018 吸血鬼、再び 1
スキルで食べ物を変換できるとはいえ、一日に使える回数には限りがある。
そこでカノンは食料品や飲み物などを中心に荷物をまとめる。
中でも多めに確保したのは、トイレットペーパーだった。
これは彼にとって必需品だった。
神として物を異次元に収納する力を持っている彼は、旅の間は持つ量をしっかりと確保する。
「ではいきましょうか」
カノンは大きな宝玉がついた杖を持ち、家の外へ出た。
これは“歩き疲れた時のため”という用途もあった。
ダグラスも彼に続く。
彼の腰には、カノンによって“レプリカソード”と名付けられた剣が、ストラップによって吊り下げられていた。
神の領域の外では、民衆が跪いて祈りを捧げているのが見えた。
またしても昼間であるにもかかわらず、世界が闇に包まれたのだ。
不安から神にすがろうとしているのだろう。
「ダグラスさん、あとは打ち合わせ通りに」
「わかりました」
神の領域から外に出る前に、カノンはダグラスに口裏合わせの再確認をする。
“カノンのせいだ”と言われては、信者を失ってしまうからだ。
「カノン様、儀式はいかがでしたか?」
二人が外に出ると、司教が話しかけてくる。
カノンは力なく首を振った。
民衆の顔が絶望に染まり、泣き出す者も現れた。
だが、これはカノンの予想通りである。
だから、対応はできる。
「私はこの世界の新たなる神、カノン・スズキである。この世界は悪しき力に狙われている!」
衝撃的なあまり、泣いていた者の泣き声もやむ。
彼らの思考が止まっている間に、カノンは話を続ける。
「先ほど私が神になるための儀式を行っていたところ、悪しき力によって阻まれました。空が暗くなるのを皆さんも見ていたはずです」
本当はカノンがやっていた事だが――
『なんにもしてないのに壊れちゃいました』
――などと言い出す勇気はなかった。
だからダグラスにも“内緒にしておいてほしい”とお願いしていた。
そんな事情を知らぬ者達は、未知の恐怖におののいた。
「だが、心配はいらない。力を使い、悪しき力の浸食を一時的に押さえ込んだ。そのためこの地で神になる事はできなかったが、他の地で儀式を行えば問題はない。そのため、馬車などを用意してもらえると助かります」
「最高のものをご用意いたします!」
民衆のリーダーだった者が答える。
カノンは満足そうにうなずいた。
「さて……」
カノンが教会関係者に近付く。
「怪我をしているようですね」
彼らには暴動の際に、暴行を受けた痕がある。
それをどうにかすれば、彼らの信用は得られるだろう。
何かないか、カノンはスキルを探す。
その姿は周囲から見ると、まるで魔法を詠唱する前の動作のようだった。
カノンは自分が使用可能なものを見つけた。
「癒し手」
カノンの右手が淡い光に包まれる。
それは見ているだけで心が安らぐものだった。
カノンが司教の頭に手を置く。
すると、見る見るうちに傷が治っていった。
「おおっ、これは……。魔法が使えるようになったのですか?」
「いいえ、それはまだです。これは神の力ですよ。さぁ、他の方々の傷も癒してあげましょう」
カノンは慈愛に満ちた表情を浮かべて、次々に怪我人を治療していく。
その姿は、まさに聖人か神といったものだった。
神の領域に入る事ができた人物という事もあり、カノンが神を騙る偽者だと思う者はいなかった。
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皆の希望により、カノンの歓迎会が墓場に近いホテルで開かれた。
この街は神のお膝元であるため、永遠の眠りにつくのに人気がある地域だった。
しかも、このホテルは裏口から墓場へ直通という一等地である。
カノンには理解できなかったが、墓場の近くのホテルというのは人気なのであった。
「すまなかった。この非常時で役に立たなかったのは、いつも堕落した生活をした司祭たちのせいだと思っていたのだ」
民衆のリーダーが表面上は謝っているものの、その言葉には日頃の不信感が見え隠れしている。
「いえいえ、信心の足りぬ方々が神を信じて待つという事ができないのも無理はありません。お気になさらず」
司教のほうも、殺されかけた恨みを簡単に忘れ去る事はできなかったようだ。
チクリと嫌みを含ませる。
同じようなやり取りは、パーティー会場の至る所で行われていた。
当初は互角だったが、カノンという存在が実在するため、教会関係者が徐々に優勢になっていく。
ダグラスは神の領域の中がどうだったか聞かれただけで、すぐに見向きもされなくなった。
その分、カノンが大勢に取り囲まれていた。
ダグラスは、のんびりと料理を食べていた。
(やっぱり、カノンさんは本物の神様なのかな? 神が作り出したものだけ味がわかるみたいだ)
――カノンさん。
そう呼び方が変わるほど、カノンを見る目が変わっていた。
“神の領域に入った事で、味がわかるようになったのでは?”とも考えたが、今食べているものは味がしない。
舌が変化して味がわかるようになったわけではないようだ。
(腹がいっぱいになったし、部屋に戻るか)
一言カノンに声をかけていこうと近付く、
「来週、結婚予定なんですよ。カノン様に出席していただきたかったのですが……」
「私は明日にでも世界を救う旅に出なければいけません。あなた方の新たな門出に幸せがあらん事を祈っておきましょう」
「ありがとうございます!」
だが、彼の近くには挨拶待ちの人々が集まっていた。
とても近付けそうにない。
カノンたちは酒を飲みながら話が弾んでいるので、ダグラスは“邪魔する事はない”と思い、静かにパーティー会場を出ていった。
ダグラスには五階の部屋が用意されていた。
カバンの中から、手のひらサイズの四角い缶を取り出す。
爪が折れそうな思いをしながら蓋を開けると、中には様々な味の飴玉が入っていた。
そのうちに一つを取り出し、ダグラスはじっくり舐めて味わう。
(いつか、普通の料理も味わえるようになるかな? カノンさんが神の力を手に入れたら、体を治してもらおう)
――他の人とは違う。
ダグラスを暗殺者に仕立て上げた師匠は、それも大きな武器となると言っていた。
だが、一度でも美食の喜びを知ると、他の人と同じ生き方をしてみたいと思うようになってくる。
(ダメだダメだ! 私欲で道を踏み外した奴らを数え切れないほど見てきたはずだ。我慢しないと……)
そうは思うが、飴玉をもう一つ口へ運ぼうとしてしまう。
しかし、異変に気付いて、その手が止まる。
(多くの足音?)
最初は“街の住民がカノンへの貢ぎ物を持ってきたのかな?”と思った。
パーティーが始まるまで、多くの住民が食べ物などを捧げにきていたからだ。
だが、今回は違和感を覚えた。
足音が聞こえるのが街側ではなく、墓場側から聞こえていたからである。
ダグラスはベランダに出て、暗闇に目を凝らす。
もぞもぞと動く人影が月明りで薄っすらと見える。
最初は“カノンを誘拐しようとしている勢力”の存在を疑ったが、すぐに違う事に気付いた。
墓場にある死体安置所や墓の下から這い出てくる者の姿が確認できたからだ。
(まさか、アンデッドか! なんでそんなものが!?)
彼らは明かりのついたホテルに向かってきている。
ダグラスは、いち早く異変に気付いた者として行動を始めた。