警戒する。
「ねぇ、あなたの血をちょうだい」
「そこに結婚前の男女がいる。そっちはどうだ?」
ダグラスは逃げ遅れていたカップルの存在を見落としてはいなかった。
彼らを犠牲にしている間に、逃げ出そうと考えていた。
ダグラスの言葉を聞き、吸血鬼はカップルのほうに顔を向け、匂いを嗅いでいた。
一人よりも二人。
獲物が多いに越したことはない。
だが、すぐにダグラスに顔を向け直した。
「あの二人は純潔じゃないからダメね」
「はぁ? お前やっぱり、テリーの奴と!」
「あなただってローザとの関係が切れてなかったのね!」
どうやら吸血鬼を彼らに押し付けるのに失敗したようだ。
時間稼ぎにもならなかった。
無駄な犠牲を出しただけである。
「この場で美味しそうなのは、あなただけよ」
(くそっ、やっぱりカノンさんはダメか!)
“穢れを知っているほうが、穢れた人を救える”と言う男だ。
すでに女を知っているのだろう。
彼に押し付ける事も無理だった。
「なぜアンデッドを生み出した! 僕たちを殺すのが目的か!」
そのため、打開策を考える時間を稼ごうとした。
話をしていれば食らいついてくる時間が稼げるはずだ。
「なにを言っているの?」
だが、吸血鬼は不思議そうな表情を見せる。
「人間を殺してしまえば血を吸えなくなるじゃない。昔は死体を使って人間と戦っていたようだけれども、私はそんな事をしていないわ。そもそも人間は魔法が暴走するようになった事を知らないの?」
「魔法が使えなくなった事は知っている。お前がやったのでなければ、誰がやったというんだ!」
「昨日、私は日が昇る前に死体安置所を見つけて、そこで寝ていたわ。昼ぐらいから周囲が騒がしくなっていたから、昼間に何かあったんじゃない?」
「それは……」
ダグラスには犯人に心当たりがある。
いや、正確に言えば、カノンが犯人に間違いない。
彼が光る箱で何かをしていたから、死者が蘇ったのだろう。
吸血鬼の言葉を鵜呑みにするのは危険だ。
だが、カノンが何かをやっているのを近くで見ていたため、彼女の言葉を信じてしまう。
「では、その格好はなんだ? 死者を蘇らせるための儀式を行っていたんじゃないのか?」
昼間の話を続けてボロが出るのはまずいと思い、ダグラスは話を逸らした。
すると、吸血鬼は身を縮こまらせた。
「あなたたちが私の体を見て欲情したからじゃない。人間にあんな目で見られるなんて初めての経験だったから……」
血の気のない白い肌だが、血が通っていれば頬を染めていただろうと思わせる表情を見せる。
振り向いたわけではないが、ダグラスは周囲から“吸血鬼相手に? なんてクレイジーな奴らなんだ”という目で見られているような気がした。
「いや、あれは――」
「それよりも、私は喉が渇いているの。あなたの血をちょうだい」
ダグラスは否定しようとするが、ついにしびれを切らした吸血鬼が問答無用とばかりに迫ってくる。
時間稼ぎも、これまで。
ダグラスは戦うか、命を諦めるかの決断を迫られていた。